3 王子、時々、番犬
──クレアの予想通り、第二試合の相手はスキンヘッドの男だった。
ソゾンに負けず劣らずの剛腕で、なりふり構わない攻撃を仕掛け、こちらは防戦一方となり……
結果は、敗北。独立推進派に二勝を与えてしまうこととなった。
あと一勝で決勝進出が決まる独立推進派は、既に勝敗は決したと言わんばかりに盛り上がっている。
クレアたち独立反対派には、もう後がない。
しかし、先ほどのクレアの言葉により、第一試合で敗北した時のような絶望感は漂っていなかった。
クレアが言ったように、第三・第四試合の相手はそれほど強くはないはず。まだ、勝機はある。
第三試合に向け、クレアが今一度言葉をかけようとした、その時。
「よっ。そっちはどんなかんじ?」
『武装派』の待機席に、エリスがひょこっと現れた。
クレアは驚きながら彼女の方を振り返る。
「エリス……『魔導派』の試合はどうしたのですか?」
「ん? もう終わったよ?」
「終わった、とは?」
「三連勝のストレート勝ち。やることなくてヒマだから、こっちを見に来ちゃった」
なんて軽い口調で言うので、クレアも他のメンバーも、言葉を失う。
「つまり……貴女が出場する前に、勝負が決まったということですか?」
「そゆこと。ま、元々そーいう作戦だったからね。みんなよくやってくれたわ。お陰で、あたしの手の内を領主に見られずに済んだ」
肩を竦め、エリスは答える。
確かにエリスは、自身が開発した『冷気の神手魔符』を用いたトリッキーな作戦を、第一から第四試合まで綿密に考えていた。
それを、『魔導派』に出場したメンバーは忠実に実行したのだろう。
「じゃあ……女神が領主さまとの決勝に出場することは、もう確定なのか?」
「だからそう言ってるじゃない。あんたたちもグズグズしていないで、早いとこ勝負決めちゃいなさい。でないと、フェドートおばあちゃんが作ってくれたこの鶏皮せんべいは、あたしが全部食べちゃうからね」
言って、フェドートがおやつにと持たせてくれた鶏皮せんべいの袋を取り出し、パリッと齧る。
表面にまぶされた唐辛子に「からっ」と声を上げた時、エリスの後ろから、今度はアクサナが現れた。
「あーっ! おやつの袋がないと思ったら、やっぱりエリシアが持ってたのか! こら! それはみんなのおやつなんだから、独り占めすんな!!」
「ちっ、もうバレた」
アクサナに叱られ、エリスは小さく舌打ちする。
『魔導派』の待機席で試合を見届けていたアクサナに、クレアは今一度状況を確認する。
「アクサナさん。『魔導派』のみなさんに、お怪我はありませんか?」
「あぁ、大丈夫だ。みんな氷霧に巻かれて、訳もわからない内に負けていったから、お互いに怪我はなかったよ」
「それはよかったです。では……あとは、我々が勝利するだけですね」
クレアの言葉に、『武装派』メンバーの表情が変わる。
ここで『魔導派』の勝利が聞けたことは大きかった。彼らにとっては、神が自分たちを……独立反対派の意志を尊重しているということが、実感できたからだ。
時を同じくして、独立推進派の方にも『魔導派』での敗北の知らせが入ったようだ。フィールドを挟んだ向こうの待機席では、動揺するソゾンたちの顔が見える。
「……神の意志は、我々と共にある」
クレアの横で、リーダーのワトルが静かに立ち上がる。
そして、
「良き知らせをありがとう。やはりあなたは、勝利の女神だ。次は我々が『魔導派』の仲間に吉報を伝えられるよう……全力を尽くそう」
腰に、長剣の鞘を差すと。
自身が出場する第三試合のフィールドへと、歩き出した。
* * * *
ワトルは、練習以上の見事な立ち回りを見せ、勝利を掴んだ。
元々『武装派』メンバーの中でも、ワトルは一番筋が良かった。だからこそ、連敗を食い止める役割を担う三番目に配置されていたわけだが……
彼は、『独立反対派代表』の名に恥じぬ戦いを、仲間たちに見せてくれた。
そのお陰もあり、続く第四試合もこちら側の勝利となった。
クレアの読み通り、相手チームの中でも最も弱い相手ではあったが、油断することなく練習で身に付けた立ち回りを実行できた成果と言える。
これで、勝敗は二対二。
つまり、次の第五試合で、全てが決まる。
「では、行ってまいります」
クレアは立ち上がり、フィールドへ向かおうとする。
「あぁ、頼んだぜ王子!」
「決勝もあるから、怪我だけはしないようにな」
『武装派』の仲間たちやトトラが激励するのを、クレアは「ありがとうございます」と受け止める。
しかし、
「…………」
その中で、エリスだけは何も言わずに、鶏皮せんべいをパリパリ食べ続けていた。
「……貴女からは、激励のお言葉はいただけないのですか?」
「はぁ? あんたが勝つに決まってんだから、そんなの別にいらないでしょ」
「しかし、勝敗を決する大一番なのですよ? こう、雰囲気というか、盛り上がりみたいなものがあってもいいように思うのですが」
「じゃあ……その言葉、そっくりそのままお返しするわ。相手にとっても観客にとっても、勝敗を決める超重要な試合なんだからね。空気読んで、あまり本気を出しすぎないように気をつけなさい」
……という、激励とは程遠いその言葉に。
クレアは納得し、にこりと笑って、
「わかりました。肝に銘じます」
剣の鞘を手に、フィールドへと向かった。
会場中が、今日一番の緊張に包まれていた。
ここまで五分の戦いを見せた、『武装派』の試合。
その最終試合が、今、始まろうとしていた。
クレアの前に立ちはだかる、独立推進派の五人目──
黒々とした長いもみあげが印象的な、大柄の男だ。身長も胴もクレアより一回り大きく、防寒具の上からでも鋼のような筋肉を持つことが窺える。
男は、挑発的な目でクレアを見下ろし、言う。
「オレゴ。それが、今からお前を倒す男の名だ。覚えておけ」
何やら勝手に自己紹介を始めるオレゴの言葉を、クレアはとりあえず聞くことにする。
「俺はオゼルトンの保安兵団に五年間所属していた。お前のようなお国のエリートと違って、現場での実戦経験もある。こうして第五試合までもつれ込み、俺が出場することになったのも"神の導き"だろう。何故なら俺は、自らの手で勝利を掴み取れる男だからな」
フィールドに高らかに響く、オレゴの口上。
それを、クレアがいつもの微笑みを浮かべ、黙って聞いていると、
「……はっ。張り合いのねぇヤツだな。恐怖で言い返すこともできねぇか?」
と、馬鹿にするように言うので、クレアは首を横に振る。
「いいえ。最終試合に相応しい雰囲気を演出するため、話が終わるまで待っていただけです」
「はぁ? 何言ってんだ、オメェ」
「ふむ。このような場面では、私も何か言い返したほうが盛り上がるのでしょうか? ならば……」
クレアは、腰から長剣をスラリと抜くと、
「『私は今からあなたを倒す男ですが……あなたごときに名乗る名はないので、知らぬままどうぞご退場ください』……なんていうのは、いかがでしょう?」
剣を構え、爽やかに言い放つ。
オレゴは、わなわなと震え出し……
「てっ、てめぇ……ふざけやがって……!!」
槍を構えたところで、試合開始の号令がかかった。
直後、オレゴは怒りに任せ、槍で突きを連打してくる。
クレアは後退しながら、それを軽やかに躱す。
巨体から放たれる突きには重さがあるが、少なくともクレアには、速いとは言えない攻撃だった。剣で受け止めるまでもなく、体術のみで避けられるレベルである。
「オラオラッ! 避けてばっかいねぇで、武器を使ったらどうだ?!」
突きを繰り出しながら、オレゴが言う。
クレアはその要望に応えるべく、槍の先を剣で受け流すことにする。すると、金属同士がぶつかる派手な音がフィールドに響いた。
「なるほど。確かにこの方が、雰囲気は出ますね」
「さっきから何をゴチャゴチャと……ぬかしていやがる!」
ブンッ! と空気を唸らせ、オレゴは槍を横薙ぎに振るう。
クレアはそれをギリギリまで引きつけると……鋭利な切先が触れる前に上体を反らし、剣を持たない左手だけでバック転をして、それを回避した。
会場から、驚愕の声が上がる。予想だにしなかったクレアの身体能力に、オレゴも思わず足を止めた。
「なっ……てめぇ……」
「まだ勝負を決めるのには早すぎるでしょう。お手数ですが、もう少しだけ打ち合っていただけませんか?」
左手に付いた土をパンッ、と払いながら、クレアが笑う。
オレゴは怒りに顔を赤くし、再び槍を構え、クレアに突進する。
「お望み通り……そのドタマ、貫いてやるよ!」
クレアの顔面を目掛け、一直線に放たれる槍。
『地面に倒す』などという生温いものではない。明らかに致命傷を狙っている攻撃だ。
「おぉ。これは良い音が出そうですね」
クレアはにこりと笑うと、その重い一撃を、剣で正確に受け止めた。
予想通り、「ギィンッ!」という鈍い音が鳴る。
衝撃に手が痺れたのか、オレゴは「ぐっ」と顔を歪め、
「この……すかしやがって!!」
痺れを振り払うように、がむしゃらに突きや薙ぎを繰り出し始めた。
クレアはそれをひたすら受け止め、回避に専念する。
ギンッ、ギンッ、という、刃と刃がぶつかる音。
傍から見れば、クレアの防戦一方に見えるのだろう。オレゴ側の独立推進派の待機席からは「いいぞー!」と前向きな声が上がっている。
「はっ。さてはお前、人に剣を向けるのが怖いのか? さっきから回避ばかりで、一向に攻撃してこねぇじゃねぇか!」
笑みを浮かべながら、オレゴが言う。
「剣は盾じゃねぇんだよ! それともお国のエリート連中の間では、これが正しい剣の使い方なのか?! これじゃあもう一本武器が必要だな!」
その言葉に、クレアは「あはは」と笑い、
「なかなか面白いことをおっしゃいますね。では、お言葉に甘えて……もう一本、武器をお借りしますね」
「は?」
オレゴが聞き返した時には、クレアはもう動いていた。
槍の攻撃をスッと避けると、クレアは一気に間合いを詰める。
そして、槍を握るオレゴの手を、下から勢いよく蹴り上げた。
痛みに「ぐぁっ!」と声を上げるオレゴ。
その手から離れた槍は、ヒュンヒュンと回転しながら宙を舞う。
弧を描き落下するそれを、クレアは……左手でパシッと、掴み取った。
つまり……右手に長剣、左手に槍を携えた状態だ。
「これで、槍と盾が揃いました。しかし……あなたが丸腰になってしまいましたね」
一歩、また一歩と、ゆっくりと近付くクレア。
得物を奪われたオレゴは、後退りをしながら顔を青ざめさせる。
「私、槍はあまり使い慣れていないので……いろいろ加減ができないかもしれません」
「なっ……」
「まずは、あなたの動きを真似てみましょう。例えば……こんな感じに」
ビュッ! と空を切り、槍の先端がオレゴの顔面へと迫る。
言葉通り、先ほどオレゴがクレアを狙ったのと同じ軌道だが、速さが桁違いだ。
反応することすらできず、オレゴは反射的に目を閉じる……が。
クレアは槍を、鼻先スレスレでぴたりと止め、
「……なぁんて、冗談です。これでは勝負にならないですからね。うちの女神さまは、この試合が最終戦に相応しい内容になることを所望しています。槍はお返しするので……もうしばらく打ち合いをしてくれませんか?」
そう言って微笑みながら、オレゴに槍を差し出した。
しかしオレゴは、それを受け取らなかった。
否、受け取れなかった。
恐怖で、身体が強張っているからだ。
オレゴには、クレアの考えがまるでわからなかった。
回避ばかりで攻撃する素振りはなく、常人離れした動きで槍を奪われたかと思えば、攻撃を寸止めされ……
挙句、槍を返すからもっと戦えと言われた。
何故だ? 今の動きを見れば、俺を倒すことなど容易なはずだ。
それなのにどうして、俺を倒さない?
どうして、戦うことを要求している?
まさか……
俺を、弄んでいるのか?
終わらない戦いを強要し、俺が消耗していくのを楽しみながら、じわじわとなぶり殺すつもりでいるのか……?!
「ひぃっ……へ、変態だぁ!!」
オレゴは恐怖のあまり、クレアに背を向け走り出した。
しかし、戦いを続けてもらいたいクレアは、その背中に向けて、
「待ってください、武器は返しますから。ほら」
ぶんっ! と、槍を投げ付けた。
横向きにクルクルと回転しながら、槍はオレゴの後を追い……
幸か不幸か、長い柄の部分が、彼の膝裏にベシッ! と当たった。
猛烈な膝カックンを食らう形になり、オレゴはあえなくバランスを崩し……
「ぶべらっ!」
ばたっと、顔面をぶつけるように、地面へ倒れ込んだ。
つまり、
「え…………勝った……?」
アクサナが、待機席で呟く。
トトラもワトルも、他の仲間たちも、あまりに呆気ない勝負の結末に、暫し唖然としたのち……
「……勝ったぞ。俺たちの勝利だ!」
わぁっ、と一斉に、喜びを爆発させた。
審判からの正式な判定が下り、独立反対派の勝利が決定した。
クレアは一礼し、待機席へと戻る。
仲間たちは皆、拍手で彼を迎え、「ありがとう」、「よくやった」と口々に讃える。
しかし、エリスだけは座ったまま、戻って来たクレアをジトッと見つめていた。
「いかがでしたか? 貴女に言われた通り、すぐに倒さず、なるべく盛り上がるよう試合を引き延ばしましたが」
まるで、主人に褒められるのを待つ犬のような表情で尋ねるクレアに、エリスは苦笑いをして、
(そういえば、『番犬』ってあだ名で呼んでたこともあったっけ……)
などと思い出しつつ、淡々とした声音で、こう答える。
「五点ね」
「十点満点中、ですか?」
「百点満点中よ」
「そんなぁ」
「あったり前でしょ? 『プライドを傷付けないよう、自然なかんじで負かしてやれ』って意味だったのに、何を煽り散らかしてんのよ。見てみなさい、アイツの顔。ベッコベコに凹んでいるじゃない」
エリスに言われ、クレアはフィールドの向こうにある独立推進派の待機席を見る。
敗北したオレゴはガックリと項垂れ、今にも首がもげそうな勢いだった。
確かに、神聖な儀式には相応しくない内容だったかもしれないと、クレアは反省する。
「すみません」と素直に謝るクレアに、エリスはすくっと立ち上がり、
「……まぁでも、領主に手の内を見せないまま勝利できた点は褒めてあげる。九十五点よ」
トン、と肩を叩きながら、小さく笑った。
剣を振るわなかったのも、ナイフやワイヤーなどの暗器を使わなかったのも、全ては領主・ガルャーナに実力や戦略を明かさないため。
そのことを、エリスは理解していた。
最終的に百点満点がもらえたことを嬉しく思いつつ、クレアはエリスと共に、顔を上げる。
その視線の先には、玉座に座る領主・ガルャーナがいる。
彼は、『神判の槌』を手にしたまま、クレアたちの方を静かに見下ろしていた。
「……いよいよですね」
クレアが呟く。
ここからが、"武闘神判"の本番──オゼルトン領の行く末を決める、領主との決勝戦だ。
『地烈ノ大槌』と思しきハンマーの力と、それを振るう領主の実力は未知数だが、今しがたの予選とは次元の違う戦いになることは間違いない。
「……もしかして、怖いの?」
隣で、エリスが揶揄うように言う。
クレアは、微笑みながら首を横に振り、
「まさか。貴女と一緒なら、怖い相手などいません。そう言う貴女は? 怖いですか?」
「……それ、わざと聞いてるでしょ」
「あはは。すみません。いちおうエリスの口から聞いておきたくて」
「まったく……『あんたと一緒なら、怖い敵なんていない』。これで満足?」
「はい。ありがとうございます」
照れ臭そうに睨むエリスに、クレアが満足げに答えた、直後。
闘技場全体が、ゴゴゴと音を立て、揺れた。
見れば、フィールドを隔てていた高い壁が、大地に還るように沈んでゆき……元の広い平面へと、変貌を遂げた。
どうやら領主が、決勝の場を整えたらしい。
やはり、人智を超えた力だ。
この、神とも見紛う力に、今から挑む。
そのことを感じながら、クレアとエリスは、広大な闘技場を見渡し……
「……行きましょう」
「うん」
強く、手を繋いだ。