8 思いがけない条件
領主・ガルャーナの敗北に、観客席は俄かに騒ついた。
神器・『神判の槌』が下されたという驚愕。
突如として現れた巨大な蔓に対する疑問。
そして……反乱が阻止されたことへの安堵、あるいは不満。
それら領民の騒めきに対し、ガルャーナは、
「──静粛に」
蔓の魔法から解放され、立ち上がり、高らかに言った。
それだけで、領民は静まり返り、皆ガルャーナに視線を向ける。
「……"武闘神判"は決した。オゼルトンは……今後も、アルアビス国の一領地として存在する」
その言葉に、独立推進派のメンバーを始めとした一部の領民が、悔しげに顔を歪める。
そうした反応を見据えてか、ガルャーナはこう続ける。
「これは神の御心による選択だ。しかし、オゼルトンが抱える問題は依然として山積している。アルアビスと敵対するのではなく、アルアビスの一員として、僕はこの使者と共に話し合う」
そして、領民全員と視線を交わすように、観客席をぐるりと見渡し、
「……約束しよう。オゼルトンの未来は、僕が護る。全てが決まった後、皆へ正式に通達する。それまで、どうか待っていてほしい」
力強く、それでいて真摯な声で、そう宣言した。
その言葉を信じ、頷く者。不安そうな目で、領主を見つめる者。
反応は様々だが、領民が騒つくことは、もうなかった。
それを見届け、ガルャーナは頷くと、
「では、これにて閉会とする。……お前たちは、僕について来い」
閉会を告げた後、後ろに立つクレアとエリスに言った。
そして『神判の槌』を手に取り、退場口へスタスタと歩いて行くので、
「…………」
決着後の切り替えの早さに、二人は顔を見合わせてから、彼の後に続いた。
* * * *
──クレアとエリスは、ガルャーナとその従者に促され、円形闘技場の地下へと降りて行く。
下層があることを初めて知った二人は、石で作られた美しい壁や階段の造形に思わず目を奪われた。
「えっと……早速、オゼルトンの今後について話し合う、ってことでいいの?」
階段を降りた地下空間に響く、エリスの声。
観客席の真下にあたる場所なのだろう、長い廊下が、緩やかな曲線を描きながら続いていた。
先頭を歩くガルャーナは、振り返らないまま答える。
「そうだ。この先に会議室があるから、そこへ案内する。それとも、少し休息を挟んだ方がいいか?」
そう尋ねられ、エリスは首を横に振る。
「ううん、あたしは別に平気。話し合うなら、早いに越したことはないし。けど……クレアは大丈夫なの? さっき口から血が出ていたじゃない。少し休む?」
と、隣を歩くクレアを心配そうに見上げる。
それに、クレアが「大丈夫ですよ」と答えかけるが、
「そうだな。お前は先に、治療を受けろ。少なく見積もっても、肋の一本は折れているはずだ」
ガルャーナが、振り返りながら淡々と言うので、エリスは「えっ?!」と声を上げる。
「それほんと?! なんで早く言わないのよ!!」
「すみません。内臓には影響がなさそうだったので、話し合いが終わるまではこのままでも良いかなと」
「いいわけないでしょ?! ほら、ちゃんと診てもらお! 医務室はどこ?!」
クレアの腕を引き、率先して歩き出そうとするエリスを、ガルャーナが止める。
「待て。君は会議室へ来て、先に話を始めていよう。そいつは使いの者が連れて行く。安心しろ、取って食ったりはしない」
その言葉に応えるように、ガルャーナの従者二人がクレアの前に立つ。
エリスが「でも……」と心配そうに見上げるので、クレアはにこりと微笑み、
「大丈夫ですよ。すぐに戻りますから。エリスは先に、お話を進めていてください」
そう、優しい声で言う。
"武闘神判"は終わった。ここからは対戦相手ではなく、国の使者と領主としての交渉の時間だ。
『神判の槌』を握ってはいるが、ガルャーナの状態も安定している。こちらが警戒していないことを示すためにも、少しの間ならエリスと二人にしても良いだろうと、クレアは判断した。
エリスにも、そのことがわかってはいる。
交渉を先に進める役を任されるということは、信頼されている証拠でもある。
だから、後ろ髪を引かれるような表情で彼を見つめ、
「……痛いところがあったら、ちゃんと『痛い』って言うのよ? 痩せ我慢はダメだからね?」
まるで子どもに言い聞かせるように言って、彼の手を離した。
クレアと別れ、エリスはガルャーナの案内で廊下を進み、やがて、広い部屋に通された。
会議や会食に使われているのか、部屋の中央には長い机と、それを囲む椅子があり、床には上質なカーペットが敷かれている。奥に見える暖炉には既に火が灯され、部屋の空気を温かなものにしていた。
「はぇ〜……」
立派な造りの部屋を見回し、声を漏らすエリス。寒さで冷え切っていた身体が、一気に温かさを取り戻していくようだった。
ガルャーナは、部屋の一角にある木製の枠に『神判の槌』を置いた。
そして暖炉に近い椅子を引き、「こちらへ」と言って、エリスに座るよう促す。
エリスは、領主と二人きりになったことを今更ながらに気まずく思いつつ、「ありがと」と言ってそこに座った。
「今、温かい飲み物を用意している。もうしばらく待っていてくれ」
エリスの向かいに座りながら、ガルャーナが言う。
その声は、地上で見せた力強いものではなく、穏やかで平坦なものだった。
「必要があれば、何か食べるものも作らせる。希望はあるか?」
「たべるものっ?!」
きらんっ、と輝くエリスの瞳。
ガルャーナは淡々とした表情のまま頷き、
「あぁ。ここには厨房もあるから、大抵のものは用意できるぞ。肉料理、魚料理、スープにサラダ、甘いデザートも」
「じゃあじゃあ、ウサギ肉のシチューをお願い! あと、ムームーペッカルを使った肉料理もあると嬉しい!」
「わかった。作らせよう」
ガルャーナが言うと、部屋の扉が開き、お盆を持った従者が現れた。
従者はお盆に乗せたティーカップを二人の前に置く。紅茶だろうか、白い湯気がゆらゆらと手招きしている。
ガルャーナはエリスの要望を従者に伝え、再び下がらせた。
そして……紅茶を飲もうとするエリスをじっと見つめ、問う。
「……オゼルトンの料理は好きか?」
「へっ? う、うん。どれもおいしくって、大好き」
「そうか。エリシアが望むなら、いくらでも用意する。他にも欲しいものがあれば言ってくれ」
望む食べ物を、いくらでも用意する。
優しい声音で告げられたその言葉に、エリスはわなわなと震え……
(なに、こいつ…………めちゃくちゃいい人じゃん!!)
脳天に電流が走るが如く、衝撃を受けた。
彼女にとって、美味しいものを提供してくれる人はもれなく『いい人』認定されるわけだが……
そんな彼女のチョロさを差し引いても、『神判の槌』を持たない素のガルャーナは、想像以上に穏やかな性格をしているようだった。
(さっきまでバチバチに戦っていたし、冷静な話し合いができるかちょっと心配だったけど……この様子なら、大丈夫そうね)
そう胸を撫で下ろし、エリスは「ありがとう」と礼を述べ、出されたお茶を一口啜った。
そして、いよいよ本題へと切り込む。
「んで、今後のことについて、まず確認なんだけど……あたしたちは"武闘神判"の勝者として、オゼルトンの方針に口を挟む権利を持っている。これは、間違いないのよね?」
その問いに、ガルャーナは頷く。
「もちろんだ。逆に言えば、神に選ばれし者として、お前たちにはオゼルトンの行く末を決める責任がある」
「じゃあ、結論から言っちゃうけど……あたしたちからの要望は二つ。冷気の『神手魔符』を普及させ、領の財政回復を図ることと……『神判の槌』を、無力化することよ」
それを聞いた瞬間、ガルャーナの眉がぴくりと動くが、
「……詳しく聞かせてもらおう」
テーブルの上で手を組み、エリスの目を真っ直ぐに見つめた。
エリスも少し居住まいを正し、順を追って話し始める。
「まず、『精霊封じの小瓶』が普及したことで、オゼルトンの製氷業が打撃を受けている件だけど……実のところ、その『小瓶』を開発したあたしの知り合いも、開発のきっかけを作ってしまったあたしも、精霊を閉じ込める技術を廃止したいと考えているの」
「……それは本当か?」
聞き返すガルャーナに、エリスは真剣な面持ちで頷く。
「本当よ。だから、それに代わる冷蔵技術として、冷気の『神手魔符』を開発した。予選でみんなが使った、氷霧を生み出す札……あなたも見たでしょう?」
「あぁ。そうか、あれは君が作ったものだったのか……しかし、どうやって新たな『神手魔符』を生み出したんだ? オゼルトンの考古学者ですら、技術の根本を理解できずにいるというのに」
「あたしは、体質がちょっと特殊で……精霊がどこにどれくらいいるのか、味と匂いで把握できるのよ」
「なっ……」
さらりと告げられたその言葉に、ガルャーナは今日一番の驚愕を見せる。
エリスは困ったように笑い、その視線を受け止める。
「『神手魔符』には、精霊を呼び寄せる力があるの。だから、冷気の精霊が気に入る紋様を見つけて、既存の札を参考に開発した。これを上手く改良すれば、精霊を閉じ込めることなく、冷蔵庫を冷やすことができるわ。『小瓶』よりも安価で、大量生産が可能。実用化すればきっと……いいえ、間違いなく国内全土に普及する。この技術をあなたたちに託すから、新たな産業の一つにして、財政回復を図ってほしいの」
エリスの革新的な案に、ガルャーナは驚きを隠せない様子で、椅子に背を預けた。
そして、
「……どうして」
「え?」
「君にとって……いや、アルアビスのほとんどの人間にとって、精霊さまはただの気体の一種に過ぎないはず。それなのにどうして、今ある技術を廃止しようとする?」
それは、ガルャーナにしてみればもっともな疑問だった。
『精霊封じの小瓶』は、アルアビスという国の魔法技術レベルを高めた革新的な発明だ。
それを、開発者自ら廃止しようとしているとは……オゼルトン人のような精霊信仰でもない限り、奇妙に思えることだろう。
その問いを聞き、エリスは思い出す。
『……まさか精霊に、意志があっただなんてね。酸素と同じ、空気中を漂うただの物質だと思ってた。こんな話を聞いてしまったら……閉じ込めておくことなんて、できないわ』
『風別ツ劔』の一件の後に見せた、"開発者"──チェロの、決意に満ちた横顔。
その思いを、エリスは痛いくらいに理解している。
だから、あの時の彼女と同じような表情を浮かべ、ガルャーナに答える。
「あたしも、『小瓶』を開発した彼女も、精霊はただの気体の一つに過ぎないと考えていた。けど、とある事件を通して……精霊はあたしたちと同じ、意志を持つ存在であることを知ったの」
「何……? つまり君は、精霊さまの意識に触れたことがあるのか?」
「うん。数ヶ月前、あたしたちは、精霊を呪いの力で封じ込める危険な武器を相手に戦ったの。そして、その武器から精霊を解放した」
「精霊さまを、封じる武器だと?」
「あたしたちは"禁呪の武器"と呼んでいるわ。精霊の力を邪悪なものに変え、使用者を狂戦士化させる、とても危険な代物よ。それは数百年前からこの世界に存在していて……その一つが、あなたの持つ『神判の槌』なの」
エリスの言葉につられるように、ガルャーナは壁際に置いた巨大なハンマーを見遣る。
「まさか、そんな……」
「あたしの相棒が使っている剣も、元は"禁呪の武器"だったのよ。似た紋様の装飾があるから、同じ系譜の武器であることは、すぐにわかると思う」
「…………」
「あたしたちも、オゼルトンのみんなと同じ。『精霊の尊厳を護りたい』って思っている。そのハンマーが、オゼルトンの民にとって大事なものであることはわかっている。けれど、その武器はいつかあなたを狂わせ、あなたの護りたい者をも不幸にする。だから、どうか……封印されている精霊を、解放させてほしいの。あたしたちの手で」
心からの願いを、エリスは真剣な眼差しで伝える。
ガルャーナは、考え込むように目を伏せ……暫し、口を閉ざした。
と、そこで、部屋の扉がノックされた。
ガルャーナが「入れ」と答えると、従者に案内され、クレアが入って来た。
「お待たせ致しました。お話は進んでいますか?」
爽やかな微笑を浮かべ、エリスたちに近付くクレア。その笑みは、戦闘時の不敵なものから優秀な交渉役のそれに変わっている。
しかし、ガルャーナが何やら考え込んでいる様子であることに気付き、エリスの隣に座りながら、小声で尋ねる。
「状況は?」
「ちょうど今、あらかた話し終えたところ。つーか、あんたは大丈夫なの?」
「はい。やはり骨が折れていたので、包帯で固定してもらいました」
「うわ。もう少し休んでたら?」
「日常生活に支障はありません。痛みも意識から消せる程度のものなので、ご心配なく」
なんて、当たり前のように痛みを意識下から消そうとするので、エリスは半眼になる。
しばらくは安静にするよう念押ししなければと、エリスが口を開きかけた……その時。
「……わかった。ただし、条件がある」
黙り込んでいたガルャーナが、顔を上げ、言った。
『条件』という言葉に、エリスは顔を強張らせる。
"禁呪の武器"を無力化することを認めてくれたようだが、まさか条件を付けられるとは……一体、何を要求されるのだろう?
エリスは、緊張気味にガルャーナを見つめ、
「じょ、条件って……?」
恐る恐る、尋ねる。
するとガルャーナは、椅子の上にきちんと座り直し……
やはり、感情の読めない表情で、こう言った。
「エリシア、君には…………僕の妻になってもらう」
その条件とやらに。
クレアは、友好的な笑みを顔に貼り付けたまま、
「…………ん゛??」
ピキッと、こめかみを痙攣させた。




