1-1 残された者たちの晩餐
──"禁呪の武器"の一つである『竜殺ノ魔笛』から、精霊を解放することには成功した。
しかし、この屋敷に残された問題は山積みだった。
領主が入院している間の公務はリンナエウスの街役場に依頼済みだが、そもそも何故領主が入院するに至ったのか、その経緯を知らない民の間では動揺が広がるだろう。
使用人が三人捕まったことが知れ渡るのも時間の問題だ。そうなれば、説明を求める声が上がるに違いない。それにどう対応するのか、考えておく必要がある。
また、屋敷にメディアルナしかおらず、使用人の数も減っている状況を利用し、悪事を働こうと考える輩がいるかもしれない。
他の使用人への業務負担を考えても、人員の補填は早急に進めるべき課題だ。
それらを解決するには、残った使用人たち──料理長のモルガンとおつかい係のブランカ、御者のハリィと夜回り係のユーレスに、事情を説明する必要があった。
だからクレアたちは、精霊を解放し塔を降りた後、メディアルナを自室で待機させ、使用人たちを主屋の客間に集めた。
そして、領主が搬送され、アルマたちが捕まった経緯について話した。
もちろん、"禁呪の武器"や"音の精霊"について知られるわけにはいかないため、笛に関する話は伏せている。
突然明かされた事実に、四名の使用人は驚き言葉を失うが……
話を聞き終えた料理長のモルガンが、無言のまま立ち去ろうとするので、
「料理長、どちらへ?」
クレアが、その背中に尋ねる。
すると、料理長はゆっくりと振り返り、
「……夕飯の仕度だ。お嬢さんのために」
そう答え、厨房へと去って行った。
部屋の扉が閉まると、おつかい係のブランカが口を開く。
「あの三人が旦那さまに毒を盛っていたなんて、とてもショックですけど……一番傷付いているのはお嬢さまですよね。料理長の言う通り、今はお嬢さまへのフォローを最優先に考えようと思います」
それに、ハリィとユーレスも同意するように頷く。
クレアも確かめるように頷いて、
「ありがとうございます。我々も状況が落ち着くまではこちらに残ってお手伝いしますので、困ったことがあれば遠慮なくおっしゃってください」
三人を見つめ、そう伝えた。
──使用人たちが客間を去り、それぞれの持ち場へ戻るのを見届けた後。
「次は……お嬢さまへの説明ね」
エリスが、そう呟く。
メディアルナには、笛に封じられていた"音の精霊"についての話をしなければならなかった。
早速彼女の部屋へ向かおうと、エリスは椅子から立ち上がるが、
「待て。その前に、笛の呪いを突破した時の状況を共有してくれ」
と、レナードに止められる。確かに、彼への説明がまだだった。
しかしそれには……まず確かめなければならないことがある。
エリスは、クレアの手に握られた『元・竜殺ノ魔笛』に目を向けて、
「……って言っているけど、彼にもあなたたちのこと話してもいい?」
と、そこにいるはずの"音の精霊"に尋ねる。
「彼はあたしたちの仲間で、意地悪だけど悪い人じゃないわ。あの精神攻撃の中で自我を取り戻せるくらいには超善人な、優しいお兄ちゃんよ。あなたたちも見ていたからわかるでしょ?」
「……おい。デカい独り言を始めたと思ったら、喧嘩を売っているのか?」
「はぁ? めちゃくちゃ褒めてるじゃん。それに、独り言じゃなくて精霊に話しかけてんのよ」
"音の精霊"を封じる呪いはなくなったが、彼らは自らの意志で笛の中に留まっているらしいことを、エリスは匂いで察していた。
きっと、笛を吹いてもらえる時を今か今かと待ちわびているのだろう。
レナードの半信半疑な視線を受け止めつつ、エリスは精霊からの返答を待つが……特に反応はないようだった。
「……教えてもいい、ってことかしらね」
「恐らくは」
エリスはクレアと確認し合ったのちに、精霊を解放した時のことをレナードに話し始めた。
笛に封じられていたのは、"音の精霊"という現代では存在を識られていない精霊だったこと。
彼らは人間が奏でる音に乗って力を発揮し、それに最も適した媒体が吹奏楽器であるらしいこと。
人間が必要としなければ精霊は消滅してしまうため、誰かに笛を奏で続けて欲しいという要望があったこと。
そこでエリスは、この街の治安維持のためにも、これまで通りメディアルナに笛を吹いてもらおうと提案したこと。
「……最もらしく言っているが、要するに面倒事をメディアルナに押し付けたのか」
というレナードの指摘に、エリスは「ぎくっ」と肩を震わせる。
「ま、まさかぁ。あたしはこの街の平和を願って……」
「……まぁいい。他に、何か得られた情報はあるか?」
それに、今度はクレアが口を開く。
「"禁呪の武器"が持つ狂戦士化の呪いについて、影響を受ける者と受けない者の違いは何かと精霊に尋ねました。しかし……元々人間が施した呪術なので、原理はわからないとのことでした」
「……そうか」
「我々が見た記憶の中では、このリンナエウス家の人々は過去にもメディアルナのように問題なく笛が吹ける者が多くいたようです。しかし皆、どこかのタイミングで呪いに精神を飲まれていました」
「ふむ……やはり血筋や体質が関係あるのか?」
「その可能性も否定できないですね。あとは、漠然としてしまいますが、性格もあるかもしれません。精霊も、『初めから悪意を持った人間はすぐ呪いにかかっていたし、そうでない人間はかかりにくかった』、と言っていました」
クレアの言葉に、レナードは暫し考え込むように腕を組む。
そして、
「……初めから悪意を持った人間と……そうでない人間……」
と、小さく呟いてから、
「……リンナエウス家が笛とどう関わってきたのか、もう少し調べることにする。それにはメディアルナの許可が必要だ。彼女の元へ行こう」
そのまま椅子から立ち上がり、スタスタと客間を出て行った。
「んもう。行くなって言ったり行こうって言ったり、勝手なんだから」
エリスは頬を膨らませ、クレアと共に彼の後を追った。
* * * *
主屋の三階にある、メディアルナの部屋。
レナードがその扉をノックすると、中からすぐに「はい」と返事があった。
「入るぞ」と短く断りを入れ、レナードは扉を開ける。
エリスとクレアもそれに続き、部屋の中へ入ると、外出用の軽装からいつものドレスワンピースに着替えたメディアルナが立っていた。
「使用人たちへの説明は済ませた。この屋敷の今後について話したいが、大丈夫か?」
レナードが、落ち着いた声で尋ねる。
メディアルナは、唇をきゅっと結んでから……「はい」と頷いた。
──そうして、クレアたちは話し始めた。
領主が不在の間の公務は、街の役場に依頼済みであること。
ただし、領主は病気ではなく毒に侵されており、しかも一度摂取したものは代謝されないため、容態が良くなる可能性は極めて低いこと。
ヴァレリオたち三人が抜けた分の使用人は、国が管理している斡旋所から補充されるよう手配予定であること。
が、ヴァレリオという公務に深く関わっていた秘書が抜けてしまったので、同じように働ける者を育てるにはそれなりの時間がかかるであろうこと。
そこまで伝えたところで、メディアルナは
「……やはりわたくしが公務を覚えて、早くお父さまをサポートできるようにならなくてはいけませんね」
と、自分に言い聞かせるように呟いた。
それにエリスは、思わず手をパタパタと振って、
「そ、そんな気負わなくてもいいんじゃない? 役場も手伝ってくれるし、あなただってまだ心の整理がついていないだろうから、前に進むにしてもゆっくりでいいと思うけど」
そうフォローするが、メディアルナは微笑んで、
「ありがとうございます。でも、わたくしは領主の娘です。お父さまが動けない時は、わたくしが代わりに民を護らなければなりません。そういうつもりで、これまでも勉強してきましたから」
なんて答えるので、エリスは言葉を失う。
能天気なお嬢さまだと思っていたが、そんな覚悟を持ち合わせていたとは……彼女のことを見くびりすぎていたようだと、エリスは反省する。
メディアルナの目から強い責任感を感じたレナードは、否定も肯定もせずにこう続ける。
「そうすべきだと判断したなら、次期領主になるつもりで動けばいい。そこは、俺たちが口出しできる領分ではない」
突き放すようにも聞こえる言葉だが……メディアルナには不思議と、背中を押されているように感じられた。
だから彼女は、強く頷いて、
「はい。明日お父さまのお見舞いに行くつもりなので、さっそくお話してみようと思います」
「ん、そのあたりのことは任せる。しかし領土内の住民への説明は、領主本人からさせるべきだと助言しておく。娘や他の者の口から語らせては、民の信用を失いかねない。どこまで正直に話すかは本人次第だが、少し回復したタイミングで機会を設けるといい」
「わかりました。それについても相談してみます」
レナードの助言に、メディアルナは素直に頷いた。
「細かい話は明日以降に詰めるとして……もう一つ、今日の内に話しておきたいことがある。クレアルド」
レナードが言うと、クレアは手にした『元・竜殺ノ魔笛』を掲げる。
「はい。先ほど我々の手で解放した、この笛についてです」
「えぇと、たしか吹いた人の感情を広めてしまう呪いがかかっていて、クレアルドさんたちがそれを取り払ってくれたんですよね?」
「えぇ。悪意を広めるような呪いはなくなりましたが……この笛にはまだ、不思議な力が宿っています」
「不思議な力……?」
首を傾げ、聞き返すメディアルナ。
クレアが視線をエリスに送ると、彼女は一呼吸置いてから、
「……精霊よ。この笛の中には、"音"を司る精霊がいるの」
と、説明を引き継ぐ。
「せいれい、って……魔法に使われる、見えない存在のことですか?」
「そう。その中でもこの"音の精霊"は、これまで発見されていなかった新種。かなり希少な存在なの」
という話の中で、エリスはさりげなく語る内容の線引きをする。
今回メディアルナに教えるのは、あくまでも"音の精霊"の存在についてだけ。
そもそもどうして封じられるに至ったのか、"禁呪の武器"が生まれた経緯については語るべきではない。
だから、その辺りのことは誤魔化しながら話すことにする。
「大昔に誰かが呪いをかけたせいで、"音の精霊"はずっと笛の中に閉じ込められていたらしいの。それをあたしたちが解放したわけなんだけど…… 彼らは人間が音楽を奏でないと、消えてなくなってしまうんだって」
「え……」
「だから、まだこの笛の中にいて、誰かが吹いてくれるのを待っているのよ。そこで、お願いというか提案なんだけど……あなたに、これまで通りこの笛を吹いてもらうのはどうかなって」
「わ、わたくしが?」
「うん。呪いはなくなったけど、"音の精霊"がいるおかげで今までみたいに聴いた人の気持ちを良くさせる音色が奏でられるから、住民も喜ぶんじゃないかと思って。まぁ、こんなことがあった直後だし、この笛にもう関わりたくないっていうのなら、これはあたしたちが預かるけど……」
エリスのセリフに、クレアが「えぇ」と口を挟み、
「そうなったら私が笛を練習しますのでご安心ください。精神作用の技術を習得すれば、いろいろと捗りそうですからね」
「……いちおう聞くけど、『いろいろ』ってなによ」
「催眠プレイとか、催眠プレイとかです」
「こういう変態が危険な使い方をする恐れがあるから、ぜひあなたに使ってもらいたいとあたしは強く思うわけ! あなたならきっと、街の住民のために使ってくれると信じているから!!」
と、メディアルナに向かって力説するエリス。
それから……一つ咳払いをして、
「……とは言ったものの、さっきも言ったようにあなたが嫌なら無理強いはしないわ。領主を継ぐつもりなら、これからまだまだ大変なことがあるだろうしね」
そう言って、メディアルナに選択を委ねる。
メディアルナは、笛を見つめ……胸に手を当てると、
「ぜひ、わたくしにやらせてください。笛の音を届けることは、わたくしが民にできる数少ない貢献の一つです。それで精霊さんも消えずに済むのなら、それが一番良いと思います」
と、真っ直ぐに答えた。
エリスはクレアと目を合わせてから、彼女に微笑み返す。
「ありがとう。精霊も喜んでいると思うわ。あ、でも"音の精霊"の存在は内緒にしてね。すごくレアな存在だし、また誰かに悪用されたら可哀想だから。話すのは……そうね、あなたの家族だけにしてもらいたいかな」
「家族……?」
「そう。あなたに子どもが生まれたら、ぜひ精霊の話をしてあげて。そして、彼らの存在をこの笛と共に伝えていってほしいの。そうすれば、彼らはこのリンナエウス家のことをずっと守ってくれるはずよ」
それを聞き……メディアルナは手を差し出し、クレアから笛を受け取る。
そして、笛の中にいるであろう精霊に向かって、
「わかりました。これまで通り、家宝として大切に扱わせていただきます。よろしくお願いしますね、精霊さん」
と、微笑みながら呼びかけた。
エリスは、ほっと安堵する。これで精霊の問題も解決した……と思われたが、
「しかし……わたくし、自分で笛の演奏をしたことがないのですが、これまでのように勝手に指が動いてくれるのでしょうか?」
……というメディアルナの不安げな声に、エリスは「え゛」と声を上げる。
確かに、今までは呪いの影響で自動的に演奏されていたため、彼女自身が笛を吹いているわけではなかったのだ。
「それは……ごめん。もう勝手に指が動くってことはないと思う」
「ということは、笛の演奏を勉強しなければなりませんね」
「そうなるわね……」
「わかりました。頑張ります!」
メディアルナの前向きな態度に、かえってエリスは罪悪感を抱く。
その様子を、レナードが呆れたように眺め、
「仕方がない。この屋敷にいる間は、俺が笛を教えてやる」
と、思わぬ助け舟を出す。
エリスはぱちくりとまばたきをして、
「お、お兄ちゃん、笛吹けるの?!」
「多少はな。以前、任務のために必要な機会があって、一通り習得した」
「どんな任務よ!?」
「あるいは専門の音楽教師を雇うのも手だが……どうする?」
エリスのツッコミを無視し、レナードはメディアルナに尋ねる。
彼女は、驚いたように目を見開いてから、
「えぇと……レナードさんに教えていただきたいです。すぐにでも練習を始めたいので」
「わかった。なら、さっそく明日から始めよう。それともう一つ、許可を得たいことがある」
「許可? わたくしに、ですか?」
「そうだ。このリンナエウス家の先祖について調べたい。どのように生き、どのように死んだのか……そういった記録が残されているのなら、閲覧の許可が欲しい。その笛が、この家とどう関わってきたのかを明らかにするためだ」
「……わかりました。そういった資料は書斎にあるはずです。お父さまもいませんし、自由に見てください」
「ん。協力感謝する」
レナードは頷くと、椅子から立ち上がり、
「まだ詰めるべき点はあるが、続きは明日話そう。……今日はもう休め」
そう言い残すと、メディアルナの部屋から一人出て行った。
「って、急に話切り上げて行っちゃうし……」
「レナードさんなりに気を遣っているのですよ」
頬を膨らますエリスに、クレアがフォローを入れる。
そこに、メディアルナが「あの……」と手を上げ、
「レナードさんって、あんなクールな方なのですか? 随分と印象が違うような……」
「確かに、あんだけ好青年キャラを演じていたんだからいきなり素を見せられたらびっくりするわよね」
そういえば、最初はメディアルナを口説き落とすつもりで甘い言葉を囁いていたんだっけ……
という言葉は飲み込み、エリスは肩を竦める。
そんな彼女を、メディアルナはじぃっと見つめ、
「レナードさんもそうですが、エリックさんのその女の子な口調にもびっくりです。もうすっかり男性と思い込んでいたので……」
と、遠慮がちに言う。
それにエリスは、「あはは」と後ろ頭を掻く。
「あたしも人のこと言えないか。そんなに男の子っぽかった?」
「うーん、今思うと女の子っぽい部分もあったのですが、全然気付かなかったです。正直、今もまだ信じきれていません」
「えぇー。こんなに素で喋ってるのに?」
「『信じられない』というよりは『信じたくない』という感じでしょうか。ようやく理想的なカップルに巡り会えたと思っていたので……」
「騙していたのは悪かったと思うけど、残念ながら正真正銘『女』なのよね」
「……本当は男性だけど、男同士のカップルは白い目で見られるからとあえて女の子のフリをしている、という可能性は……?」
「ごめん、それはない」
と、バッサリ否定するエリス。
せっかく男装から解放されたというのに、男であることを期待されるとは……このお嬢さまも、なかなかに筋金入りである。
……と、エリスがため息をついたところで。
隣に座るクレアが、ピッと人さし指を立て。
「なら、お二人で一緒に、お風呂に入られてはいかがですか?」
そう、突飛な提案をする。
「お、お風呂?」と動揺するメディアルナに対し、クレアはにこやかに続ける。
「はい。エリスが女性であることがそんなに信じられないのなら、いっそ裸を見てもらった方が早いでしょう。それに、女性であることをバラしてしまった今、男性だらけの離れの浴室を使わせるのは私としてもなんとなく落ち着かないので……メディアルナさんが普段利用されている主屋のお風呂を、彼女に貸してはもらえませんか?」
その言葉に、エリスは彼の意図するところを理解し、胸の中で「ナイス!」と叫ぶ。
何を隠そう、メディアルナが使用している浴場にはアレがある。
エリスは、メディアルナにぐいっと近付き、
「そうしてもらえるとありがたいわ。女だって証明できるし、一石二鳥よ」
「で、ですが……」
「夕飯までまだ時間あるしさぁ、今から一緒にお風呂に入ろう? ねっ、背中流すから♡」
甘えるように囁くエリスに、メディアルナは「えぇと……」と狼狽えるが……
やがて根負けしたように、目を伏せて、
「……わかりました。一緒に入らせていただきます」
と、少し頬を赤らめながら答えた。