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1 雪山の洗礼




「──ひゃー。明るい時間に見ると、まさに壮観ねぇ」




 翌朝。

 オゼルトンの雪山を見上げ、エリスは感嘆の声を上げた。


 背の高い針葉樹が生い茂り、そこに真っ白な雪がしんしんと降り積もる、すり鉢状の山。

 北の地に広がるこの山すべてが、オゼルトンの領地だ。


 逆に言えば、領地はこの山一帯しかない。

 面積だけで言えば、オゼルトンはアルアビス国内において最も小さな領なのだ。


 領民の居住区は、すり鉢の部分──つまり、山頂の窪んだ土地にある。

 "武闘神判(シドレンテ)"が開催されるのも、その区域内だ。

 どう足掻いても、一旦は山の最高峰まで登り切らねば辿り着けない。だからこそオゼルトンは、国として数百年に渡り他国からの侵入を許さず、独自の文化を築き上げてきたのだ。



「日没までに、中腹にある山小屋へ到達することが今日の目標だ。そうすれば、明日中にはボクの実家に辿り着けるだろう」



 アクサナが荷物を背負い直しながら言う。

 その服装は、王都を発った時とは打って変わって、防寒に特化したものに着替えられていた。

 耳当ての付いた毛皮の帽子に、首元までしっかり覆われた分厚いコート。革製のグローブに、雪が入らないよう隙間なく着込まれたズボンとブーツ。

 アクサナが故郷から持ってきたものなのか、いずれもアルアビスではあまり見ないデザインの刺繍で装飾されている。


 そんなアクサナが、雪山をぽかんと見上げるエリスに向けて、



「……ま、ボクなら一日で実家に帰れちゃうけど、雪山に慣れていないあんたらには難しいだろうから、たっぷり二日かけてゆっくり進んであげるよ。"武闘神判(シドレンテ)"の前にへばられても困るしね」



 なんて挑発気味にいうので、エリスは眉を顰める。



「あたしやクレアがへばるわけないでしょ? なんならあんたより先に実家に着いて、おばあちゃんとお茶でも飲んで待っててあげるわよ」

「いや……そんなふざけたカッコで言われても、全然説得力ないけど」



 と……アクサナは、エリスの装いを上から下までまじまじと眺め、真顔でツッコむ。


 軍部から支給された防寒特化型の魔導士用装備……の上から羽織った、真っ白でふわふわなローブ。

 頭に被ったフードには、うさぎを模した長い耳が付き、エリスが動くたびにぴょこぴょこ揺れている。

 しかも、クレアがエリスの身体を徹底的に測定し、完璧に計算して作ったため、恐ろしいほどに着心地が良い。


 そんな自分の見た目を思い出し、エリスは顔を赤くして反論する。



「こっ、これは……クレアが用意した、特殊部隊特注・対雪山用装備よ! アストライアーの隊士が雪山に向かう時はみんなこれ着るんだから! ねっ、クレア!!」



 という、かなり無理のある言い訳の続きを、原因を作った張本人に振る。

 それを受け、クレアは疑念たっぷりな目を向けるアクサナに、真剣な表情でこう返す。



「えぇ。特殊部隊(アストライアー)は雪の中でも長時間の隠密行動を強いられることがあります。そのため、保温性に優れるだけでなく、周囲の光を反射し雪に同化することが出来るこの純白の生地を採用してます。また、敵に発見されそうになった場合の対策として、動物に擬態できるパーツを取り付けています。機能性と実用性を兼ね備えた、完璧な装備と言えるでしょう。何より、最高に可愛いので、見る者の精神(メンタル)が助かります」



 と……

 くま耳の付いたフードを被ったまま、キリッと言ってのけた。


 最後に本音が漏れたものの、相変わらず立板に水が如く流れる嘘八百に、エリスは自分で話を振っておきながら苦笑いする。

 しかし、アクサナは……



「すげぇ……さすが特殊部隊。装備一つ取っても、ちゃんと理由があるんだな」



 ……と、クレアの言葉を素直に信じ、尊敬の眼差しを向けた。


 あまりに純粋すぎて、いつか悪い人間に騙されるのではないかと心配な気もするが……

 とりあえず『特殊部隊』の名を出せば何でも信じることがわかったので、エリスは何も言わないことにした。



「さぁ、準備も整ったことですし。そろそろ出発しましょう」



 そう仕切り直すように言って、クレアは雪深いオゼルトンの山へと足を踏み出した。






 ──ザク、ザクという、雪を踏みしめる足音。

 それすらも、降りしきる雪に吸い込まれ、消えて行く。

 時折り、木の枝から雪が落ちる音が聞こえるが、それを除けば何も聞こえない。


 白銀の山道は、恐ろしく静かな世界だった。


 中腹までは比較的整備された道が続いているとアクサナが事前に説明したが、数時間も登れば、もはや道とそうでない部分の境目はわからなくなった。

 膝下の高さまで降り積もった雪が、見渡す限り永遠に続いているのだ。



 これが、オゼルトン領。

 その領地の九割が、手付かずの雪山から成る地。



 初めて訪れた者──特に王都のような栄えた街で暮らす者は、文明の介入がない自然の静寂に、恐怖すら覚えるだろう。


 きっとエリスも、寒さと不安で震えているに違いない。

 そんなことを考え、先頭を歩くアクサナは、ニヤリと笑いながらエリスの方を振り向く……が。



 エリスは、震えるどころか、にまにまと幸せそうな笑みを浮かべていた。

 あまつさえ、



「うへへ……ふわふわな雪がこんなにいっぱい……おいしそう……」



 ……などと涎を垂らしながら、うわ言のように呟いている。

 アクサナはぎょっとし、思わず足を止めて、



「あんた……寒さで頭がおかしくなったのか?」



 そう、本気のトーンで投げかけた。

 しかしエリスは、やはり夢見心地な表情で笑って、



「えぇ? 至って正常だけど」

「とてもそうは見えないんだが……」

「それよりアクサナ、そろそろ休憩しない?」

「休憩?」

「そう。序盤から飛ばしすぎても、後がもたないでしょ?」



 確かに、ここまでは順調なペースで登ることができていた。休息を挟むにはちょうど良いタイミングかもしれない。

 アクサナは念のため、クレアに伺うような視線を向ける。それに彼は、にこりと微笑み、



「そうですね。時間的にもそろそろお昼時です。この辺りで、少し休憩しましょう」



 そう賛同するので、アクサナも納得し、頷く。



「わかった。それじゃあ、軽食を摂ることにしよう。出発前にも確認したけど、携帯食料は持ってきているよな?」

「もっちろん! ここにっ!!」



 バッ!!

 と、エリスはふわもこな装備のポケットから何かを取り出し、頭上に掲げる。

 手の中のそれは、雪の白さを反射するようにキラリと光っていた。


 やはり妙なテンションであるエリスを、アクサナはジトッとした目で見つめる。



「…………なんだよ、ソレ」

「ハチミツよ! それも、超希少でめちゃウマなハチミツ!!」

「は、はちみつ?」

「そっ! これを雪にかけて、かき氷みたいに食べるのが夢だったの♡ シルフィーってば、ちょうど良い瓶をくれたわ。持ち運ぶのにめちゃ便利!」



 そう。それは、シルフィーから誕生日プレゼントに贈られた香水瓶だった。

 薄紅色の華奢なガラス容器の中で、琥珀色の液体がとろりと揺れる。言わずもがな、高級ハチミツ"琥珀の雫(アンブル・ラムル)"である。



「これだけ綺麗な雪があれば食べ放題ね……ぐふふ。さぁて、どの辺りから食べようかなぁ♡」



 右手にスプーンを、左手に"琥珀の雫(アンブル・ラムル)"を持ちながら、エリスは呼吸を荒らげる。

 が、しかし、



「だめだ。雪を食べることは許さない」



 アクサナが、スパッとした口調でエリスを止めた。

 瞬間、エリスはバッと振り返る。



「はぁ?! なんでよ!!」

「身体を冷やすからに決まっているだろ。雪山で雪を食べるなんて、バカのすることだ」

「ばっ、バカぁ?!」



 エリスは、助けを求めるようにクレアの方を見る。

 しかし、クレアは困ったように笑って、



「摂取した雪を水に換える過程で、熱と体力が奪われるのは事実です。雪を食べるということは、水分補給しているように見えて、かえって喉が渇く行為なのですよ」

「そ、そんなぁ……」

「すみません。貴女がハチミツを用意していることに気付いていれば、事前に止められたのですが……期待していただけに、がっかりしてしまいましたよね」

「うぅ……クレアは悪くないけど……そっかぁ、本当にダメなのかぁ」



 目に涙を浮かべながら、しょんぼり肩を落とすエリス。心なしか、フードのうさ耳までもがしゅんとうなだれているように見える。

 が、すぐにパッと顔を上げて、



「なら、マシュマロを焼きましょ! それなら身体も温まるし、文句ないでしょ?!」



 そう、代替案を提示するが……

 アクサナは、それにも首を振り、



「だめだ。この区域は火気厳禁だ」

「んなぁっ?!」

「火事にでもなったら大変だからな。第一、火なんてどうやって起こすつもりだ?」

「そっ、それは……」



 エリスは口ごもり、周囲の()()()を今一度探るが……

 焔の精霊・フロルの気配は、全くと言っていい程になかった。


 フロルだけではない。この雪山に足を踏み入れてからというものの、暖気の精霊・ウォルフにも出会っていない。

 電気(エドラ)(アグノラ)を使えば火花くらいは起こせるかもしれないが、それにしても数が少ない。

 ()にも(かく)にも、冷気(キューレ)(ヘラ)樹木(ユグノ)大地(オドゥドア)ばかりが漂っている。精霊の分布は、基本的には周囲の環境に依存するので、当然と言えば当然。エリスも予想はしていた。


 こういう時に役立つのが、チェロが発明した『精霊封じの小瓶』なのだが……

 (フロル)を閉じ込めて持ち出すという選択肢は、エリスの頭には初めからなかった。



 ……という諸々を想定し、クレアは火起こしの準備をしていたわけだが。



「一応、火打ち石とナイフを持参しているので、火を起こすことは可能ですが……そもそも火気厳禁なのであれば、焼きマシュマロも断念せざるを得ませんね」



 というわけだった。

 クレアにまでこう言われては、エリスも諦めるしかない。心底がっかりした顔で、がくんとうなだれる。


 その余りの落ち込み様に、アクサナは罪悪感を覚え、慌ててリュックを下ろす。



「な、何も食うなとは言っていないんだから、そんな落ち込むなよ。ボクが用意したスープがある。それでも飲め。って……あれ、どこいったかな」



 言いながら、大きなリュックの中をしばらくガサゴソと探し……



「あぁ、あったあった。ほら、これを……って、そんなところで何してんだよ?」



 水筒を取り出し、顔を上げたアクサナの視線の先……山道から外れた木々の間に、エリスのうさ耳を見つけ、声をかける。



「おーい、早くしないと冷めるぞー。いじけてないで、早く戻ってこーい」

「……あんた、誰と話してんの?」



 ……という声が背後からし、アクサナは振り返る。と、



「あたしなら、さっきからずっとここにいるけど……」



 きょとん、とした顔のエリスが、確かにそこに立っていた。



「…………ってことは、あの耳は……」



 ガクガクと震えながら、再び視線を戻すアクサナ。

 エリスとクレアは首を傾げ、「耳?」とそちらに目を向けると……



 ──のそっ、のそっ。



 という、重々しい動きと共に。





 木々の間から、二足歩行の巨大なウサギが、姿を現した。





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