6-1 帰るべき場所
──数日後。
クレア・エリス・レナードの三人は、客間に集まっていた。
彼らの視線の先には、『元・竜殺ノ魔笛』を手にしたメディアルナがいる。
毎日練習してきた、笛の演奏。
その成果を、三人の前で発表しようとしているのだ。
「……では、いきます」
メディアルナは少し緊張した面持ちで言うと……
歌口に口を付け、笛を吹き始めた。
その旋律は、まだ笛に呪いの力が宿っていた時、毎朝彼女が奏でていたものと同じだった。
笛に操られるように吹いていたその曲を、彼女は今、自分自身の力で奏でている。
優しく、伸びやかで、希望に満ちた調べ。
それを聴きながら、エリスは"音の精霊"が反応していることを認識する。
匂いで追うことしかできないが…… 音色に乗り、まるで踊っているかのように空間を漂っていた。
精霊たちが反応すればする程、エリスは自分の気持ちが高揚していくのを感じる。
そしてそれは、クレアとレナードも同じだった。
メディアルナの演奏により、精霊の力が魔法として作用しているのだろう。
心が洗われるような音色に、三人は暫し聴き入った。
──演奏が終わり、メディアルナは笛から口を離す。
「い……いかがだったでしょうか?」
窺うように尋ねる彼女に、エリスがすぐに拍手をする。
「すっごく上手だった! すごいわ、ディアナ!!」
その隣でクレアも頷き、
「えぇ、実に見事な演奏でした。私の気のせいでなければ、精神的な作用も感じられたのですが……エリス、いかがでしたか?」
「うん、精霊も反応していた。この演奏なら、彼らも消えることなく力を発揮できるわ。精神作用の強さもちょうど良いかんじだし、街の人たちにも聴かせられるわね」
二人の評価を聞き、メディアルナは安堵の笑みを浮かべる。
残るは、レナードの評価だが……
メディアルナは、恐る恐る彼の方を見る。
その視線に気付いたレナードは、彼女を見つめ返し、
「……この短期間で、よくここまで吹けるようになったな。俺から教えることはもう何もない」
と、微笑みながら最大級の賛辞を送った。
メディアルナは、ぱぁっと顔を綻ばせる。
「ありがとうございます。本当にみなさんのおかげです。これで街の人々に音色を届けられますし、精霊さんともずっと一緒にいられます!」
「ん。この様子なら、明日にでもここを出発できそうだな。新しい使用人も今日中に到着する。引き継ぎは済ませておくから、お前は明日の演奏に集中しろ」
という、レナードの言葉に……
メディアルナは笑顔を少し曇らせて、「はい」と答えた。
レナードの言葉通り、国が管轄する斡旋所から新しい使用人がまもなく到着する予定だった。
さらに領主の退院も決まり、明日初めて公の場に立ち、病状や今後の公務についての演説をすることになっていた。
民に安心感を与えるためにも、その場で笛の演奏が出来ればと考え、こうして三人の前で最後の練習をしたわけだ。
俯くメディアルナをよそに、エリスはニヤリと笑って、
「よかったわね、ディアナ。酔っ払って変なコトする迷惑男がようやくいなくなるわよ? もう平手打ちする心配もないわね」
と、先日の誕生日パーティーのことを揶揄して言うので……
メディアルナはあの晩の出来事をありありと思い出し、顔を赤らめる。
あからさまな挑発を受けたレナードは、しかし表情を崩すことなく、
「この屋敷と笛との関わりについても調べ切った。今夜にでも共有する。新入りが来る前に荷物をまとめ、明日速やかに帰還できるよう準備しておけ。いいな」
淡々と言うと、客間から出て行った。
その背中を、エリスはジトッとした目で見送る。
「あいつ、散々酔っ払って恥ずかしいこといっぱいしたクセに全っ然気にしてないのよね……覚えていないのかしら?」
「いえ、単純にメンタルが強いのです。過ぎたことをとやかく言っても仕方ないと思っているのでしょう」
「さすが、"禁呪の武器"の精神攻撃を自力で払い除けるだけはあるわ。見習いたいものね」
「エリスも気にしなくて良いのですよ? 酔っ払って泣き虫幼女化したことも、私を食べようとしたことも……」
「うわぁああっ! もう思い出させないで! 悪かったわよ、迷惑かけて!!」
「迷惑だなんてとんでもない。貴女の可愛さが更新されただけです。来年のお誕生日には美味しいお酒を用意しますから、たくさん飲みましょうね」
「うっ……の、飲まないっ! ぜーったいに飲まないんだから!!」
……と、二人がいつものように言い合う横で。
メディアルナは、終始俯いていた。
それに気付いた二人が、心配げに彼女を見る。
「ど、どうしたのディアナ。元気ないわね」
「笛の演奏で疲れてしまいましたか? それとも、どこか具合が……?」
声をかける二人に、メディアルナは慌てて手を振り、
「い、いえ。すみません。具合が悪いとかではなく……」
みなさんとお別れするのが寂しくて。
そう言いかけるが、それを言ってしまうと二人がもっと心配すると思い、踏み止まる。
新しいお手伝いさんも来る。
お父さまも帰って来る。
笛も吹けるようになった。
となれば……
この三人がここにいる理由は、もうないのだ。
『寂しい』なんて理由で、彼らを引き止めることはできない。
メディアルナは、笛を握る手に力を込めると、
「……明日の演奏のことを思うと、少し緊張してしまって……今のうちに、たくさん練習しておきます」
そう言って、明るい笑顔を向けた。
* * * *
その日の午後、リンナエウスの屋敷に新しい使用人が三人、到着した。
ブランカを始めとする使用人たちと共に、業務に関する引き継ぎは滞りなくおこなわれた。
また、クレアが手配していた塔の修繕も順調に進んでいる。この屋敷での仕事が、いよいよ終わりを迎えようとしていた。
「はぁ……ついに明日、ここを去るのね」
エリスがため息混じりに言う。
最後の夕食を終え、エリスとクレアはレナードの部屋に集まっていた。
「寂しいですか? それとも、清々します?」
エリスの隣で、クレアが尋ねる。
彼女は「んー」と首を傾げて、
「どっちだろう……やっと帰れるーって気持ちもあるし、ちょっと寂しい気もする」
「では、もう少しここに残りますか?」
「ううん。ここから先は、ディアナたちに頑張ってもらうしかないもん。役目を終えたんならとっとと帰るわ。王都のご飯も恋しいし」
「エリスならそう言うと思っていました。帰ったら、馴染みの料理屋さんに顔を出しに行きましょうね」
「うん。……んで? あとは帰るだけなんだけど、これから何を話し合おうっていうの?」
と……エリスはレナードに目を向け、尋ねる。
二人をこの場に集めたのは、他でもないレナードだった。
彼は少し間を置いてから、ゆっくりと口を開き、
「……"禁呪の武器"が持つ、狂戦士化の呪い。その影響を受けない者の条件がわかった」
そう低い声で言うので、クレアは目を見開き、エリスは「ほんと?!」と身を乗り出す。
レナードは落ち着いた様子で頷き、
「あぁ。結論から言えば……関係しているのは、その武器に触れた"年齢"だ」
「ねんれい……?」
聞き返すエリスに、レナードは順を追って話し始めた。
「このリンナエウス家の者は、『竜殺ノ魔笛』が持つ力に魅了され、破滅することを繰り返してきた。辿る末路は皆同じ。精神に異常を来し、発狂して自害するか、殺されるか……だが、発狂するタイミングに差が見られた」
「……どういうこと?」
「笛に触れた直後に狂う者と、すぐにはそうならない者に分かれるということだ。例えば、メディアルナの曽祖父に当たる人物は触れた途端に発狂し、音色を聴いた妻と共に死んだらしい。対して、メディアルナの母親・セフィリアは幼少時代から狂うことなく笛を吹き続けていた。最後は自ら命を絶ったが、この発狂までに要する時間の差は何かと考えた。それが……」
「"年齢"、ですか?」
言葉を継ぐように尋ねるクレア。
レナードは、静かに頷く。
「そうだ。すぐに発狂しなかった者は、皆五歳になる前に笛に触れていた。メディアルナも、母親もそうだ」
「なるほど……だから、『初めから悪意を持った人間はすぐ呪いにかかっていたし、そうでない人間はかかりにくかった』、と……」
「俺も"音の精霊"から聞いたというその言葉が引っかかっていたんだ。"禁呪の武器"の呪いは、使用者が持つ悪意を引き出し増幅させるというもの。しかし自我が芽生え切っていない子どもの場合は、まだ明確な悪意すら持ち合わせていない。そう考えれば、その言葉とも一致する」
そして……
レナードは一度目を閉じ、『竜殺ノ魔笛』に触れた時の感覚を思い出す。
「……これは俺の推測だが、幼くして"禁呪の武器"に触れた人間は、悪意の素となると感情を失ってしまうのかもしれない」
「悪意のモト?」
「そう。『竜殺ノ魔笛』に触れた時、俺の中の黒い感情が笛に吸い上げられ、何倍にもなって返ってくるのを感じた。しかし悪意を持たない子どもの場合は、悪意に近い負の感情……例えば、悲しみや不安、寂しさなどを吸収され、それが返ってこないままなのではと、俺は考える」
「呪いがうまく発動せず、感情を吸い取られて終わる……ということでしょうか」
「恐らくな。しかし、悪意がまったくない人間など存在しない。成長し、様々なことを経験する中で、いずれは悪意が芽生える。悪意が十分に育ったタイミングで、ようやく呪いが発動するのだろう。メディアルナの母親の場合は、このパターンだったのだ」
と、そこで。
エリスが「待って」と手を挙げ、
「確かにディアナはいい子だし、悪意が吸い取られたって説にも頷けるわ。だけど、クレアは? クレアも呪いに耐性があるけど、その理論に当て嵌めるなら子どもの時に"禁呪の武器"に触れている必要がある。クレア、そんな覚えあるの?」
「いえ。そもそも"禁呪の武器"の存在自体、イリオンでの一件を通して知ったものなので……記憶にはありません」
クレアのその言葉を聞き、レナードは……
いよいよ話す時が来たのかと、少し居住まいを正す。
「……いいか。今から話すことは、決して誰にも言うな。軍部の人間にも、特殊部隊の隊員にもだ」
「な、何よいきなり。なんか怖いんだけど」
ただならぬ雰囲気を感じ、エリスは身構えるが……レナードは真剣な表情のまま続ける。
「……俺が初めてクレアルドに出会った時、こいつはまだ三、四歳の子どもだった。親戚に売られ、犯罪組織の運び屋をやらされていたところを助けたのだが…………その時、クレアルドが運んでいたものは、雷の矢を放つ奇妙な弓だった」
「雷を放つ弓……? それってまさか……!」
声を上げるエリスの横で、クレアも同じものを連想する。
それは……
「『天穿ツ雷弓』……『封魔伝説』に登場する、賢者の武器の一つ。その特徴と一致します」
つまりは、悪意に満ちた賢者たちが……いにしえの時代の権力者たちが生み出した、"禁呪の武器"の一つ。
「それを、クレアが運んでいたっていうの?」
「そう。しかも、その弓に触れた特殊部隊の隊員たちが次々に狂戦士化した。あの時は"禁呪の武器"の存在を知らなかったが……今思えば、特徴が完全に一致している」
「そんな……じゃあクレアは、そのせいで悪意を……感情を吸い取られたってこと……?」
エリスは、隣に座るクレアを見上げる。
確かに彼は、エリスに出会うまで『怒り』という感情を知らなかったと話していた。国に仕える戦士として、無感情に任務をこなしてきたことも知っている。
それがまさか、"禁呪の武器"によるものだったなんて……
動揺するエリスだが、しかしクレアは落ち着いた様子で、
「その弓は、どうなったのですか?」
レナードに、そう尋ねる。
「"禁呪の武器"ならば、精霊を解放しない限り呪いを保持したままのはずです。どのように処理したのですか?」
それに、レナードは目を伏せ、
「弓は、軍部を通して魔法研究所に送られた。それ以降、どうなったのかはわからない」
「では、呪いがかかったままの状態で、今も国が保管している可能性があると……」
「恐らく……いや、間違いなくそうだろう」
そこまで聞いて、クレアはレナードが「この話を他言するな」と言った理由を理解する。
つまり……
「国の上層部は、十数年前から"禁呪の武器"の存在を知っていた……しかしそれを隠し、さらに他の武器を回収するよう我々に命じているのですね」
「そうだ。しかも、呪いの力を保持したまま持ち帰ることを要求している。あのような危険なものを現場で処理せず持ち帰るなど、リスクが大きすぎる。普通に考えればありえない」
「呪いを持ったままの武器を集めて、一体何をするつもりなのかしら。精霊や魔法技術の研究のため? けど、それなら隠す必要もないし……なーんか怪しいわね」
「考えられるのは、狂戦士化の呪いの技術を現代魔法に落とし込み、実用化しようとしている……あるいはそのまま武器として使用し、戦争が起きた時に使おうとしている……とかでしょうか」
「うわっ。どっちにしろロクなことにならないわね」
「レナードさんがこの任務に同行したのは、そうした事態を危惧したからなのですね」
彼の目的を理解したクレアが尋ねると、レナードは少し間を置いてからそれに答える。
「……ジェフリー隊長を含め、あの時いた隊のメンバーはもういない。"雷を放つ弓"の件を覚えているのも、国がそれを隠蔽していることを知っているのも、今となっては俺だけだ。だから、"禁呪の武器"に関する任務は俺が担当するべきだと考えた。上層部の動向を見極めながら武器の回収を担おうと、そう思ったのだ。しかし……残念ながら、俺には呪いに対する耐性がなかった」
そして、レナードはクレアをじっと睨み付け、
「お前には任せておけないと思ったのだ。得体の知れない女の色香に惑わされているようでは、本質を見抜けないまま上層部に利用されるのが関の山だとな」
「ちょっと、誰が得体の知れない女よ!!」
「魔法学院を飛び級で卒業したにも関わらず治安調査員を志願する女など十分に得体が知れないだろう。最初はお前のことも疑っていたのだ。クレアルドを利用するために上層部が放ったハニートラップなのではないかと」
「えっ。あたし、疑われてたの?!」
「あぁ。それこそ無理矢理惚れさせるような魔法を使ったのではとも考えたが……お前にそんな器用さがあるとは思えず、今は疑うのを保留にしているところだ」
「そんな理由で保留にされても全然嬉しくないんだけど! 完全にバカにしてるよね?!」
なるほど、それでエリスへの当たりが必要以上にキツかったのか……
と、一人納得するクレア。
そして、犬歯を剥き出して怒るエリスの頭にぽんと手を乗せると、
「確かに弓の件は記憶にありませんでしたし、エリスの色香に惑わされたのも事実です。レナードさんに頼りないと思われても仕方ありません。しかし、一つ安心していただきたいのは……彼女は『得体の知れない女』などではないということです」
そして。
レナードの目を、真っ直ぐに見つめ、
「エリスは…………ジェフリー・ウォルクス隊長の娘です」
……と、これまで特殊部隊の隊員にすら秘密にしていた事実を伝えた。
思いがけない告白に、レナードは目を見開く。
「なっ……隊長の、娘だと……?」
「はい。隊長の経歴を調べ尽くしたので間違いありません。亡くなる間際に『娘を見守ってくれ』と頼まれ、私が探し出しました」
「……本当なのか……?」
レナードが動揺を隠し切れない様子で尋ねると、エリスは肩をすくめて、
「うん。ジェフリーは、間違いなくあたしの父さんの名前よ。子どもの時に離れたから顔はあんま覚えてないけど」
「初めて見つけた時、彼女はまだ十四歳でした。つまり、まだ魔法学院に入学する前。その頃からずーっとストーキング……もとい見守ってきたので、上層部からの使者でないことは確かです」
二人の言葉に、レナードは未だ信じ切れないという顔をするが……
やがて、ふっと笑みを溢し、
「顔は似ていないが……なるほど。目的のためなら手段を選ばないところは、隊長にそっくりだ」
そう、どこか懐かしそうに言った。
その穏やかな表情を見て、クレアは……
「……レナードさんが国の方針に疑問を持つなんて、意外でした」
と、ジェフリーがいた頃のことを思い出しながら言う。
「『国に尽くすことこそが全て』……その姿勢を私たち後輩に見せ、教え続けてきたのは、他でもないレナードさんでした。それなのに、国のやり方に異を唱えるだなんて……上層部も予想できないことでしょう」
そう。レナードは、誰よりも忠実に国のために働いてきた。
どんなに過酷な任務も、国の命とあらば淡々と遂行してきた。
そんな彼が、"禁呪の武器"を集める国のやり方に疑念を抱いているとは……クレアにとって意外すぎることだった。
クレアの言葉を聞き、レナードは少し考えるように目を伏せる。
そして、
「……俺の仕事は、この国を守ることだ。しかし俺にとっての"国"は、軍部の上層部、ましてや王のことでもない。アルアビスに住まう民の一人一人が、この国そのものなのだ」
そう、真剣な表情で言う。
「だからこそ、どんな犠牲を払ってでも任務を遂行し、守るべきだと考えてきた。上層部が"禁呪の武器"を集め、危険な使い方をしようとしているのなら、無関係な民にまで危害が及ぶ可能性がある。それを止めるのも、"国"を守る俺の仕事だ」
それから、口の端を吊り上げ自嘲気味に笑って、
「要するに俺は、国が望むような『従順な駒』ではないのだ。俺だけではない。隊の連中もそうだろう。感情のないふりをしてはいるが、本当は違う。それぞれがそれぞれの矜持を掲げ、あるいは言い訳をしながら心を殺し、任務に臨んでいるだけ。だが……クレアルド。お前だけは違った。お前だけは、本当に……感情がなかったのだな」
そう言って、レナードはクレアを見つめる。
ようやくわかった。
クレアだけが、特別だった理由。
"禁呪の武器"に負の感情を奪われたせいで、不安も怒りも悲しみもない、空っぽな子どもだったのだ。
しかし……
「しかし、お前は変わった。今のお前の目からは、様々な感情を感じる。それも全て、隣にいる女のおかげなのだろう」
と、今度はエリスに目を向け、言う。
「……お前には、クレアルドをこんな風にした責任を取ってもらわなければならない。"禁呪の武器"の解放と……弟のことは、お前に任せる」
「お兄ちゃん……」
「いずれクレアルドも武器の呪いを受けるようになるだろう。先ほども話した通り、悪意の芽生えない人間はいない。わかっていると思うが、この男が狂戦士化したら止めるのには相当骨が折れる。そうなる前に残りの武器を見つけることだ。俺も"中央"で上の動きを探りながら情報を集める」
淡々と言うレナードだが、その言葉に優しさを感じ、エリスはニヤニヤと笑う。
「お兄ちゃんてほんと、クレアのこと大好きなのね」
「うるさい」
「いいわよ。あんたの弟は、あたしがちゃんと面倒見る。だから安心して」
揶揄うようなエリスの言葉に、レナードは視線を逸らす。
その横顔を、クレアは真っ直ぐに見つめ、
「レナードさん」
「……なんだ」
「おっしゃる通り、私はエリスと出会ってからようやく感情を手に入れたのだと思っています。だから……今ならよくわかるのです。レナードさんがこれまで、どれだけ私のことを大事にしてくれていたのか」
それは、この任務が終わったら伝えようと決めていたこと。
ジェフリーには伝えられなかった……感謝の言葉。
「……ありがとうございます。私にとってレナードさんは、これまでも、そしてこれからも、兄のような特別な存在です。あなたの弟という立場に恥じぬよう、"禁呪の武器"は必ず解放します」
瞬間。
レナードの脳裏に、遠い日のクレアの姿が浮かぶ。
『──ありがとう、レナードさん。僕を助けてくれて』
幼い彼に、初めてもらった感謝の言葉。
あの言葉があったからこそ、ここまで生きて来られた。
だから……
「……ふん。礼など、一度聞けば充分だ」
と、呟くように言う。
クレアとエリスが「え?」と聞き返すが、レナードは不敵な笑みを浮かべ、
「……そんな言葉で機嫌が取れると思うなよ。言っておくが、家に帰るまでが任務だ。それまで恋人らしいことはさせない。最後まできっちり見張らせてもらうからな」
「えぇーそんなぁ」
「当たり前だろう。お前たちをしっかり監督することも俺の仕事だ」
「……そこまでおっしゃるのなら、王都に帰るまでずっと、ご飯の時も見張っていてください。でないと私たち、食事中でもいちゃいちゃしちゃいますから。お一人で出かけたりせず、一緒に食べてくださいね?」
なんて、クレアに爽やかな笑みを返されるので。
レナードは、やれやれと息を吐きながら、
「……『あーん』などしようものなら、俺が全部食ってやる。覚悟していろ」
そう、悪戯っぽく答えた。
* * * *
そうして、クレアとエリスはそれぞれの部屋へと戻った。
屋敷はすっかり寝静まり、まもなく深夜と呼べる時間になる。
自室で一人になったレナードは、窓の外に浮かぶ月を静かに眺めていた。
この屋敷で過ごす、最後の夜。
明日は、街の広場で行なわれる領主の演説とメディアルナの演奏を見届けた後、そのまま馬車で王都に帰還する予定だ。
いろいろあったが、"禁呪の武器"に関する情報を二人に託すことができた。
あとは、メディアルナの演奏がうまくいけばいいが……
彼女の姿を思い浮かべながら、そんなことを考えていると、
「…………ん?」
窓の外……中庭の方で、何かが光った。
目を凝らし見つめると、ランタンの灯りのようなものが、草木の向こうでふらふらと揺れているようだった。
……間違いない。誰かいる。
レナードはすぐに部屋を出ると、気配を殺しながら中庭を目指す。
夜回り係のユーレスの可能性もあるが、彼の見回りのルートからはやや外れた場所のようにも見えた。
泥棒か。それとも屋敷の人間か。
何にせよ、行ってみればわかることだ。
足音を立てないよう、レナードは慎重に中庭を進む。
すると、暗闇が広がる中、物置小屋の近くにランタンが置かれているのを発見する。先ほど見えた光はこれだろう。
さらに小屋の扉が開いており、中からガサゴソと音がした。
……やはり泥棒か?
レナードがそうっと、開け放たれた物置小屋の中を覗いてみる……と。
「きゃっ……って、あれ? レナードさん……どうしてこんなところに?」
そこにいたのは、寝間着姿のメディアルナだった。