10-2 優しいうたを聴かせて
それから。
クレアが手配していた街の保安兵団が到着し、アルマとヴァレリオ、ロベルの三人は連行された。
毒に侵された領主も病院に搬送され、治療を受けることとなった。
保安兵団に連れられ、屋敷を去る直前。
アルマは、エリスの前に立ち、
「……あの……あなたを突き落としたこと、なんて謝ったらいいか……許されることではないとわかっていますが……」
と、口籠もりながら謝意を伝えようとするので。
クレアは、エリスの前に立ち塞がり、
「えぇ、そうです。何と言われようが、あなたのことは許しません」
微笑みながら、ハッキリと返す。
「結果的に彼女は死なずに済みましたが、あなたはあの時、間違いなく彼女を殺しました。あの笛によってあなたも精神が乱れていたのかもしれませんが、そんなことは関係ありません」
「…………」
「『人を殺してしまった』。そのことにあなたが強い罪悪感を抱くのなら、どうか二度とこのような過ちを犯さないでください。そのためにも、私はあなたを絶対に許しません」
その言葉を、アルマは真っ直ぐに受け止め……
一度目を閉じ、再び開けると、
「……ごめんなさい。この罪は、一生背負っていきます。決して忘れません」
そう言って。
保安兵団が用意した馬車に乗り込み……去って行った。
それを見送り。
クレアの横で、エリスが低い声で言う。
「……ていうか、あたしもまだ許していないからね。あんたが勝手に手を離したこと」
それに、クレアはビクッと肩を震わせ、「ゔっ」と声を上げる。
「迷っている時間がなかったのはわかるけど、何もかも一人で判断して、勝手に死のうとして……少しくらい相談があってもよかったんじゃないの? あたしってそんなに信用ない?」
「そ、そんなことは……私はただ、貴女を死なせたくなくて……」
「あたしはね」
ぐいっ。
と、エリスはクレアの胸ぐらを掴み、引き寄せて、
「あんたが思っている以上に天才だから、今回みたいにすんごい打開策を提示してあげられるし、あんたが思っている以上に、その……あんたがいなくなるのが、嫌なのよ。だからこれからは、ピンチになったらまず相談。あたしの魔法で無理ならあんたがなんとかする。あんたの技で無理なら、あたしがなんとかするから。どっちかが死ぬなんて選択肢は、金輪際却下だからね」
瞳を覗き込み、そう言った。
クレアは、怒りとは別の理由で彼女の瞳が震えていることに気が付き……
この命が、国のものでも自分のものでもなく、彼女のものになってしまったことを再認識して。
そのことに、堪らなく嬉しくなって。
胸ぐらを掴む彼女の手を、そっと両手で包み込む。
「……わかりました。怖い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
「ん。わかればよろしい」
「それで、私からもお願いなのですが……エリスも、ああいう場面では敵を信じる前に、まずは相談してもらえませんか?」
……という彼の指摘に、今度はエリスが「ゔっ」と唸る。
「言っておきますが、私だって相当怖い思いをしたのですからね? 貴女が突き落とされた時、まるで生きた心地がしませんでした。それについては、私もまだ貴女を許していませんよ?」
「そ、それは、その…………ご、ごめんなさい」
「駄目です、許しません。その身体にたっぷりとお仕置きをします」
「何でよ!? あたしは許したのに! あんたさっきアルマに言ってたじゃない、『仕返しからは痛みしか生まれない』って! 矛盾してない?!」
「それはそれ、これはこれです。さぁ、お仕置きをさせてください。お仕置きという名のいやらしいコトをさせてください」
「それが本音だろうがこの変態!!」
握った手をさわさわ撫で回すクレアの手を、エリスはブンッと振り払い、
「まったく……ていうか、よかったの? アルマに『許さない』なんて言って。それこそ、さっき言ったことと矛盾してるんじゃない?」
と、もうだいぶ離れてしまった馬車に目を向け、尋ねる。
クレアは、エリスに掴まれ乱れた衣服を整えながら、
「いいえ、矛盾ではなく前提の違いです。彼は不特定多数からの愛情を欲していた。だから『他者に優しくせよ』と説いたまでです。一方、私は貴女からの愛情しか求めていないので、貴女以外の人間に憎まれようが恨まれようがどうでもいい。よって、彼のことは許しません。むしろあの場で殺さなかったことを褒めてほしいくらいです」
「……同じ人間のものとは思えないセリフね」
……と、エリスがジト目で言った、その時。
「いや、それでいい。簡単に許せる方が異常だ」
そんな声と共に、レナードが二人の背後から歩み寄る。
「"罪を許さない者"がいなければ、奴はまた同じ過ちを犯すかもしれない。『人を殺しかけた』という恐怖を、一生胸に留めておくべきだ」
「……ていうかお兄ちゃん、もう大丈夫なの?」
エリスは振り返り、尋ねる。
狂戦士化により、肉体的にも精神的にも相当な負荷がかかったはずだ。それを心配して、状態を尋ねたのだが……
しかしレナードは、いつもの澄ました顔で頷き、
「問題ない。手間をかけさせて悪かった。ヴァレリオとロベル以外の者の動きを確認しなかった俺の過失だ」
と、淡々とした口調で答えた。
無理をしているのか、それとも本当になんともないのか……その表情から、彼の消耗具合を読み取ることはできなかった。
レナードの謝罪に、クレアは首を横に振り、
「いいえ。アルマの言動に違和感を感じながら、それを共有しなかった私の責任です。申し訳ありませんでした」
そう、謝意を返す。
するとレナードは、クレアの方に向き直り、
「……クレアルド。今回のことでわかったと思うが、護りたいものを決して見失うな。俺を押さえ込むのに時間をかけたから、この女は死にかけた。あの状況なら、間違いなく俺を斬るべきだった」
「そんなこと……」
エリスが否定しようとするが、レナードはそれを無視して、
「この女が、何よりも大事なんだろう? ならば……他は全て斬り捨てる覚悟を持て」
と、クレアに向けて、真っ直ぐに言う。
「……どうやらお前は、本気でこの女に入れ込んでいるようだからな。今さらもう止めはしない。代わりに、判断を誤るなと言いたい。あの場合は、この女を護るためにも笛を回収するためにも、真っ先に俺を斬るべきだった」
その言葉に……
クレアは、一度目を伏せて。
「……確かに、今の私にとって、一番護りたい存在は彼女です。それは間違いありません。彼女に危険が及ぶなら、誰であろうと斬り捨てるつもりでいます。ですが……」
と、そこまで言いかけたところで、
「はぁ? 嫌よ、あたしを護るために他の誰かが斬られるとか寝覚めが悪すぎるじゃない。そんなご飯が不味くなりそうなこと、あたし許さないからね。クレアがあたしを護ってくれるなら、クレアとクレアの大事なものはあたしが護る。だから心配しなくていいわよ、お兄ちゃん」
なんて、エリスが腰に手を当てて言うので……クレアは思わず笑う。
「……と、エリスなら言うと思ったので、護れるものは全て護らねばと思ってしまうのですよね。私にとってはレナードさんも、護りたい大切な人なので」
その返答に、レナードは……
呆れたようにため息をついて、
「……本当に、甘い人間になったな。だからこの任務は、お前には向かないと思ったんだ」
「そんなこと言って〜お兄ちゃんってば『大切』って言われて嬉しいクセに〜」
「その呼び方はやめろと言っているだろう、犬女」
「じゃあそっちもその呼び方やめなさいよ」
「ふむ。なら『単細胞』に戻してやろう」
「戻すな! なんなら悪化してるし!」
「文句の多いやつだな。では、『脳みそプリン女』でどうだ?」
「えっ、プリン?!♡ ……はっ。違う違う、これはバカにされてるやつ! 美味しそうな単語で惑わせようったってそうはいかないんだからね!!」
「ちなみにカスタードプリンだ」
「えっ♡ どうしよう、脳みそが王道プリンとか全然イヤな気しない……むしろ嬉しい……」
「ふん、自称天才が聞いて呆れるな。もうシンプルに『まぬけ』と呼ぼう」
「あぁん?! なんですってぇ?!」
……といういつものやり取りが戻ってきたのを、クレアは微笑ましく眺める。
「お二人の元気な姿を見ると、なんだか安心しますねぇ」
「はぁ?! これのどこが安心できる光景なのよ?!」
「出会ったばかりの頃に比べると、お二人ともだいぶ打ち解けましたよね」
「どこが?! 現在進行形でバチバチに喧嘩しているんですけど!!」
「このまま仲良く"中央"に帰還したいところですが……しかしまだ、やるべきことが残っています」
その言葉に、エリスは……
一度咳払いをして、頷く。
「そうね。あの笛が"禁呪の武器"なのか、確認しなきゃ。もしそうなら……封じられた精霊を、解放する」
「はい。塔の上に戻り、早速検証しましょう」
「俺も行く。"禁呪の武器"の呪いについて調べたい。それには……所有者にも立ち会ってもらった方がいいだろう」
言って、レナードは……少し離れた場所で、アルマたちの馬車が去って行った方を見つめるメディアルナに視線を向ける。
その背中が、エリスの目にはどこか寂しげに映るが、
「……お嬢さま。もう一度、塔の上まで来ていただけますか? あの笛について、確かめたいことがあります」
というクレアの呼びかけに振り向いた彼女は……
「……はい、わかりました」
いつもと変わらない、明るい笑顔を浮かべるのだった。