15 最大級の愛情表現
庭に空いた穴を修復し、家の中に入ると、アクサナの祖母・フェドートがキッチンで昼食の準備をしていた。
その美味しそうな香りを感じつつ、三人はクレアたちが寝室として借りている部屋に集まった。
「──『神手魔符』の種類は、全部で四つ。土、樹、水、光。それぞれ、精霊さまをお呼びする印が描かれている。前にも言った通り、狩りでは獲物に合わせたにおいを付けて使う」
アクサナが、四種類の札をテーブルに並べながら説明する。彼女の言う通り、それぞれに異なる紋様が描かれていた。
「ただ持っているだけでは発動しない。何かに貼り付けて、しばらく置く。そして祝詞を唱えると、術が発動する仕組みだ」
「……しばらく置く必要があるのですか?」
「そうだ。でないと、精霊さまは応えてくれない」
クレアの質問に、アクサナが頷く。
続けて、エリスが神妙な面持ちで補足する。
「……このお札は、媒体となるものに貼り付けることで、特定の精霊を引き寄せる効果があるみたいなの」
「精霊を、引き寄せる?」
「そう。十分な数の精霊が集まるまで少し待たないと、魔法が正しい形で発動しないのよ」
言われて、クレアは先ほどの戦いを思い出す。
氷の矢で『土』の札を設置した時、発現した穴の小ささに、エリスは『これくらいじゃ、この程度か』と呟いていた。あれは、放置時間の短さを指していたのだろう。
「なるほど。狩りの場合は、獲物をにおいで誘き寄せる時間があるため、その間に十分な数の精霊を集めることが可能なのですね」
「そういうこと。だけど戦闘の場合は、悠長に待つ時間なんてないでしょ? おまけに、設置した位置に相手を誘導しなきゃならない。呪文だけで発動する利点はあるけど、扱い方が難しいのよ」
「そう考えると、先ほどのエリスのやり方は非常に有効ですね。わかりやすく設置された場所には相手も近寄らないでしょうが、蔓や矢を使えば、相手の動線に札を置くことができる」
「でしょ? 我ながらいいアイディアだと思ったのよ。だからぜったい勝てると思ったのに……」
そう言って、いじけるように俯くエリス。
あまり敗北に浸らせないため、クレアはすぐに次の疑問を口にする。
「利点で言えば、ナイフで貫いても効力を失わなかったのには驚きました。多少傷付けた程度なら、問題なく発動できるのでしょうか?」
「あぁ。印を完全に破かない限り、効力は保持される。実際、狩りでは獲物の爪で傷付けられたりすることもあるから、そういうのを見越して創られているんだろう」
エリスに代わり、アクサナが答える。同じ説明をエリスも受けていたのだろう。だからこそ、クレアがナイフで札を貫くことを予想し、低い位置に蔓を放ったのだ。
「設置すれば、自然と精霊が集まってくる。しかも、多少の損傷では効力を失わない……札の魔法で直接攻撃できなくとも、精霊の数を増やすことが可能なら、それだけでもエリスにとって有利な場を作れそうですね」
顎に手を当て、クレアは言う。
魔法の威力というのは、使用した精霊の数に比例する。
味覚と嗅覚とで精霊を認識し、正確に使役できるエリスにとって、自動的にその数を増やす『神手魔符』は便利な補助アイテムと言えるだろう。
しかし、エリスは浮かない顔で首を振る。
「確かにそうだけど……相手は、あの"禁呪の武器"だもん。向こうだって規格外の魔力を発揮してくるはずでしょ? 力比べだけじゃだめ。きちんと戦略を考えなきゃ」
その言葉に、クレアは驚く。
少し前まで『あたしとクレアなら楽勝!』と楽観的だったエリスが、今は勝つための戦略を慎重に考えようとしている。
それはきっと、先ほど彼女自身の口から聞いた"想い"がそうさせているのだろう。
『あんたの相棒として、ちゃんと隣にいられるように……あんたを倒せるくらいに、強くなるから。だから……もっと頼ってくれても、いいんだからね』
照れくさそうなエリスの顔を思い出し、クレアは思わず微笑む。
口調こそぶっきらぼうではあったが、深い愛情を感じずにはいられない言葉だった。
だからクレアも、彼女の目を見つめ、真剣に答える。
「その考えには、私も賛成です。『神手魔符』という新しいアイテムを手に入れた今、あらためて戦略を練るべきでしょう。二人で、一緒に勝利するために」
『二人で、一緒に』。
その言葉と眼差しに、エリスは少し照れたように頬を染めつつ、頷く。
「……うん。それには、この『神手魔符』の構造をもっと研究する必要があるわ。"光"の強さや祝詞の発音についても課題があるし、もしかしたら、もっと上手い使い方が見つかるかもしれないから」
「わかりました。では、私は近辺を回って情報収集をしてきます。トトラさんからの連絡も入るはずなので、独立反対派と合流するための準備を進めます」
「りょーかい。じゃ、午後は別行動ね。お昼食べたら、それぞれ動きましょ」
そう締め括り、エリスは席を立つ。
そしてそのまま、リビングに向かおうとするので、
「……待ってください、エリス。まだ、やり残したことがありますよ」
クレアが、声をかける。
エリスはビクッと動きを止め……振り返らずに、聞き返す。
「……『神手魔符』について共有できたし、あとはおばあちゃんの美味しいお昼を食べるだけじゃない。他に何があるっていうのよ?」
「逃げようとしたって、そうはいきません。"セキサッラ"の件、忘れたわけではないでしょう?」
「う゛っ」
"セキサッラ"。
アクサナ曰く、それは『他人には見せない大事な穴に棒を出し入れし、気持ち良くなる行為』、らしい。
真面目な話をして有耶無耶にするつもりだったのだろう、エリスはあからさまに図星な顔で振り返る。
「や……やだなぁ。さすがにあれは冗談でしょ?」
「いいえ、冗談ではありません。見てください、アクサナさんのこの、期待に輝く瞳を。これを見ても『冗談』で片付けられますか?」
言われて、エリスは恐る恐るアクサナを見る。
向けられた青い瞳が、まるで星空を映した湖のように、キラキラと輝いていた。
その純粋すぎる眼差しに、エリスは「うっ」と怯む。
「私に負けたら、アクサナさんに行為を見せる。そういう約束だったはずです。それとも貴女は、後輩に不誠実な姿を見せるつもりですか?」
「だぁああっ! なんであたしが責められてんのよ?! どう考えたっておかしいでしょ! ンな行為を他人に見せるなんて!!」
「確かに、他人に見せることはあまりないのかもしれないが……オゼルトンでは夫婦の在り方の教育として、両親がセキサッラしているのを子どもに見せるのは、どの家庭でもあり得る話だ」
……と、アクサナが真面目な表情で答えるので。
エリスは、衝撃のあまり、白目を剥く。
(なにその教育方針……オゼルトン、いろいろとやばすぎるでしょ!!)
頭から湯気を噴き出すエリスに、アクサナが更に追い討ちをかける。
「でも、ボクには両親がいない。仲睦まじい、理想的な男女の在り方を、見て学ぶことができないんだ。恥ずかしいかもしれないけど……人助けと思って、見せてくれるとありがたい」
言って、寂しげに微笑むアクサナ。
エリスは、感じる必要のない罪悪感に苛まれ「ぐ……」と唸る。
そこへ、クレアがすかさず追撃する。
「ほらほら、観念してベッドに寝てください。大丈夫です、すぐに終わりますから」
「なにその軽い感じ! それはそれでなんか嫌なんだけど!!」
「では……ゆっくりじっくり致しましょうか?」
「それもだめ!!」
エリスはいよいよ赤面し、声を荒らげる。
が、クレアはお構いなしに致す方向で話を進めていく。
「では、アクサナさん。必要な準備をお願いします」
「わかった。父さんと母さんが使っていた"道具"を持って来る!」
「道具?! 待って、道具ってナニ?! ナニを使うつもりなの?!」
エリスの困惑も虚しく、アクサナは足早に部屋を出る。
その隙に、クレアはエリスににじり寄り、逃げ場をなくすように彼女を壁際へと追い込む。
「さぁ……私たちのラブラブっぷりを、後輩に見せつけてあげましょう」
「くっ……あんたがここまで節操のないヘンタイだとは思わなかったわ!」
「節操? 私には、貴女がここまで嫌がる理由の方がわかりかねるのですが」
「はぁ?! 嫌に決まってるでしょ?! そんな、セ…………セキサッラしてるのを見られるなんて!」
「……もしかして、貴女は何か勘違いしているのではありませんか?」
そんな風に聞かれ、エリスは「へっ?」と間の抜けた声を上げる。
クレアは、アクサナの足音に気付き、そちらを振り返りながら続ける。
「……エリス。"セキサッラ"というのは──」
その時、アクサナが部屋に戻って来た。
彼女の手に握られていた"道具"。それは、細長い形をした──
「──耳かきのこと、ですよ?」
耳かき棒、だった。
それを見た瞬間、エリスは……考える。
『大事な穴に、棒を出し入れし、気持ち良くなる』。
確かに……常識の範疇で考えれば、耳かきこそ、その説明に該当する行為に他ならない。
「……あ……う…………あ…………」
エリスは、とんでもなく恥ずかしい思い込みをしていたことに気付き、みるみる内に顔を染め……
「ぅ…………うわぁぁああああっ!!」
羞恥心に耐え切れず、ベッドにダイブし、毛布の中へ潜り込んだ。
アクサナは驚き、心配そうにそれを覗き込む。
「お、おいおい。そんなに嫌なのかよ? そりゃあ、耳の中の汚れを他人に見られるのは恥ずかしいかもしれないが……」
「いえ、アクサナさん。恐らくエリスは、"セキサッラ"を別の行為と勘違いしていたのですよ。ね、エリス?」
揶揄うようなその声に、アクサナは見当もつかない様子で首を傾げる。
「別の行為? "セキサッラ"みたいな恋人らしい行為が、他にもあるのか?」
「ほら、アクサナさんが興味を持っていますよ? 教えてあげてはいかがですか?」
にまにまと、楽しそうに言うクレア。
そんな彼を、エリスは毛布から目だけを覗かせ、睨み付けながら……ようやく理解する。
この男は、エリスが恥ずかしい勘違いしていることに最初から気付いた上で、反応を見て楽しんでいたのだ。
恐らく、『アクサナというピュアな存在を焚き付けることで、自分がいかに変態化しているかを自覚させ、恥ずかしがらせる』という新たな愉しみ方を見出したのだろう。
(こいつは……ほんっとに、救いようのないヘンタイだわ!!)
殺意のこもったエリスの視線を、しかしクレアは笑顔で受け止める。
「何なら、ソッチの行為も今からお見せしましょうか? エリスもベッドに入って、準備万端ですし」
「誰がするかぁっ!!」
がばっ、と毛布を捲り上げ、全力拒否するエリス。
クレアは、にこっと笑うと、
「冗談です。ほら、耳かきしてあげますから。私の膝の上に寝てください」
と、アクサナから耳かき棒を受け取り、ベッドに腰掛ける。
そして、膝をぽんぽんと叩き、エリスを招くので……
「………………」
エリスは、納得いかない様子で頬を膨らませたまま……
クレアの膝の上に、渋々、頭を乗せた。
──木製の細い棒で耳かきするクレアの手つきは、まさに痒いところに手が届く、絶妙な気持ち良さだった。
その妙技に、エリスが不覚にもうっとりしているのを見て、アクサナは興奮気味に口を開く。
「おぉ……これが"セキサッラ"……! 耳の穴に棒を入れるなんて、信頼できる相手にしか頼めないことだよな……だからオゼルトンでは、これが最大級の愛情表現だと言われているんだ。なんか、見ているだけでドキドキするな」
「あはは。確かに、耳は人間の急所の一つですからね。そこを差し出すというのは、信頼の証と言えるでしょう。ちなみに私は、エリスの信頼に応えるため、彼女の耳の穴の直径や鼓膜までの深さを正確に把握しています」
「そうなのか?! すげぇ、さすが特殊部隊! 愛情表現一つとっても完璧な仕事ぶりだな!!」
……などと、耳の上でやり取りするのを聞き。
エリスは、ジトッとした目でアクサナを見つめる。
「……アクサナ。これだけは言わせてもらうけど……『信頼』という言葉を軽々しく口にする男には注意しなさい。特に、ヘラヘラと人の良さそうな笑みを浮かべて近付いて来るヤツ。そういう男は、腹の中でロクなことを考えていないから」
「はは。そのヘラヘラした男に耳かきされて気持ち良くなっているようでは、説得力ゼロですよ?」
「うっさい! いいから次、反対側もやりなさいよ!!」
「はいはい。それじゃあ、こちらを向いてください」
そう言って、反対側の耳を掃除し始める二人を眺め……
「……あんたらって、本当に…………仲が良いんだな」
アクサナは、感心とも呆れともつかない声で、そう呟いた。