5 深淵の呼び声
──観客席では、アクサナやトトラ、独立反対派の面々が、クレアたちの戦いを固唾を呑んで見守っていた。
彼らの目から見ても、クレアとエリスの連携は、昨日までの演習を見事に応用したものだった。
攻撃や回避、サポートに回るスピードもタイミングも、まさに阿吽の呼吸。普段のお気楽な雰囲気からは想像もできない戦いぶりに、一同はあらためて驚かされていた。
そして、それ以上に……
三十年ぶり、あるいは初めて目の当たりにする『神判の槌』の力に、慄いていた。
フィールドが、ガルャーナの動き一つで陥没し、裂け、壁を生み出す。
まるで、"意志を持つ災厄"だ。ガルャーナがハンマーを振るう度、自然の脅威を再現するような地鳴りと振動が、観客席にまで伝わっていた。
それは、領民たちに恐怖と敬意を内包した"畏れ"を抱かせるのには充分すぎるパフォーマンスだった。
ガルャーナが操るは、大地の神の御力。
かように尊大な力を有しているならば、オゼルトンは何者にも屈する必要はない。
この若き領主に任せれば……独立だとて不可能ではないのかもしれない。
そんな考えが、独立を反対している者の脳裏にまで過る程に、それは人智を超えた力だった。
しかし、アクサナは知っている。
『神判の槌』に宿っているのは……神の力などではないことを。
「あれが……"禁呪の武器"」
アクサナが、自分にだけ聞こえるように呟く。
それは古代に創られた特別な武器で、扱える人間が限られているらしい。
しかし、その条件は未だ不明。
身体的特徴なのか、あるいは出身地や血縁に起因するのか……いずれにせよ、上手く扱える者と、そうでない者に分かれるのだという。
……何故、領主さまは、狂うことなくあの武器を扱えるのだろう?
もし、その理由が、あの人の言う通り──
"オゼルトン人"という種族に関係しているというのなら…………
「………………」
アクサナは、ぎゅっと拳を握り締め……
ガルャーナと対峙するクレアとエリスを、見つめた。
* * * *
崩れ落ちる、土の壁。
その向こうで、ガルャーナが静かに立っている。
クレアとエリスの立ち回りにたった一人で応じているというのに、息一つ上がっていない。美しい黒髪を風に靡かせ、凛とした表情でこちらを見つめている。
「……お前たちが"武闘神判"に相応しい実力者であることはわかった。もはや手加減は無用だ。殺すつもりで来るがいい」
低く、穏やかな声で、ガルャーナが言う。
そのセリフに、エリスはあからさまに顔を顰める。
「何言ってんのよ。ンなことできるわけないでしょ」
「何故だ。お前たちにとっても、その方が手っ取り早いだろう」
「あのねぇ、あたしたちは殺し合いじゃなくて交渉をしに来たの。話し合いで済むならそうしたいくらいだわ」
「残念ながら、それはできない。話し合いでは解決できないと判断したからこそ、こうして"武闘神判"を開催したのだ。人に決められぬ道は、神に示してもらうしかあるまい。神判の結果、命を落とすというのなら……それもまた運命だ」
これ以上言っても無駄だと判断したのか、エリスは目を細め、息を吐く。
その横で……クレアは、これからの戦いについて考えていた。
ここまでで一つ明らかになったのは、ガルャーナが大地を操るには予備動作が必要だということ。
フィールドを陥没させた時も、地割れを起こした時も、今しがた壁を生み出した時も、ガルャーナはハンマーで地面に触れていた。
魔法陣も詠唱も不要。地面に触れることのみが、力を発動するための唯一の条件なのだろう。
そしてもう一つ。どうやらガルャーナは、『神手魔符』を使用するつもりがないらしい。
そもそも持ってすらいない可能性が高い。彼がそれを隠し持っていれば、エリスが精霊の集まるにおいを察知し、クレアに知らせているはずだ。
この広大なフィールドで、札を貼り付けられる場所と言えば地面しかない。地形を操る彼にとって、『神手魔符』は相性の悪い魔法具なのかもしれない。
(ならば……この後の作戦は、こちらの有利に働くはず)
そう考えながら、エリスに代わりクレアが言葉を返す。
「であれば尚のこと、あなたを殺すことはできません。この戦いは、オゼルトンを護るための話し合いの延長……オゼルトンの主たるあなたが死んでしまっては、元も子もありません」
「ふん。この力を前にしても、まだそんな甘いことが言えるのか。なら、好きにするがいい。殺すつもりで僕に挑まなかったこと……すぐに後悔することになる」
言いながら、ガルャーナはハンマーをくるりと回転させる。
その軽やかな動作を見ながら、
「……三でいく」
横で、エリスが呟く。
その言葉の意味を理解し、クレアは小さく頷いた。
崩れた壁の向こうで、ハンマーを構え直すガルャーナ。
次なる攻撃を放つつもりなのだろう、無感情な目で地面を見下ろすと、ハンマーの柄の先で触れようと振り下ろす…………が。
「──招詞・光御霊!!」
その前に、エリスが叫んだ。
瞬間。
──カッ!!
ガルャーナの足元にある壁の残骸から、猛烈な光が放たれた。
「ぐぁっ……!」
貫くような閃光に、ガルャーナは目を閉じ、後退りする。
先ほど、ガルャーナが生み出した壁に、エリスが氷のナイフを放った時……
その氷の中に、『神手魔符』が封じられていることに、クレアは気付いていた。
クレアが壁を越えるための足場として放たれたものだが、壁を崩された場合の次の手として忍ばせていたのだろう。
もちろん、壁の反対側にいたガルャーナには見えていない。ナイフごと壁を崩したため、閃光を放つ札が彼のすぐ足元に仕掛けられたことに気付かなかったのだ。
(さすがエリス……本当に、頼もしい相棒です)
宣言通り、きっちり三秒後に発動した光を手で遮りながら、クレアは思う。
ガルャーナの視界を一時的に奪った今がチャンスだ。一気に距離を詰め、勝負を仕掛ける。
光が収まりゆく中、クレアは剣を構え、ガルャーナ目掛け駆け出す。
その動作は、雪原を飛ぶ梟のように静かだ。視界を奪ったというのに、音で悟られては意味がない。極力足音の出ない動きで、ガルャーナに近付いて行く。
(……いける。あと六歩近付いたら、ワイヤーを投げて両足を拘束し、一気に倒そう)
……と、クレアが考えた、その時。
「……っ、そこだ!」
視力が回復していないはずのガルャーナが、ハンマーの柄で地面を突いた。すると……
クレアの足元に「ボコッ」と、人ひとりが嵌まる程の穴が突如として空いた。
咄嗟に、クレアは横に跳んで回避する。
が、ガルャーナは次々に穴を生み出し、クレアの足場を奪っていく。
まるで、クレアのいる場所が見えているかのように、正確に。
(まだ目は回復していないはず……その証拠に、瞳がこちらを捉えていない)
次から次へと出現する穴を回避しながら、クレアは考える。
(視覚以外の方法でこちらの動きを感知している……音か? いや、これは……)
脳裏に浮かんだ可能性を実証するため、クレアは少し離れた場所にナイフを一本放ち、地面に突き立てた。
鋭い動きと計算された角度により、それは音を立てずに刺さる。しかし、
「そこか!」
ガルャーナはハンマーの柄で足元を突き、クレアが放ったナイフの場所に穴を出現させた。
……間違いない。ガルャーナは──
(──地面の"振動"で、こちらの動きを感知している)
普通の人間では考えられない能力だが、これも"禁呪の武器"による状態異常の一部なのかもしれない。
そうなると、今後の戦略にも影響が出る。まずは、このことをエリスに知らせ……
いや…………エリスを護るのが先だ。
クレアは足音を殺すのをやめ、最速でガルャーナへと駆ける。
大きな振動を起こし、エリスの居場所を悟らせないためだ。
駆けながら、クレアはワイヤーを放つ準備をする。
ガルャーナが再びハンマーで地面に触れようと動く……が、
「……コソコソ動いているのもお見通しだぞ、女」
言って、柄ではなくハンマーの頭で、地面を「ドンッ!」と叩いた。
直後、エリスの周囲が──地面に"水"と"冷気"の『神手魔符』を貼り付け、氷霧を生み出す準備に動いていた彼女の周りが、「ボゴォッ!」と陥没する。
「きゃぁああっ!」
「エリス!!」
エリスを飲み込む、真っ暗な淵。
クレアがワイヤーを放つが、その先は虚しく空を切る。
エリスは、底の見えない奈落へ……『神手魔符』もろとも、落ちていった。




