4-2 パーティーが始まる
一方、クレアとエリスはというと……
花畑の景色を心ゆくまで堪能した後、馬車に乗ってリンナエウスの街へと戻っていた。
エリスが今日に決めたクレアの誕生日を祝うべく、プレゼントを選びに来たのだが……
「うーん。申し訳ないことに、物欲が皆無でして……何が欲しいかと言われると、何もないんですよねぇ」
と、賑やかな商店街を歩きながらクレアが困ったように笑うので、エリスは「え〜」とぼやく。
「ほんとに何もないの? 服とか靴とか、鞄とか財布とか……身の回りで新調したいものとかない?」
「新調したいもの……あぁ、そういえば家の包丁の切れ味が落ちてきたので、砥石が欲しいですね」
「それは"あんたが欲しいもの"じゃなくて"生活に必要なもの"でしょ? そういうのはプレゼントに相応しくないわ」
「そうなのですか? ふむ……難しいですね」
エリスに指摘され、顎に手を当てるクレア。
そうして、しばらく考えた後、
「……では、リボンが欲しいです」
と、閃いたように言うので、エリスは首を傾げる。
「リボン? 何に使うの?」
「貴女のバスト・ウエスト・ヒップに巻き付け、その長さで切って、今日この日のエリスのサイズとして永久保存するのです」
「却下!!」
「なんと……リボンという点がプレゼントっぽくて良いと思ったのですが」
「どこが?! ていうかよくそんな飽きずに何回も測れるわね! いっつもやってるんだから今さらいらないでしょ!? もっとこう、特別なものにしなさいよ!!」
「特別なもの……では、貴女の"拓"を取らせてください」
「……"たく"ってなに」
「魚拓というのがありますよね? 魚にインクを塗って紙に貼り付けて、その姿を写し取るという。あれのエリス版をやらせてください」
「イヤに決まってるでしょ!!??」
全身真っ黒なインクに塗れた自分を想像し、エリスは全力で否定する。
思いついた案を悉く却下され、クレアは困ったように腕を組み、
「それも駄目となると、いよいよ欲しいものが思い当たりませんね……何せ、エリスに対する欲求しかないので」
「それはそれでどうなのよ……あたしがいなくなったら、あんたどうなっちゃうわけ?」
と、呆れ半分、照れ半分な表情で言うエリスを、クレアはじーっと見つめ……
「……首輪」
「は?」
「エリスがいなくなるなんて耐えられません。やはり監禁しましょう。ということで、プレゼントは首輪と鎖が良いです。頑丈なやつでお願いします」
「自分の監禁セット贈るってどゆこと?! 大丈夫、嘘よ! 絶対にいなくなったりしないから!!」
顔を赤くし、声を荒らげるエリス。
その必死な態度に、クレアはくすりと笑い、
「すみません、冗談です。エリスがいなくなるだなんて考えていませんよ。貴女は、私が思っているよりも私のことが好きみたいですからね」
と、先ほど花畑で言ったセリフを揶揄するように言われ、エリスは「う」と恥ずかしそうに俯く。
その顔を眺め……
「……そうだ」
クレアは、あることを思い付く。
「エリス。私、絵を描くための道具が欲しいです」
突然飛び出したまともな要求に、エリスはぱちくりとまばたきをする。
「絵を描く道具……? 鉛筆とか絵の具とか、ってこと?」
「そうです。色鉛筆なら家にありますが、ちゃんとした画材セットが欲しいなと思いまして」
それを聞き、エリスは納得する。
以前彼女は、食べた料理を記録する"メモ帳"を持ち歩いていた。
しかし、『風別ツ劔』を巡る戦いの中で破損してしまったため、代わりにクレアが料理の絵を描いたノートをプレゼントしたのだ。
あの後も、彼は食べた料理の絵を描いて記録し続けてくれている。
だから、彼に絵の才能があることをエリスはよく知っていた。
ようやく真っ当なリクエストを聞くことができ、エリスは頷く。
「うん、いいわね。それじゃあ、プレゼントは画材セットってことで」
「ありがとうございます」
「んで、何の絵が描きたいの? やっぱ料理? それともさっきのお花畑みたいな風景とか?」
少しワクワクした様子で尋ねるエリスに、クレアは穏やかに微笑むと、
「……私が描きたいのは、十七歳になった貴女の絵ですよ」
そう答えた。
それに、エリスは「えぇ?」と聞き返す。
「あたしの絵? あんた、人物画も描けるの?」
「はい。むしろそっちの方が得意です」
「あ、もしかしてアレ? 仕事柄、指名手配犯の人相を描くことがあったとか?」
「まぁ、そんなところです」
「へぇー。じゃあ、うまく描いてよね。誰かに似顔絵描いてもらうのなんて初めてだから、ちょっと楽しみ」
と、照れつつも声を弾ませるエリスだが……
そもそも彼が絵の技術を習得したのは、一方的にストーキングをしていた時にエリスの姿を描き留めるためだったという事実を、彼女は知らない。
だが、この場では言わないでおこうと、クレアは思う。
たぶん自分は、彼女が思っているよりも変態だ。
いつか、これまで描いたエリスの絵と共にその秘密を暴露したら……彼女はどんな顔をするだろう。
驚いて絶句するだろうか?
それとも、「気持ち悪い」と引かれるだろうか?
自分の愛の重さに、彼女が顔を顰めるのを想像すると……何故だか少し、興奮する。
……そんな考えを、クレアは爽やかな微笑の裏に隠して。
「えぇ。今までで一番気持ちを込めて描きますから……楽しみにしていてください」
そう言って彼女の手を繋ぎ、画材が売っている店へと歩き始めた。
* * * *
時間は移り、その日の午後。
「──料理長! パンケーキの作り方教えて!!」
画材セットを買い終え、屋敷に戻ったエリスは、厨房に入るなりそう叫んだ。
その声に、ちょうど昼食を摂っていたメディアルナが少し驚いて振り返る。
「あらエリス、おかえりなさい」
「あ、ディアナ。ただいま。ごめんね、勝手に出かけてて」
「いえいえ、大丈夫です。それより、パンケーキを作るのですか?」
「そうなの! ねぇ、料理長。急で悪いんだけど、今から厨房を借りてもいい?」
エリスは皿洗いをする料理長にツカツカと近付き、返事を待たずに続ける。
「今日ね、クレアの誕生日なの。だからお祝いにパンケーキを作ってあげたくて」
「まぁ。クレアルドさん、お誕生日なのですね」
料理長の代わりにメディアルナが答えるので、エリスは頷き、
「うん、さっき決まった」
「……え? さっき??」
意味がわからず首を傾げるメディアルナ。
エリスは、彼の複雑な生い立ちについて、簡潔に説明した──
「──というわけで、あいつには今まで誕生日がなかったの。だから、急拵えだけどちゃんとお祝いしてあげたくて」
「なるほど。そういうことでしたか」
と、メディアルナは納得するが、料理長は相変わらず無言のままだ。
エリスは皿を拭く彼の袖を掴んで、
「ケーキ作りはさすがに無理だけど、パンケーキならあたしにもできるんじゃないかと思うの。だって、料理長が作るのをずっと近くで見てきたんだもん。ね、そう思わない?」
横から顔を覗き込むように、そう尋ねる。
料理長は最後の一枚を拭き上げると、ようやく手を止め彼女に目を向け、
「……見た目ほど簡単ではない。いくつかのコツが必要だ。教えてやるから、しっかりやれ」
と、渋みのある低音ボイスで答える。
エリスは満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに「うんっ!」と頷いた。
その姿を、微笑ましく眺めながら……
「(……ということは…………)」
と、メディアルナは考える。
今、エリスから聞かされた話……
もしかして、子どもの頃から彼と同じ特殊部隊に所属していたというレナードにも、誕生日がなかったりして……
「…………」
メディアルナは、胸の奥がきゅっと切なくなるのを感じ。
料理の最後の一口を、ゆっくりと飲み込んだ。
* * * *
──さらに、その数時間後。
「…………どう?」
と、エリスは緊張の面持ちでクレアを見つめる。
彼女が作ったパンケーキ──その最初の一口を、今まさにクレアが口の中へと入れたところであった。
ふんわり焼き上げた生地の上に、たっぷりの生クリームと苺を乗せた、エリス特製・お誕生日パンケーキである。
彼は静かに目を閉じ、じっくり味わうように咀嚼する。と……
──つぅ。
と、涙を一筋流しながら、
「めっっちゃくちゃ、美味しいです……っ」
感動に声を震わせながら、グッと親指を立てた。
「何ですか、この奇跡的な食感の生地は……ふわっふわで軽くて、舌の上で雲のようにとろけてしまいました。生クリームもミルク感のある上品な甘さで、甘酸っぱい苺と見事な調和を生み出しています。こんなに美味しいパンケーキは食べたことがありません。エリス、貴女ひょっとして天才ですね?」
言葉を尽くして絶賛するクレアに、エリスは照れながら頬を掻く。
「ほ、褒めすぎだよう。料理長にいっぱい助けてもらって、なんとか形になったって感じだし……」
「いいえ。貴女の愛情が細部にまで宿った、究極の誕生日ケーキです。ただでさえ貴女は、精霊の干渉を受けるが故に料理するのが大変なのに……本当にありがとうございます。生きていてよかったです」
「もう、大袈裟だなぁ」
と言いつつ、クレアに喜んでもらえたことが嬉しくて、エリスの胸は安堵と満足感で満たされていた。
そうして、一口一口を大切にしながら食べ進める彼の姿を、エリスは微笑みながら眺め続けた──
「──はぁ。美味しかったです。ごちそうさまでした」
両手を合わせ、クレアは空になった皿に頭を下げる。
二人は今、エリスの部屋にいた。
メディアルナの笛の練習を一時抜け出し、出来上がったパンケーキをここへ運んできたのだ。
窓の外に広がる空には橙色が差し始めている。おやつと呼ぶには少し遅い時間である。
エリスは「お粗末さまでした」と言って食器を片付け始める。
「夕食も料理長が誕生日メニューにしてくれるって言ってたから、楽しみにしててね」
「本当ですか? そんなお気遣いいただいて……あとでお礼を言わなくては」
「と言いつつ、こんな時間にたっぷり食べさせちゃったわね。大丈夫? もうお腹いっぱいなんじゃない?」
「問題ありません。美味しいものはいくらでも食べられます」
「あら、頼もしい。いっぱい食べるのは好きよ。惚れ直してあげる」
「ありがとうございます」
そう言って笑い、クレアは幸福感で満たされたお腹に手を当てる。
「……本当に、最高の誕生日です。素晴らしい画材セットを買ってもらって、美味しいケーキを作ってもらって……貴女といられるだけでも幸せなのに、こんなにいろいろ貰ってしまって良いのでしょうか?」
「何言ってんのよ。そもそもあんたがあの花畑をプレゼントしてくれたんでしょ? それに比べたらあたしのなんて、ありふれたものばかりよ」
「そんなことはありません。どれも私のことを考えて用意してくれた、特別な贈り物です」
「……でも…………」
でもやっぱり、クレアが数ヶ月前から用意していたあの花束には敵わないと、エリスは思う。
だから……
この感謝を伝えるため、そして彼にもっと喜んでもらうために……
「……ほ、ほんとはもっと、あたしにしてほしいコトとか……あるでしょ?」
……と。
顔を赤らめ、ごにょごにょと口籠もりながら言う。
そう。この男は、超ド級の変態なのだ。
そんな彼を最も喜ばせる方法は何か……もはや考えるまでもない。
さっきは街中だったこともあり、彼のふざけた要求を全て否定してしまったが、ちゃんと真面目に求めてくれるのなら、そういうことも吝かではない。
もしかしたら、想像を絶するような恥ずかしいコトを要求されるかもしれないが……
今夜はできる限り、彼の望みを叶えてあげたい。
だって今日は、彼にとって初めての誕生日だから。
「きょ、今日だけは特別に…………してほしいコト、何でも言ってくれていいんだからね。その……頑張るから」
顔を逸らし、エリスは精一杯の気持ちを伝える。
言っちゃった。
自分でもなかなか大胆なことを言ったと思う。
嗚呼、心臓がドキドキと煩い。
恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
でも…………もう、後には引けない。
静かに決意を固める彼女の横顔を、クレアはじっと見つめ……
そして、その両肩をそっと掴み、目を合わせると、
「──何を言っているのですか。こんなにお祝いしていただいたのに、これ以上貴女に何かを要求することなどできるはずがありません」
……と、極めて真剣な表情で言うので。
エリスは「へっ?」と間の抜けた声を上げる。
「次は私が貴女をお祝いする番です。何せ貴女の誕生日本番は、明日なのですから」
「そ、それはそうだけど……」
「明日の夜はたくさんのご馳走を用意して、貴女の誕生日パーティーをしますからね。今日の夜から料理の仕込みをするつもりでいますので、どうか楽しみにしていてください」
「今日の……夜から?」
「はい。あの広い厨房をお借りして、普段はなかなか作れないような手の込んだ料理を作りたいと思っています。貴女に喜んでいただけるよう、全力で頑張ります」
そう語るクレアの目は、純粋なヤル気にキラキラと輝いていた。
エリスは、自分が考えていたことが猛烈に恥ずかしくなり……冷や汗を流しながら、
「す、すごい楽しみ〜……どんな料理を作ってくれるのかなぁ??」
と、震える声で返す。
クレアは爽やかに笑いながら彼女から離れ、
「ふふ、それは明日のお楽しみですよ。さぁ、メディアルナさんのところへ戻りましょう。もう少しだけ笛の練習をお手伝いしなくては」
そのまま、スタスタと部屋を出て行こうとするので。
エリスは、熱くなった両頬に手を当てて、
「……先行ってて。ちょっと、頭冷やしてから行く」
と、居た堪れない気持ちで、呟くように言った。




