18 最強の相棒
「この娘が、国から派遣された魔導士……?」
「こんなに若いなんて……まだ学生じゃないのか?」
エリスの登場に、男たちが口々に呟く。
無理もない。彼らの目の前に現れたのは、十代の、小柄で可憐な少女だ。
まだ魔法学院の学生であるべき年齢の少女が、国から重要任務を任されているなど、にわかに信じ難いことだろう。
「お待ちしていました、エリス。本当に、お疲れさまです」
少し疲れた顔をしているなと、クレアはエリスの顔色を見て思う。
ここに現れたということは、望む研究成果が得られたのだろうか。それを尋ねる前に、クレアはまず困惑する男たちを落ち着かせるため、挨拶から先に済ませることにする。
「こちらが、"武闘神判"に参戦される『独立反対派』のみなさんです。エリスも、みなさんに自己紹介を……」
「ごめん。挨拶は後でいい?」
クレアの言葉を、エリスはすぐに遮る。
そしてそのまま、彼の元に近付き、
「ねぇ……早く戦ろ? 新しい魔法を試したくて……クレアと戦りたくて、たまらないの。いいでしょ? あたしと今すぐ、実戦演習してよ」
なんて、熱に浮かされたような目で強請ってくるので……
(これは……"研究ハイ"とでも言うべき状態なのだろうか?)
いつになく好戦的なエリスに、クレアは困惑する。
同時に、余裕なさげに自分を求める彼女の様子に、些か興奮してしまうのも事実で……
「……わかりました。では、先に私たちの実力を見ていただくことにしましょう」
平静を装い、穏やかな声で、そう答えた。
──樹々に囲まれた、円形の広場。
クレアとエリスは、男たちの視線を受けながら対峙する。
そして……
「──はじめ!」
ワトルの掛け声を合図に、三度目の実戦演習が始まった。
開始と同時に、クレアは剣を抜き、エリスに向かって一直線に駆ける。
魔法陣、あるいは『神手魔符』を準備する前に距離を詰め、阻止する──魔導士を相手にした戦闘の鉄則は、いかなる時でも変わらない。
もちろん、エリスもそれを理解している。
だから彼女は、クレアが自分の元へ辿り着く前に、高速で魔法陣を完成させ、叫ぶ。
「オドゥドア!!」
呼び出された大きな壁が地面から迫り出し、クレアの前に立ちはだかる。
クレアの接近を阻止する、エリスの常套手段だ。
これまでの戦いで、クレアは壁にナイフを突き立て、それを足掛かりにして飛び越えてきた。
しかし今回は、壁の端から回り込むことにする。
壁の向こうにトラップが仕掛けられていた場合、高い位置から落下するのは危険だ。上から乗り越えた方が速いが、ここは遠回りすべきだと判断した。
が、クレアが壁を回り込むその隙に、エリスは次の魔法を完成させていた。
「ユグノ!!」
その声の直後、クレアが回り込むのと反対側の壁の端から、エリスが飛び出した。
魔法で生み出した蔓を握り、遠くの樹にシュルリと巻き付け、それを一気に収縮させ、移動したのだ。
まるで、クレアが用いるワイヤーの動きを模倣するかのような立ち回りだ。昨日までの戦いで、エリスも彼の動きを学んでいるのだろう。
再び開く、二人の距離。
クレアはすぐに追うが、エリスは追いつかれる前に次の蔓を生み出し、離れていく。
どうやら、徹底的に距離を取ろうとしているらしい。
時間と空間を確保し、何かを仕掛けるつもりでいるのだろう。
が、それを簡単に許すクレアではない。
エリスが蔓を生み出し、再び遠くの樹に向けて伸ばす……
その蔓の先が樹に巻き付く前に、クレアは取り出したナイフを勢い良く投げ、蔓を切断した。
驚いたように目を見開くエリス。
しかし、怯んだのは一瞬だった。クレアが迫る中、次なる魔法陣を瞬時に完成させる。
「オドゥドア! お願い!!」
刹那、エリスの足元の地面が音を立てながら迫り上がり、彼女の身体を高く持ち上げた。
クレアの身体の何倍も太く、遥かに高い土の柱……その上に、エリスが立っているような状態だ。横が駄目なら縦に逃げようと考えたのだろう。
エリスを地上に下ろさなければ、倒すことはできない。それどころか、高所から魔法攻撃を浴びせられれば完全に不利になる。
しかし目の前の柱は、登ることも、倒すことも困難。
ならば……
クレアは一度、呼吸を整えると……
真横に一閃、長剣を閃かせた。
すると、太い柱の真ん中が綺麗に切断され……
ズルッと、横にズレた。
よもや剣で斬れるとは思わなかったのだろう、二人の戦いを見守る男たちからどよめくような声が上がる。
しかしエリスは、クレアが斬ることを予想していたようだ。崩れゆく柱の上で左右の手を踊らせ、魔法陣を描く。
「ヘラ! キューレ! 交われ!!」
生み出されたのは、無数の"氷の矢"。
さらにエリスは、懐から『神手魔符』を取り出すと、ばら撒くように宙へ放り投げた。
氷の矢は、それらの札を貫きながら、クレア目がけて真っ直ぐに飛来する。
頭上から、雨のように降り注ぐ氷の矢。
その数は、昨日の比ではなかった。今度こそ本気で、クレアを倒しに来ているのだろう。
(物理攻撃を狙いつつ、『神手魔符』を地面に設置する……効率的な攻め方だ)
などと感心しつつ、クレアは飛来する矢を剣で斬り捨てていく。
遠巻きに見つめる男たちから、再び驚愕の声が上がる。
常人にしてみれば、魔法で氷の矢を無数に生み出すことも、それを剣で捌くことも、現実離れした光景に違いなかった。
その間に、エリスは崩落した柱の上から跳び、魔法で生み出した蔓を伸ばして、クレアから離れた位置に着地した。
地表に設置された『神手魔符』が発動すれば、魔法に捕らえられてしまう。
精霊が集まる前に、エリスを押さえなければ……
クレアは、地面に設置された『神手魔符』の内、"土"と"樹"の札を見極め、それを避けるようにしてエリスとの距離を詰める。
獲物を捕縛する力を持つ札は、"土"と"樹"だけ。
"水"と"光"の札なら、足元で発動しても物理的な実害はないはずだ。
そう判断し、クレアは札の紋様を確認しながら駆けていく。
しかし……
その、無数に散らばる『神手魔符』の中に。
見たことのない紋様が描かれたものが数枚、紛れていることに気付き……
「……っ」
クレアは、足を止める。
存在しないはずの、五つ目の紋様。
まさか、これが……
エリスの、"研究成果"か……?
危険を感じ、クレアが後退しようとした、その時。
エリスが──ニヤリと笑った。
そして、
「──招詞・水御霊! 冷御霊!!」
叫んだ。
直後、周囲に散らばる札が、仄かに光りを放ち……
"水"の札から水柱が噴き出したかと思うと、次の瞬間、クレアの視界は、白一色に染まっていた。
(……これは…………)
氷霧だ。
噴き出した水が瞬時に凍り付き、細かな氷の結晶となって、霧のように空中に漂っているのだ。
ということは、あの見たことのない紋様の『神手魔符』は、"冷気の精霊"を呼び出すものなのだろう。
『神手魔符』を設置した領域にクレアを誘い出し、氷霧を発生させ、視界を奪う……それが、エリスの狙いだったのだ。
エリスに近付こうにも、"土"や"樹"の札が足元に散らばっているため、不用意に動けない。
エリスが声を発するだけで発動するトラップが、そこら中に張り巡らされている状況なのだ。
手を伸ばした先も見えないような、濃厚で冷たい霧の中に、完全に閉じ込められてしまった。
その寒さに、クレアの服の表面までもがパリパリと凍り始める。
迂闊には動けないが、このまま止まっていても凍り付いてしまう。
(エリスからも、こちらの姿は見えていないはず……ならば)
状況を打開するため、クレアは懐からナイフを二本取り出すと……
──ストッ、ストッ!
少し離れた地面に向け、突き立てるように投げた。
エリスに、こちらが動いたと思わせるような音を聞かせたのだ。
クレアが動けば、エリスは呪文を唱えるはず。
その声さえ聞ければ、彼女のいる場所が特定できる。
あとは、発動した『神手魔符』の魔法を避けながら、エリスに近付けばいい。
クレアは、両耳に意識を集め、エリスの声を待つ。
しかし……
その耳に聞こえてきたのは、声ではなく。
──ピィーーーーッ。
……という、笛のような音だった。
それがエリスの発した音かわからず、クレアが警戒を強めると、氷霧の向こうで何者かが動く気配がした。
そして、
「──招詞・土御霊! ケワクワマ!!」
笛のような音がしたのとは別の場所から、エリスの声が響いた。
直後、クレアの周りの地面があちこち陥没する。"土"の『神手魔符』が一斉に発動したのだ。
しかし、"樹"の札は反応がない。どうやらまた発音を間違えているらしい。
(落とし穴だけなら、難なく突破できる)
クレアは、次々に出現する穴を避けるようにして駆け、エリスの声がした方へ一気に距離を詰める。
……やはり、エリスは天才だ。
まさか本当に、新しい『神手魔符』を生み出すとは……オゼルトンの歴史を揺るがすような大発明だ。
彼女の計算では、ここでクレアを落とし穴に嵌めるか、蔓の檻に捕らえるかで勝つつもりでいたのだろう。確かに、"樹"の札も同時に発動していたら危うい状況だった。
だが、さすがの天才魔導士も、慣れない発音を一日で習得することは困難だったようだ。
だからといって、手加減はナシである。
『本気で戦う』と、約束したから。
彼女に勝利を譲ることはできなかったが……
(……エリスは、己の実力を全力で証明してくれた。『独立反対派』に対しても、自分に対しても。もう……充分だ)
この戦いを終わらせるため、クレアは真っ白な濃霧の中を駆ける。
と、視界の向こうにぼんやりと、人の形をした影が見えてきた。
その人影から、こんな声が聞こえて来る。
「やばっ、また発音間違えた?!」
エリスだ。やはり発動するはずの魔法が不発に終わり、焦っているらしい。
こういう状況では声を出すべきではないと、昨日も伝えたはずなのだが……あとでまた、言い聞かせる必要がありそうだ。
そんなことを考えながら、クレアは正面から彼女に近付く…………が。
そこにいたのは、エリスではなかった。
人のような形をした、ただの……土の塊だ。
クレアは、気付く。
これは、先ほど自分が斬った、土の柱の残りだ。
その土の塊には、一枚の札が貼ってあった。
『神手魔符』であることには間違いないが、"冷気"の札とも異なる、見たことのない紋様が描かれている。
その札から──こんな声が、発せられる。
『……なーんてね。びっくりした?』
それは、間違いなくエリスの声。
しかし、姿は見えない。
一体、どういう仕組みだ?
離れた場所にいるエリスの声が、この札を介して聞こえているのか?
困惑し、動きを止めていると……クレアの足に、何かが絡み付いた。
樹の蔓だ。それも、大蛇のように太い。
その瞬間、クレアは理解する。
エリスは、発音を間違えたのではない。
クレアを油断させ、ここへ誘い出すために、あえて"樹"の札を発動させなかったのだ。
"樹"の札で集めた精霊を魔法陣で使役し、この太い蔓を生み出し、見えないところから確実にクレアを捕らえる……それこそが、彼女の真の狙い。
両の足首に絡まった蔓を斬ろうとするが、遅かった。
蔓は、這うようにしてクレアの膝上にまで巻き付くと……
猛烈な力で、彼の脚を引っ張った。
なす術もなく、クレアの視界が、宙を舞う。
……詰めが甘かったのは、自分の方だ。
エリスが、同じミスを繰り返すはずがなかったのに。
嗚呼、なんて情けない。
だけど、それ以上に……
彼女に負けることが、こんなにも嬉しいなんて。
クレアは、受け身を取ることもせず。
ドサリと、仰向けに倒れ込んだ。
勝敗が決した瞬間だった。
──未だ立ち込める霧の向こうから、ゆっくりと、エリスが近付いてくる。
やはり、離れた場所から蔓の魔法を放っていたようだ。
「……あたしの勝ちね」
倒れたままのクレアを見下ろし、エリスが言う。
喜びを押し殺したようなその表情に、クレアは思わずふっと笑う。
「……たまには良いものですね。貴女が上になって、こうして見下ろされるのも」
「どういう意味よ」
「だって、いつもは私が上じゃないですか」
「だから何の話をしてんのよ?!」
などと怒鳴られてから。
クレアは、深く息を吐き、
「……完敗です。やはり私の背中を預けられるのは、貴女しかいませんね。"武闘神判"本番も……いえ、これから先もずっと、どうか宜しくお願いします」
そう、清々しい表情で言った。
それを聞いたエリスは、目を見開いて。
照れと、嬉しさと、泣きそうなのを堪えるような、くしゃっとした笑みを浮かべると、
「あ……あったり前でしょ? あたしは公私共に、あんたの最強の相棒なんだから!」
腰に手を当て、誇らしげに答えた。
クレアには、エリスに尋ねたいことがいくつもあった。
初めて見る"冷気"の『神手魔符』について。
それから、最後に目にした"声を発する札"について。
一体どうやって、新たな『神手魔符』を生み出したのか?
どういう仕組みで『神手魔符』から声を発していたのか?
しかし、それらを口にする前に。
エリスは、クレアに近付くと……彼の上に跨り、
「ふふ……ようやくあんたに勝てた……これで、あんたを好きにできるわよね?」
クレアの身体に乗りながら、そんなことを囁いた。
言葉の意味がわからず、クレアが「へっ?」と聞き返すと、
「『狩られた獲物は、狩人の食糧になる』……それが、この森のルール。でしょ?」
「え、エリス? 何を言って……」
「あんたはあたしに負けた。つまり…………食べられたって文句は言えない、ってことよ」
「……えっ??」
それを聞いた瞬間……クレアの脳裏に、嫌な予感が過ぎる。
これは、もしかしなくても……
自分のことを、物理的に、食べようとしているのか……?
そういえばエリスは、昼食を食べたのだろうか?
朝食を食べたのはもう何時間も前だ。研究に没頭するあまり、昼食を摂らないままここへ来たのかもしれない。
ただでさえ、昨日から頭をフル回転させているのだ。エネルギーを脳に奪われ、極度の空腹状態に陥っていてもおかしくはない。
そんな状態で激しい戦闘を繰り広げ、興奮したものだから……例の肉食獣モードが覚醒したのではないだろうか?
クレアのその予想を裏付けるように、エリスの瞳は、腹を空かせた獣のようにギラついていて……
舌なめずりをしながら、うっとりとクレアのことを見下ろしている。
「この世は弱肉強食……弱者は、強者の肉になって然るべきよね?」
恐ろしいことを口にするエリスに、クレアは顔を引き攣らせる。
しかし逃げようにも、両足をガッチリと蔓で縛られている上、エリスにのし掛かられているため、動くことができない。
「ま、待ってくださいエリス。落ち着いて……」
「んふふ。大丈夫よ……あたしがちゃあんと、美味しく食べてあげるから……」
なんて、うわ言のように囁くと。
エリスは、あーんと開けた口を近付け……
「…………いただきます……♡」
クレアの首筋に、がぶっと、噛み付いた。




