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12 寒がりな心

 




 エリスとアクサナが狩りに出ている頃──



(……二人で行かせて、大丈夫だっただろうか)



 クレアは、庭でフェドートの代わりに薪割りや雪かきをこなした後……

 エリスたちの帰りを待ちながら、雪像の土台作りを着々と進めていた。


 巨大なウサギやクマが出るという夜明け前の森に、二人だけで向かわせるのは不安だったが、エリスが頑なに「ついて来なくていい!」と言うので、大人しく留守番することにした。


 エリスは、昨日の実戦演習での敗北に焦っているのだろう。

 だから、クレアのいないところで『神手魔符(カンピシャシ)』を学び、勝つための突破口を見出そうとしている。

 それがわかっているから、クレアも同行を強要することができなかった。



(……まぁ、ただの動物相手なら、エリスの敵ではないだろう。本当に危険な時は、本気で魔法を使うはずだから)



 そう自分に言い聞かせ、クレアはグローブを嵌めた手で、集めた雪を叩き、固めていく。

 手を動かしながらも、クレアの頭は自然とエリスのことばかりを考えてしまう。



 狩りは、上手くいっただろうか。

 野生動物の肉の味が気に入ったようだから、魔法を習得するだけでなく、食糧調達としても成功しているといいが……

 しかし、動物を目の前で仕留める光景に、エリスはショックを受けたりしないだろうか?

 雪の上では……赤い血は、殊更(ことさら)目立つから。



「…………」



 そのまま。

 クレアは、雪像を作る手を止め、遠い記憶を思い出す。


 十年前、彼は……このオゼルトンを、訪れたことがあった。




 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎




 ──十年前。

 オゼルトン領を、まだ先代の領主が(おさ)めていた頃。


 クレアは、エリスの父にして特殊部隊(アストライアー)の前隊長であるジェフリーの(めい)により、標的を待ち伏せるため、オゼルトンの山の裾野を訪れた。


 標的というのは、人身売買をしている犯罪組織。

 そのメンバーが、数日前にこのオゼルトンの山に入ったことがわかっていた。


 奴らの狙いは、オゼルトン領の子どもたちだ。

 アルアビスに併合した際、オゼルトン領の孤児は国の人的資源として"中央(セントラル)"で引き取るという協定が結ばれた。

 しかし、子どもたちが故郷を離れることを憂いた一部の領民が孤児院の真似事を始め、"中央(セントラル)"の目を盗み、孤児を(かくま)い始めた。

 その施設が、犯罪組織に目をつけられたのだ。


 孤児たちを誘拐したとしても、国が定めた協定に反した施設であるため、被害を訴えることができない。

 犯罪組織にとっては人攫いが表沙汰にならない、絶好の狩り場と言える。


 組織のメンバーは、施設の大人たちを殺し、孤児を連れ去って山を降りてくるはずだ。

 そこを奇襲し、子どもたちを助けるのが、クレアに与えられた任務だった。



 音のない、一面の銀世界。

 あるのは、風を遮る程度の簡易的なテントと、僅かな携帯食糧だけ。

 そんな状況で、クレアは標的が山を降りてくるのを、何日間も待ち伏せていた。


 普通の感覚を持つ十一歳の少年なら、寒さと静けさと空腹に発狂してもおかしくはない。

 しかし、クレアは……

 寒さも、寂しさも、空腹も感じることなく、ただ淡々と、命じられたままに、標的が現れるのを待ち続けた。



 そうして、それは訪れた。

 最初に聞こえたのは、子どもの泣き声。

 それから、雪を踏む複数の足音。

 吹雪に白む視界の先、クレアが目を凝らすと……男が五人、子どもを肩に担いで山を降りて来ていた。


 間違いない。標的の犯罪組織だ。

 住民が使う正規の登山道とは別の、このルートから現れるというジェフリーの読みは当たった。


 クレアは予定していた通り、吹雪に紛れるようにして、男たちの前に立ち塞がった。

 すると、クレアに気付いた先頭の男が、「あ?」と声を上げる。



「おい、こんなところに子どもがいるぞ。狩人の子か?」



 男が顔を顰め尋ねるが、クレアは何も答えない。

 ただじっと、泣き叫ぶ子どもを担ぐその男を、無感情な目で見上げる。



「はっ。ぼーっとしたガキだな。ちょうど良い、お前も連れて行ってやるよ」



 男は鼻で笑うと、担いでいた子どもを別の男に渡し、クレアに手を伸ばす──が。


 次の瞬間、その手首から先が、ボトッと、雪の上に落ちた。


 クレアが、隠し持っていた短剣で、斬り落としたのだ。



「ぐっ……あぁぁあああっ!」



 痛みに悶え、(うずくま)る男。

 他の男たちが動揺し、怯んでいる隙に、クレアは蹲る男の首を短剣で斬り裂き、絶命させた。



「……ひとり」



 小さく呟くと、そのまま他の男たちを目掛け、駆ける。

 先ほどの男から子どもを渡され、両手が塞がった男の腹に短剣を突き刺し、真横に引き裂いて、内臓に致命傷を与える。

 鮮血が噴き出し、男は子どもを抱えたまま、膝から崩れ落ちた。



「……ふたり」



 残る三人の男たちは子どもを離し、武器を手にクレアへ向かってくる。



「なっ、なんだこのガキ!」

「殺せ! 早く殺せ!!」



 クレアは、今しがた倒した男の腰から長剣を奪うと、



「……さん、よん……ごにん」



 残りの三人を、あっという間に斬り捨てた。





 ──倒れた五人の男たちから、じわりと広がる血溜まり。

 湯気を上げ、真っ白な雪を汚していくそれは、殊更赤く見えた。


 任務が完了したことを確認し、クレアは、身を寄せ合うように蹲る子どもたちに近付く。

 そして、立ち上がらせようと手を伸ばす……が。

 その手は、一人の子どもにより、パシンッと払われた。



「こ……来ないで! この()()()!!」



 怯えた目で、震える声で、放たれた言葉。

 寒さで感覚の鈍った手が、叩かれたことで微かに痛む。

 その手のひらを、思わず見下ろすと……

 男たちの返り血で、赤黒く汚れていた。


 ……そうか。こんな手では、()れられたくないよな。

 せめて、返り血を浴びないように殺せばよかった。


 そんなことをぼんやり考え、クレアが立ち尽くしていると、



「……何をしている、クレアルド。早く連れて行くぞ」



 後ろから、声をかけられた。

 レナードだ。少し離れた地点で、クレアと同じく標的が下山して来るのを待ち伏せていた。戦闘の音を聞き、合流したのだろう。


 レナードに急かされたクレアは、もう一度子どもたちに向き直る。

 恐怖に震える、幼い瞳。

 孤児院の大人たちを殺され、連れ去られた恐怖だけではない。

 彼らはきっと、クレアが軍部に育てられた子どもであるとわかっている。

 だから、このまま連れて行かれれば……


 自分も、クレアと同じように、躊躇なく人を殺せる『化け物』にされてしまう。


 その恐怖が、彼らの瞳を震わせているのだ。



「…………」



 そこで、クレアは思い出す。

 数日間、独りでじっとしていたため、忘れていた。

 こういう時、どう取り繕えば、相手の警戒を解くことができるのか。


 クレアは──にこっと、穏やかな笑みを顔に貼り付けると、



「……もう、大丈夫です。我々と一緒に、行きましょう」



 こびり付いた血を、服の裾に擦り付けてから。

 もう一度、その手を、彼らに差し出した。




 ♦︎ ♦︎ ♦︎ ♦︎




 ──今にしてみれば、軍上層部の真の目的は、犯罪組織を利用し、孤児院を解体することだったのだろう。


 組織の動きを掴んでいたのだから、孤児院が襲われる前に対処することもできたはずだ。

 しかし、それをしなかった。

 子どもたちの行き場をなくした上で、彼らを『箱庭(ガルテノ)』に収容することこそが、軍部の狙いだったから。


 あの時は、そのやり方について、何とも思わなかった。

 与えられた任務を、与えられたままにこなす。

 自分の存在意義は、それ以上でも以下でもない。

 それが、当たり前だったから。


 しかし、今は……

 あの任務のことを思い出すと、少しだけ、胸の奥が騒ついた。



「…………」



 それが、所謂『罪悪感』と呼ぶべき感情なのか、クレアにはわからなかった。

 仮にそうだとしても、今さらそんな気持ちになったところで、過去は変えられない。

 あの出来事以来、オゼルトンに人身売買の犯罪組織が出入りすることはなくなった。長い目で見れば、多くのオゼルトン人を救ったとも言える。

 そう、頭では理解しているが……


『化け物』と呼ばれた自分が、今ではすっかり『人間』らしくなってしまったから。

 その『人間』の部分が、今ごろになって、あの時の寒さと痛みを感じているようなのだ。



「…………寒い、か」



 それは、寂しさに似ていて。

 クレアは無性に、エリスが恋しくなった。



 エリスに会いたい。

 会って、あの温もりを感じたい。

 早く……帰って来ないだろうか。



 なんて、まるで留守番をする子どものようなことを思った──その時。



 クレアは……何者かの気配が、背後から迫っていることに気付く。



 足音を殺しているつもりのようだが、雪を踏む音が微かに聞こえる。

 吐息も衣擦れの音も消し切れてはいない。隙だらけの気配だ。


 振り返らずとも、クレアには……その気配の正体がわかっていた。

 だから、あえて気付かないふりをして、雪像作りを続ける。


 そして……

 その気配が、クレアに襲い掛かろうとした、瞬間!



「──隙あり! って、うわわぁっ!!」



 さっ、としゃがみ込んで躱し、()()の足を払うと……

 そのまま、腕の中にトサッと、抱き留めた。



「……おかえりなさい、()()()。狩りは上手くいきましたか?」



 奇襲した犯人にそう言ってやると、彼女は悔しそうに歯を軋ませる。



「くっ……気付いてたの?」

「逆にあれでバレないと思ったのですか? 音も気配もダダ漏れでしたよ」

「あーん、もうっ! なんか考え込んでるっぽかったから、今なら勝てると思ったのに!」



 その言葉に、クレアは思わず目を見開く。



「……私、そんなに難しい顔をしていましたか?」

「してたしてた。なんかこう、思い詰めた雰囲気みたいな。自覚ないの?」

「すみません、そんなつもりはありませんでした。少し……昔のことを思い出していただけです」



 その曖昧な返答を聞き、エリスは……

 クレアの目を、じっと見つめ、



「……気を付けなさい。あまり辛気臭い顔してると、すぐに襲いかかるからね。あたしは常にあんたを倒そうと、隙を窺っているんだから!」



 そう言って「がるる」と唸り、両手で獣のようなポーズを取る。

 その仕草を可愛いと思いつつ、クレアは……エリスの優しさを感じていた。


 エリスは、『何を思い出していたのか』と、無理に聞き出すことはしない。

 クレアが、自らの過去をあまり話さないことを知っているから。

 しかし、心配していないわけではない。

 クレアが自分から話さない限り、何があったかは聞かないが、あまり過去に囚われてほしくないと、そう思っているのだ。

 つまり、



「……なるほど。私が浮かない顔をしていたので、心配になって抱き着こうとしたのですね?」

「は、はぁ?! なんでそうなるのよ! あたしはただ、あんたの雪像作りを阻止しようと……っ!」



 慌てて否定するエリスの身体を……

 クレアは、そのままぎゅっと、抱き締めた。



「わっ。な、なによ急に!」

「すみません。寒くて……寂しくて。エリスに、会いたかったのです」



 言いながら、クレアはエリスの体温を感じる。

 触れ合った場所から伝わる温もりが、温かくて、優しくて……思わず、安堵の吐息が溢れる。


 エリスは呆れ半分、戸惑い半分なため息をついて、彼の背に腕を回し、抱き締め返す。



「まったく……寒いなら家の中で待っていればよかったのに」

「寒さには強い自信があったのです。以前の私なら……何も感じないはずでした」



 ……そう。

 この温もりを知らなければ、寒さも、孤独も、悲しみも、感じることはなかった。

 特殊部隊に属する戦士としては、致命的とも言える変化かもしれないが……

 エリスにより(もたら)されたこの感情が、クレアには、痛くて、嬉しくて、愛おしかった。

 だから、




「……私が寒がりになったのは、エリスのせいです。責任を取って……ずっと側にいて、温めてください」




 なんて、やはり子どものようだと内心自嘲しながら、(すが)るように囁いた。


 それを聞いた瞬間。

 エリスが、ぴくっと反応する。

 そして、



「……もう。人の気も知らないで」



 そう、呟くので。

 クレアが「え?」と聞き返すと、彼女は身体を離し、




「……やっぱり、あたしがもっと強くならなきゃダメね。あんたの弱音を受け止められるのは、あたししかいないでしょ? 大丈夫よ。あんたの相棒(パートナー)として、ちゃんと隣にいられるように……あんたを倒せるくらいに、強くなるから。だから……もっと頼ってくれても、いいんだからね」




 クレアの瞳を見つめ、恥ずかしそうに言った。


 その言葉に、赤く染まった頬に、クレアは……

 もう、堪らなくなって。



「……っ」



 彼女に許可を得る前に。

 その唇に、キスをした。



 嬉しかった。

 恋人として、相棒(パートナー)として、ずっと隣にいようと……そのために強くなろうと、そう考えてくれたことが、苦しいくらいに嬉しくて。

 愛しくて愛しくて、唇を重ねずにはいられなくなった。


 触れた唇の温かさに、寒さが溶かされていく。

 エリスは、驚いたように身体を強ばらせた後、クレアを受け入れるように、背に回した手をきゅっと握った。

 それが嬉しくて、クレアも、彼女を抱く手に力を込める。




 この手は、何度も血に(まみ)れてきたけれど。

 今は、愛する人を護ることに……抱き締めることに使えている。

 それで、いい。これからも、そうありたい。


 一人の『人間』として……彼女と共に、生きたいから。





「…………」



 そっと、唇を離し。

 クレアは、照れ臭そうな顔をするエリスを見つめる。

 そして……少し間を置いてから、語りかける。




「……エリス」

「……なによ」

「大好きです」

「……知ってる」

「それから……すみません」

「なにを今さら……あんたのキスは、いつもいきなりじゃない」

「いえ、そうではなくて」

「……?」

「……怒らないで、聞いてくださいね」

「だから、なによ」

「……今のキス……………………アクサナさんに、見られてしまいました」




 ……にこやかに放たれた、その言葉に。

 エリスは、額から汗を垂らしながら、ギギギ……と首を回す。


 庭を囲む、木々の隙間……こちらを見つめ、わなわなと震える、アクサナが立っていた。



「あ、アクサナ……! これは、その……!!」



 慌てて取り繕おうとするが、時既に遅し。

 アクサナは、顔を茹で蛸のように火照らせ、震える指で二人をさすと、




「あんたら………………恋人同士だったのか……?!」




 そう、生家の庭に、声を轟かせた。





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