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真っ赤な嘘が導きたるは①

第二部と第三部を繋ぐ幕間は、短編集にも載せたこちらのエピソードから始まります。

読んだことのある方も今一度、最後までお目通しいただければさいわいです。


 



 そこは、異様な雰囲気の料理店だった。



 料理店といえば、客が美味しい料理に舌鼓し、楽しい会話に花を咲かせる和やかな場であるのが常である。


 しかし、その店は……


 客は皆、むさ苦しい男ばかり。

 その男たちが、会話をするでもなく、ただただ苦悶の表情を浮かべ……

 全身から汗を噴き出しながら、フゥフゥと獣のように息を荒らげ、料理を(むさぼ)っているのだ。


 まるで、軍の訓練場か武道家の道場のような熱気と、緊張感に満ちた店内……

 そこで、一人の男が、



「マスター……悔しいが、もう限界だ……!!」



 そう言いながら、テーブルをドンと叩いた。

 額からは尋常じゃない量の汗が流れ、顎の先からポタポタと垂れている。

 それに、『マスター』と呼ばれた店主らしき男──熊のように大柄な身体に、真っ黒な口髭をモジャモジャとたくわえている──が、ニヤリと笑って、



「なんだ、息巻いていたわりには大したことなかったな。こりゃあ今日も完食者ゼロ記録を更新か? ガッハッハ!」



 響き渡る笑い声に、男たちが悔しげに奥歯を軋ませた──その時。




「こんにちはー! おぉ、さすが人気店。お客さんいっぱいいるわね!」




 そんな明るい声と共に、一人の少女が入店した。

 小柄で、溌剌(はつらつ)とした雰囲気の美少女である。

 さらに、



「エリス、本当に大丈夫ですか? 無理しなくても良いのですよ?」



 背の高い、物腰柔らかな美青年が、少女の後に続いた。

 しかし、エリスと呼ばれた少女は余裕の表情で、



「もークレアは心配性だなぁ。だいじょぶだって。あたしけっこうイケる方だから! たぶん!!」



 そう答えながら、迷いなくカウンター席に座る。



「いらっしゃい、お二人さん。ウチの店は初めてだね?」



 店主が水の入ったグラスを差し出しながら言う。

 エリスは大きく頷いて、



「うんっ。評判を聞いて来てみたの」

「ほう……ってことはウチがどんな料理を出す店か、承知の上で来てくれたのか?」

「もちろんよ。さぁ、ご主人」



 にぱっ。

 と、無邪気に笑って、




「激辛・灼熱のマグマスープふたつ、くださいな♡」




 可愛らしく小首を傾げながら、料理を注文した。

 それを聞くなり、店主も、店にいる他の男たちもニヤニヤと笑い出す。



「……お嬢さん。噂に聞いていると思うが、ウチは香辛料の本場・オゼルトン領からこの王都に移転してきた、辛いスープの専門店だ。

 いろんなお客に楽しんでもらえるよう、辛さレベルを四段階に分けている。優しいのから順に、『魅惑のぬるま湯』・『雪解けの温泉』・『親父の熱湯』、そして『灼熱のマグマ』……つまり、今お嬢さんが頼んだのは一等辛いレベルのやつさ。

 あまりに辛くて、未だに完食した者はいない。見ろ、周りの客を。こいつらみんな、レベルマグマを完食しようと何度も挑戦しているが、それでも敵わねぇんだ。今じゃそういうチャレンジをする店みたいになっちまっているが……

 悪いこた言わねぇ。初心者は『ぬるま湯』スープにしときな」



 肩をすくめ、諭すように語る店主。

 しかしエリスは、なおも不敵に笑って、



「いやよ。せっかく来たからにはこの店の"一番"を食べてみたいもの。それに、確かに辛いけど、すっごく美味しいって聞いたわ。辛いだけならみんな二度と食べに来ないはずだもん。あたしは、ご主人が丹精込めて作った、一番人気のスープが食べたいの」



 そう、真っ直ぐな瞳で答えた。

 周りの客は未だ馬鹿にしたような目で彼女を見るが……

 店主は、彼女の真剣な眼差しに胸を打たれ、



「……へぇ、そうかい。あんちゃんも、本当にそれでいいのか?」



 念のため、隣に座るクレアにも尋ねる。すると、



「えぇ。エリスが望むなら、私はそれで構いません」



 彼は穏やかに微笑み、頷いた。


 ……馬鹿な連中だ。ウチの味を知らずに、カップルのノリで来やがって。


 そう思う一方で。


 この娘の真剣な眼……もしかすると、もしかするかもしれねぇ。


 そんな期待も、抱かずにはいられず。



「……わかった。少し待っていてくれ」



 店主は背を向けると。

 二杯分の激辛スープの支度を始めた。





 ──数分後。



「はい、おまちどーさん」



 ゴトッ。

 と、店主の手によって、二つの器がカウンターに置かれる。

 その中身は……


 真っ赤。


 想像以上の、赤一色だった。

 鶏肉や野菜、エビやアサリなどの豊富な具材。それらが皆、真紅の海に沈められている。

 液体自体も赤いのに、さらに唐辛子のパウダーがこれでもかと振りかけられており、もう赤色の飽和状態である。


 口に含まずとも、匂いだけでむせ返りそうな程の辛さを醸し出すそのスープに、しかしエリスは、



「うわぁ! すっごい、見るからに辛そう!」



 怯むどころか、ワクワクした様子で瞳を輝かせた。

 そして、クレアと共に手を合わせ、



『いただきまーす』



 と、スプーンをスープに浸し。

 ぱくっと、口に入れた。

 瞬間。



「………んんんぶぁああああっ!!」



 カシャンッ! とスプーンをテーブルに落とし、喉を押さえながら、




「あぁぁあああ゛っ!! なにコレ、かっっっら!!!!」




 エリスは、涙目で叫んだ。



『(……だから言ったじゃん!!)』



 というツッコミが、店主と他の客たちの脳内で一斉に放たれる。

 が、すぐに、



「……あ、でもおいしい。辛さの中に魚介の出汁(だし)の風味を感じる。野菜の甘みもすごく出ているし、複数の香辛料が具材の旨味を絶妙に引き立てている……うん、確かにおいしいわ」



 と、エリスは味を分析しながら、潤んだ瞳でスープを見つめた。

 店主は「ほう」と唸って、



「お嬢さん、なかなか味がわかるようだな」

「まぁね。クレアはどう? 美味しい?」



 エリスが、隣の彼に尋ねてみると……



「えぇ。辛さだけでなく、コクがあって非常に奥深い味わいですね。美味しいです」



 ……と。

 涼しい顔をして、パクパク食べていた。

 その姿に、



『──?!』



 店主と客たちは、驚愕する。


 こ、このあんちゃん……力自慢の大男ですら涙を流す激辛スープを……

 まるで、コーンポタージュでも飲むかのようなペースで口に運んでいやがる……!!



「お、おいマスター! この兄ちゃんに出したの、間違いなくレベルマグマなんだろうな?!」



 先ほどギブアップ宣言をした客の男が立ち上がり、店主を問い詰める。

 店主は、頷きつつも自身の目を疑うような表情を浮かべて、



「あぁ、間違いねぇ。が……信じられん。こんな客、初めてだ」



 言いながら、まじまじとクレアを眺めた。

 エリスも、隣から彼の顔を覗き込み、



「へぇ。クレアって、辛いもの平気なんだ」

「はい。辛さは厳密には味覚ではなく痛覚なので、戦闘時同様、痛みを意識から消せば普通に食べられます」

「あぁ、前にもそんなこと言ってたわね。クレアはほんと、なんでも好き嫌いなく美味しそうに食べるよねぇ。あたし、クレアのそういうところ、カッコイイなって思う」

「ありがとうございます」



 などと、ほんわかラブラブムードを醸し出している二人だが……



『(──え?! 痛みを意識から消すって何?! 彼女はなんでそれで納得してんの?! 怖っ! こいつら怖っ!!)』



 と、店主と客たちは言葉を失う。



「あたしも負けていられないな。作ってもらった料理を残すなんて言語道断だもの。全部おいしく食べなきゃ」



 エリスは腕まくりをし、再びスープと対峙する。

 そしてまた、一口食べる毎に「からぁぁあいっ!」と絶叫しながらも……少しずつ、その量を減らしていった。


 こいつら、ただのミーハーカップルかと思ったら……



「……なかなか、やるじゃねぇか」



 ゴクリ。と喉を鳴らしながら、店主が小さく呟いた。





 ──しかし、エリスのその勢いも最初だけだった。

 汗と涙を流しながら、顔を真っ赤にして必死に食らいついていた彼女だったが……



「ふ、ふぇぇ……おみじゅのんでも、からいのなくならないよぉ……」



 口の中の粘膜をこれでもかと痛めつけられ、半分以上残した状態で音を上げた。



「無理しないでくださいエリス。完食者ゼロのスープなのですから、こればかりは仕方がないですよ」

「そ、そうだぞ、お嬢さん。美味いと言ってくれただけで十分だ。残したって構わねぇ。(はな)から全部食えるだなんて思っちゃいねぇんだから」



 クレアと店主が口々に諭すが、エリスは首をぶんぶんっと横に振って、



「らめ……そんらの、あたひの美学に反する……からいけどおいしいんだもん、ちゃんとぜんぶ食べらきゃ……」



 震える手で再び、スプーンを手にしようとするので……

 クレアはそっと、その手に自分のを重ね、制止する。



「エリス。貴女のお気持ちはよくわかりますが、このまま食べ進めるのは危険です。一度洗面所を借りて、口の中をゆすいできてはいかがですか?」



 その言葉に、エリスは虚ろな目で彼を見つめ返し……



「……そうね。ちょっと一旦リセットする。顔も洗って、さっぱりしてくる……」



 ふらりと立ち上がると、店主に洗面所の場所を尋ねてから、店の奥へと消えて行った。


 心意気は大したものだが……お嬢さんの方は厳しいか。

 しかしこっちのあんちゃんは、このペースなら本当に完食しちまうかもな……


 クレアを見つめ、店主がそんなことを考えていると……



 ──ダンッ!!



 突然、クレアがテーブルに拳を振り下ろした。

 その音に、店にいる客たちがビクッと驚く。

 クレアは俯きながら、叩きつけた拳をぶるぶると震わせて……




「………………かっら……っ!!」




 涙混じりの声で。

 そう、呟いた。


 ……って、




『(えぇぇええええーーっ?!)』




 涼しい顔で食べ続けていた彼の口から思いがけない言葉が飛び出し、店主も客たちも度肝を抜かれる。



「いやなんだよコレ辛すぎるだろ……さっきから舌と胃が焼き爛れそうなんだよ……『痛みを意識から消す』? 馬鹿じゃないの? そんなん口腔粘膜でやったことないんだから無理に決まってんじゃん何言っちゃってんの俺……」


『(しかもなんかすげーブツブツ言ってるーー!!?)』



 まさかこいつ……今までのはすべて……



「……痩せ我慢だったのか? あんちゃん」



 店主が(おのの)きながら尋ねると、クレアは顔を上げて、



「……えぇ、そうです。ただのカッコつけですよ。あの、今のうちにお水おかわりもらっていいですか?」



 と、額から汗を垂らしながら言う。エリスがいなくなった途端、身体中から汗が噴き出したらしい。


 なんたるポーカーフェイス……彼女に情けない姿を見せまいと、汗までコントロールしていたのか? 恐ろしい男だ。

 しかも既にスープの中の具はほとんど食べ尽くしている。弱音を吐かず、このペースでここまで口にするのは……相当キツかったはずだ。


 一体なぜ、ここまでやるのだろうか。


 店主は、彼のコップに水を注ぎながら、



「あんちゃんよぉ、俺が言うのも何だが……こんなことしなくたってお前さんは十分イイ男だし、カッコつけるならもっと別の方法があるんじゃねぇのか?」



 その問いかけに、他の客たちも無言で頷く。

 しかしクレアは、首を左右に振って、



「いいえ、駄目です。何故なら、彼女がカッコいいと思う男の条件は…………容姿や経済力や戦闘力などではなく、とにかく『食べ物を美味しく食べること』。それが、唯一絶対なのです」

「いやどんな彼女?!」



 店にいる全員が抱いたツッコミを、店主が代表して言い放つ。

 クレアは水を飲み干すと、目の前のスープの器に手を添え、



「……エリスに『カッコイイ』と思ってもらえるのなら、私は何者をも(あざむ)きます。例えそれが、自分自身であっても……」



 器を持ち上げ、瞼を閉じて、



「……これは辛くない。辛くない辛くない辛くない辛くない…………」


『(な、なんか自己暗示し始めたーー!!?)』



 一同が注目する中、クレアは目を見開き、



「……いきます」



 覚悟を決めたように、器の縁に口をつけ……

 そのままゴクゴクと、残りの激辛スープを喉に流し込んだ。



「す、すげぇ……」



 見ているだけで食道がヒリつくような光景を眺め、客の誰かが呟く。

 そして……



 ──ゴトッ。



 再びテーブルに置かれた器の中身は……

 見事、空になっていた。


 ……や…………



「やりやがった……」



 店主が、声を震わせる。

 この店始まって以来の、レベルマグマ完食者が、ついに現れたのだ。


 ……が、それで終わりではなかった。

 クレアは間髪入れずに、エリスの食べかけのスープにも手を伸ばす。



「まさか……そっちも食う気なのか?!」



 客たちがガタッと立ち上がり、思わず身を乗り出す。

 しかし、クレアは否定する。



「いえ、これを完食するのは彼女です。彼女は、出された料理はすべて『自分自身で食べ切ること』を美学としていますから。ですが、さすがにこの量を食べさせるのは危険と判断しましたので……席を外している間に"なにか"が起き、スープが少し減ってしまった。そういうことにしておいてください」



 そう言って、彼女のスープに浮かぶ唐辛子の粉末や、底に沈殿した鷹の爪、辛さが染み込みまくったナスやピーマンなど、特にキツイ部分を一手に担うようにして食べ始めた。


 店主も客たちも、もはや絶句していた。

 そんな……これまで何人(なんぴと)をも阻み続けた灼熱のマグマスープを完食し、あまつさえもう一杯にも手を出し、辛い部分だけをさらうなんて……


 これが、男の本気の"痩せ我慢"。

 否、これは単なる痩せ我慢などではなく……



「…………愛だ」



 店主が呟く。


 そう。これは、"愛"の為せる業だ。

 "惚れた女の前ではカッコつけたい"という、純粋すぎる男心。

 それが、これほどまでの力を発揮するとは……



 ……と、クレアが特に辛い部分をあらかた食べ尽くしたところで、エリスが洗面所から戻ってきた。

 彼はバレないように彼女のスープを元の場所に戻す。

 そして、何事もなかったように汗を引っ込ませ、



「おかえりなさい。さっぱりしましたか?」



 爽やかな笑みを浮かべ、尋ねた。

 彼女は、未だフラフラした足取りで席に戻ると、



「うん、さっきよりはだいぶいい。っていうか……あれ? あたしこんなに食べてたっけ?」



 未だ虚ろな目をしたまま、少し中身の減った自分のスープを見つめる。

 クレアはにこりと笑って、



「えぇ。『からいからい』と言いながらも結構食べていましたよ」

「そっか、夢中だったから気付かなかった……って、あんたいつの間に完食したの?!」

「エリスが離脱している間に。もう残りわずかでしたからね。エリスもきっと食べ切れますよ。いくらでも待ちますから、納得いくまでどうぞお召し上がりください」



 そう、優しく言うので。

 エリスは、その目にヤル気を(みなぎ)らせる。



「……うん! あたしもクレアと同じものを、同じように食べたいもん! 絶対に完食してみせる!!」



 そして、目の前のスープの器に手を添え、



「……これは辛くない。辛くない辛くない辛くない辛くない…………」


『(って、彼氏と同じコトし始めた!!?)』



 店主と客たちと、クレアが見守る中。

 エリスは、目を見開き、



「……いただきます!」



 器の縁に口をつけ……

 少しずつ、少しずつ、残りのスープを飲み始めた。





 ──そして。



「ご……ごちそうさまでした……」



 ついに。

 エリスの器の中身が、空になった。

 それを見届け、クレアも手を合わせて、



「ごちそうさまでした。美味しかったですね」

「うんっ! こんなに辛くて美味しいスープ、あたし一生忘れないと思う」



 二人は、満足げな表情で笑い合った。

 それを見届けた店主も、思わず顔を綻ばせ、



「いやぁ、まさか完食する人間が二人いっぺんに現れるとは。悔しいような嬉しいような……不思議な気分だよ」



 その言葉に、店内にいた客も『良いものを見させてもらった』と言わんばかりの笑みを浮かべた。

 そして、その誰もが、エリスが離脱中に起こった"なにか"について口外しなかった。




「エリス、支払いを済ませますので、先に外で涼んでいてください」

「ありがと。それじゃあご主人、ごちそうさまでした♡」



 エリスはひらひらと愛想良く手を振ってから、店の外へ出た。



「愛嬌があって、可愛らしいお嬢さんだね。カッコつけたくなるのもわかるよ」

「そうでしょうそうでしょう。うちのエリスはどこへ出しても恥ずかしくない、素晴らしい女性なのです。もっとも、どこにも出すつもりはありませんが」



 などとやり取りしながら、クレアは店主に代金を支払う。

 すると、店主からお釣りと一緒に小さな紙を二枚渡された。



「これは?」

「ウチの割引き券だ。次来てくれた時の食事代を半額にする。完食の記念品だよ」

「わざわざありがとうございます」



 にこやかに受け取ると、クレアはそれをポケットにしまう。



「カッコつけたくなったら、また来てくれな。今度はもっと辛いのを用意しておくよ」



 店を出る直前、店主にそう言われ……

 クレアは、ドアに手をかけながら振り返り、



「……そうですね。彼女がまた来たいと言ったら、その時は……頑張ります」



 と、困ったように笑いながら答えた。






 店の外で待っていたエリスに「お待たせしました」と声をかけてから、二人は歩き出す。



「いやー辛かったぁ。死んじゃうかと思った」

「でもちゃんと食べ切りましたね。ご主人も嬉しそうでしたよ」

「だって本当においしかったから。何度も挑戦したくなる気持ち、ちょっとわかるかも」

「なら……また食べに来ますか?」

「うーん、でもそれ以上にやっぱ辛かったんだよね……優しいレベルを頼んだとしても普通に辛いかもしれないし、どうしよっかなぁ」

「……エリス。さすがに店の中では言えませんでしたが……実は辛いものというのは、過剰に摂取すると、毛が抜けてしまう恐れがあるらしいですよ?」



 突然放たれた驚きの情報に。

 エリスは「け?!」と声を上げる。

 クレアは頷き、



「えぇ。お客の中にもいたでしょう、スキンヘッドの人。あれは恐らく、辛いものの食べ過ぎによってああなったのでしょうね」

「そんな……ど、どうしよう。あたしあんなに辛いの完食しちゃった……いやだ、ハゲたくない……!!」

「大丈夫です。まだ初期の段階ですから、身体を冷まし毛穴を閉じれば問題ありません。ということで、どうでしょう。このあと冷たいフルーツゼリーなどを買いに行くというのは」

「ゼリー?! 賛成さんせいっ!! 今まさに全身がゼリー的なものを求めていたところなのっ♡ ゼリーを食べて身体を冷まそーっ♡」



 おー! と拳を掲げ、ズンズン歩き出すエリス。

 その背中を見つめながら、クレアは思う。


 ……よし。うまくいった。

 あんな健康を害するレベルの辛さ、エリスに二度と食べさせるものか。

 もちろん『辛いものを食べるとハゲる』というのは、根拠のない俗説に過ぎない。

 カッコつけも大事だが、彼女の健康と美食を適度に管理することも、恋人としての責務である。

 ということで。

 残念ながら、この割引き券は使うことなくゴミ箱行きかな……


 クレアがポケットに入れた券をくしゃりと握りかけた……その時。



「…………でも……」



 と、エリスが足を止めて振り返る。

 そして、クレアを見上げて、




「……クレアが、前人未到の激辛スープをさらりと完食する一番カッコイイところ、あたし見れなかったから……そこはちょっと、残念だったなぁ。それが見られるなら……また行ってみてもいいかも」




 なんて、ほんのり頬を染めながら言うので……

 クレアは、握りかけたポケットの中の拳を開き、



「…………あ、そういえば、辛いもの食べると汗を掻くので美肌になるとも聞いたことがありますね、うん。もちろんエリスのお肌は今のままでも十分すぎるくらいにすべすべですが……辛いものというのは、悪いことばかりではないようですよ? えぇ」

「へー、そうなんだ。じゃあまた食べに行こっか。クレアの勇姿、この目に焼き付けたいしね♪」



 そう言って、エリスは足取り軽く歩き出した。

 一方クレアは、足を止めたまま……下唇をギュッと噛みしめる。



 ……バカッ! 俺のバカッ! 結局また行く流れになってしまったじゃないか!!

 しかし……仕方がないのだ。エリスに『カッコイイとこ見せて』と言われて、断る自分がどこにいる?


 嗚呼……あの髭モジャ店主、もっと辛いの用意しておくとか言っていたな。

 これはいよいよ……口腔粘膜も鍛え始めるか。



 すべては、エリスにモテるため。

 だから、精一杯カッコつける。

 たとえ自分の首を絞めることになったとしても……

 彼女にとっての"イイ男"であり続けるために。




「…………がんばります」




 キリキリと痛む胃を押さえながら。

 クレアは、彼女に聞こえないくらいのか細い声で、そう呟いたのだった。






 * * * *





 ──それから。

 クレアは隙を見つけてはこの激辛スープの店に足を運び、エリスに内緒で口腔粘膜を鍛え上げた。


 レベルマグマの完食に要する時間を徐々に早め、毎回自己記録を更新し、その度に店主と客を驚かせた。


 すべては、エリスにカッコイイと思われるため。

 それだけのために、特訓を続けること約二ヶ月。

 いつしか彼は『激辛王子』と呼ばれ、王都の激辛界隈にその名を轟かせるまでになった。


 そして……



「……王子。ついに、レベルマグマを超える辛さのスープが完成した。その名も、『レッドヘル』だ」



 今日も今日とて気絶寸前になりながら激辛スープを完食したクレアに、髭の店主が言う。



「次来た時には、ぜひ挑戦してほしい。とびきり上等な唐辛子を用意して待ってるぜ」



 なんて、いつの間にか良きライバルのような関係になった店主が、新たな挑戦を突き付けるので……


 ついにこの時が来たか。

 と、クレアは思う。


 あのレベルマグマを超える激辛スープ……それを平らげる姿をエリスに見せることができれば、きっと惚れ直してくれるはずだ。

 しかしエリスを呼ぶ前に、まずはどれほどの辛さなのか知る必要がある。

 きちんと完食できることを実証してから、彼女に見てもらうことにしよう。


 これまでの特訓の日々を振り返り、クレアは一度目を伏せる。

 そして……瞼を開けて、



「……わかりました。鍛え上げたこの舌で、必ずや返り討ちにしてみせます」



 そう、爽やかに微笑み返した。





 ……が、その数日後。

 クレアが店を訪れると、店の扉が閉鎖されていた。

 ドアには『しばらく休業します』との貼り紙がされている。


 もちろん休業するという話は聞いていない。

 店主に、何かあったのだろうか。

 熱狂的なリピーターを多く抱える人気店を休業するとは、よっぽどの事情があるに違いない。

 近隣の店に聞き込みをしてみようか……


 ……と、クレアが職業病を発揮しかけたその時、店の裏の方で物音がした。


 クレアがそちらへ回ってみると、店の裏口から一人の人物が現れた。

 熊のように大柄な身体に、真っ黒な口髭……間違いない。この店の店主である。



「トトラさん」



 クレアがその名を呼ぶと、店主──トトラは驚きながら足を止めた。



「お、王子。もしかして、新作を食べに来てくれたのか?」

「えぇ。しかし、休業中なのですね。一体どうされたのですか?」



 言いながら、クレアはトトラの顔色や呼吸を観察する。特に異常は見られない。体調不良が理由ではなさそうだ。

 となると……



「そんな大荷物を背負って……何処かへ行かれるのですか?」



 そう。トトラが背負うパンパンに膨らんだリュックに、休業の理由がありそうだった。

 丸めた寝袋や厚手の防寒具が入り切らずにはみ出している。見るからに遠方……それも、寒冷地帯に行くための装いである。


 クレアの問いに、トトラはため息混じりに答える。



「あぁ。実は、故郷のオゼルトンに行かなきゃならないんだ。一日や二日じゃ帰って来られねぇ……せっかく来てくれたのに、本当にすまない」



 オゼルトン。

 香辛料を使った食文化で有名な、雪山に囲まれた領地である。

 王都から北に向かって馬車で丸二日、そこからさらに二、三日がかりで雪山を超えなければ辿り着けない。

 この店がオゼルトンから移転して来たことは知っていたが、急に帰らなければならないとは……



「故郷のご家族に、何かあったのですか?」



 クレアは、心配そうに尋ねる。

 純粋にトトラを案ずる気持ちもあるが、仕事柄、オゼルトンという地名に反応せずにはいられなかった。


 何故ならオゼルトン領は、三十年前まで独立した一国家だったから。

 それが、とある病の大流行をきっかけに、このアルアビスへ併合された。


 これまで武力による衝突は起きていないが、国家として今一度の独立を望む派閥も存在しており、クレアが属する特殊部隊・アストライアーが常に動向を見守ってきた地域の一つだった。



 真剣な表情で尋ねるクレアに、トトラは唇を噛み締める。

 そして……



「……"武闘神判(シドレンテ)"が、開かれるんだ。俺の兄貴が参加すると言っている。俺はそれを、止めに行く」



 と、思い詰めたように答えるので、



「"シドレンテ"とは……何ですか?」



 その聞き慣れない単語に、クレアはそう質す。




 しかし、この問いかけが、新たなる"禁呪の武器"解放の旅に繋がるとは──

 この時は、思いもしなかったのだ。





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[良い点] 辛味と甘味の相乗効果が体にすっごくいい!
[良い点] お待ちしておりました!! 再開ありがとうございます! R18もお待ちしております!
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