7 雪国でやりたい四つのこと
「はぁ……おいしかったぁ♡」
店を出たエリスが、満足げに腹をさする。
その横を歩くクレアも、温まった腹に手を当て微笑んだ。
「美味しかったですね。野生動物の肉、ハマってしまいそうです」
「うんうんっ。なんだか力が漲った気がするわ。今ならオゼルトンの山もひょいひょいっと登れそう」
「実際、家畜の肉よりも栄養価が高いらしいですからね。気のせいではないかもしれませんよ」
「おぉ、そうなんだ。オゼルトンでも食べられるってアクサナが言ってたし、ますます楽しみ!」
にこにこと笑い、軽い足取りで宿へ向かうエリス。
先ほど思い詰めたような顔をしていたことを、クレアは心配していたのだが……ひとまず夕食には満足してくれたようだと、少し安心する。
さて。任務初日は、順調に終わりそうだ。
あとは、今後についてエリスと打ち合わせをするのみ。
そんなことを考えながら宿に帰りつき、クレアはエリスと共に二階の宿泊部屋へ戻る。
アクサナの部屋の気配を探るが、動きはない。どうやら眠っているようだ。
三人が借りた部屋は、横並びに配置されている。
念のため、クレアはアクサナの部屋から二つ離れた自分の部屋にエリスを招き入れ、静かに鍵を閉めた。
「……では。少しだけ、仕事の話をしましょうか」
エリスを柔らかなベッドに座らせ、クレアは備え付けの丸椅子に腰掛けながら、話を切り出す。
「まず、今日得られた情報の整理からです。"武闘神判"が最後に催されたのは三十年前、アルアビスに併合を決めた時。事前の調べで、現領主のガルャーナは二十三歳であることがわかっているので、今回が初めての"武闘神判"になるはずです」
「ってことは、領主が使うハンマーが本当に"禁呪の武器"だった場合、手にした瞬間に狂戦士化する可能性もある、ってことよね?」
「仰る通りです。メディアルナさんのように幼少期からそれに触れていれば、呪いにかかることなく使えるのでしょうが……領主にその耐性があるのかは、わからないのが現状です」
クレアは、前回の任務の最後にレナードから聞かされた話を思い出す。
"禁呪の武器"が持つ、狂戦士化の呪い……
それは、使用者の心にある悪意を増幅することで、常人離れした力を発揮させるというもの。
しかし、悪意を知らない幼少期に"禁呪の武器"に触れた場合、悪意の素となる感情を"武器"に吸い取られてしまうため、呪いが発動しなくなるのだ。
だから、幼い頃から『竜殺ノ魔笛』に触れていたメディアルナは、その呪いを受けることなく笛を奏でることができた。
同じくクレアも、『天穿ツ雷弓』らしきものの運び屋をさせられたことから、呪いに対する耐性を得た。
オゼルトンの領主も同じように幼少期から触れていれば、正気を保ったままでいられるのだろうが……
今回の"武闘神判"で初めてハンマーを握るのであれば、狂戦士化した状態の領主と戦うことになる。
領主の実力の程は定かでないが、狂戦士化すれば、なりふり構わない戦い方をすることは想像に難くない。
武器の力を悪用する者なら容赦なく斬り捨てるのだが、あくまで『大会』という公の場であり、相手は領主だ。殺すわけにはいかないからこそ、より面倒な戦いを強いられることになるだろう。
「……今の領主が二十三歳ってことは、その前の領主からかなり早く世代交代したってことよね? 先代はどうなったの?」
エリスの質問に、クレアは脳内に情報を広げながら答える。
「先代は、現領主・ガルャーナの父親が務めていたのですが、七年前に亡くなっています」
「原因は?」
「病死とされていますが、詳細は公表されていません。その前の代の領主も、四十代で他界しています。もしかすると、『地烈ノ大槌』に徐々に精神を蝕まれたことが原因かもしれません」
「……ディアナのお母さんと同じね」
「現領主も、このままでは同じ道を辿る可能性があります。それを止めるためにも、我々は"武闘神判"で勝利しなければなりません」
エリスが真面目な面持ちで頷いた後、クレアはさらに続ける。
「それと、懸念すべきことがもう一つ。アクサナさんについてです」
「あ、あのコに関する、懸念?」
「はい。ただの杞憂ならいいのですが、軍の上層部が急遽同行を命じたのが気にかかります。案内役だけでなく、我々の動向を探ることを任されているかもしれません」
「それって、あたしたちが上層部を疑っていることがバレてる、ってこと?」
「可能性はあります。何せ前回の任務では、『「笛」の力を保持したまま回収せよ』という指令を完全に無視し、力を解放した上、一般人であるメディアルナさんの元に残すという暴挙に出てしまいましたから」
「う゛っ」
言葉を詰まらせるエリスに、クレアは苦笑する。
「あの件については、あれが最善の解決方法でしたし、上層部も一応は納得はしています。ですが、我々に対する不信感が募っていてもおかしくはありません。何故なら、この世で最も"禁呪の武器"の扱いに長けているのは私と貴女なので……それこそ、我々が"武器"を私物化して謀叛を起こそうとしていないか、心配になるのも無理はないでしょう」
「まぁ、実際上層部のやり方には疑問を持っているしね」
「我々の腹の内を探るため、あえて若い訓練生を寄越したのかもしれません。生い立ちも同情を誘うものですし、少なくともレナードさんのような人よりは気を許しやすいでしょう?」
そう言われ、エリスは再び「むぐっ」と言葉を詰まらせる。
「……確かに、アクサナの生い立ちと、おばあちゃんの料理の誘惑にまんまと心を許しかけていたわ……って、もしかしてアレ、ぜんぶ作り話だったとか?」
「いいえ、実話でしょう。実際、オゼルトンの孤児が養子として引き取られ、軍人になるべく育てられるのは、珍しくない話です」
「……そうなの?」
やはり、知らなかったのか。
そう思いながら、クレアは重々しく頷く。
「……三十年前、オゼルトンでは感染症の流行により孤児が増えました。しかし当時のオゼルトンは、子どもたちを養育する財力すら持ち合わせていなかった。そこでアルアビスは、併合の際、オゼルトンの孤児を"中央"の人的資源として引き取る、という協定を提示したのです」
「……それって、『育ててやる代わりに好きに使わせてもらうぜ』、ってことよね?」
「その通りです。当時のオゼルトンがその申し出を断れない状況にあったからこそ、そのような話を持ちかけたのです」
「子どもたちが飢え死にするよりはいいのかもしれないけど……なんだか嫌な感じのする話ね」
「善意だけでは国は運営できませんからね。この国はそうやって他国を取り込み、人材と知識を集め、高い軍事力と魔法技術を保持することで平和を築いてきたのです」
……そう。
この国は、多くの"見えない犠牲"を踏み固め、創られてきた。
とりわけ、身寄りのない子どもたちは、替えの利く道具として扱われがちだ。
……自分がそうだったように。
「普通に生活をしている分には気付かないかもしれませんが……アルアビスとオゼルトンが抱える問題は、想像以上に根が深いのです」
何かを思い出すように言うクレアを、エリスはじっと見つめ……ふっと息を吐く。
「要するに、上層部の目やオゼルトンとの関係性を考えると、今回の任務は今まで以上に慎重な言動を心がける必要がある。そういうことよね?」
「そうです。本当なら、貴女には楽しいことだけを考えていただきたいのですが……すみません」
「何言ってんのよ。いちおうあたしは、その……公私共に、あんたの相棒なんだから。重い話も一緒に背負うのが当たり前でしょ? もう子どもじゃないんだしね」
照れながら言うエリスの言葉に、クレアは胸がぎゅっと締め付けられる。
公私共に相棒だと、そんな風に思ってくれていることは堪らなく嬉しい。
しかし一方で、やはり彼女には不要な重荷は背負わせたくないと、そう思ってしまう。
だからクレアは……そんな複雑な感情を抱きながら、こう返す。
「ありがとうございます。そうですね……エリスはもう子どもじゃありません。私が大人にしたのでした」
「ちょっ、変な言い方しないでよ!」
「同年代の少女が知らないようなコト、たくさん知っていますもんね? アレとかコレとかソレとか……」
「わぁああっ! 変なジェスチャーやめて!」
「次にシルフィーさんとお食事する時は、ぜひその辺りの話も詳しく惚気てさしあげてください。きっと驚かれますよ?」
「誰が言うか! もうっ、せっかく真面目な話してたのに! 結局あんたのヘンタイ話で終わっちゃったじゃない!」
顔を真っ赤にし、眉を吊り上げるエリス。
クレアは「あはは」と笑い、弁明する。
「すみません、冗談です。貴女の気持ちが嬉しくて、つい照れ隠しをしてしまいました」
「何が照れ隠しよ。半分以上本気なクセに」
「ふふ。それはどうでしょうね」
「まったく……ケンタイキで落ち着いたのかと思ったけど、やっぱりヘンタイのままだったわ」
……と、独り言のように呟かれたエリスのセリフに、
「……倦怠期?」
すかさず、クレアが喰らい付く。
エリスはハッとし、慌てて手を振る。
「あ、いや、えぇと……ほら、あたしたちも付き合ってだいぶ経つし、そろそろ気持ちが落ち着いてくる頃かな、なんて……」
「……誰から聞いたのですか? その情報」
「し、シルフィーだけど……」
「……それで? 貴女は、倦怠期だから私の気持ちが落ち着き始めていると、そう思っていたのですか?」
「う……だって、実際そうじゃない! アクサナとご飯はんぶんこしても何も言わなかったし、宿の部屋も一緒にしようとして……いくら十三歳とはいえ、男の子相手にそこまで許容するなんて、クレアってば落ち着いたんだなぁって思ったの!」
と、エリスは胸の内のもやもやを全て吐き出すように言い放った。
それを聞き、クレアは……
先ほど、エリスに元気がなかった理由にすべて合点がいき、
「……なるほど」
呟く。
そして、ベッドに座るエリスの隣に腰を下ろし……
静かな声音で、こう切り出した。
「……エリス。落ち着いて聞いてください」
「なっ、なによ」
「アクサナさんは………………女性ですよ」
──瞬間。
「…………!!」
エリスの脳天に、衝撃が走る。
「…………へ? お、おんな?」
「そうです。見た目と一人称のせいで、少年であると思い込んでいたのですね。なるほどなるほど。それであのような反応を……」
「ま、待って! え? あんたも今日初めて会ったのよね? なんで女の子だって知ってんの?」
「そんなものは、体つきを見ればわかります」
「体つき…………って、ヘンタイ!」
「違いますよ。厳密に言えば『骨格』です。仕事柄、敵の変装を見抜くための"目"が鍛えられているだけです」
「そ、そんな……じゃあ本当に、女の子なの?」
「えぇ。正規軍にいる女性は、彼女のように中性的な見た目をしている方が多くいます。珍しいことではないですよ」
エリスは、口を開け呆然とする。
言われてみれば、声の感じや、ふとした仕草が女の子っぽかったような気がしてくるが……
自分自身、前回の任務で散々男装させられていたのに、まったく見抜くことができなかった。
ショックを受けるエリスに、クレアは言い聞かせるように続ける。
「私が異性とのはんぶんこや同室を認めるわけがないでしょう? 本当は同性であっても心配なのですよ? 貴女は女性からもモテる素質があるのですから」
「う……」
「それでも、今日のところはアクサナさんに警戒心を抱いていないことを示すべきだと考え、貴女との同室を勧めたのです。見たところ、私と貴女が恋人であることを知らないようですから」
「……なるほど」
「というか、『異性だと思っていながらハンバーグをはんぶんこした』という事実の方が、私的には衝撃なのですが。私はてっきり、同性だと気付いているからこそ、あれだけ心を許しているのだと思っていました。それについては、どう説明するおつもりですか?」
「そっ、それは……」
「……エリス」
──とさっ。
泳がせたエリスの目は、次の瞬間、天井を向いていた。
クレアに、押し倒されたのだ。
クレアは、怖いくらいに真剣な瞳で、エリスを見つめ、
「貴女は……誰のものですか?」
そう、問い質す。
「え、えっと……」
「誰のものですか?」
「………………クレア、です」
「そうです。なら、年下だろうが何だろうが、他の男に気安くはんぶんこなどしないでいただきたい。それはもう浮気と同義ですよ?」
「そうなの?!」
「当たり前でしょう。そもそも食事をシェアするということは、間接的に唾液を交換し合うことになるわけですから。それ即ちディープキスじゃないですか」
「そうかな?!」
「というか、私が他の女性と食事をはんぶんこしているところを想像してみてくださいよ。何とも思いませんか?」
「それは…………嫌だけど」
「でしょう? そういうことです」
「……わかりました。以後、気をつけます」
逃げ場のない尋問に、エリスは大人しく降伏する。
それにクレアは満足げに頷くと……
くすっと、小さく笑って、
「私が倦怠期になって、嫉妬してくれなくなったのかもって、心配になったのですか?」
なんて、揶揄うように尋ねるので。
「べっ……別に、そういうわけじゃ……!」
エリスは、顔を火照らせながら、目を逸らす。
そんな彼女の顎を、クレアは右手で掴むと……
視線を無理矢理、自分の方へと向けさせながら。
低い声で、囁く。
「心配しなくても、貴女には倦怠期なんて一生経験させてあげませんよ。貴女に出会って三年、落ち着くどころか、想いがより強くなっているのですから……私の愛から、逃れられると思わないでくださいね?」
口元に笑みを浮かべているはずなのに、その瞳は少しも笑っていなくて……
エリスは、捕食者に捕らえられた小動物のように震える。
しかし、その束縛が、妙に心地良い気もして……
言語化できない複雑な感情に涙を浮かべながら、エリスは「ひゃい……」と、小さく答えた。
ぷるぷる震えるエリスの頬を、クレアはそっと撫でる。
「私の想いを余すことなく伝えているつもりでしたが、まだ貴女を不安にさせてしまうとは……これは私の落ち度です。もう一度、しっかりとわからせなくてはなりませんね」
「へっ?! いや、大丈夫! あんたの気持ちはもうじゅうぶん伝わってる!」
「いいえ、伝わっていないからこそ『倦怠期』などという言葉に惑わされるのです。私が如何に貴女のことしか考えていないか、今から教えて差し上げます」
言って、クレアは組み敷いたエリスの手をぎゅっと握る。
その温もりと力強さに、否が応でも鼓動が加速する。
宿屋の、狭いベッドの上。
目の前には、熱を持ったクレアの瞳。
もう何度もこんな状況に陥っているというのに、いまだに胸が高鳴るのは、エリスも『ケンタイキ』とは縁遠い想いを抱えているからなのだろう。
「さぁ、エリス……」
次にクレアが何と言うのか。
エリスにはもう、わかっていた。
だから、すうっと息を吸って、彼の言葉を迎える準備をする。
クレアの唇が、柔らかな笑みを浮かべ……
囁くように、その言葉を、紡ぎ出した。
「服を、すべて脱いで………………隅から隅まで、測らせてください」
「断る!!!!」
ほらね、やっぱり。
エリスは肺に溜めていた息を吐き出し、フルボリュームで拒絶した。
「あんたはもう、何回それやったら気が済むわけ?! こないだもあたしが寝ている間に勝手に測ってたでしょ?!」
「何度測っても測り足りないくらい貴女に夢中なのに、それでもまだ伝わっていないのなら、やはり測るしかないじゃないですか」
「なんなのよその理論!! こんなん何回されたって狂気しか伝わってこないけど?!」
「私には、今回の任務で達成したい四つの目標があります」
「今度はなによ藪から棒に!?」
「一つ目は、全ての問題を解決し、あのスープ屋の主人が作る極辛スープを食べ切って、エリスに『カッコいい』と言ってもらうこと。二つ目は、雪で等身大の超リアル・エリス像を造ること。三つ目は、『寒い時は肌と肌で温め合うと良い』という俗説を、エリスと共に検証すること」
「ほとんど任務と関係ないやつ!! ていうか等身大の雪像とか絶対イヤなんだけど! 温め合いもさせないからね?!」
「そして、最後の一つは…………この、可愛いもふもふ防寒着を、エリスに着てもらうことです」
最後に挙げた目標に、エリスが「は……?」と眉を顰めると……
クレアは、どこからか白い布の塊を取り出し、広げる。
「…………ナニソレ」
「私が作った、エリス専用の防寒着です」
「わたしが、つくった?!」
「はい。オゼルトン行きが決まった日に、即制作を開始しました。内側に羽毛と羊毛を入れていますので、軽くて温かいですよ。表面には水を弾く革素材を使っています。そして、一番のポイントが……この、フードにつけた"うさ耳"です。ふわふわしていて可愛いでしょう?」
と……
自身が作ったと言う、ふわもこな"うさ耳ローブ"を嬉しそうに掲げる。
さらに、それとは別のローブを取り出し、広げてみせる。
「お揃いで、私のも作りました。こちらは"くま耳"です」
「お、おう……」
「ということで。最後のボタンの部分を取り付けるのに貴女の最新の測定値が必要なのです。測らせてください」
「って、結局そうなるの?!」
「そうですよ。何のために説明したと思っているのですか。さぁ、脱いでください」
「防寒着のための採寸なら別に脱がなくてもできるでしょ?!」
「駄目です。いい加減な数値では着心地に影響します。エリスが着るものに妥協などできるはずがないでしょう?」
「絶対うそ! ただ測りたいだけに決まってる!!」
「ふふふ。ほら、いい子だから脱ぎ脱ぎしましょうねー」
「って、笑って誤魔化すな! ちょ、どこ触って……にぁああああっ!!」
……という、エリスの断末魔と共に。
任務初日の夜は、騒がしく幕を閉じたのだった……




