2 迷いと希望
領主・ガルャーナの開幕宣言の後、会場は、異様な静寂に包まれた。
これが懸賞金のかかった闘技大会やレースなら、ここで大きな歓声と拍手が湧き起こっていたことだろう。
しかし、この"武闘神判"は、それら娯楽とは異なる『神聖な儀式』。
そのことを、クレアとエリスはあらためて、肌で感じ取っていた。
「……どうやら、狂戦士化はしていないようね」
「えぇ。予想通り、大地の精霊の力に似た効果を発揮するようですが……想像以上に使いこなしている可能性があります」
ハンマーを握るガルャーナを見上げ、エリスとクレアは小さく言葉を交わす。
目を閉じていたため、ガルャーナがどのような動作でこの土の壁を生み出したのかはわからないが、一瞬の出来事であったことは間違いない。
これまで目にした"禁呪の武器"同様、内部に精霊を封じているため、呪文や魔法陣といった予備動作なしにこの規模の現象を発動させることができるのだろう。
その上、ハンマーとしての物理攻撃も可能。想定はしていたが、やはり危険な代物だ。
ガルャーナが玉座に着くと、大会の案内係がクレアたちの前に現れた。
先ほどフィールドに出現した壁を境に、『武装派』と『魔導派』に分かれて戦うようだ。
クレアとエリスはここで、一旦離れることになる。
「じゃ、次は決勝で」
「はい。くれぐれもお怪我などされぬよう」
「あんたもね」
さっぱりとした挨拶を残し、エリスは『魔導派』の対戦がおこなわれる壁の向こうへと去って行った。
少し前までなら、クレアは名残惜しさと心配から、彼女をしばらく引き止めていたことだろう。
しかし、今は違う。
エリスが、世界最強の相棒であることを知っているから……否、思い知らされてしまったから。
クレアは、エリスの背中を笑顔で見送り、自分が戦うことになるフィールドへと、真っ直ぐに向かった。
いよいよ、"武闘神判"が始まる。
クレア以外の『武装派』の四人は、リーダーのワトルも含め、表情が強張っていた。何千という観客から注がれる視線に、オゼルトンの未来を背負う誉れと重圧を、全身で感じているようだ。
係の案内で、クレアたちはフィールドの中央へと集合する。
正面からは、対戦相手である独立推進派の五人が近付いて来る。皆、オゼルトン人らしい巨体の持ち主だが、その内の一人、長いもみあげが特徴の男は、身のこなしが明らかに異なった。
落ち着いた呼吸、静かな足捌き、こちらの実力を探るような視線……一通りの戦闘訓練を受けた者の動きだ。
この男こそ、元・保安兵団の団員だろうと、クレアは確信する。
(武器は槍か……腕力はありそうだが、動きは鈍そうだ)
そう分析しつつ、クレアはいつもの笑みを顔に貼り付ける。
すると、目の前に揃った独立推進派の男たちが、あからさまにクレアを睨み付けた。
「はっ。軍部の犬を抱き込んだという噂は本当だったのか。よりにもよって、こんな優男だとはな」
クレアの正面に立つ、頭髪から繋がる白い口髭が特徴的な男が、野太い声で言う。
「どうせ交渉役として来た国のエリート様だろ? そんなひょろっこい身体で、よくこの神聖な武闘大会に参加する気になったな。尻尾巻いて逃げるなら今の内だぜ」
こうして敵意を向けられることは予想していた。独立推進派にとって、クレアは『精霊封じの手法でオゼルトンの製氷業を衰退させた政府の犬』でしかないからだ。
その上、クレアの見た目と雰囲気から、戦闘能力のないただの交渉役と見なされたらしい。それについては、むしろ好都合と言える。
だからクレアは、穏やかな笑みを白髭の男に向け、
「もしかしてあなたが、トトラさんのお兄さま──ソゾンさんですか?」
友好的な声音で、そう尋ねた。
髪や髭の色は違うが、顔の造形や全身の骨格、声の特徴がよく似ていた。クレアの目からすれば、彼がトトラの血縁者であることは明らかであった。
その指摘を聞いた途端、男たちはぎょっとする。
「なっ……お前、トトラを知っているのか?」
「えぇ。私は交渉役である前に、彼の店の常連客です。この"武闘神判"のことも、あなたのことも、トトラさんから教えていただきました」
「そうだ、俺が教えた!」
そこで、クレアの背後からトトラが駆け寄って来る。出場者の待機席にて、彼は関係者として控えていた。
「考え直すべきなのはお前の方だ、ソゾン。今のオゼルトンが独立したところで何ができる? 財政に困窮したまま、途方に暮れるのが関の山だろう? それとも、本当に反乱を起こすつもりか? 民を犠牲にするばかりか、オゼルトンの誇りに泥を塗ることになるぞ!」
ようやく会うことのできた兄に、トトラは捲し立てるように言う。
しかしソゾンは、それを鼻で笑い飛ばし、
「はっ。ならばこのまま、精霊さまを迫害する技術を受け入れろと言うのか? それこそオゼルトンの誇りに反する。争いを恐れ、国の言うがままに思想と文化を変え……そうして残ったものは、果たしてオゼルトンと言えるのか?」
「だから、オゼルトンの思想を残したまま共生するための方法を、いま国が考えているんだ! それに……!!」
そこで、大会の係員が「出場者以外は席に戻るように」とトトラを嗜めた。
トトラは口を閉ざし、もどかしそうにソゾンを見つめてから、待機席へ戻って行った。
「ふん、愚かな弟だ。今さら説得なんかで、俺の覚悟が揺らぐかよ」
その後ろ姿を眺め、ソゾンが吐き捨てるように言う。
二人の言い合いを聞き、独立推進派の男たちはさらに闘志を燃やしたように見える。
対して、クレア側の独立反対派は、少し表情が曇った。
無理もない。どちらもオゼルトンを想う気持ちは同じ。文化を護るために独立すべきか否か、心の奥底では迷っている者もいるだろう。
俯く仲間に、クレアは落ち着いた声で語りかける。
「文化とは、人々の生の営みから紡がれるものです。戦が起きれば人が死ぬ。人が死ねば、文化も死にます。武力衝突を否定する我々の理念は、絶対的に正しい。胸を張って戦いましょう」
それに、ワトルも深く頷き、続ける。
「そうだ。真に護るべきものは何か、もう一度思い出せ。それに、俺たちはこの問題の解決策を既に手に入れている。それを提示するためにも、ここで負けるわけにはいかない」
二人の言葉を聞き、俯いていた男たちは顔を上げる。
こういう場面において、最年長のワトルの存在は大きい。クレアの言葉を上手く継いでくれたお陰で、男たちの目には闘志が戻った。
両派閥はもう一度向かい合うと、審判の合図で手を合わせ、礼をする。オゼルトンの伝統的な挨拶だ。
そして、第一試合の出場者のみを残し、他のメンバーは待機席へと移動した。ここから、一対一の闘技が始まる。
クレアたち独立反対派の中で第一試合に出場するのは、農夫のクジマだ。
体格は良いが、戦闘経験はゼロ。性格も穏やかで、戦いに向いているとは言えない。それでも『家族を護りたい』という強い信念を持ち、出場を決めた。
対する独立推進派からは、トトラの兄・ソゾンが出場するようだ。
今しがたの言い合いから豪快な性格であることが伺えるが、それを裏付けるように腰から長剣を抜き放ち、勢い良く振るうパフォーマンスを見せ付ける。緊張や恐れといった感情は、微塵もない様子だ。
これはまずいと、クレアは思う。
ソゾンの実力は定かではないが、事前に情報を得た限りでは、戦闘とは無縁なただの農夫であるはず。二人の実力に、それほど大きな差はないだろう。
となると……恐らく勝敗を決めるのは、精神力の差によるところが大きい。
"武闘神判"のルールはただ一つ。
"先に地面へ倒れた方が負け"。
クレアたちは、なるべく相手を傷付けない方法で演習してきたが、『傷付けてはいけない』というルールがあるわけではない。
現状、精神面においては明らかにソゾンが優っている。互いの怪我を恐れない危険な戦い方をする可能性も、十分にある。
そうなれば、優しい性格のクジマは怯み、攻撃の手を緩めてしまうだろう。
(初戦の結果は、その後の士気に関わる。なるべくなら勝利しておきたかったが……)
出場の順番は事前に申告しているため、今から変えることはできない。相性も運の一つ……否、ここは"神の意志"と言うべきか。
クレアと他のメンバーが見守る中、『武装派』の第一試合が始まった。
──結果は、クレアの予想通りとなった。
ソゾンの気迫に圧され、クジマは及び腰になり、剣を振り払われたところを背負い投げされ、地面に倒れた。
ソゾンは拳を高く掲げ、己の勝利を誇示する。独立推進派の控えメンバーも、勝ち星をあげたことに沸き立っていた。
待機席に戻って来たクジマは、「面目ない」と暗い顔で頭を下げる。
しかし、彼を責める者は一人もいなかった。ワトルは彼の背中を叩き、健闘を讃える。
「顔を上げろ、クジマ。お前はよくやった。それに、まだ勝敗が決したわけではない」
「でも、俺が負けたせいで、相手はさらに勢いをつけてくるはず……あぁ、本当に申し訳ない」
青い顔で謝罪するクジマに、ワトル以外のメンバーが弱気な表情を浮かべる。
そこで、クレアがこう切り出す。
「いいえ。クジマさんの健闘のおかげで、相手の戦略が見えました。あちらはきっと、"先行逃げ切り型"──前半に実力者を配置する形で出場順を決めている。我々とは逆です。つまり……」
「試合が進むにつれ、こちらが有利になる、ということか?」
ワトルの問いに、クレアは頷く。
全五試合の内、前半に実力者を配置すれば、最短三試合で決着がつく。そうすれば、第四・第五試合で出場予定だった者は不戦勝となり、決勝に向け体力を温存できる。
決勝で領主に挑むため、戦闘経験の浅い彼らが極力消耗しないこのプランを選択するのは自然なことだ。
さらに、切り札とも言えるクレアが五人目に配置されることを見越し、クレアと戦う前に勝負を決める狙いもあるのだろう。
もっとも、あちらはクレアの見た目と雰囲気にすっかり油断しているようだが……
「第二試合も、ソゾンさんと同等の実力者が配置されているはずです。恐らく、あのスキンヘッドの方が出てくるでしょう。あの中では最も闘志が高く、身体の使い方も上手そうなので、苦戦を強いられるかもしれません。勝つに越したことはありませんが、無理な戦いはしないでください。第三試合と第四試合は、あの一番若い方と、マフラーを巻いた方が出てくるかと……しかしあの二人は、身のこなしからしてあまり強いとは思えません。みなさんなら勝てます」
クレアは敵陣の待機席を見つめ、冷静に分析する。
「そして、槍の方……元・保安兵団と見られるあの方が、第五試合に配置されているはずです。あの中では一番の実力者なのでしょうが、私の敵ではありません。つまり、第三試合と第四試合を突破できれば、確実に勝てます」
「ほ、本当か……?」
「はい。相手は今、油断しています。これはチャンスです。練習を思い出し、落ち着いて相手の動きを見極めれば、みなさんが負けることはありません」
その言葉には希望的観測も含まれていたが、それでもクレアは、勝機が十分にあることを確信していた。
だから、仲間たちの目を真っ直ぐに見つめ、『勝てる』と、迷いなく投げかける。
要するに、"暗示"だ。思い込みの力によって、彼らの実力を多分に発揮させようとしているのだ。
これが特殊部隊における作戦会議なら、このような精神論など意味を成さない。目で見、耳で聞いた"事実"しか語らないのが鉄則だからだ。
しかし、今は違う。急拵えで発足した素人の集まりで、なんとか戦いに勝利しなければならない。こうした場面においては、このような"希望"が有効であることを、クレアは心得ていた。
何を隠そうクレア自身も……『勝利した後のエリスとのお楽しみ』という希望を糧に、領主との戦いに挑もうとしているのだから。
「あぁ……そうだな。俺たちならやれる!」
「気持ちで負けていたら、オゼルトンの神に見放されちまう。自分を信じて、最善を尽くそう!」
クレアの言葉に、男たちは自信を取り戻したように強く頷く。
と、その時、会場の観客からどよめくような声が上がった。
どうやら、壁の向こうでおこなわれている『魔導派』の試合に動きがあったらしい。
恐らくエリスが立てた戦略通り、氷霧が発生したのだろう。見慣れない『神手魔符』を目の当たりにし、会場に動揺が走ったに違いない。
クレアは再び、独立反対派の仲間たちを見つめる。
そして、
「『魔導派』のみなさんも頑張っています。我々も負けてはいられません。気を引き締めて、いきましょう」
そう、力強く言った。




