2-2 初めての音
レナードとメディアルナが、馬車に乗り帰路に就いている頃……
「──うーん。困りましたねぇ」
クレアはリンナエウスの街中で、顎に手を当て唸っていた。
彼がいるのは、大通りにある服屋。
若者向けの商品を多く取り揃えている人気店で、予定通りエリスの服を買いに来たわけなのだが……
「先程のショートパンツも可憐でしたが、こちらのワンピースも実に麗しい……やはり素材が良いから何でも似合ってしまうのですよね。非常に甲乙つけ難いです」
そう言って、目の前に立つエリスを見つめる。
彼女が試着しているのは、淡い黄色のワンピースだ。
レースがふんだんにあしらわれた愛らしいデザイン。ウエスト部分がリボンで絞られており、彼女の体型にぴったり合っていた。色合いもピーチブラウンの髪と絶妙にマッチしている。
クレアの横で、初老の男性店主も腕を組み、
「うん、本当によく似合ってるねぇ。これだけ可愛ければ着させ甲斐がある」
と、丸い眼鏡の端をキラリと光らせる。
その言葉に、クレアは深々と頷いて、
「そうでしょう? ただでさえ可愛いのに、こういう女性らしい服を着るともう最強なんですよ。"可愛い"の過剰摂取で、さっきから何度も死にそうになっています」
「死ぬのはいいが、その前にお勘定を頼むよ兄ちゃん。いい加減どれにするか決めたか?」
「うーん……もうちょっとだけ悩ませてください。一つに絞るのがなかなか難しくて……」
「いっそ全部買ってくれればこっちとしては嬉しいんだけどね」
「しかし彼女が『一着でいい』と言っているので、最良の選択をしなければならないのです。ということでエリス、次はこちらのスカートを試着していただけますか?」
「いやだよ!!!!」
スカートを掲げるクレアの言葉を、エリスは即座に拒絶し、
「何着着たと思ってんの?! 取っ替え引っ替え着せられて、散々ジロジロ見られて、どんな拷問よ!!」
そう、顔を赤らめながら叫んだ。
あれも可愛い、これも似合うと、次々にクレアに着替えさせられ、このワンピースでもう八着目だった。
着替える度に頭から爪先まで舐め回すように眺められ、可愛いだ何だと褒めちぎられ……彼女の羞恥心はついに限界を迎えたのだ。
しかしクレアは、涼しい顔でこう返す。
「仕方ないじゃないですか。久しぶりにエリスが女の子らしい装いをしているというのに、この私が冷静でいられると思います?」
「なにをドヤ顔で言ってんのよ! つーか久しぶりって、あの男装もあんたがさせたんでしょ?!」
「もちろん男装も最高でしたよ? だからこそ、『あの少年が実はこんな美少女だった』というギャップ込みで興奮しているのです」
「はぁ?! よくわかんないけど、これ以上着せ替え人形にして弄ばないでくれる?! なんでも良いからとっとと決めてよ!!」
その言葉に……
クレアは真剣な表情でエリスに近付くと、彼女の両肩に手を置いて、
「『なんでも良い』わけありません。大事な恋人が着る服なのですから、真剣に選ぶに決まっているじゃないですか」
そう、真っ直ぐに言われ。
エリスは思わずドキッとして、目を逸らす。
「で……でもあたし、オシャレとかよくわかんないから、選んでもらっても着こなせないと思うし……しかもこんな女の子らしいの、買っても持て余すだけよ」
ぼそっと、呟くように言うエリス。
彼女にとって服は、言わば身体を隠すための手段でしかなかった。
普段自分で服を買う時も、可愛らしさや格好良さではなく、動きやすさや機能性を重視して選んでいる。
つまりは、"着飾る"ということにそもそもの興味がないのだ。
だから……
「クレアは、その……やっぱ、服とかにも気を使うオシャレなコの方がいい……?」
と。
彼を見上げ、窺うように尋ねた。
その問いかけと上目遣いに、クレアは心臓がギュンッ! と締め付けられるのを感じ……
そのまま、彼女の耳元に近付いて。
囁くように、こう言った。
「よく聞いてください、エリス。大前提として、私は…………貴女に、服を着てほしくありません」
……その、意味不明な言葉を聞き。
エリスは、
「…………………は????」
と、心の底から湧き上がった声をそのまま発した。
怪訝そうに見上げるエリスの目を、クレアは微笑みながら見つめ返すと……
爽やかに、一言。
「だって…………裸の貴女が、一番可愛いですから」
──ゴッ!!!!
一瞬だった。
聞いた瞬間、エリスは脊椎反射的にクレアの頬へ拳をめり込ませていた。
店主が驚く中、床にずしゃああっと転がったクレアは、殴られた頬を押さえ起き上がる。
「ち、違うんですエリス聞いてください……」
「何が違うのよこのヘンタイ!!」
「私が言いたいのは、貴女は服で着飾らなくとも、そのままで最高に可愛いということで……」
「全然そういう風には聞こえなかったけど?!」
「しかし外を歩くにはどうしても服を着なければならないので、だったら少しでも良いものをと……脱がす時により興奮を覚える服を選ぼうと、そう考えているわけです」
「結局裸基準なんじゃん!!!!」
床を這いつくばるクレアに全力でツッコむエリス。
そして、
「そんな理由で選ばれた服なんか着られるかっ。おっちゃん、これ全部戻しといて!!」
と、試着した服をごっそり店主へ返そうとする。
クレアが「そんなぁっ」と嘆くが、無視。
店主は驚きながらもそれを受け取り、
「あらら、本当にいいのかい? よく似合っていたのに」
「いーのっ。冷やかしみたいになっちゃって悪かったわね。もークレアったらいつまで床に転がってんのよ、早く美味しいもの食べに行くわよ!」
ぎゅーっとクレアの耳を引っ張るエリスを、店主は見つめ……
「……お二人さん、なんか食いに行く予定なのか?」
「そーよ。もうお腹ペコペコなの」
「だったら……ほら、コレ」
ぴらっ。
と胸元から細長い紙を取り出し、エリスの前に掲げ、
「この商店街でやってる催し物の券だ。これを使えば、二軒先にあるカフェでケーキに乗せる生クリームのトッピングが無料になる」
「えっ♡」
「しかも紅茶もサービスで付いてくる」
「えっ、えっ♡」
「ただし、ウチで券を配布できるのは服を四点買ったお客さんのみだ。さぁ、どうする?」
丸眼鏡の奥に、商売人の顔を覗かせる店主。
エリスは、暫し黙り込んだのち……
くるっと、クレアの方を振り返って、
「……クレア♡ これ、全部買っちゃおっか♡」
と、最高の笑顔で言ったのだった。
* * * *
「──んっふふーっ♡ ケーキっ、ケーキっ♡ 紅茶っ、紅茶♡」
服屋を後にし、エリスはスキップで二軒先のカフェへと向かう。
その後ろを、大量の買い物袋を抱えたクレアがついていく。
例のサービス券は、四着買うと一枚もらえる。二人分もらうため、結局試着した八着をすべて購入することにしたのだった。
手に入れた券を握りしめ、上機嫌なエリスに、クレアが言う。
「よかったですね、エリス」
「うんっ♡」
「新しい服もたくさん買えましたね」
「うんっ♡」
「どれも本当によく似合っていましたが……おしゃれをしていなくてもエリスは可愛いですし、好きですよ」
直後、エリスはスキップしていた足をぴたりと止めて、
「……もうその話はいいってば。どーせあんたはいやらしいコトしか考えていないんだから」
ジトッとした目を向け、恥ずかしそうに言う。
クレアは困ったように笑って首を振り、
「しか、ってことはないですよ。純粋に、そのままで十分魅力的だと思っています」
「ってことは、いやらしいコトも考えているんじゃない」
「そりゃあ考えるでしょう。好きなんですから、触れたいに決まっています」
「う……そういうことをこんな街中で言うな、恥ずかしいっ」
「では、何処なら良いのですか?」
顔を真っ赤にしたエリスに、クレアはゆっくりと歩み寄り、
「……二人きりの場所なら、貴女への愛を言葉にしても許されますか? 例えば……ベッドの上とか」
なんて、エリスにだけ聞こえるよう悪戯っぽく言うので、彼女はボッと頭から湯気を噴き出す。
その反応に、クレアはくすりと笑い、
「寝不足も解消されたことですし……今夜は昨日のように大人しく寝られると思わないでくださいね、エリス?」
追い討ちをかけるように、そう囁いた。
エリスは、赤く染めた頬を膨らませて恨めしそうに呟く。
「……やっぱり、いやらしいコトしか考えてないじゃない」
「確かに、今はそうですね」
「ていうかダメよ。言ったでしょ? お兄ちゃんがすぐ隣にいるんだから……そういうのは帰るまでナシ」
「いいじゃないですか、もうバレたって」
「いいわけあるかっ。とにかくダメ。我慢してっ」
「そんなこと言って、エリスもそろそろ我慢の限界でしょう? 今朝、寝ながら私の匂いをクンクン嗅いで『うへへ』って言っていましたよ?」
「なっ……ウソ言わないで!」
「嘘ではありません。よだれを垂らしながら幸せそうに笑っていました。貴女だって本当は一緒に寝たいのですよね?」
ニヤニヤと揶揄うように笑うクレアを、エリスは悔しげに睨み付けるが……
しかし、その時。
彼女の脳裏に、あることがひらめき……
今度は彼女が、ニヤリと笑う。
「……いいわよ。そこまで言うなら、一緒に寝てあげる。ただし……」
エリスはぐいっと顔を近付けると、
「──どっかの農園に置いてきたっていうあんたの"愛"について、詳しく教えてくれるなら……ね」
……と。
あの塔から落ちる直前に言われたセリフについて、斬り込んでみた。
『……全てが片付いたら、リンナエウスの南にあるペトリスという農園を訪ねてください。そこに、私の"愛"を置いてきました。貴女に受け取ってほしいのです』
それが一体何を意味しているのか、クレアから話してくれるまで待とうと思っていたが……正直、気になって仕方がなかった。
今夜一緒に過ごすと言うなら、遅かれ早かれ聞いてしまっていただろう。
エリスの問いに、クレアは驚いたように目を見開いた後……珍しく引き攣った笑みを浮かべる。
「……あはは。覚えていましたか」
「当然でしょ。あれは何だったの?」
「あれはその……口が滑ったといいますか」
「何だったのって聞いてんの」
「……エリス、目が怖いです」
「いいから早く言いなさいよ。じゃないと一緒に寝てあげないからね」
「ゔっ……」
鼻と鼻がくっつきそうな距離にまで顔を近付け、尋問するエリス。
その視線から逃げられず、クレアは思わず喉を鳴らす……が、その時。
「──あのー、さすがに街中でチューはやめた方がいいんじゃないっすかね?」
と、少し離れた場所から、そんな声がする。
二人がそちらに目を向けると……そこに立っていたのは、若い男だった。
明るい茶髪に、青い瞳。機能性に優れたライトアーマーを身に付けた、剣士風の出立ち。
歳はエリスの少し上といったところか。愛嬌のある顔立ちをしているため、少し幼くも見える。
こちらを眺め苦笑いするその顔を……クレアは、よく知っていた。
「……アルフレド。どうしてここに?」
そう。そこに立っていたのは、リンナエウス家の過去を知るユノ・ローダンセとクレアを引き合わせた、あの後輩だった。
クレアの問いかけに、アルフレドは「え〜」と声を上げ、
「どうしてって、クレアさんが頼んだんじゃないですか。リンナエウス家の馬車を襲った賊の素性を調べろって」
「確かに言いましたが……まさか、もう調べがついたのですか?」
「あったり前っすよ。俺を誰だと思っているんすか? 氷のように冷たい無表情で善を救うレナードさんと、炎のように温かい笑顔で悪を裁くクレアさんの一番弟子……人呼んで『半笑いのアル』っすよ?」
「あなたを弟子にした覚えはありませんし、そのセンスのない二つ名も初めて聞きました」
いつになく淡々とツッコむクレアだが、アルフレドはまったく気にしていない様子でにこりと笑うと、
「や。エリスちゃん久しぶり。元気してたっすか?」
と、クレアの横に立つエリスに、気さくに挨拶する。
すると、エリスも笑顔を返し、手を上げて、
「久しぶり! えっと……………………ごめん、誰だっけ?」
ズコーッ!
と、盛大にコケるアルフレド。
申し訳なさそうに頭を掻くエリスに、クレアが指を立ててフォローを入れる。
「ほら、私の後輩で、猫の飼い主のアルフレドですよ。前に一度会ったことがあるでしょう?」
「あぁーマリーの! そういえばこんな顔してたかも。久しぶりね。マリーは元気?」
その軽い口調に、アルフレドは身体を起こしながら、
「ははっ。相変わらずですね、エリスちゃんは。マリーなら元気っすよ。また遊んでやってくださいね」
そう言って再び立ち上がり、二人に向き直った。
「……で。どうでしたか? 調査の結果は」
一変して真面目な雰囲気を醸し出し、クレアが小声で尋ねる。
アルフレドは小さく頷くと、
「はい。屋敷の馬車を襲い、留置所に捕まっていたのは所謂盗賊の類ではなく……かつてリンナエウス家に仕えていた、元使用人でした」
そう囁かれた言葉に、エリスは驚き目を見開くが、クレアは予想をしていたようで、
「やはり彼らは──アルマの呼びかけで集まった"一般人の寄せ集め"だったのですね」
と、答えた。
メディアルナたちに初めて会った時、彼女の馬車は謎の三人組に襲われていた。
それがアルマによって仕組まれたものだということは、彼自身が自供していた。
しかし、襲っていた三人は揃いも揃って動きが単調だったので、クレアは本当に強盗や山賊だったのかと疑問に思っていた。
もしかするとヴァレリオやロベルが根回ししたのではと考え、アルフレドに調べさせたのだが……今となっては、アルマという真の黒幕が既に明らかになってしまっていた。
遅れて判明した新事実を聞き、エリスは顎に手を当てながら、
「なんでそんなことを……昔勤めていた使用人をわざわざ探して賊の真似事させるよりも、本物の輩を雇った方が足がつかないし成功率高いのにね」
と、完全に犯罪者目線な疑問を口にする。
それに、クレアは自身の見解を述べる。
「きっと、元使用人の中に領主に恨みを持つ者がいるはずだと考えたからでしょう。理不尽な要求をしたり不当に解雇したりと、かなり傍若無人な態度をとっていたようですから。そんな領主に復讐をすると呼びかければ、一定数の協力者が集まると考えたのです。しかし、恐らく一番は……」
クレアは、言葉を選ぶように、少し間を置いて。
「……一番は、メディアルナさんに危害を加えないためでしょう。アルマの目的は、あくまで塔の鍵を奪い彼女を屋敷から遠ざけること。つまり、メディアルナさんを傷付けるつもりはなかった。だから、金で雇った賊よりも、メディアルナさんのことを知る元使用人を協力者に選んだ。彼女のことを知っている人間なら、絶対に彼女に手を出さないと確信していたからです」
恐らくアルマとしては無意識的だったのだろうが……
誰に対しても優しいメディアルナを傷付ける使用人などいるはずがないと、信じていたのだ。
そして自分自身も、知らず知らずの内に"彼女を傷付けたくない使用人"の一人になっていた。
「……もう少し、何かが違っていたら……こんなことにはならなかったんじゃないかな」
エリスが、俯きながら呟く。
アルマには、メディアルナの優しさを感じる心があった。
ただ、その優しさを素直に受け取る勇気がなかっただけなのだ。
そのことに、もう少しだけ早く気付けていたら……
俯くエリスの背中に、クレアはそっと手を当てて、
「アルマの母親は、メディアルナさんの母親に謝罪ができないまま、今も十五年前の件に囚われ続けていました。しかしアルマは、ちゃんと謝ることができました。優しさを素直に受け取ってもいいのだと、幸せになっても良いのだと、気付くことができました。だから、これで良かったとは言いませんが……今回の件があったからこそ、彼の人生は、これから大きく変わっていくでしょう」
その言葉に、エリスは静かに頷いて、
「……うん、そうだね」
と、答えた。
そんな二人のやりとりを見て、アルフレドは笑い、
「ってことは、昨日の内にすべて片付いたんですね。それでこうして仲良くデートを……」
などと言いかけるので、エリスは慌てて手を振り、
「ちっ、違う違う! デートじゃなくて、報告書を出しに来たのっ!」
「え? でもさっき、顔を近付けてチューしようとして……」
「してないしてない! むしろ険悪な雰囲気だったから!!」
そう言って顔を赤らめるエリスを可愛いと思いつつ、また話を戻されると厄介なので、クレアは「そうだ」と声を上げ、
「アル、もう本部に帰りますよね? だったらこの報告書、ついでに持ち帰っていただけませんか?」
と、レナードが用意した報告書の封筒を取り出し、彼に差し出す。
それを受け取りながら、アルフレドはニヤリと笑い、
「クレアさんて、意外と人使い荒いっすよねぇ。けど、クレアさんに使われるの嫌いじゃないんで。喜んで持ち帰らせていただきます」
「人聞きの悪い。荒く使うのはあなただけですよ」
「そこがいいんじゃないですか。俺だけ特別扱いというか、可愛がられてる、みたいな? やっぱ一番弟子だからかなぁー」
「気持ちの悪いことを言っていないで、とっとと帰ってください」
「くぅっ、この俺にだけSなところもたまんないっすねぇ。わかりました、それじゃあこの辺で。また本部でお会いしましょう」
そう言って、潔く背を向け去って行こうとする彼を……
「アルフレド」
クレアは、後ろから呼び止めて、
「そういえばお礼を言いそびれていました。情報を届けてくれてありがとうございます。道中、どうか気をつけて」
と、謝意を伝えた。
その言葉に……アルフレドは「へへっ」と笑って、
「クレアさんのためならお安い御用っすよ。またいつでも使ってください」
「そうですか。なら、お言葉に甘えて」
──ぽいっ。
……と、クレアは抱えていた買い物袋の一つをアルフレドに放り投げ、
「それも一緒に持ち帰ってください。エリスの新品の服が入っています。報告書より大事に扱ってくださいね?」
そう、爽やかに言ってのけるので。
アルフレドは、嬉しいような呆れたような、複雑な半笑いを浮かべて、
「……ほんと、人使いの荒い先輩だなぁ」
と、聞こえないように呟くのだった。




