11 敵の出現には冷静に対処しましょう
その晩、国立グリムワーズ魔法学院女子寮の食堂は、俄かに色めき立った。
メインの魚料理にスープとサラダ、といういつものメニューに加え、美味しそうなショートケーキが付いてきたのだ。うら若き女子たちのテンションが上がらないはずがない。
「学院長のご厚意で、今日はデザート付きです! ただし女子だけ特別に、だそうなので、みんな学校では内緒にね!!」
寮母さんの呼びかけに、女子生徒たちは『はーい!』と元気に答える。
テーブルに座り、目の前のトレーに乗ったショートケーキを見つめて、
「…………?」
十五歳の誕生日を明日に控えたエリシアは、小さく首を傾げた。
一方、その頃。
一階・調理場奥の換気ダクトから女子寮内に侵入をしたクレアは、エリシアの部屋がある三階の天井裏へと辿り着いていた。
生徒たちは全員、夕食のため食堂にいる。この後入浴を済ませて、定刻になったら一斉に消灯となるはずだ。
寮内が寝静まったのを見計らって、天井裏を伝いエリシアの部屋のベランダへと出る。そこから、室内へと入り込むのが彼の計画だ。
一日早い誕生日ケーキ、エリシアは喜んでくれただろうか?
食べている姿も見たかったが……花を届けるミッションが最優先である。
さて、ここからが長い。
生徒たちが完全に寝静まるまで、あと五時間ほど……いや、もっとかかるかもしれない。
それまで、この暗くて狭い天井裏のダクト内でじっとしていなければならないのだから、並の人間ならば気が滅入ってしまうことだろう。
しかし、数々の潜入捜査をこなしてきたクレアにとって、それはまだ時間的には短い方であり……
何よりも、待てば待つほど彼女の部屋へ足を踏み入れることへの高揚感が、より増すようで……
……って、いかんいかん。また変態思考に飲み込まれるところだった。
これは任務。あくまで、任務だ。
冷静さを欠けば、致命的なミスにだって繋がりかねない。
精神を落ち着かせ、五感を研ぎ澄ませるのだ。寮内の人の動きに、全神経を集中させねば……
と、クレアが暗いダクト内に這いつくばりながら、目を閉じると。
「──ふんふんふーん♪」
どこからか、そんな鼻歌が聞こえてくる。
それはクレアにとって……聞き覚えのある声とメロディだった。
彼は息を殺し、極力音を立てないようダクト内を進み、天井に開いた通気口から寮内を見下ろす。
ちょうど、三階へと上がる階段部分が見える位置だが……
下階から、軽い足取りで上ってくる人物が一人。
美人エリート教師……チェルロッタ・ストゥルルソンである。
「………………」
やはり、現れたか。
彼女作の官能小説の展開的にも、エリシアの誕生日前後に何かしらのアクションを起こしてくることは予想していたが……
と、そこで。
「…………!!」
クレアは驚愕し、目を見開く。
鼻歌混じりに進む彼女の手に、キラリと光るもの。それは……
金色の、鍵の束だ。
丸い輪っかに通されたいくつもの鍵が、チェロの動きに合わせてカチャカチャと揺れている。
あれは恐らく、三階の寮部屋すべての鍵をまとめたもの。
チェロのやつ、寮内の人間が全員食堂に集まるこのタイミングを見計らって、管理室から鍵を盗み出したのか……? それとも、管理人をうまく言いくるめて拝借してきたのか……
当然、あの中にはエリシアの部屋の鍵だって含まれているはずだ。
それがあればエリシアが夜、内鍵を閉めたところで解錠できてしまうわけだから……
簡単に、部屋への侵入を許してしまう。
…………まずい。非常に、まずい。
よく見れば彼女、裾の長いトレンチコートを着て、前をぴっちり閉めているが……
……まさか。
彼女の書いた、あの小説のように。
全裸リボンの自分自身を、エリシアにプレゼントするつもりじゃあるまいな……?!
と、クレアが焦る中、チェロは鍵をユラユラ揺らしながら三階へと辿り着いた。
そのまま、エリシアの部屋の方……ではなく、真反対へと廊下を突き進んでゆく。
そして、突き当たりにある『倉庫』と書かれた部屋の鍵を開け始めた。
天井裏を進み、彼女を追いかけながらクレアは思う。
チェロもクレア同様、寮内が寝静まるまでここに身を潜め、エリシアの部屋に侵入する機を伺うつもりなのだろう。
……恐ろしい。完全に、夜這いするつもりじゃないか。
なんとしても、阻止しなければ。
チェロが倉庫内へ姿を消したのを確認し、クレアもダクトを這って先へ進む。
倉庫の天井部分にも通気口があり、中の様子が見下ろせるが……灯りをつけていないのか、真っ暗で何も見えず、チェロがどこにいるかもわからない。
寮内が消灯された後、倉庫から灯りが漏れていたらここに潜んでいることがバレる可能性がある。それを危惧してのことだろう。
が、クレアにとってそれは好都合だった。
見えない方が、かえって『対チェルロッタ用の罠』を仕掛けやすいからである。
「んふふ……ついにエリスに想いを伝える時が来たわ……初めてだろうから、うんと優しくしてあげなきゃ♡」
ほらな、ヤル気満々だ。
これはもう完全に黒である。
チェロの独り言を耳にし、クレアは戦慄する。
確かにエリシアは友だちも作らず、チェロにだけ懐いている。
しかしそれは『錬糧術』を早く開発したいからであって、恋愛感情によるものではないことは側から見ていても明らかだ。
それを、チェロときたら……ここまで勘違いを拗らせるとは。「恋は盲目」とは、よく言ったものである。
……と、まるで人のことを言えない立場にいるのだが、無自覚なクレアは「やれやれ」と首を振り。
懐から"あるもの"を取り出すと、ソレに細いワイヤーをくくりつけ。
通気口のカバーをそっと開け、ワイヤーを少しずつ垂らしながらソレを倉庫の中へと降ろしてゆく。
やがて床にぶつかると「ゴトッ」と鈍い音がし、チェロが無言で反応するのがわかる。
クレアは慌てず慎重にワイヤーを回収し、音を立てないように通気口のカバーを閉じた。
その間に、チェロが胸元から小瓶を取り出し、栓をきゅぽんっと開ける。
「──アテナ。照らして」
チェロの囁くような声の後、淡い光球が倉庫内に浮かび上がった。
魔法は専門ではないクレアだが……恐らく光の性質を持つ精霊が封じられた瓶を開けたのだろう。彼女の専売特許だ。
チェロはその光球を手のひらの上に浮かべ、クレアがワイヤーで降ろした"あるもの"に近づく。
暗い倉庫の中、光に照らされ見えたソレは……
「………!! サリーチェ・ルヴィニヨンじゃない! なんでこんなところに……」
サリーチェ・ルヴィニヨン。
チェロが毎晩欠かさず飲んでいる、赤ワインの銘柄である。
万が一の時に役に立つかもしれないと、わざわざ持って来ていたが……本当に使うことになろうとは。
「……あれかしら。生徒が所持していたのを没収して、とりあえずここに置いている、とか?」
などと、明らかに不自然に置かれた酒瓶に対して都合の良い解釈を始めるチェロ。どこまでも前向きな思考回路である。
「であれば……飲んじゃっても問題ないわよね? どうせ捨てるんだろうから。ちょっと一杯ひっかけて、緊張を解きたいと思っていたところだし」
自分に言い聞かせるように頷くと、彼女は手の平に浮かべていた光球を近くに積まれた木箱の上に置き、
「いただきまーす♡」
コルクを開け、無遠慮にラッパ飲みをし始めた。
ごっ、ごっ、ごっ……
「……っぷはーっ! やっぱコレよねぇ〜。いつもの味、最高♡」
なんて言いながら、およそワインを飲むペースとは思えぬ早さでみるみる嵩を減らしてゆき……
──ゴロッ。
と、ものの数分で、空っぽになった瓶が床に転がされた。
「んん♡ 美味しかった♡」
満足げに舌舐めずりをするチェロ。赤ワインをボトル一本開けたくらいでは、彼女が酔わないことくらいクレアも既に把握済みである。
……しかし、
「……む……なんだかヤケに……眠たくなってきたわね……」
チェロは目をこすりながら、酩酊するかのように身体をグラグラと揺らし始める。
……実はこれ、ただのサリーチェ・ルヴィニヨンではない。
少量の睡眠薬を混入させた、クレア特製『眠れる赤ワイン』なのだ。
一口飲めば数時間は眠らせることができるくらいの効果があるが……よもや全量一気飲みをするとは。こりゃ明日の朝まで起きないぞ?
天井裏から覗き見ながら、クレアがそんなことを思っていると……
──ばたん!
はい寝た。朝まで熟睡コースだな、これは。
仰向けに倒れ、すぐにいびきをかきはじめたチェロを確認し、クレアは静かに天井裏から倉庫へと降り立つ。
念のため、閉じられた瞼の前で手を何度かヒラヒラさせてみるが、反応なし。完全に落ちている。
クレアは彼女の着ているトレンチコートのポケットに手を入れ、金色の鍵の束を取り出した。
思いがけない収穫。これを使えば、一度ベランダに出ずとも正面からエリシアの部屋へ入れてしまう。
確実に侵入できる上、外から誰かに目撃される心配もなくなるのだ。
彼はそれを大事に自身のポケットへとしまい込むと、
「……………」
大の字に寝転び、ぐぅぐぅいびきを立てるチェロを見つめる。
そして……念のため、コートの裾をチラッと捲り、中身をあらためると……
「……………!!」
スラリと伸びた、一糸纏わぬ長い脚。
その肌色の先、腰回りに巻き付けられた赤い帯状のものが見え……
バッ。と、コートから手を離す。
この女……
本当に全裸リボンで来やがった……!!
まったく……あの品行方正な美人エリート教師が、こんな痴女みたいな格好をしているとは誰も思うまい。
いっそのこと、コートをひん剥いて廊下に放り出してやろうか。エリシアが毒牙にかけられる前に、社会的に抹殺すべきなのでは……?
……なんて、クレアは一瞬考えるが。
エリシアが学院内で唯一笑顔で話せる相手であり、彼女の夢に近付くための師でもあるので。
……今回のところは、これで勘弁してやろう、と。
チェロの残した魔法の光をフッと吹き消しながら、そんなことを思うのであった。