特別な存在
──翌日。
「それじゃあ、元気でね」
リンナエウス家の屋敷の外門にて、帰り仕度を整えたエリスが言う。
王都へ帰る彼女たちを、モルガン料理長とおつかい係のブランカが見送りに出ていた。
「お世話になりました。いろいろありましたが、皆さんとお会いできてよかったです」
少し名残惜しそうな笑みを浮かべ、ブランカが言う。
その隣で、料理長は腕を組み、エリスのことをじっと見つめると……
「……娘がいなくなるのは寂しいものだな。腹が減ったらいつでも来い。たらふく食わせてやる」
……と、渋い声で言うので、エリスは以前「料理長の娘候補になってもいいか」と尋ねたことを思い出す。
あの時は「『息子』の間違いだろう」と茶化されたが……ちゃんと『娘』と言ってくれたことに嬉しくなり、
「うんっ。また来年来るから、その時はいっぱい食べさせてね、料理長!」
そう、満面の笑みで答えた。
「この後、広場に行かれるのですよね? 人がたくさん集まっていると思うので、どうかお気をつけて」
というブランカの言葉に、クレアは頷く。
リンナエウスの街の中央広場にておこなわれる、領主の演説。既に領主とメディアルナは広場に向かっていた。クレアたちも王都へ帰る前に、その様子を見に行くことにしたのだ。
「はい。馬車をお借りしてしまい申し訳ありません。最後にメディアルナさんの演奏を見届けてから帰ろうと思います」
「お嬢さまも喜ばれると思います。皆さんといると、本当に楽しそうだったので」
というブランカの言葉の途中で、レナードは背を向け馬車の方へと歩き出す。
「ちょっとお兄ちゃん、別れの挨拶くらいちゃんと言いなさいよ」
後ろからエリスが呼び止めるが、レナードは振り返らずに、
「もう行くぞ。時間がない」
とだけ言って、馬車の中へと消えた。
エリスはクレアと顔を見合わせてから、あらためて料理長とブランカに別れを告げ、馬車へ乗り込んだ。
* * * *
そうして三人は、リンナエウス家の屋敷を後にした。
みるみる内に遠ざかる、高台にある屋敷。それを、三人は窓から静かに眺めた。
ほどなくして、馬車は街の停留場に到着した。
乗せてくれた御者のハリィに礼を述べ、三人は馬車を降りる。
至る所に花が飾られた、華やかで明るい街並み。通りを歩く人々は、みな笑顔を浮かべている。
やはり良い街だと、漂う花の香りを感じながらエリスは思う。これからもこの平和な風景が続くことを願いながら、クレアたちと共に広場を目指した。
大通りをしばらく歩くと、広場に辿り着いた。既に多くの人が集まっており、中央に置かれた演説台に領主が現れるのを待っている。
三人は人集りから少し離れたところから眺めることにした。
昼食や夕食の相談をしながら、しばらく待っていると……
「……来たぞ」
レナードが、短く言う。
エリスとクレアが演説台に目を向けると、杖をついた領主と、笛を手にしたメディアルナが登壇していた。集まった人々から拍手が沸き起こる。
領主の演説の前に、まずはメディアルナが笛の演奏をすることになっていた。
毎朝欠かさず聴こえていた笛の音色……この街の平和の象徴とも言えるそれが、しばらくの間途絶えていた。それだけで、この街の今後に不安を抱く住民もいたことだろう。
人々に安心感を与えるためにも、まずは笛の音色を聴かせたい。それはメディアルナ自身が望んだことだった。
「おっ、来たわね。大丈夫かしら、ディアナ」
「あれだけ練習されていましたから、きっと大丈夫ですよ」
そう話すエリスとクレアの後ろで、レナードは腕を組み、何も言わずにメディアルナを見つめる。
演奏台の上で深々と一礼する彼女。
その表情は、落ち着いているように見えた。
そして、拍手が止んだ静寂の中、すぅっと息を吸うと……
金色に輝く笛に、唇を付けた。
伸びやかに、高らかに紡がれる旋律。
その美しい調べに聴衆は聴き入り、目を閉じる。
この演奏を再び聴けたことに深い安心感を覚え、心が穏やかになっていくのを皆が感じていた。
"音の精霊"の影響もあるが、その精神作用を差し引いても、心が洗われるような見事な演奏だった。
多くの民が集うその中心で、堂々と笛を奏でるメディアルナ。
その姿を見つめ……レナードは、昨夜のことを思い出す。
『好きです、レナードさん……一人の男性として、あなたのことが……好きなんです……っ』
……あれはきっと、一時的な気の迷いだ。
父親が毒に侵され、家族のように慕っていた使用人を失った寂しさから、たまたま近くにいた自分に恋愛感情に似たものを抱いただけ。
ただの、代替感情だ。
では、何故拒絶しなかったのかと言えば、それはこの街の今後に支障が出る恐れがあったからだ。
ただでさえ彼女は心の拠り所を失っている。ここで拒絶されたとあれば、もう立ち直れないかもしれない。父親の仕事を継ぐ気力すら失われてしまう可能性があった。
だから、明確な拒絶はせず、「また会える」という希望を抱かせることにした。
頑張れば報われるかもしれないと、前に進む理由を与えることにした。
彼女が優秀な領主になれば、この街の平和は保たれる。"国を守る"という大義のためにも必要なことだった。
……そう。全ては、この国の平和のため。
それ以上でも、それ以下でもない。
『竜殺ノ魔笛』の呪縛から解放された彼女は、これから様々な感情を知ることになるだろう。
今は子どものように純粋無垢だが、多くの出会いを通じ、少しずつ大人になっていく。
その出会いの中で、心の底から愛しいと思える相手が現れるかもしれない。
そうすれば、この幼稚な代替感情などはすぐに忘れてしまうだろう。
そうだ。そうでなければ説明がつかない。
こんな、演技もしていないありのままの自分に好意を抱くことなど、あるはずがない。
ありもしない誕生日を祝いたいだなんて、本気で言っているわけがない。
そんなこと……今まで一度たりともなかったのだから。
……そうだ。あるはずがないのだ。
この俺が……
任務や使命とは関係なく、また彼女に会いたいと、そう思っているだなんて。
きっと、この音色の魔法のせい。
そうに決まっているのだ。
……と、自分に言い聞かせ。
レナードは、広場に集まった聴衆を見渡す。
皆、メディアルナの笛の音を心地良さそうに聴いていた。
……彼女は、民に好かれている。
俺がいなくとも、支えてくれる人間がたくさんいるはずだ。
もう数ヶ月もしたら、俺のことなど忘れているかもしれない。
だからもう、このまま会わなくても……
そんなことを考えた矢先。
前方に立っていた若い男たちが、こう話すのが聞こえてくる。
「毎朝聴いてはいたけど、実際に笛を吹く姿は初めて見た……綺麗だな」
「あぁ。あんなに美しい人だったなんて……俺、本気でメディアルナ様に惚れそう」
その瞬間、レナードの胸に、得体の知れない不快感が押し寄せた。
ぐつぐつと湯が煮え立つような、めらめらと炎が燃えるような、落ち着かない感情。
そして同時に、こう決意する。
……あの娘は自分の魅力に気付いていない。
だからあんな、『食べられる覚悟で待っている』などという危険なセリフが吐けるのだ。
無防備すぎる。男の怖さをまるでわかっていない。だからこそ、昨夜ああして釘を刺したわけだが……
こいつらのように彼女を狙う男は少なくないはずだ。悪い男に騙されようものなら、それこそこの街のためにならない。
あれは、俺が予約した"情報"だ。
他の男になど触れさせない。
やはり時々会いに来て、目を光らせなければならないな……
そう心に決め、レナードは歩き出そうとする。
それに気付いたエリスが、慌てて彼を呼び止める。
「ちょ、どこ行くの? まだ演奏終わってないんだけど」
それに、レナードは振り返って、
「……"中央"に残してきた仕事を早急に片付ける必要がある。お前と違って、俺は暇じゃないんだ」
そう答え、王都行きの馬車へ乗るべく歩き始める……が。
エリスに後ろから服を引っ張られ、それを阻止される。
「駄目よ、終わったらディアナにも挨拶するんだから! 何も言わずに帰るわけいかないでしょ?!」
「挨拶なら昨日散々しただろう。演奏も十分見届けた。もはやここに留まる理由はない」
「あんたって人は……どこまで薄情なら気が済むのよっ!」
そう言って、エリスが服の裾をグイッ! と引っ張った瞬間。
レナードの上着のポケットから何かが溢れ落ち、エリスの足元に転がった。
それは……昨夜メディアルナから渡された、小鳥の人形。
レナードはハッとなるが、その前にエリスが手を伸ばし、
「ん? なにこれ。オモチャ?」
と、それを拾おうとするので……
「触るな!!」
……と。
レナードは、自分でも驚くくらいの大声でそれを止めた。
そして、すぐにそれを拾い上げ、
「これは…………俺が独自で動いているある任務において、重要な役割を果たすものだ。お前の手垢を付けるわけにはいかない」
「はぁ?! 拾ってあげようとしたのになにその態度! ていうか手垢なんてないし!!」
負けないくらいの大声で噛み付くエリスの横で……クレアは、その落とし物の正体に気が付いていた。
あれは、メディアルナが持っていた小鳥の人形だ。
色塗りの参考にしたいからと、鳥の図鑑を頼まれたことがあったため覚えている。
それがレナードの手に渡ったということは……どうやらこちらの知らないところで、二人に何かあったらしい。
彼のらしくない態度を見ても、それは明らかだった。
「……ふふ」
と、思わず笑みをこぼすクレアを、
「あんたはあんたで、何を笑ってんのよ?」
エリスは、不審そうに見上げる。
まさかレナードがこんな顔をするとは……なかなかに面白いものが見れたと、クレアは少し嬉しく思いながら、
「いえ、これ以上騒ぐと迷惑になりますから、やはり早めに帰りましょう。レナードさんのためにも、ね」
小首を傾げるエリスに、言い聞かせるように言った。
* * * *
その後、三人は二日がかりで王都へと帰り着いた。
"中央"内の軍本部にて報告を済ませ、後輩のアルフレドが持ち帰っていたエリスの服を受け取り、クレアたちは庁舎を出る。
いよいよ、レナードとも別れの時だ。
と言っても、明日以降も追加の報告や会議で顔を合わせることになるため、ほんの一瞬の別れである。
「じゃーね、お兄ちゃん」
「ではまた明日。お疲れさまでした」
手を振るエリスとクレアに、レナードは「ん」とだけ言って去って行った。
「まったく……最初から最後まで愛想のないやつね」
腰に手を当て、やれやれと息を吐くエリスだが、
「……そうでしょうか。私の目には、レナードさんはだいぶ変わったように見えます」
と、クレアがにこやかに言うので、エリスは「そーお?」と顔を顰めた。
レナードの背中を見送った二人は、"中央"の敷地を出て、自宅を目指し歩き始める。
クレアの腕には、今回の任務の戦利品である『琥珀の雫』の瓶が抱えられていた。
それを横目で眺め、エリスはスキップをする。
「ふふーん、早くうちでゆっくり食べたいなーっ♪」
「そうですね。私も、早く食べたいです」
「あの家に住んで日は浅いけど、やっぱ『帰って来た』って感じがするわね。すっかり帰るべき場所になってる」
「私もです。良いものですね、そういう場所があるのは」
「うんうん。顔馴染みのお店もいっぱいあるし、明日から順番に食べに行こうね」
「はい。私もやりたいことがたくさんあります。十七歳になりたてのエリスを絵に収めたいですし、『琥珀の雫』を使ったいろいろな料理を試してみたいです」
「きゃーっ♡ あたし、味見係やる♡」
「はい。実食係もぜひ兼任してください」
「するするっ♡ 任せて♡」
そんないつも通りの会話を交わしながら、二人は大通りから細い路地へと入る。
さらに右へ左へ曲がり、しばらく進んだ先にあるレンガ造りの建物……その二階が、二人の住まいだ。
外に取り付けられた螺旋階段を上り、ドアの鍵を開け、二人は約一ヶ月ぶりに自宅へと足を踏み入れた。
「うわっ、空気がこもってる! 換気換気!」
入った瞬間、エリスは荷物を床に置き、居間の奥にある一番大きな窓を開ける。
こもっていた空気が外に逃げ、爽やかな風が一気に吹き込んできた。
そのままエリスは、窓の外に目を向ける……と、
「……ん? なんか、景色変わった?」
部屋からの眺めに違和感を感じ、首を傾げた。
その声に、同じく荷物を置いたクレアが近付いてくる。
そして、エリスの背後から外を覗き、
「……そうですね。あの辺りの木が剪定されているのと、あの家の庇の色が変わっています。あと、あそこにあった雑貨屋さんがなくなっていますね」
「ほんとだ。ひと月も留守にしていれば、そりゃいろいろと変わるか」
「そうですね……生きていれば、人も街も変わっていきます。ずっと同じでいることなどできません」
「なにそれ。急に哲学的じゃない」
「今回の任務を通して、特にそう感じたのですよ。人との出会いで、人は変わるのだなぁと」
「……そうね。変わるのが怖いこともあるけど、良い方に変わり続けていけば、それはきっと楽しいわよね」
「えぇ。私は、エリスといれば良い方に変わっていくと確信していますよ? だからこれからも、変わることを恐れる必要はありません」
「とか言って、あんたの場合はますます変態になっていくだけじゃないの?」
「否定はできませんね。だって……」
──ちゅ……っ。
と、エリスを振り向かせるようにキスをして、
「……もう、貴女に触れたくてたまらないですから」
そう、悪戯っぽく囁く。
その瞳に熱が灯っていることに気が付き、エリスは慌てて止めようとするが……時既に遅し。
クレアは右手で彼女の身体を引き寄せると、空いた左手を窓へと伸ばし、
「そろそろ換気はおしまいにしましょう。ひと月我慢した私が、どれほどの変態に変わっているのか…………今からたっぷりと、教えてさしあげます」
にこっ、と完璧な微笑を浮かべて。
開けていた窓を、パタンと閉めた。
ー第二部 完ー
第二部、これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました。
お話としてはまだまだ終わっていないので、いつかまた続きを連載できたらなと考えています。
みなさまからの感想や評価を参考にじっくり構想を練りたいので、ぜひページ下部から評価(★印)、感想をお寄せください。レビューも大歓迎です。
全年齢向け短編集・ノクターンノベルズ版外伝は今後も不定期にて更新予定です。そちらもぜひ宜しくお願い致します。
それでは。本当にありがとうございました!!




