1 嵐の行き先
──ルビーのような瞳が、一層赤く輝く。
今、エリスが見つめているのは、焔だ。
精霊・フロルによって齎された、魔法の焔。
それが、何もない空間にゆらゆらと浮かびながら、静かに燃えている。
エリスは、自らが生み出したその焔に……
串に刺したマシュマロを、そっと近付けた。
クルクルと何度か回すと、徐々に表面が黒く焦げ付く。
真っ黒になる前に炙るのをやめ、ふうふうと息を吹きかけ冷ますと……
小さく「いただきます」と呟いてから。
ぱくっと、マシュマロを口に放り込んだ。
瞬間、
「──んんんんんんまぁああいっ♡」
焔を吹き飛ばす勢いで、歓喜の叫びを炸裂させた。
「ふぁあ……表面カリカリで中トロットロ……砂糖が溶けて甘味も増してる……ちょっと炙っただけでこんなに違うなんて、もう普通にマシュマロ食べられないかも……あ、でもそのまま食べてもおいしい♡」
と、焼く前の素マシュマロを幸せそうに頬張るエリス。
その様子を、隣に座るクレアは微笑ましく見つめる。
「ご満足いただけたようで何よりです。お昼前のこの時間は、小腹が空きますからね」
「うんっ! クレアがおやつ用意してくれて助かったよ。しかも焼くための串まで持ってきてくれるなんて……ちょっとしたキャンプ気分も味わえるし、退屈しなくていいね」
「前回もかなり待たされましたからね。あの時の反省を踏まえ、時間を有効活用できればとご用意しました」
「さっすがクレア! できる男!!」
「ふふ。惚れ直しましたか?」
「うんうんっ! 惚れた惚れた! 一万点あげる!!」
「ありがとうございます」
と、クレアに謎の点数が加算された──直後。
「……そこで何をしている?」
二人の背後から、声がする。
振り返ると、そこにいたのは……背の高い男だった。
オールバックに撫で付けられたロマンスグレーの短髪。
同色の眉は常に皺が寄り、厳格な雰囲気を醸し出している。
その髪色と険しい表情から実年齢よりも上に見られがちだが、まだ三十代半ばである。
彼の名は、ジークベルト・クライツァ。
特殊部隊『アストライアー』の隊長──つまり、クレアの上司である。
エリスにとっても上長と言える存在であるが、彼女は口を尖らせると、
「もうっ、遅いよ隊長! お腹空いたから、お昼前におやつ食べちゃったじゃない!」
まるで友人に投げかけるような口調で、文句を言った。
ジークベルトも、彼女の性格には慣れっこだった。このような態度を取られたところで、今さら嫌な顔をしたりはしない。
しかし今、彼の顔は、これ以上ない程にヒクヒクと引き攣っていた。
何故なら……
「待たせたのは悪かった。しかし…………ここは、軍部庁舎の会議室の中だ。火気を用いた調理はご遠慮願いたい」
……そう。エリスたちがキャンプごっこをしているこの場所は、赤い絨毯が敷き詰められた、軍部の会議室の中だった。
ジークベルトのもっともすぎる指摘に、クレアは真顔で弁明する。
「申し訳ありません。今回は極寒の雪山という厳しい環境での任務となるため、遭難した場合の非常食の調理方法を最終確認していました」
「とてもそうは見えなかったが?」
「でもでも隊長、これすっごく美味しいのよ? 焼きマシュマロ。隊長も食べる? 病み付きになるわよ?」
……と、毎度のことながらまったく緊張感のない二人に、ジークベルトは小さくため息をつく。
「……結構だ。速やかにその火をしまってくれ。ここで小火騒ぎでも起こそうものなら、任務どころではなくなるからな」
まるで問題児を諭す教師のような口調で嗜められ、エリスは「はーい」と返事すると、おとなしく魔法の焔を消した。
「──それでは、任務の最終確認をおこなう」
ジークベルトが、仕切り直すように言う。
クレアがスープ屋の店主から"禁呪の武器"らしきものの情報を得、ジークベルトに報告したのが二日前。
昨日は、その情報の信憑性や、オゼルトン領という土地柄についての緊急会議に一日を費やした。
そして、今日。
クレアとエリスに、オゼルトン領へと赴く指令が、正式に下ろうとしていた。
「捜査の対象は、現オゼルトン領主、ガルャーナ・ヴィッダーニャ・オゼルトンが所有する巨大な木槌・『神判の槌』。"禁呪の武器"であることが確認でき次第、その場で無力化。可能であれば……」
「力を保持したまま持ち帰る、でしょ?」
ジークベルトの言葉をエリスが継ぐと、彼は不本意そうに頷く。
「あぁ。今回も研究対象として回収したいとの意向が、軍部と魔法研究所からあった。しかし、今回は現役で『武器』として使われている代物だ。危険性を考えるならば、即座に無力化するべきだろう……というのが、俺個人の見解だ」
「わかりました。現地住民の安全を最優先し、対処します」
「それで? 今回はどんな作戦でそのヤバイ代物に近付けばいいの? できれば男装以外の方法でお願いしたいんだけど」
と、前回の潜入捜査を思い出し、エリスが皮肉混じりに言う。
ジークベルトは、苦笑いをして首を振る。
「もちろん、男装は不要だ。が、相当着込んでもらうことにはなるだろう。承知の通り、オゼルトンは雪山に囲まれた領地だ。極寒の山を越えないことには辿り着けない。そこで……我々よりも現地の地形や文化に詳しい者を同行させる」
「……同行?」
エリスが聞き返すと、ジークベルトは会議室のドアの方へ「入れ」と声をかけた。
すると、ノックの後にドアが開き……一人の若者が、姿を現した。
艶々とした漆黒の短髪に、同色の凛々しい眉。
深い湖のような青さを放つ瞳。
日焼けをしているのか、肌は健康的な小麦色をしている。
身長はエリスと同じくらいだが、その精悍な顔立ちにはまだ幼さが残り、年齢はエリスよりも下に見える。
「紹介する。軍部の訓練生、アクサナだ。今はウォーレダイン家にいるが、出身はオゼルトンだ」
ジークベルトの紹介に続き、アクサナと呼ばれた人物は一礼し、
「……宜しくお願いします」
お世辞にも愛想が良いとは言えない表情で、そう挨拶した。
エリスはもちろん、クレアも、同行者を付けるという話は聞いていない。
しかも、前回のレナードのような特殊部隊のメンバーではなく、軍部の訓練生という点に違和感を覚えずにはいられなかった。
だから、
「……上の決定、ですか?」
クレアは諸々をすっ飛ばし、要所だけを尋ねる。
ジークベルトは重々しく頷き、答える。
「そうだ。昨日の会議の最後に、追加事項として言い渡された。確かにオゼルトンという土地柄を考慮すれば、現地に精通した人物の同行は得策と言える。俺も否定する理由がなかった」
そう語る表情からは、上層部の一方的な決定に対する不満が垣間見えるが……クレアが懐疑的になっているのは、ジークベルトとは別の理由だった。
前回の任務の最後、レナードは語った。
国の上層部は、"禁呪の武器"に関し特殊部隊に共有していない情報を秘めている、と。
それは、クレアが軍部の養成施設『箱庭』に引き取られるきっかけとなった事件。
幼き日のクレアは、雷の矢を放つ奇妙な弓──『天穿ツ雷弓』と思しき弓の運び屋をさせられていた。
その弓は、当時の特殊部隊の隊員たちを次々に狂戦士化させたのちに回収され、軍部を通し魔法研究所へ送られた。
つまりは、この"中央"のどこかに、今も保管されているのだ。
しかし、そのことは、ジークベルト含む現特殊部隊の隊員たちには共有されていない。
加えて、エリスの父であり特殊部隊の前隊長であるジェフリーの命を奪った『炎神ノ槍』も、既に回収・保管している。
凶悪な力を保持したままの"禁呪の武器"を二つも入手しているというのに、軍部や魔法研究所の上層部は『研究のため』と銘打って、残りの"武器"も力を解放しないまま集めようとしている。
狂戦士化の呪いの危険性や、精霊が封じられている事実を知っているにも関わらず、である。
本当に『研究のため』だけに使うのなら、何故『天穿ツ雷弓』の所在を隠している?
そもそも、"禁呪の武器"の研究から得られた成果を、何に使おうとしているというのか。
仮に、戦のための兵器を作ろうとしているのであれば……"精霊の王"が自分たちに"武器"の解放を託した意味がなくなってしまう。
そんな、思惑の読めない上層部が急遽決め、一方的に手配した同行者を、クレアは手放しで信用できるはずがなかった。
「土地勘のある方に案内をお願いすることには賛成です。しかし、これは普通の任務ではありません。"禁呪の武器"には未解明な部分も多い。そんな特殊で危険な任務に、訓練生の方を同行させて良いのでしょうか?」
クレアは、アクサナを案ずるようなセリフに置き換え、尋ねる。
それに、ジークベルトは言葉を選ぶように目を伏せて、
「今回の任務は、和平交渉も兼ねている。オゼルトンとは、独立を巡って一触即発の状況にあると言える。縁もゆかりもない者が向かうよりは、オゼルトン出身の若者を同行させた方が、向こうの警戒も薄れるだろう……とのことだ」
そう、伝聞調で答えた。
アクサナ本人がいる手前、口にすることはできないが……ジークベルトが同行を認めたのは、アクサナに案内役以外の価値を見出したからだろう。
それは恐らく、"人質"としての価値。
オゼルトンの民が想像以上の反発を見せた場合、同郷の若者として、アクサナは人質に使える。
また、仮にアクサナがオゼルトン側に寝返ろうと考え、寝首を掻くような真似をしたとしても、実力的に未熟な訓練生相手であればクレアの敵ではない。
そのように考えれば、今回の同行者としては適任と言えるだろう。だからこそ、ジークベルトも納得したのだ。
ジークベルトが上の指示を飲んだからには、クレアもこれ以上異を唱えるわけにはいかなかった。
そもそもアストライアーは、軍部の命令を忠実にこなすべき立場にある。
表舞台に立つ華やかな正規軍の裏で、迅速かつ隠密に任務を遂行するのが特殊部隊の役目だ。
だから、アストライアーには『箱庭』の出身者が多い。
幼少期より「国の命令は絶対」と刷り込まれているため、どれほど過酷で冷酷な指令にも迷わず応えることができるからだ。
そしてクレアも、そんな従順な隊士の一人。
そう思われている内は、下手に抵抗を見せない方が賢明である。
クレアは納得したように頷き、いつもの穏やかな笑みを向ける。
「わかりました。では、案内をお願いしますね、アクサナさん」
その瞬間、エリスが少しだけ……ほんの一瞬だけ口を尖らせたことに、クレアは気付く。
きっと、クレアと二人で雪国のグルメを満喫することを楽しみにしていたのだろう。
それなのに、クレアがあっさり第三者の同行を認めてしまったので、残念に思っているのかもしれない。
……これは、後できちんとフォローをしなければ。
なんて、クレアが密かに決意を固めていると、
「現地では、アクサナの実家を拠点にしてもらう予定だ。こんな状況では、オゼルトンに着いても寝泊まりする場所に困る可能性がある。アクサナの家族には迷惑をかけるが、任務が終わるまで宜しく頼む」
「は、はい。大したおもてなしはできないけど……祖母が温まる料理を用意してくれるので、野宿よりはマシだと思います」
ジークベルトとアクサナが、そんなことを話すので。
「雪国……おばあちゃん……あったかい手料理……」
エリスは、うわ言のように呟きながら、徐々にその瞳を輝かせ……
「……マシなんてもんじゃない、最高のお宿よ! これからよろしくね、アクサナ!」
先ほど見せた残念そうな表情が嘘のように、友好的な笑みを浮かべた。
……やっぱり、フォローは必要なさそうだな。
と、クレアは安心したような、少し虚しいような気持ちを抱え、ため息をついた。
「それじゃあ、このアクサナに仲介してもらって、領主にハンマーを渡すよう交渉すればいいのね?」
まだ見ぬ雪国の郷土料理に夢見心地なエリスが、結論を急ぐように尋ねる。
それにジークベルトは、アクサナを会議室のテーブルに着くよう促してから、答える。
「いや、いくら同郷のアクサナが居合わせたとしても、領主は簡単にはハンマーを譲らないだろう。オゼルトンの民にとって、神聖な神器と考えられているそうだからな」
「じゃあ、どうやって近付けばいいのよ?」
「……結論から言おう。お前たちには、"武闘神判"に参戦してもらう。そして、領主に勝利することで、反乱の阻止ならびにハンマーの回収を狙う」
その、思いがけない指令に──
エリスとクレアは目を見開き、顔を見合わせた。




