4-1 パーティーが始まる
クレアとエリスが花畑に赴いている頃──
リンナエウス家の屋敷では、メディアルナが一人厨房で朝食を食べていた。
皿洗いをする料理長の背中を見ながら、彼女はこの後の過ごし方について考える。
今日もレナードたちと笛の練習をするつもりでいたが、彼らの姿が見当たらない。
いつもなら探さずともエリスの元気な声が聞こえてくるのに……どこかへ出かけているのだろうか。
昨日完成した楽譜は、レナードが持っているはずだ。
せめて彼だけでも見つけて一緒に練習をしたいのだが……
「……もしかすると、塔の方かしら?」
と、メディアルナはパンを頬張りながら呟く。
クレアが壊した塔の屋根について、修理の手配を進めると言っていた。屋敷の中にいないのなら、外にいるのかもしれない。
彼女はスープを飲み切ると、「ごちそうさまでした」と料理長に告げ、厨房を出た。
そしてそのまま、表玄関から庭へと向かった。
──草花が咲き誇る庭園を抜け、彼女は塔を目指す。
しかし辿り着いたそこに、レナードたちの姿はなかった。
やはりどこかへ出かけているのかもしれない。
小さく息を吐き、メディアルナは塔を見上げる。
そして、思う。
……いけない。
あの三人にすっかり頼り切ってしまっているが、彼らはずっとここにいてくれるわけではない。
もうしばらくしたら、王都へ帰ってしまうのだ。
だから、彼らがどこにいようと、今の自分にできることをしなければ。
これからもそうして、生きていかなきゃならないのだから。
……笛の練習をしよう。
まずは一つずつ音を取るところから。昨日の復習をしよう。
それなら、一人でもできるはずだ。
メディアルナは一つ頷くと、主屋へ戻るべく歩き出す。
が、その途中で……ふと足を止める。
庭に生えた、大きな木の下。
そこに、木で出来た箱が二つ、置いてあった。
それは、彼女がロベルたちと一緒に作った小鳥の巣箱。
ロベルとレナードが木材で箱を作り、彼女がそれを塗ったものだ。
作った時の楽しい記憶が蘇り、メディアルナの胸に言い知れぬ孤独感が押し寄せる。
次は木に取り付けて、小鳥が住むのを待とうと話していたのに……
それが叶わぬ内に、みんないなくなってしまった。
残されたのは、家主のいない巣と、自分だけ。
自分が何とかしなければ、この箱は"巣"にはなれない。
永遠に、ただの空箱のままだ。
「………………」
メディアルナは何かを決意したように踵を返し、庭の奥へと進む。
しばらく行くと、ロベルが使っていた物置小屋が見えてきた。
その扉を開け、彼女は……壁に立てかけられた梯子に目を向けた。
* * * *
「──では、頼んだぞ」
そう言って、レナードはおつかい係のブランカに背を向ける。
ブランカは「わかりました」と微笑むと、門の向こうに広がるリンナエウスの街へ目を向けた。
レナードは、朝早くから屋敷の外門に立っていた。
今朝、領主の病状や今後についてを明示した文書が領民に公表された。それを受け、この屋敷を訪れる者がいるはずだと予想したのだ。
例えば、見舞いの品を届ける貴族の遣いや、野次馬に来る領民や情報屋、あるいはそういった立場を騙る盗賊や間者。
そういった者たちが屋敷へ殺到することを防ぐため、彼はここに立っていたのだ。
案の定、十組を超える来訪者があったので、それぞれに慎重な対応をし、観察をした。
ひとまず怪しい人物はいなかったが、今後もしばらくは警戒を強めるべきだろう。
メディアルナしかいない今のこの屋敷は、悪意ある者たちにとって格好の餌食だ。
軍部経由で新しい使用人を手配中だが、人員が補充されるまではこうした警備も仕事の内であるとレナードは考える。
しかし、あまり警備にばかり時間を割いてしまうと笛の練習が進まなくなるので……
午前の買い出しから戻ってきたブランカに、来訪者の対応を任せることにしたのだった。
外門を後にし、庭園を歩きながらレナードは息を吐く。
……まったく。
まだまだ気を緩められないというのに、クレアルドたちはどこへ出かけたのか。
まだ任務は終わっていない。勝手な行動は慎むよう、よく言って聞かせなければ……
そんなことを考えながら、庭を抜け主屋へ戻ろうとするレナードの目の端が……何か動くものを捉えた。
「…………あれは……」
庭の向こう、大きな木の下にいたのは……メディアルナだ。
ふらふらとよろめきながら梯子を持ち、木に立てかけようとしている。
……あの娘はあの娘で、一体何をしているのだ?
レナードは疑問に思いながらも、遠目に見える彼女の動作に不安を覚え、手を貸してやることにする。
近付く間にメディアルナは木に梯子を立てかけ、手に何かを抱えながらそれを登り始める……が。
「きゃっ……!」
その途中でバランスを崩し、後ろ向きに倒れ込んだ。
「……っ!」
彼女が梯子から手を離すより早く、レナードは既に動いていた。
素速く駆け、彼女の落下地点へ辿り着くと……
落ちてきた彼女の身体を、ドサッと抱き止めた。
間一髪。
あと一瞬でも反応が遅れていたら、この華奢な身体が地面に叩き付けられていただろう。
「れ、レナードさん……っ」
助かったことと、彼がここにいることの両方に驚き、メディアルナは目を見開く。
レナードは安堵の息を吐くと、彼女を抱いたままこう尋ねる。
「……いちおう聞いておくが、何をしようとしていた?」
その声音に、なんとなく怒られそうな予感がし、メディアルナはぎゅっと巣箱を抱きしめながら、
「こ、これを、木に取り付けようと思って……すみません」
震える声で、小さく答えた。
レナードは彼女を降ろし、怪我がないことを確認すると、
「俺の言ったことが、まだわかっていないようだな」
彼女の手から巣箱を奪い、低い声で言う。
「無理をする前に周りを頼れ。こんなことで怪我をされたらたまったものではない」
「ご、ごめんなさい……」
案の定怒られてしまい、しゅん、と肩を落とすメディアルナ。
その様を見たレナードは……
そもそもこの巣箱作り自体、自分が持ちかけた話だったことを思い出し、少し責任を感じ、
「……この木でいいのか?」
と、梯子に足をかけながら尋ねる。
メディアルナが「え?」と聞き返すが、彼はそのまま登り始め、
「取り付けてやる。どの辺りがいい?」
そう、優しい声で言うので……
メディアルナは、胸がきゅっと締め付けられるのを感じながら、梯子を両手で支え、
「……その、大きな枝の上がいい……と思います」
と、遠慮がちな声で答えた。
──もう一つの巣箱も別の木に取り付け、レナードは梯子から降りた。
メディアルナは二つの巣箱を交互に見上げ、目を輝かせる。
「ありがとうございます、レナードさん! 小鳥さんたち、住んでくれるでしょうか? とっても楽しみです!」
にこにこと嬉しそうな彼女を見て、レナードは梯子を木から外すと、
「楽しみなのは結構だが、もう二度と危ない真似はするな。次助けられる保証はない。鳥が住みついても、無理に登って覗き込むようなことはしないことだ」
「うっ。は、はい……」
「お前も無駄な傷は作りたくないだろう? もっと自分の身体を大切にしろ。将来の結婚相手のためにもな」
梯子を片付けながら、何気なく投げかけられたその言葉に……
メディアルナは、ぴたっと固まって、
「……将来の……結婚相手……?」
と、ほんのり頬を染めながら呟く。
しかしすぐに、「あはは」と笑って、
「そんなこと、考えたこともありませんでした。わたくしなんてまだまだ幼稚で、女性として未熟すぎだし……結婚なんてずぅっと先の話ですよ」
何より、恋愛は"男×男こそ至高"という確固たる理念があるため、自分自身の結婚など想像したことがない。
……という言葉は、胸の内に留めておくことにした。
しかしレナードは、彼女をまっすぐに見つめ、
「……何を言っている。お前は異性の目から見て充分魅力的に映る。もっと自分の価値を自覚した方がいい」
……なんて、大真面目に言うので。
メディアルナは顔から湯気を噴き出し、「へぇっ?!」と素っ頓狂な声を上げる。
が、レナードは構わずに続けて、
「お前の見た目や性格は、多くの人間を惹きつけるものだ。加えて"領主の一人娘"という立場もある。妙な男に捕まらないよう、『自分なんて』という思考は捨てるべきだ」
「へ……?」
「その内見合い話も持ち上がるだろう。その時は、くれぐれも自分を安売りしないよう気をつけろ。いいな」
そう言うと、レナードは梯子を持ち上げて物置小屋へスタスタ歩いて行ってしまう。
その背中をぽかんと見つめ、メディアルナは……
……もしかして今……ものすごく、褒められた……?
しかも、『女性』として……
……と、暫し放心した後、きゅっと拳を握って、
「……れ、レナードさんの目には……!」
わたくしは、女性として魅力的に映っていますか……?
……という言葉が、喉から出かかるが。
思い留まり、咄嗟に口を閉ざす。
途中で声が途切れたことを不審に思ったレナードが「ん?」と振り返るので、メディアルナは慌てて、
「えぇと……レナードさんは、どんな女性がタイプなのですか?」
と、結局恥ずかしい質問をしてしまう。
焦る彼女をよそに、レナードは顔色一つ変えず淡々と、
「俺が恋愛感情を抱くことはない。だが、強いて言うならば……」
「言うならば……?」
「……情報源になる女に近付くことはある」
「…………じょうほうげん……って、なんですか?」
首を傾げながら聞き返す彼女に、レナードは……
梯子を一度置くと、自嘲気味に笑って、
「任務に必要な情報を持つ者に対し、恋愛感情を利用して距離を縮めることもある、ということだ。お前も覚えがあるだろう?」
そう言いながら近付くと……
彼女の頬に、そっと触れて。
「……私は、貴女に夢中なのですよ、ディアナお嬢さま。初めてお会いした時から、ずっと……」
……と。
以前、彼女を口説き落とすために言ったセリフを、あの時と同じ口調で囁いた。
瞬間、メディアルナの心臓が大きく跳ね上がる。
頬に触れる手の感触と、低い声と、目の前にある深い碧の瞳に……
息をするのも忘れるくらいに、魅了される。
目を見開き硬直している彼女に、レナードはくすりと笑って、
「あの時は悪いことをした。笛の情報を掴むため、俺も必死だったのだ。もっとも、お前には振られてしまったがな。早いところ忘れてくれ」
ぱっと離れながら元の口調で言って、また梯子を片付けに歩き出す。
メディアルナは、ドキドキと脈打つ胸に手を当てながら、その後ろ姿を見つめる。
……なんで。
あの時は何とも思わなかったのに。
今は……
あのセリフが本当だったらよかったのに、なんて、思ってしまうのだろう。
変わってしまった自分の心に戸惑いつつ……
彼女は、言われてみれば自分が振ったようになってしまっていたことに、静かにショックを受ける。
今思うと、すごく惜しいことをしてしまったような……
なんて考えていると、
「これを片付けたら笛の練習をする。先に戻って準備をしていろ」
前方を歩くレナードに言われ、彼女は我に返り、「は、はいっ」と慌てて主屋へと戻った。




