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9 無垢ないたずら

 



 馬車はジブレール領を縦断し、順調にオゼルトン領へと近付いていく。

 それに比例し、気温がみるみる下がっていくのを、エリスは肌で感じていた。



「なんだかひんやりしてきたわね……空気の匂いも冷たくなってきた」



 そう言って、エリスは馬車の外に目を向け、鼻をすんすん鳴らす。

 空気を取り込んだ肺が、しんと冷たい匂いで満たされた。



「夕方にはオゼルトンの麓に到着する予定です。その辺りはもう雪が降っているはずなので、今夜も温かいものを食べましょう」

「わーいっ! 今日は一緒に食べるわよね、アクサナ?」



 クレアの言葉を聞き、エリスはアクサナへ投げかける。

 するとアクサナは、ふいっと目を逸らし、



「……まぁ、オゼルトンに近い地域の食事ならまだ食べやすいから……今日は同行してもいいよ」



 と、照れくさそうに答えるので、エリスはにんまりと微笑む。



「そうこなくっちゃ。アクサナの食べたいものでいいわよ。何がいい?」



 アクサナは、暫し考えるように宙を仰ぐと……

 遠慮がちに、口を開く。



「……それじゃあ──」





 * * * *





「──へぇ。これがあんたの言ってた『スウェレタス』?」



 日暮れ過ぎ。

 三人は予定通り、オゼルトン領に程近い街に宿を取った。

 オゼルトンの山の全貌は闇夜に包まれ見えないが、ちらちらと舞う雪が、いよいよ最北の領に近付いたことを物語っている。


 そんな寒い街で訪れた、オゼルトン料理の専門店。

 目の前に置かれた料理を眺めるエリスに、アクサナが答える。



「『スウェレタ・ッサュ』だ。オゼルトンの家庭料理。身体がよく温まる」

「ふーん。これがあんたの好物なんだ」



 言いながら、エリスはその料理をまじまじと観察する。

 木製のボウルに盛られたそれは、スープ粥のようだった。よく煮込まれた豆と米、香り高い香草、そして柔らかそうな骨付きの鶏肉が、澄んだ色のスープに浸されている。



「風邪を引いた時にもいいんだ。よく、ばあちゃんが作ってくれた」

「思い出の味、ってわけね。香りもいいし、美味しそう! 早く食べよ!」



 エリスは待ち切れない様子で、隣に座るクレアと共に手を合わせると、「いただきます」と言って、スプーンを浸した。

 まずは、スープから。鶏の脂がキラキラと光る、半透明の液体……それをスプーンに取ると、エリスはぱくりと頬張った。


 瞬間、



「…………かっっらぁああい!?」



 口を押さえながら、絶叫した。



「なにこれ辛い辛い辛い! 水っ、水ぅーっ!!」



 グラスの水をがぶ飲みするエリスに、アクサナはケラケラと笑い出す。



「あっはは、やっぱり騙された! スープの色は白だけど、唐辛子のエキスがたっぷり入っているんだよ」

「くぅっ……このイタズラ娘が……っ」



 口元を拭い、悔しげに言うエリス。

 アクサナは楽しそうに笑いながら、同じくスープを口にしたクレアの方を見る。



「あんたもびっくりしただろ? いくら特殊部隊の隊士でも、この辛さには敵わないよな?」



 エリス同様、辛さに打ちのめされているに違いないと、クレアに投げかける……が、



「いえ、これくらいの辛さならどうということはありません。むしろ鶏肉の出汁が濃厚で、とても美味しいですよ」



 と、涼しい顔をしてスープをぱくぱく口に運ぶので……

 アクサナは、衝撃を受ける。



「さ、さすがは特殊部隊……辛さにまで強いなんて……!」

「いや、こいつの場合は超個人的な理由で耐性がついているだけだから」



 アクサナの向かいで、冷静にツッコむエリス。

 そんな彼女を、クレアは心配そうに見つめる。



「大丈夫ですか、エリス? 辛すぎて完食できそうにないなら私が代わりに食べるので、別の料理を注文しても……」

「だいじょぶよ。予想外の辛さにびっくりしただけ。食べられないことはないわ」



 そう答えると、エリスは見た目に反した辛さのスープを、再び啜ってみる。



「……うん。王都のあの店のスープに比べれば全然辛くない。口が慣れればすっごく美味しいわ」

「鶏肉もほろっとしていて絶品ですよ。この香草の香りもクセになります」

「甘味のある豆も良いアクセントになっているわね。シンプルだけど、素材の味がよく生きている……これがオゼルトンの家庭料理かぁ。これはアクサナの実家に行くのがますます楽しみになったわ」



 言って、夢中で食べ進めるエリスとクレア。

 それを、アクサナはぽかんと眺め……



「……理解されないと思ったのに」



 と、二人の食欲と適応能力の高さに、呆気に取られるのだった。





 * * * *





「それじゃ、おやすみー」



 宿に帰り着き、エリスとクレアはアクサナと別れる。

 アクサナは小さく「おやすみ」と返すと、自分の部屋に入って行った。



「……今日一日で、だいぶ心を開いてくれたようですね」



 アクサナが去ったことを確認してから、クレアが声をひそめて言う。

 それに、エリスは苦笑いをして、



「そうね。正規軍の悪口に、辛いスープのイタズラ……年相応の顔を見せ始めた感じがするわ」

「この調子で仲を縮めていけば、彼女のおばあさまの料理も心置きなく食べられるでしょう」

「うんうんっ♡ って、それもぜんぶ激辛料理だったりして……」

「その可能性は……無きにしも非ず、ですね」



 そう答え、クレアも困ったように笑う。


 軍の上層部が用意した同行者として、アクサナの動きには常に警戒をしているが……今のところ、気になる言動は見られない。

 むしろ、観察すればする程、彼女が素人同然であることが浮き彫りになるようだった。

 動きは隙だらけ。言動も幼い。オゼルトンへの道案内以上の役目を上層部から指示されているようには到底思えない。

 だからこそクレアは、それがかえって何かの罠なのではないかと勘繰ってしまうのだが……


(……さすがに、考え過ぎだろうか?)


 いずれにせよ、距離を縮めておけば、思わぬところでボロを出すかもしれない。

 エリスがオゼルトンの家庭料理を存分に堪能するためにも、親密になるに越したことはないだろう。



 そんなことを考えるクレアを、エリスは見上げて、



「ところで……さっきのアレは、演技じゃなく本気だったの?」



 そう問いかけるので、クレアは「アレ?」と聞き返す。



「スープの話よ。あれは本当に辛くなかったの?」

「あぁ、本当です。散々鍛えたお陰か、あれくらいの辛さでは物足りないとさえ思うようになりました」

「げ……あれもまぁまぁ辛かったのに。あんた、どんどんおかしな方向に成長していってるんじゃない? 辛さ耐性然り、裁縫スキル然り」

「ふふ。ありがとうございます」

「いや、ぜんぜん褒めてないけど」

「だって、貴女のために向上させたスキルですから。成長しているのであれば、この上なく嬉しいですよ」

「……あっそ」

「『成長』といえば……エリスもまた育っていましたね、いろいろと」

「は? なんの話?」

「昨日の"測定"の話ですよ。身長、腕の長さ、脚の長さ。そして、バストにヒップ……まだまだ成長期ですね。数値を思い出すだけで興奮します」

「ばっ……何言って……!」

「抑え切れず、ついディープな"測定"にまで及んでしまいましたが……壁の薄い宿では、声に気を付けなければなりませんね。危うくアクサナさんにバレるところでした」

「だからっ、それ以上思い出させるようなこと言わないで!」

「今夜はこれから、昨日いただいた数値を元にローブを仕上げなければならないので、残念ながら"測定"はなしです。ご期待に添えず申し訳ありません」

「誰も期待してないけど?!」

「でも、夜這いはいつでも大歓迎ですからね?」

「するか! 明日から雪山登山なんだから、大人しく寝るわよ!!」



 止まらないクレアの口撃に、息を荒らげツッコむエリス。

 それから、「はぁ」とため息をついて、



「もう……ふざけたことばっか言ってないで、あんたも早く寝なさいよ? 大会に出る前に雪山で倒れたら、元も子もないんだから」

「えぇ。"武闘神判(シドレンテ)"開催まで、残り五日……順調に進んでも、オゼルトンの中心部に辿り着くには二日かかります。予定を遅らせるわけにはいかないので、気を引き締めて登らなければなりませんね」

「ってことは、現地での準備期間は最長でも三日間……まじで余裕ないじゃない。遭難なんてしようものなら、何もかもおしまいね」

「そのためのうさ耳・くま耳ローブです。いざとなれば、互いの耳が目印になりますから。吹雪いても安心ですよ」

「……それ、ぜったい後付けよね?」

「いえいえ。計算の内です」



 キリッ、とした表情で言い切るクレア。

 この男は、何が何でもお手製のうさ耳ローブを着させるつもりらしいと、エリスは呆れたように目を細める。

 そして、その細めた目を廊下の窓の外に向け、



「……どうか、そんなふざけた格好で登って、山の神さまに怒られませんように」



 そう、暗闇の向こうにあるであろうオゼルトンの山に、祈りを捧げるのだった。




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