4 決戦の序章
ガルャーナが、玉座から立ち上がる。
そして、手にした巨大なハンマー──『神判の槌』で、軽く足場を叩いた。
すると、下階にあるフィールドからボコボコッと土が迫り上がり……
あっという間に、彼の目の前に階段が出来上がった。
ガルャーナはその階段をゆっくりと下り、クレアとエリスのいるフィールドへと降り立つ。
「よもや、アルアビス政府の使者二人がこの場に立つとは……これも神の意志か」
静かに響く、ガルャーナの声。
近くで見ると、その容姿の美しさがより鮮明に映る。
艶々と輝く漆黒の長髪。彫刻のように整った目鼻立ち。長い睫毛に縁取られた青い瞳は、宝石を彷彿とさせる。
しかし、表情の変化が乏しいせいで、感情を持たない人形のような、冷たい印象を放つ青年だった。
「さぁ、神判の時だ。神より賜りし大槌を以て……このガルャーナが、貴様らの意志の是非を判決しよう」
低く、それでいて、力強い言葉。
聞くものの目を奪う、魅惑的な声だ。
流石は王族の末裔にして現領主。若くとも人の上に立つ者の威厳があると、クレアは思う。
そして、『神判の槌』を握る彼の様子を、より深く観察する。
呼吸や心拍の乱れはない。眼球の動きも正常。狂戦士化とは程遠い──決戦を前にしては落ち着きすぎているとも言える状態だ。
あまりの平静さに、この大地を操るハンマーが"禁呪の武器"とは似て非なる代物である可能性も考えるが……そこで、
「他の"武器"と同じ紋様がある。大地の精霊のにおいも濃い。間違いなくアタリね」
エリスが、小さく耳打ちする。
紋様については、クレアもちょうど気付いたところであった。
ガルャーナの背丈を超える、巨大なハンマー……木材に金色の金属で補強した、長い柄。所謂ウォーハンマーと呼ばれる形状の頭部は、同じく黄金色に輝く金属性で、重厚かつ美しい造りをしている。
その金属の部分に、クレアの腰にある『風別ツ劔』や、メディアルナに託した『竜殺ノ魔笛』に酷似した形の装飾が施されていた。同じ系譜の"武器"と見て間違いないだろう。
さらに、エリスの嗅覚は、その内部に大地の精霊が封じられていることを感じ取ったようだ。それにより、フィールドを意のままに操る力を有しているのだろう。
今は異常が見られないが、"禁呪の武器"である以上、強大な力の代償として心身の消耗は免れない。
彼が呪いに飲まれる前に……雌雄を決する必要がある。
クレアは腰から剣を抜き、構える。
「では……打ち合わせ通りに」
「おっけー」
二人が短く言葉を交わした直後。
ガルャーナが、ハンマーを掲げ……
「……始めよう」
柄の先で、地面をドンッと突いた。
すると、
──ボゴォ……ッ!!
突如、ガルャーナの周囲が、ドーナツ状に陥没した。
崩れ落ちる足場に、クレアとエリスは大きく後退する。
陥没した地面は、底が見えない程に深い。
まるでガルャーナの周りに、敵の侵入を阻む堀が作られたかのようだ。
「ルールは知っての通り、"倒れた者が負け"だ。さぁ、僕を倒してみろ」
力のある声で、ガルャーナが言う。
堀は、クレアでも助走を付けなければ跳び越えられないような幅でガルャーナを囲っている。
接近するために跳べば、滞空中は無防備になる。となると、堀の外から攻撃を仕掛けるのが得策だ。
しかし、それこそがガルャーナの狙いなのだろう。
物理的には近付けない状況を作り出し、クレアたちがどう動くのか、手の内を探ろうとしているのだ。
そこで、エリスがクレアに視線を送る。
「自分が仕掛けてもいいか?」、という視線だ。クレアの飛び道具を温存するため、元より遠距離攻撃である魔法を用いるべきだと、彼女も考えたのだろう。
クレアは小さく頷き、エリスに託す。
彼女は指を踊らせ、魔法陣を描き──
「──オドゥドア! お願い!」
大地の精霊に呼びかけた。
すると、ガルャーナの周囲の土が動き出し、深い堀を徐々に埋め始める。接近戦に持ち込むため、足場を元に戻す狙いだ。
並みの魔導士相手なら、精霊の制御でエリスが負けることはまずない。
他者が生み出した穴も壁も、元通りにできるはずだ。
しかし……
ガルャーナが再び、ハンマーの柄で、足元をトンと突く。
たったそれだけの動きで、エリスが動かしていた土は崩れ、再び深い堀が生まれた。
エリスは魔法陣を解除し、小さく唸る。
「ちっ……この場にいるオドゥドアの動きが完全に支配されてる。"武器"に封じられた精霊と連動しているみたい」
つまりは、ガルャーナ相手に大地の精霊を用いた魔法は通用しない、ということ。
ならばと、エリスは次なる魔法陣を描き始める。
右手と左手を同時に動かし、二種類の魔法を準備する、その軌跡を見て、
「……なるほど。わかりました」
クレアはエリスの意図を理解し、ガルャーナ目掛けて走り出した。
剣を構え、魔法陣が完成するタイミングをはかりながら、ガルャーナに接近し……
堀の淵に到達する一歩前で、ちょうどエリスの魔法が発動した。
「──ヘラ、キューレ! 交われ!!」
瞬間、ガルャーナとクレアを隔てていた堀に、"氷の橋"が架かる。
"水"と"冷気"の精霊を組み合わせ、エリスが作り出したのだ。大地の精霊が使えない以上、豊富に存在するこの二種類を使って足場を作るのが、最も有効だった。
クレアは速度を落とすことなくその橋を駆け、ガルャーナに向けて剣を振りかぶる。
その動きには一切の無駄がない。この会場で、その太刀筋を目で追える観客は、恐らくいないであろう。
もちろん、本気で斬り付けるつもりはない。剣の腹で殴り、怯ませるのが狙いだ。
仮に避けられたとしても、体勢を崩すであろうから、足をはらえば倒すことは可能だろう。
地味な勝ち方だが、これなら最小限の負傷で決着をつけることができる。
こうしている今もガルャーナが"禁呪の武器"に蝕まれつつあることを思うと、戦いを長引かせたくはなかった。
「はぁっ!」
クレアは気合いを吐き、ガルャーナに横薙ぎの一太刀を浴びせる。
が……ガルャーナはその俊敏な攻撃を避けるどころか、
──ギィンッ!
ハンマーの頭で、しっかりと受け止めた。
その反応速度に驚きつつも、クレアは間髪入れずにもう一太刀繰り出す。
が、それもハンマーに弾かれる。
より速く剣を振るってみるが、その全てを、ガルャーナは的確に受け止めた。
ギンッ、ギンッ、と響く、鈍い衝突音。
あり得ないことだった。
これが同じ長剣同士のやり取りならまだ理解るが、今ガルャーナが握っているのは、クレアが振るう劔より遥かに重い、巨大なハンマーだ。
それを剣と互角の速さで取り回していることに、クレアは驚きを隠せなかった。
いくら日常的に訓練をしているとはいえ、体格に見合わない動きであることは間違いない。
やはりこのハンマーには、使用者の身体能力を向上させる力があるのだろう。
その上、幼い頃に"負の感情"を武器に吸収されてしまっているため、戦いに対する恐怖心もない。
眉一つ動かさずハンマーを操るその姿は、ガルャーナ自身が無感情な"武器"そのものになっているようにすら見えた。
(……まるで、昔の自分を見ているようだ)
そう、クレアも同じ。
幼少期に『天穿ツ雷弓』に"負の感情"を奪われたから、孤独も恐怖も感じることなく人を斬る"化け物"に成り果てていた。
きっと、ガルャーナの父も……先代の領主も、このような戦いを繰り広げたのだろう。
そうして、人の理を超えた力を使い続けたせいで、精神と肉体が摩耗し、若くしてこの世を去った。
("禁呪の武器"……やはり、存在してはならないモノだ)
クレアは極限まで速度を上げ、剣を振るう。
どこかで隙を生み出せれば……一瞬でも怯ませることができれば、倒せるはず。
しかし、ガルャーナは無表情のまま、クレアに合わせるように反応速度を上げてくる。
このままでは埒が開かないと、クレアは素速い剣戟の中、一瞬だけ剣を振りかぶり、重さのある一撃を加えた。
速さではなく、力で勝負を仕掛けたのだ。
だが、ガルャーナはクレアが振りかぶる間にハンマーの柄を真横に構え、その一撃をしっかりと受け止めた。
そしてその衝撃を利用し、後方へ跳躍した。
ガルャーナの身体は軽やかに宙を舞い、自身が生み出した堀を跳び越え、華麗に着地する。
ハンマーを手にしながら、このような跳躍力を見せるとは……これもまた、想像以上の動きだった。
そうして、ドーナツ状の堀の中心地に、クレアだけが残された。
距離を離されては、また振り出しに戻るだけ。再び詰めるべく、クレアは堀を飛び越えようとする……が。
「……神よ。我に力を」
ガルャーナが、小さく呟く。
そして、ハンマーを頭上へ振り上げ……
ブンッ、と音を鳴らしながら、それを地面に叩き付けた。
刹那、「ドォンッ!」という地響きの後に……地面が、裂けた。
地割れは稲妻が走るが如くジグザグと伸び、堀を超え、クレアに迫る。
「くっ……」
クレアはガルャーナに近付くことを止め、地割れから逃げるように後方へ跳ぶ。
そして堀を跳び超え、エリスの元へと駆け寄った。
クレアの一歩後ろにまで迫る、深い裂け目。
これに足を取られれば、転倒は避けられない。さらに言えば、挟まった後で裂け目を閉じられでもすれば……その足は、もう使い物にはならないだろう。
このフィールドに、裂け目を生むことも、それを閉じることも、ガルャーナの意のまま。
……まさに、"大地の神"と相対しているようだ。
「クレア!」
駆け寄るクレアに、エリスが両手を広げる。
クレアは勢いを殺さずエリスを抱き上げると、肩に担ぎ、走り続けた。
この地割れから逃げ切る脚力が、エリスにはない。
同時に、この地割れを止める術も、クレアにはなかった。
だからこそ……二人で補い合いながら、戦うのだ。
抱き上げられたエリスは、クレアの肩の上で指を踊らせる。
「──オドゥドア! 応えて!!」
魔法陣の完成と共に、エリスが祈るように叫ぶ。
すると、その呼びかけに応えるように、二人を追っていた地割れの侵攻が止まった。
ハンマーに操られた大地の精霊を、エリスが制御したのだ。
それを目の当たりにしたガルャーナは、眉をピクリと動かす。
が、それだけだった。
何故なら、またすぐに地面が低い音を立てながら、割れ始めたから。
制御を奪えたのは一瞬だったが、エリスにはその一瞬があれば十分だった。
彼女は次なる魔法陣を完成させ、叫ぶ。
「クレア、掴まって!」
生み出したのは、樹木の精霊・ユグノによる長い蔓。
それはシュルリとしなりながら、上へ──二階の観客席の縁へと伸び、柱に巻き付いた。
クレアが蔓を掴むと、収縮するようエリスが操作する。
エリスを抱えたまま、クレアの身体は蔓にぶら下がり、間一髪で地割れの迫るフィールドから足を離した。
「……ほう」
裂け目の始まりに立ったまま、ガルャーナが小さく呟く。
そして、ハンマーを構えながら……観客席からぶら下がる二人の方へ駆けて来た。
空中にいれば、ガルャーナが支配する大地の脅威からは逃れられる。
しかし同時に、ぶら下がっているだけのこの状態は、無防備以外の何物でもない。ガルャーナも、この機を逃すはずがなかった。
だから、クレアとエリスはタイミングを合わせ、蔓を振り子のように揺らす。
そして、十分に勢いがついたところで、
「いっけぇぇええっ!!」
エリスの声に押されるように、クレアだけが蔓から手を離した。
駆けるガルャーナ目掛け、クレアは落下しながら、懐から取り出したナイフを三本投げ付ける。
それに気付き、ガルャーナは足を止め、ナイフを回避する。
ここで隙が生まれた。
クレアは剣を構え、落下の重さを乗せた一撃を浴びせようとする……が。
ナイフを回避しながら、ガルャーナは流れるような動きで、ハンマーの柄で地面をトンと叩いた。
直後、叩いた箇所から、土の壁がズズズッ! と迫り上がる。
落下攻撃を仕掛けるクレアを阻む、防壁だ。激突すれば、ただでは済まない。
クレアは構えていた剣を下に向け、地面を削りながら落下地点を修正する。
そのまま剣を軸に宙返りし、なんとか壁にぶつかることなく着地した。
再び接近できたというのに、壁に阻まれてしまった。
また距離を取られれば、地割れや陥没といった大規模な攻撃を仕掛けられる可能性がある。一刻も早く、この高い壁の向こうに隠れるガルャーナに近付かなければ。
と、そこで、
「──交われ!!」
背後から、エリスの声。
振り返ると、何かがものすごい速さで飛来し、ガルャーナが生み出した土の壁に刺さった。
氷のナイフだ。手持ちのナイフを消費したクレアに代わり、足場にするため生成したのだろう。
その意図を瞬時に読み取ったクレアは、氷のナイフを足がかりにして、壁面を軽やかに登る。
そして、壁を乗り越えようとした──その時。
クレアの身体に、ドンッ、という衝撃が走った。
クレアが壁を超えることを察したガルャーナが、反対側から壁をハンマーで叩いたのだ。
その衝撃で、壁はあっという間に崩れ落ちる。
「くっ……」
クレアは崩れゆく足場から素早く離脱する。
ガルャーナから距離を取りつつ着地すると、エリスが合流した。
「クレア、大丈夫?」
「はい。やはり、演習のようにはいきませんね」
苦々しく答えながら、クレアは崩れた壁の向こうに立つガルャーナに目を向ける。
土埃の中、彼も二人をじっと見つめていた。
「……これほどまでに精霊と心を通わす者を、僕は、初めて見た」
……否。彼が見つめているのは──エリスだった。
「……女。名は何と申す」
「はぁ? 名前ならエントリーシートに書いたはずだけど」
「いいから答えろ」
「……エリシアよ。エリシア・エヴァンシスカ」
エリスが警戒しながら答えると、ガルャーナは……初めて笑みを見せる。
それは、誰もが心を奪われるような、甘い微笑で……
「エリシア、か…………うん。美しい名だ」
吐息混じりのその囁きは、土壁の崩れる音に紛れ、クレアの耳には届かなかった。




