7 終幕の祝詞
「あれは……!」
フィールドを突き破るように現れた巨大な蔓を目の当たりにし、観客席のアクサナが声を上げる。
彼女の耳には、はっきりと聞こえた。
領主・ガルャーナのハンマーから発せられた祝詞……
それは、紛れもなく、アクサナ自身の声であった。
そして、彼女は思い出す。
昨晩、エリスたちと交わしたやり取りを──
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
"琥珀の雫"で作った雪飴を食べながら、エリスたちがフェドートにオゼルトン語で礼を述べた後……
「──みんなが危険を承知で"武闘神判"に参戦するっていうのに、何もできないのは、やっぱりもどかしいな」
そう呟くアクサナに、エリスは言った。
「……だったらさ、ちょっと力を貸してくれない?」
「力を、貸す?」
「そ。アクサナに、ぜひお願いしたいことがあるの」
そして、懐をゴソゴソと漁り、『神手魔符』を一枚取り出した。
描かれた紋様は、蔓で獲物を捕縛する樹霊の札に似ているが……微妙に異なる札だった。
「これは、樹木の精霊に呼びかける『神手魔符』をあたしが改造したもの。通常の十倍太い蔓が出てくるわ」
「じゅ、十倍?! そんなデカくする必要あるのか!?」
「だって、植物には"大地"を貫く力があるでしょ? そういう状況になった時、これが一番有効なのよ」
「そういう状況、って……?」
「領主に、落とされた時のことです」
アクサナの疑問に、クレアが答える。
「領主がどのように大地を操るか、我々は可能な限り予測を立て、一つずつ対策を練りました。その中で、脅威ともチャンスともなり得るのが、領主が大穴を生み出し、そこに落とされた時なのです」
「大穴……」
「もちろん、落下を回避する方法はいくつかあります。エリスであれば、魔法で蔓のネットを張ったり、氷の足場を作ったり……私も、小道具を駆使すれば何とかなります。ですが、穴からすぐに脱出してしまうのは、非常にもったいないことなのです」
「……どうして?」
「穴の中ほど、完璧な死角はありませんから」
きょとん、と目を見開くアクサナ。
『神手魔符』をヒラヒラさせながら、エリスが続きを語る。
「穴に落とされたら、穴の中にこの『蔓十倍・神手魔符』をたくさん仕掛けるの。発動すれば、大樹の根のような蔓が地中を一気に進んで、ばーんっ! って地表に生えるわ。その蔓で、領主を足元からぎゅるぎゅるっと捕まえちゃうってわけ。でも、発動するには精霊をかなり集めないといけないから……最低でも三分は待つ必要があるのよね」
「なので、地上に残ったもう一人が、時間を稼ぎながら領主を上手く誘導するのです。百八十秒後に発動する、"大樹の発芽"に備えて」
説明の内容は理解できたが……アクサナは、やはりぽかんとしたまま、二人を見つめた。
大穴に落ちるだなんて、想像しただけで怖いのに……それを、チャンスに変えてしまうとは。
「二人の作戦がすごいのはわかったけど……そこに、どうしてボクの力が必要なんだ?」
控えめな声で尋ねると、エリスは気まずそうに後ろ頭を掻き、
「『神手魔符』を改造できたのは良かったんだけど……実は、肝心の"発動"ができなくて」
「……どういうこと?」
「祝詞の発音が、難しいようなのです」
クレアが、困ったような笑みを浮かべ言う。
「私との演習でも、エリスは"樹木"の『神手魔符』だけは発動できませんでした。私を油断させるため、わざと発音を間違えていたのだと思っていましたが……どうやら本当に発音できないみたいなのです」
「むぅ……何回も練習したんだけどね」
腕を組み、口を尖らせるエリス。
クレアは小さく微笑んでから、続ける。
「なので、この『神手魔符』を発動させるための"声"を、アクサナさんにお借りしたいのです。正しい発音が可能な、あなたの声を」
……なんて、奇妙なことを言うので。
アクサナは、眉を顰める。
「声を、貸す? そんなの、一体どうやって……」
「これよ」
そこで、エリスが懐からもう一枚、『神手魔符』を取り出した。
「これも、あたしが開発した新種の『神手魔符』よ。これには、音や声を封じることができるの」
「は……?! そんな技術、聞いたことない……本当に可能なのか?」
「詳しくは企業秘密だけど、可能なことは実証済みよ。何を隠そう、これを切り札にして、あたしはクレアに勝ったんだから」
ふふん、と得意げに胸を張るエリス。
アクサナは、半信半疑な目で見つめ返すが……
「……とにかく。あたしを信じてよ。これは、あなたにしか頼めないことなの。大ピンチを大チャンスに変えるための力を……あたしたちに貸して?」
真っ直ぐに、エリスが言うので。
アクサナは、戸惑いながらも……
その札に、自らの声を封じた。
♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎
「──本当に……」
本当に、ボクの"声"が、ピンチをチャンスに変えた。
その事実に、アクサナは喉を鳴らす。
"声"を封じ、再び発現することができる『神手魔符』。
口笛の音を合図に、その札でアクサナの祝詞を放つ。
それにより、深い裂け目の下に仕掛けられた『蔓十倍・神手魔符』が、一斉に発動したのだ。
つまり……つまり、エリスは…………
* * * *
「──落ちたフリをしていたのか……地の底で、これを仕掛けるために」
大地から発芽した、太い蔓。
それらに身体を縛られ、ガルャーナは、奥歯を軋ませる。
完全に動きを封じられた彼に、クレアは地面から剣を拾いながら、にこりと微笑む。
「えぇ。うちのエリスは、大人しく穴に落ちるような女性ではありませんから」
「……頭に血が上ったように見えたのも、時間を稼ぐための演技だったというわけか」
「半分は、そうですね。あなたが本当に彼女を傷付けていたら……その時は、『国の使者』という立場を忘れていたかもしれませんが」
「こらこら。物騒なこと言わないの」
……と、そんな声が、クレアの背後から聞こえる。
振り返ると、大地の裂け目の下から、エリスが蔓に持ち上げられるようにして現れた。
そして、軽やかに地表へ降り立つ。
その身体には怪我どころか、汚れ一つ付いていなかった。
「エリス。ご無事でなによりです」
「って、あんたの方は無事じゃなさそうね。口から血が出てるじゃない。大丈夫なの?」
「大したことではありません。口の中を少し切っただけです」
心配そうに詰め寄るエリスに、クレアは軽い口調で答える。
そして……蔓に囚われたガルャーナを見つめる。
その手には未だ『神判の槌』が握られているが、手首まで蔓に絡め取られ、振ることすらできない状況だ。
「……終わりです、ガルャーナさん」
「……あぁ、わかっている。これは、神の意向……神が、お前たちを勝利へと導いたのだ。もはや抗うつもりはない」
目を伏せ、力なく言うガルャーナ。本当に抵抗するつもりはないらしい。
しかし、彼の言葉にエリスは、
「はぁ? これはあたしたちが、あたしたちの力で勝ち取った勝利よ。神さまからの施しなんかじゃないわ」
そう反論するので、クレアは即座に止める。
「エリス、そこは文化や考え方の違いですから。今は反論すべきでは……」
「いーや。これだけは訂正しないと気が済まないわ。だってあたしたち、領主とこのオゼルトンを護るために必死に対策してきたじゃない。なのにこんな言い方、むかつくと思わない?」
「気持ちはわかりますが……」
クレアが宥めようとするが、エリスは胸に手を当て、こう続ける。
「あたしたちだけじゃない。アクサナやおばあちゃん、スープ屋のおじさんに、反対派のメンバー……みんな、自分に出来ることを最大限に頑張って、ここに繋げてくれた。これは、みんなで勝ち取った勝利よ。それを……その頑張りを、『神さまのおかげ』だなんて薄っぺらい一言で片付けられたくなんかないわ」
そう、憤りを露わに言った。
その言葉に、ガルャーナは面食らったように目を見開くが……
クレアもまた、驚いていた。
まさかエリスが、これほどまでに他者との結束を大事にし、それを軽んじられたことに憤るとは思わなかったのだ。
少なくとも、出会ったばかりの頃の彼女からは、考えられない言葉だ。
だからクレアは……思わず笑みを溢し、
「……そうですね、貴女のおっしゃる通りです。だからこそ私たちは、ここに集う全員の想いを背負い、オゼルトンのこれからを考えなければなりません。随分と遠回りにはなりましたが……この領をより良くするための話し合いをさせてください、ガルャーナさん」
真摯な態度で、そう投げかけた。
ガルャーナは二人を見つめ、小さく息を吐くと、
「……これも"運命"か」
「だぁから、そういうのはもういいって」
「いや、そうではない。この出会いは、実に有意義なものであると、そう思ったのだ」
そして。
その手から、『神判の槌』を手離す。
神性と畏怖を同じだけ孕んだその槌は、「ズン」と重々しい音を立て、地面に落ちた。
「……さぁ、やれ。戦いは終わりだ」
大地から伸びる蔓に、雁字搦めにされたガルャーナ。
その姿は、領主という重責と、大地の呪いに囚われた彼の人生そのもののようにも見えた。
だから……その枷から、彼を解き放つように。
「…………」
クレアは鋭い一太刀で、蔓の根元を断ち切った。
ガルャーナは、四肢を蔓に縛られたまま……
ドサッと、地面に倒れ込んだ。
"武闘神判"が、決着した瞬間だった。




