6 はみ出し者の色
「──うわぁ、あったかい!」
うさ耳付きのフードを脱ぎながら、エリスが声を上げる。
足を踏み入れた、アクサナの生家。その中は、驚くほどに暖かかった。
ふかふかな毛織物の絨毯。カラフルなキルト生地が敷かれたソファ。そして、天井に煙突を伸ばす薪ストーブ。
まるで、おとぎ話に出てくる森の妖精の家のようだと、エリスは可愛らしい内装をキョロキョロと見回す。
その後ろで、アクサナが得意げに言う。
「アルアビスの家屋とは造りが違うからな。屋根に草が生えていただろ? あれは断熱と自然保護のためにわざと生やしているんだ」
「へぇー。見た目も可愛くて機能的なんて、素敵な家ね」
「ふふん、そうだろう」
実家を褒められたことが素直に嬉しいのか、アクサナは腰に手を当て、胸を反らした。
「あんたらには、こっちの奥の部屋を使ってもらう。適当に荷物を置いてくれ」
居間の奥のドアを開け、アクサナはエリスたちを案内する。
客室として使っているのか、物が少ない部屋にベッドが二つ置かれていた。
ということは、クレアとエリスは自ずと同室に泊まることになるらしい。
そのことについて、アクサナは何も疑問を抱いていないようだ。男女だろうが、仲間同士なのだから問題ないと思っているのだろう。
(……ここは、あえて触れない方がいいな。同室の方が何かと都合がいいし)
そう考えながら、寝室に荷物を置くクレアの横で、エリスも同じことを考えたのか、少し顔を赤らめていた。
クレアはアクサナに向き直り、礼を述べる。
「ありがとうございます。ところで、無事に到着したことをジークベルトさんに報告したいのですが、手紙はどのように出せば良いでしょうか?」
クレアが尋ねると、アクサナは「あぁ」と言って、
「鷹を使えばいい。人の足よりずっと速いぞ」
そう答えた。
クレアは思わず瞬きをし、聞き返す。
「タカ、というのは、鳥類の鷹のことですか?」
「うん。オゼルトンでは、鷹に郵便配達をさせているんだ。麓の街の郵便役所まで届けてくれる。今日中に出せば、明日には王都に届くんじゃないかな」
「なるほど。それはありがたいです。早速準備しますので、書き終えたらお願いします」
「わかった。今、お茶を淹れるから、飲みながら書くといい」
言って、アクサナは祖母のフェドートと共にキッチンで準備を始めた。
──客室に置かれた机を借り、クレアはジークベルトへの報告書を認める。
アクサナに出されたお茶は、柔らかな苦味の中にバニラのような甘い香りが漂う不思議な味がした。
居間にいるエリスの「おいしい!」という声を聞きながら、クレアは手早く報告書を書き終えた。
そうして、手紙を出すべく、アクサナと共に再び外へ出る。
アクサナは腕にグローブを嵌めると、白い雲に覆われた空に向かって、「ピィー」と指笛を吹いた。
すると、
「……ん?」
エリスの鼻が、ひくひくと反応する。
クレアがそれに気付き、「どうしました?」と尋ねると、
「いや、なんかまた、覚えのあるにおいが……」
そう、エリスが言いかけるが……
「バサッ」という羽音に、それは遮られた。
二人が顔を上げると、一羽の鷹が大きな翼を広げ、飛来した。
エリスは思わず「うわぁっ!」としゃがみ込むが、鷹は気に留める様子もなく、グローブを嵌めたアクサナの腕に留まった。
「この脚の筒に文を入れるんだ。大丈夫、暴れたりしないから」
アクサナに促され、クレアは鷹の脚に括り付けられた小さな筒に、報告書の封筒を丸めて入れた。
それを確認すると、アクサナは腕を大きく振るい、鷹を空へ放つ。鷹は翼をはためかせ上昇し、あっという間に森の向こうへと飛んで行った。
「すごい……本当に鷹だったわね」
クレアの背中に隠れながら、エリスが呟く。
アクサナはグローブを外し、鷹の去った方を見上げる。
「今日は山の上もそれほど吹雪いていないし、すぐに帰ってくると思うよ。戻って来たら、筒には郵便役所の受け取り証明書が入っているはずだから、確認したら報酬をやるんだ」
「報酬って?」
「もちろん、肉さ。あいつのお気に入りは、オゼットユキウサギの肉なんだ」
「おぉ……そんなごちそうが待っているなら、きっと仕事を全うしてくれるわね」
「うん。賢くて、頼りになるやつだよ。さぁ、他に急ぎの仕事がなければ、風呂に入らないか? 近くに公衆浴場があるんだ、案内するよ」
「わーい! 二日ぶりのお風呂! 入りたい!!」
アクサナの提案にエリスが両手を上げるが、クレアは冷静に尋ねる。
「公衆浴場ということは、他の客がいる可能性もあるのですよね? このような状況下で我々のような他所者が行って、混乱を生まないでしょうか?」
オゼルトンのコミュニティは狭い。普段見ない顔があれば、すぐに他所者だと気付かれるだろう。
その上、鉢合わせたのが独立推進派の者であれば、どのような反発を招くかわからない。
そんなクレアの懸念に、しかしアクサナは首を振って、
「大丈夫。あんたらが来ることは、既にばあちゃんから近所のみんなに伝達済みだ。出発が決まってすぐ、ボクが手紙を出したからな。それに、反乱を起こそうとしている連中は今、別の場所に集まっているらしい。風呂で鉢合わせることは、まずないよ」
そう説明した。
どうやらアクサナが事前に根回しをしてくれていたらしい。地域性を理解しているからこその対応に、クレアは感謝する。
「何から何までありがとうございます。では、冷えた身体を温めに行きましょう」
「いぇーい! そうこなくっちゃ!」
順調に到着したため、時刻は夕刻前。まだ時間に余裕がある。明日以降の予定については、風呂の後に話し合えば良いだろう。
そう考えながら、クレアは嬉しそうに跳ねるエリスを微笑ましく見つめた。
* * * *
アクサナの案内で、クレアとエリスは湖に沿うようにして歩いた。
程なくして見えて来たのは、木製の大きな建物。一階建てのようだが、横に広く、湖を臨むように建っていた。
「ここが公衆浴場だ。右の入口が女で、左が男。風呂の入り方は中に書いてあるから、読めばわかるはずだ。先に上がったら、ウチへ戻っていていいから」
アクサナに言われ、クレアは頷く。
入口から男女で分かれているため、風呂上がりの待ち合わせは難しそうだ。アクサナの言う通り、身体が冷える前に各々家に戻った方が良いだろう。
「わかりました。ではエリス、ゆっくり温まってきてくださいね」
「うん、クレアもね」
そう言葉を交わし、三人はそれぞれの浴場へと向かった。
──無人の公共施設なのか、受付などは特になく、ドアを開けるといきなり脱衣所に続いていた。
入った瞬間、湿度の高い暖かな空気に包まれる。入浴剤の匂いだろうか、ハーブのような香りがふわりと鼻を掠めた。
エリスが奥へ足を踏み入れると、先客が一人いた。
アクサナの祖母と同じ年くらいの、小柄で色白な、腰の曲がった老婆だった。
老婆はアクサナの顔を見るなり、「やぁや!」と声を上げ近付いて来た。どうやら、知り合いのようだ。
そのまま笑顔で話しかけてくるが、アクサナの祖母の時と同様、エリスには何を言っているのかわからなかった。
アクサナとひとしきり話し終えると、老婆は身支度を整え、脱衣所から出て行った。
愛想笑いを浮かべることしかできなかったエリスに、アクサナは苦笑する。
「今のは、ばあちゃんの友だち。やっぱり、何て言ってるかわからなかったか?」
「うん、まったく。でも、あんたとの再会を喜んでいることはわかったわ」
「まぁ、だいたいそんなところ。『反乱を止めるために帰って来たなんて立派だ』って、褒められちゃったよ。本当は……ただの道案内なんだけどな」
そう自嘲気味に笑うと、アクサナは服を脱ぎ始める。
防寒着と上着を順に脱いでいき、肌着になったところで……エリスは、思わず視線を留めた。
エリスが王都で見かけたオゼルトン出身者は皆、褐色の肌をしていた。
だから、それがオゼルトンの民の特徴なのだと思っていた。
しかし今思えば、アクサナの祖母も、先ほどの老婆も、白い肌をしていた。
そして今、目の前に曝け出されたアクサナの素肌も……雪のように白かった。
「あんたの肌、日焼けだったのね」
エリスは、他意のない口調で、事実をそのまま口にした。
しかしアクサナは、少し身体を強ばらせ……小さく笑いながら、こう答える。
「……うん。オゼルトン人は、みんな元から肌が褐色なんだと思われているけど、違うんだ。山を降り、王都で暮らすことで、雪山にはない強さの日差しを浴び、極端に日焼けしてしまう。だから王都にいると、色の黒いオゼルトン人は目立つ。そして、故郷に帰った後も人目を引く。一度山を降りれば、どこにも交わることもできない"はみ出し者の色"に染まってしまう……まるで、神に見放されたようにね。それが、ボクらなんだ」
それから、アクサナは自分の身体を、きゅっと抱く。
「故郷を離れて三年……ばあちゃんも、知り合いのみんなも、ボクが貴族の家で暮らす立派な騎士になったと思っている。本当は、勘当寸前の落ちこぼれなのにな。変わったのは、この肌の色だけ。『立派だ』って褒められることなんて……何一つないよ」
言って、弱々しく笑う。
自分の立場を、能力を、肌の色を卑下するように。
その言葉に、エリスは考える。
エリスは、王都で見かけるオゼルトン人を"はみ出し者"などと思ったことはなかった。
アルアビスは、様々な国が少しずつ集まって出来た大国だ。だから皆、肌の色も目の色も、髪の色も違う。決してオゼルトン人だけが目立っているわけではない。
しかし、養子として……軍の人的資源として王都に来たアクサナは、"はみ出し者"だと思わされるような扱いを受けてきたのだろう。
それが具体的にどのような仕打ちだったのかはわからない。だが、これまでのアクサナの言動を振り返れば、想像に難くなかった。
彼女は度々、自分を卑下していた。
非才な落ちこぼれだと、将来を悲観していた。
分かり合えるはずないと、辛いスープをエリスたちに食べさせ、試すような真似までした。
『非才な落ちこぼれ』。
『分かり合えないはみ出し者』。
それはきっと、アクサナ自身が思い始めたことではない。
誰かに言われ続けて、そう思い込むようになったのだ。
十歳で故郷を離れ、そのような仕打ちをたった独りで受け続けるのは……どれだけ辛いことだったろう。
「…………」
エリスは、アクサナをじっと見つめ……
「…………えいっ」
アクサナの両頬をむにっと摘み、その悲しい笑みを強制的に消した。
突然のことに、アクサナは驚いて声を上げる。
「いひゃっ、らりすんら!」
「自分のことをそんな風に笑うもんじゃないわ。あんたは立派よ」
「なっ……」
「あんたがおばあちゃんの生活を助けるために養子に出て、慣れない土地で一人頑張ってきたから、あたしたちの案内役に大抜擢されたんでしょ? その結果、反乱が阻止されるんだから、じゅーぶん立派じゃない」
「……そうかな」
「そーよ。あんたがいなかったら、あたしは今ごろ雪を食べて倒れていたかもしれないし、マシュマロ焼いて領民に怒られていたかもしれないし、ウサギに踏み潰されて死んでいたかもしれない。あんたには何度も救われたわ。いてくれて、本当によかった」
そして、アクサナの頬から手を離すと、
「……その肌の色は、あんたが頑張ってきた証拠。誇りに思うべきよ。誰も"はみ出し者"だなんて思っていない。もっと堂々と胸を張っていいの。なんたって、あんたが連れて来たあたしたちが、これからオゼルトンを救うんだからね」
そう、微笑みながら言った。
アクサナは、はっと目を見開き、泣きそうな顔をすると……
それを隠すように、顔を背ける。
「……もう一人はともかく、あんたはなんだか心配なんだよな。飯のことばっかりで、どうにも頼りない」
「ぎくっ」
「……うそ。冗談だ。精霊さまと会話できる天才魔導士なんだろ? 頼りにしてる。手伝えることがあれば何でもするから……どうか、ボクの故郷を護ってくれ」
顔を上げ、真っ直ぐに言うアクサナの瞳は、青く澄んでいる。
エリスは、それをしっかり受け止めると、
「任せなさい。オゼルトンのかき氷と唐辛子と野生動物は、あたしが絶対に護る!」
ぐっ! と拳を握り締め、力強く答えるので。
「……やっぱり、ちょっと心配だな」
アクサナは、呆れたような、安堵したような笑みを浮かべた。
「……さぁ、こんな格好で話していたらどんどん冷えてくる。早いところ風呂に入ろう」
そう仕切り直すように言われ、エリスも「そうね」と支度を始めた。
服を脱ぎ、エリスはアクサナと共に風呂の入り口へと向かう。
他に客はいない。二日ぶりの入浴を思う存分楽しめると、エリスはわくわくした気持ちで扉に手をかけた。
木製の取手を掴むと、横でアクサナが、
「気をつけて。こもってるかもしれないから」
と、忠告するので。
エリスは「なにが?」と言いながら、扉をぐいっと引く……と。
──ぶわっ!!
瞬間、エリスの身体が、高音の蒸気に包まれた。
扉の向こうから、大量の湯気が溢れ出たのだ。
「むわっ! な、なによコレ!?」
新手の魔法を仕掛けられたのではと疑う程の熱気に、エリスは手をパタパタ振る。
「だから言ったじゃん。気をつけてって。ここは……」
アクサナの声を聞きながら、エリスは湯気の向こうに見える風呂の中へ目を凝らす。
そこは、エリスが期待したような浴室ではなく……
熱気と困惑で、エリスが頭の中まで真っ白にしていると、
「風呂は風呂でも──オゼルトン式の、『薬香蒸し風呂』なんだから」
アクサナが、この風呂の正体を、口にした。




