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9 切られた火蓋

 




「──どうだ? 身体がポカポカしてるだろ?」



 公衆浴場を後にし、家に帰る道すがら、アクサナは満足げに尋ねた。

 蒸し風呂と水風呂をきっちり三回繰り返したその肌は、つやつやと輝いている。


 しかし、隣を歩くエリスはと言えば……



「うん……なんかもう、今が暑いのか寒いのかも、わかんなくなった……」



 ぐったりした表情で、力なく答えるのだった。


 今日だけならまだいい。

 だが、オゼルトンでの滞在は、少なく見積もってもまだ四日はある。

 こんな仕打ちを、明日も明後日も明明後日も受けるのだと考えると……泣きそうだった。


 だがアクサナは、その返答を前向きな意味合いだと受け取ったらしく、



「だろ? 代謝が上がることで、寒さに強くなるんだよ。あんたらは、ただでさえ慣れない気温の中で戦うことになるんだからさ。少しでも温めて、まずは寒さに負けない身体にしなくちゃな」



 そう言って、真っ直ぐな瞳をエリスに向けた。


 それを聞き、エリスは驚く。

 単にオゼルトン式の入浴方法を体験させたいだけだと思っていたが……

 アクサナは、エリスたちが寒さの中でも実力を出し切れるようにと、代謝を上げる入浴方法を真剣に勧めてくれていたのだ。


 そんな風に言われては、さすがのエリスも、彼女の厚意を無下にはできない。明日も明後日も明明後日も、入らないわけにはいかなくなった。

 はぁ……と、エリスは真っ白なため息をつき、困ったように笑って、



「……ありがと。アクサナのお陰で、また一つ"武闘神判(シドレンテ)"での勝利に近付いたわ」



 と、素直に礼を述べた。

 アクサナも裸の付き合いをしたことで、より心を許したらしい。照れることなく、にっと嬉しそうな笑みを浮かべ、



「どういたしまして。ボクは、あんたらの案内役だからな。"武闘神判(シドレンテ)"本番まで、やれることは全て案内するよ」



 そう、得意げに答えた。

 今ある立場に、少しは誇りを持ってくれたようだと、エリスは脱衣所での会話を思い出しながら安堵する。



「それは頼もしいわね。なら、オゼルトンの美味しいご馳走について、たくさん案内してもらおうかな」

「それは"武闘神判(シドレンテ)"の勝敗に関係ないだろ」

「何言ってんの、大アリよ。美味しいご飯を食べれば元気が出るし、身体も温まる。何より『この味を護らなきゃ!』って、ますます燃えるもの。食べ物には、その土地の歴史と文化、人々の想いが詰まってる。食を通してオゼルトンを知ることで、あたしはより闘志を高めることができるの!」

「はいはい」

「反応薄っ!」

「そんな言い訳しなくても、ちゃんと美味しい料理を用意するから安心してくれ。今夜はばあちゃんが腕によりをかけるって張り切ってた。今ごろ、下ごしらえをしているはずだよ」

「ほんと?! うへへ、楽しみ♡ アクサナ、早く帰ろ!」



 言って、エリスは軽やかな足取りで駆け出す。

「そんな走ると転ぶぞー」というアクサナの声を無視して、雪の上に足跡を残しながら、一目散に家を目指す……と、



「──エリス、おかえりなさい」



 家の外に、クレアが立っていた。エリスの帰りを待っていたのか、嬉しそうに微笑みかけてくる。

 エリスは駆け寄り、眉間に皺を寄せながら答える。



「ただいま。って、外に出て待ってたの? もう、せっかくお風呂で温まったのに意味ないじゃない。寒かったでしょ?」

「いえ、それよりもエリスが心配だったので……大丈夫でしたか? 悲痛な叫び声が何度も聞こえてきました」



 その優しい声に、エリスは……

 思わず目に涙を溜めながら、こくんと頷く。



「うん……熱くて冷たくて、身体が千切れるかと思った……」

「そうですよね、慣れない作法で戸惑いましたよね。よしよし、よく頑張りました」

「うぅ……クレアぁ……」

「ご安心ください。蒸し風呂ではなく、普通にシャワーが浴びられる入浴施設の情報を入手したので、明日からはそちらを利用しましょう。アクサナさんも、理解してくれるはずです」



 うさ耳フードを被った頭を撫でながらクレアが言うが、エリスはふるふると首を横に振る。



「ううん。寒さに強くなるようにって、アクサナが勧めてくれたお風呂だから、明日以降も続ける……あのコの善意は、なんだか無下にできないから」

「エリス……」



 クレアは、胸を打たれたような表情でエリスを見つめ返すと……穏やかに笑い、言う。



「最近のエリスは、少し『お姉さん』ですね」

「お、お姉さん?」

「はい。貴女がアクサナさんの想いを尊重したいのなら、無理には止めません。嫌がるエリスの絶叫を聞くのは心苦しいですが……一方で、少し興奮するのも事実なので」

「はぁ?! どういうこと?!」

「自分でも不思議なのです。可哀想な目に遭っているエリスを想像すると、こう、沸々と(たぎ)るものがあるのですよね……恋というものは、実に奇妙な感情です」

「あんたが重度のヘンタイなだけだと思うけど?!」



 と、エリスが思わず声を上げた、その時。



「こらこら。喧嘩するなら家の中でしろよ。二人揃って、そんなに身体を冷やしたいのか?」



 追い付いたアクサナが、後ろから声をかけた。

 クレアは笑みを保ったまま、それに答える。



「アクサナさんも、おかえりなさい。お風呂、気持ち良かったです。ありがとうございました」

「その様子だと、あんたは全然平気だったみたいだな。さすが特殊部隊。どっかの情けない食いしん坊魔導士とは大違いだ」

「ちょっと、誰のことよソレ!」



 エリスが眉を吊り上げ抗議するが、アクサナは無視して、クレアの背後に目を向ける。

 家の周りの雪を掻き集めたのか、彼の胸の高さにまで積まれた雪の塊が、そこにあった。



「……もしかして、雪掻きしてくれたのか? そんな気を遣わなくていいのに」

「あぁ、すみません。これはお手伝いではなく、個人的に雪を集める必要があっただけです」

「個人的にってなんだよ。雪だるまでも造るとか?」

「惜しいです。実は……この辺りに、()()を造ろうと思いまして」

「ぶふっ!」



 聞いた瞬間、エリスは思わず吹き出す。

 雪像……それは恐らく、クレアが以前口にしていた、『等身大の超リアル・エリス像』のことだろう。



(よりにもよって、人ん家の庭先で造ろうとしているのか、この男は……!!)



 何が何でも、阻止しなければ。

 そんな想いを込め、エリスは声を張り上げる。



「ちょっと! 雪像なんて勝手に造ったら迷惑になるでしょ?! ね、アクサナ!」

「いや? ボクは全然。ばあちゃんも何も言わないと思うけど」

「でもでも、景観的なアレが、ほら……アレじゃない?! とにかく、こいつを信用しちゃダメ! 絶対にご近所さんから白い目で見られるようなモノを造るつもりだから!!」



 それを聞くなり、クレアは悲しげな表情でため息をつく。



「私はただ、この白く美しい雪景色に創作意欲を掻き立てられただけなのですが……エリスにそんな風に思われているとは、とても残念です」

「そんな顔しても、ダメなものはダメっ!」

「しかし、雪像造りは私の夢の一つなのです。ちゃんとデザインを考え、設計図まで起こしてきたのですよ? ほら、こちらに……」

「わーっ! 見せなくていい!!」



 クレアが懐から取り出した紙は、チラッと見えた限りでもやはりエリスのリアルな雪像……それも、かなり露出度が高そうなデザインであることが窺え、エリスは全力で拒否する。



「"武闘神判(シドレンテ)"は四日後なんだから、こんな無駄なことに時間を使うのは得策とは言えないわ! 何より、身体が冷えちゃうし! これじゃあアクサナが蒸し風呂を勧めてくれた意味がないじゃない!」

「でも、試合本番もこの寒さの中で戦うわけですから、身体を慣らすことも大切だと思いますよ?」



 こいつは……ああ言えばこう言う……!!

 という苛立ちを滲ませ、エリスは奥歯を噛み締める。



「とにかくっ! その雪像を造るのだけは反対っ! 断固として!!」

「そんな……どうしても駄目ですか?」

「どうしてもっ!!」

「ふむ……なら、私と勝負しませんか?」



 さらっと持ちかけられた提案に、エリスは「へっ?」と間の抜けた声を上げる。

 クレアは、にこりと微笑んで、



「"武闘神判(シドレンテ)"に向けた演習も兼ねて、私と本気で戦うのです。先に地面へ倒れた方が負け。貴女が勝てば、雪像を造るのは諦めます。私が勝ったら、予定通り雪像を造ります。いかがでしょう?」



 そう、指を立てながら言う。

 エリスは……不敵に笑い、こう返す。



「上等じゃない……この天才魔導士(あたし)に勝負を仕掛けたこと、すぐに後悔させてあげるわ」

「ちょっと、本気でやり合うつもりか?!」



 アクサナが止めようとするが、エリスは聞かない。右手を構え、魔法陣を描く用意をする。

 それを認め、クレアも腰の剣に手を伸ばし……




「そのセリフ……貴女を地面に押し倒してから、そのままお返ししましょう」




 穏やかな笑みに闘志を孕ませながら、低く構えた。




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