2-3 初めての音
──クレアとエリスが屋敷に戻ると、正面玄関に馬車が停まっていた。
病院から帰ったメディアルナとレナードが、中から降りて来たところであった。
「二人とも、おかえりー」
エリスが駆け寄ると、彼女の服が変わっていることに気付いたメディアルナがぱぁあっと目を輝かせる。
「まぁエリス! その服、とても可愛いですね!」
「へっ? あ、ありがと」
「クレアルドさんとどこかお出かけされていたのですか?」
「うん。服買って、ケーキ食べてきた」
「ケーキ! いいですね、美味しかったですか?」
「そりゃあもう! 生地がふわっふわで、ミルク感たっぷりのクリームが付いてきてね! 紅茶もほのかにお花の香りがするやつで、もう最っ高だった!」
拳を握って力説するエリスと、笑顔で話を聞くメディアルナを、クレアが微笑ましく眺める中……
「おい。肝心の報告書はどうした? まさか食欲に負けて送るのを忘れたなんてことはないだろうな?」
と、レナードが刺々しい声で釘を刺す。
エリスは「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「ご心配なく。ちゃんと本部に届くようにしたから。ねっ、クレア?」
「はい。実は街でアルフレドに会いまして。郵便よりも早く本部へ着くでしょうから、彼に託してきました」
にこやかにフォローするクレアの言葉を聞き……レナードは目をスッと細める。
何故アルフレドがクレアたちを訪ねて来たのか、そこでどんな話をしたのかと、確認したいことがいくつか浮かぶが……
いずれも、メディアルナには知られない方が良い話かもしれないため、
「……そうか。なら良い」
とだけ、返すことにした。
「んで、そっちはどうだったの? 病院、行ってきたんでしょ?」
玄関から主屋へ入りながら、今度はエリスが尋ねる。
扉を開けるクレアに礼を述べてから、メディアルナは「はい」と返し、
「今後について、お父さまとお話することができました。明日、役場を通してお父さまが書いた文書を領全体に発表する予定です」
「そっかぁ。街中歩いて来たけど、けっこうみんな噂してたよ。お嬢さまは大丈夫か〜って」
「あはは……やはりみなさんに不安な思いをさせてしまっていますよね。これは一刻も早く笛を吹けるようにならなきゃですね」
そこで、四人はエントランスの先にある階段の前へと辿り着き、足を止める。
「それはそうかもしれないけど、朝から遠出して疲れてるだろうし、まずはゆっくり休んだら? 笛の練習はその後でもいいでしょ?」
と、エリスが気遣うように言うが……
しかしメディアルナは、首を横に振る。
「いいえ、明日からでも笛の音をみなさんに届けたいので、今すぐ練習に移ります」
「えぇ? 最初から飛ばしすぎると後が辛いわよ? あんま無理しない方が……」
「無理ではありません。『善は急げ』と言うじゃないですか。少しでも前に進まなければ、かえって気が休まらないのです」
「で、でも……」
「ということで、エリス。わたくしに力を貸してくれませんか? クレアルドさんも」
「えっ? あ、あたしたち?」
自分の顔を指さし、聞き返すエリス。
メディアルナは力強く頷いて、
「演奏の仕方はレナードさんに教えていただきますが、あの笛には精霊さんが入っているのですよね? 精霊さんに関してはお二人が専門のようなので、その面でぜひ助けていただきたいのです」
「確かに、それについてはサポートするつもりだったけど……やっぱ少しゆっくりしてからにしない? 正直お腹いっぱいで、ちょっと休憩したいし……」
「お願いですっ!」
がしっ!
と、メディアルナはエリスの手を握り、
「お二人がいてくださると安心して練習に励むことができるんです! だからどうか、どうか……わたくしに力を貸してください! 今すぐ!! でなければ泣いてしまいます!!」
「えーっ!?」
驚くエリスの顔を見つめ、メディアルナは本当に泣きそうな顔をする。
これまで(趣味の話以外では)取り乱すことなどなかったメディアルナがこれほど懇願してくるとは……よほど追い詰められているのだろうと、エリスは心配になり、
「わ、わかったわよ。ディアナの言う通りにする。一緒にいてサポートするから、泣かないで? ね?」
そう、宥めるように言った。
それを聞いた直後、メディアルナはけろっとした顔をして、
「ありがとうございます! では、客間を使いましょうか♪ 」
と笑うので、エリスはきょとんとしながらも「う、うん」と頷き、クレアと共に客間へと歩き始めた。
その後ろ姿を眺め……メディアルナが密かに胸を撫で下ろしていると、
「──早速実践に生かすとは、なかなか見込みがあるな。この調子でどんどん周りを巻き込んで、甘えていけ」
レナードが、彼女にだけ聞こえるように囁いたかと思うと……
──ぽんっ。
と、彼女の頭に手を乗せた。
その大きくて温かな感触に、メディアルナはまた心臓の音が加速するのを感じながら、
「あ、ありがとうございます……頑張りますっ」
動揺を悟られないよう、笑顔を浮かべて答えた。
* * * *
先にエリスたちが一階の客間で待っていると、メディアルナが遅れて入ってきた。
その手には、部屋から持ってきたあの笛が握られている。
呪いの力は失ったが、思わず目を引く黄金色の輝きは、それが特別な笛であることを未だ主張しているようであった。
「お待たせいたしました。では、よろしくお願いします」
音楽のレッスンを受けに来たご令嬢らしく、メディアルナが優雅に一礼する。
レナードは頷き、彼女に歩み寄ると、
「兎にも角にも、音を出せるようにならなければ話にならない。まずは空気を吹き込むコツと、指の押さえ方から教えよう」
と、笛の吹き方の基礎から語り始めた──
── 一時間後。
広い客間に、メディアルナの笛の音が響く。
まだ音階を順番に辿るだけだが、きちんと音が取れるようになったことに、エリスは思わず拍手をする。
「すごい! 音程完璧じゃない!!」
「とても澄んだ音が出るようになりましたね。素晴らしいです」
クレアも賞賛の言葉を送ると、メディアルナは照れ笑いして頭を掻く。
「えへへ、ありがとうございます。レナードさんの教え方がお上手なので、すぐにコツが掴めちゃいました」
「いや、想像以上に音楽の感性が優れている。何か習った経験でもあるのか?」
「いちおうピアノやお歌のお稽古は一通りやってきたので、それで耳が慣れているのかもしれません」
レナードの言葉通り、メディアルナへの指導は予想以上にスムーズに進んだ。
ピアノを習っていたのなら、楽譜も読めるだろう。音が安定してくれば、すぐに一曲奏でられるようになるはずだ。
……が、彼女の目覚ましい成長を喜ぶ一方で。
「……どうでしょうか、エリス。精霊さんは、何か反応してくれていますか?」
メディアルナが窺うように尋ねるが……
エリスは目を伏せ、首を横に振り、
「残念ながら、今のところ笛から出てくる匂いはないわね。まったく、どうしたもんかしら……」
と、困ったように息を吐いた。
"音の精霊"は、人間が奏でた音に乗って力を発揮する。
その媒介の手段として、空気を吹き込む笛のような楽器が最も適している……と、精霊当人に言われたからこそ、こうしてメディアルナに笛の練習をしてもらっているのだが……
現時点で、精霊に反応はなし。
笛から発せられる音を聴いても、エリスたちに精神作用が働く様子はない。
つまりは、笛の音が"魔法"として発動していないのだ。
「……たぶん、ただ吹いただけじゃ、精霊らが言う『呼びかけ』にはなっていないんだわ」
言いながら、エリスは考える。
そもそも魔法を発動させるには、精霊に呼びかけるための長い長い呪文を唱える必要あるのだが……この魔法大国・アルアビスでは、それを省略する技術が生み出されていた。
それが、呪符を埋め込んだ特殊な指輪を身につけ、魔法陣を描くというもの。
しかし。
"音の精霊"の場合、その発動手段が『音楽』なのだろう。
要するに、
「……他の精霊で言うところの呪文や魔法陣の役割を果たす"曲"を考えないといけないのかも」
「曲?」
聞き返すクレアに、エリスは頷き、
「そう。精霊らが気に入る曲を演奏しなきゃ、呼びかけたことにならないんじゃないかしら」
と、ため息混じりに答えた。
呪文や魔法陣について膨大な知識を持つエリスであっても、精霊を呼び出すための曲など見当もつかない。
ましてや、楽譜すらまともに読めないほど音楽に疎いのだ。そんな状況で、どうやって精霊が気に入る曲を開発しろというのだろう?
「……魔法陣を一から考える方がまだ楽ね」
エリスがうんざりした声で呟くと、メディアルナが口を開く。
「では……その曲を作らなければ、精霊さんは消えてしまうのですか?」
「そうなるわね。誰かが音楽を通じて呼びかけ、定期的に魔法を発動させなければ、精霊は存在意義を失って消滅する」
エリスの返答を聞き、「そんな……」と笛を見下ろすメディアルナ。
と、そこで、
「なら……メディアルナさんが毎朝奏でていたあの曲を再現するのはいかがでしょう?」
人さし指を立てながら、クレアが提案する。
「あれはメディアルナさん自身が奏でていた訳ではなく、勝手に指が動いて演奏していた曲なのですよね? もし、"音の精霊"自身がそうさせていたのなら……あの曲こそが、彼らの好きな楽曲ということになりませんか?」
その言葉に、エリスとメディアルナは「おぉっ」と身を乗り出す。
「確かに、その可能性はあるわね」
「はい! 明るくて伸びやかで綺麗な曲なので、きっと精霊さんも応えてくれるはずです!」
「──しかし、あの曲を正確に再現できるのか?」
盛り上がる二人に、レナードが冷静に尋ねる。
すると、
「あったりまえじゃない。毎朝聴いていたのよ? 完璧に覚えているわ。こうでしょ?」
エリスは得意げに胸を張り、息をすぅっと吸い込むと……
メディアルナの演奏を思い出しながら、高らかに歌い始めた。
「らんらら〜ららら〜〜るるららら〜〜ららる〜るるら〜ら〜〜らぁ〜〜♪」
……と。
鼻歌の披露を終え、エリスは「どーよ」と得意げな顔をしてみせるが……
レナードが、一言。
「お前、壊滅的に音痴だな」
「なぁっ?!」
指摘されたエリスは「そんな馬鹿な」と言わんばかりに驚くが……実際、音程はめちゃくちゃだった。
メディアルナでさえもさすがにフォローの言葉が見つからず、目を逸らし口を噤む。
その反応に、音痴の自覚がないエリスは大いに慌てて、
「たっ、確かに歌手並みに上手いとは思っていないけどさぁ、音痴ってことはないでしょ! ねっ、クレア!?」
と、最後の砦である恋人に尋ねるが……
彼は、温かな眼差しで彼女を見つめ、
「嗚呼……貴女が魔法学院の学生だった頃、音楽の授業をこっそり盗み聴きしていた時のことを思い出しますね……可愛らしい声で紡がれる"特徴的な音程"に、何度聴き惚れたことか」
「ちょっと! それ初耳なんだけど!? ていうか"特徴的な音程"ってどーいうイミ!?」
助けを求めたつもりが、把握していないストーキング遍歴を暴露され、エリスはますます声を荒らげる。
クレアは「まぁまぁ」と宥め……完璧なフォローを入れることにする。
「貴女は、聴いた曲に独自の芸術的アレンジを加えて再編する才能が長けているだけです。なので決して、音痴などではありませんよ」
……という、聞き様によってはほとんど『音痴だ』と言っているようなその言葉に……
エリスは、満足げに笑って、
「なぁんだ、そういうこと。逆に才能がありすぎて音痴に聞こえちゃう的なアレね。理解理解」
と、何故だか納得してしまった。
エリスを傷付けずに済み、メディアルナはほっとするが、レナードだけは「ふんっ」と鼻を鳴らし、
「……一生そうして甘やかしていろ」
と、吐き捨てるように呟いた。
 




