9-1 この手を、離さない
※第二部における重要なネタばらしが含まれます。これより前の話を未読の場合はご注意下さい。
「な、なんでアルマがここに……?」
塔の最上階……そこにいた意外な人物に、エリスは疑問をそのまま口にする。
その隣でクレアが、
「レナードさん、状況は?」
と、アルマの前に立つレナードに投げかけるが……
彼は剣を握ったまま反応せず、ただぼうっとこちらを見つめるのみだった。
明らかに様子がおかしい。
クレアは剣を抜き放ち、アルマへの警戒を高める。
突如として現れた二人に、アルマは顔を顰めて、
「うわぁ、なんかゾロゾロと来ちゃったなぁ。あなたたちがいるってことは、ディアナお嬢さまもいんの?」
そう、面倒くさそうに尋ねる。
普段の口調と違い、乱暴で棘のある言い方だ。
しかし、クレアはそれを否定して、
「いいえ、我々だけです。ヴァレリオとロベルの計画を止めるために戻って来ました」
と、カマをかける。
アルマが手にする金色の笛──
実物を目にするのは初めてだが、"例の笛"と見て間違いないだろう。
鍵がかけられていたはずの塔に侵入し、笛を手にしている……偶然こうなったとは考え難い。
アルマも領主殺害計画の共犯者で、笛を何かに利用しようと企んでいるのかもしれない。
だから、この言葉にどう反応するかで、アルマが共犯者か否か見極めようと考えたのだ。
そんなクレアの思惑を、しかしアルマは、別の意味で裏切る。
「なぁんだ、それもバレていたのか。あの二人にはもっと上手くやってもらいたかったなぁ。ま、こうして笛を手に入れられたからよかったけど」
領主殺害の計画を隠すどころか、まるでヴァレリオたちを指揮していたかのような口ぶりに、クレアは驚く。
そして同時に……一つの仮説が浮かぶ。
それは、今思い付いたものではない。もともと彼の頭の隅にあった仮説だ。しかし裏付けが不十分だったため、熟考せずにいた。
それは……
「……十五年前にこの塔で起きた悲劇の真相を、ヴァレリオとロベルに教えたのは、あなたですか?」
彼の言葉に、エリスは「え……?」と小さく声をあげる。
クレアが続ける。
「あなたは、メディアルナの世話係が昔は女性だったことを知っていた。そしてそれを、メディアルナ本人から聞いたと言っていました。しかし彼女は、幼い頃の記憶が曖昧だと我々に話しています。だからあなたは、ヴァレリオやロベルからその情報を得たのだと……もしかすると領主殺害の協力者なのかもしれないと、そう思っていました。ですが、そうではなく、あなたは最初から知っていたのではありませんか?」
クレアは一度目を伏せ……
あの、暗い独房を思い出しながら、
「この屋敷に女性の使用人がいたことも、その一人と領主が関係を持ったことも。その笛がセフィリアの悪意を振り撒き、人を殺したことも……十五年前の事件の唯一の生存者であるユノ・ローダンセから聞いて、知っていたのではありませんか?」
「……やめろ」
ユノの名を聞いた瞬間、あからさまに顔を歪ませるアルマに……
クレアの仮説は、いよいよ確信へと変わる。
そして、
「あなたは…………領主と、ユノ・ローダンセの間に生まれた子どもなのですね?」
そう、言った。
エリスは目を見開き、言葉を失う。
その一方で……
アルマは、「チッ」と舌打ちする。
「あらためて言葉にされるとほんと吐き気がするなぁ。なんでそんなことまで知ってんの?」
「ユノに……あなたの母親に、会って来たからです」
赤毛の髪も、青い双眸も、口の端を歪ませ笑う癖も、よく似ている。
ユノに直接会ったクレアだからこそ、気付いたことだった。
アルマは笛を握る手に力を込め、クレアを鋭く睨む。
「あれを母親だなんて言わないでくれる? 一時の欲望に任せて僕というゴミを産んだクズ人間なんだから」
「ということは、やはり彼女からこの屋敷のことを聞かされていたのですね」
「……そうだよ。あの女が領主を誑かし、僕を孕んだせいで、ここで三人死んだって知ってた。だから、何も知らないヴァレリオたちに教えてやったんだ。君たちの恋人が死んだのは領主のせいだよって。あいつは女中に手を出すクソ野郎なんだよってね」
「どうしてそんなことを……」
「決まってんじゃん、この笛を手に入れるためだよ。僕みたいな子ども一人じゃ、この塔の扉をこじ開けることすらできない。だから、大人に協力してもらったんだ」
「ヴァレリオたちの怒りを利用して、笛を奪う機を狙っていたのですか?」
「そういうこと。領主の不貞が明るみに出れば、ディアナもショックでここの鍵を手放すかなーと思ってさ。でも、その前にあっさり預けてくれちゃった。ほんと馬鹿だよねぇ、あのお嬢さま。警戒心なさすぎ」
と、胸に下げた鍵を見せつける。
クレアは、さらに尋ねる。
「……その笛を手に入れて、一体何をしようとしているのですか?」
その問いかけに、アルマは……
静かに、しかし確かに狂気を孕んだ目で、こう答える。
「"優しい世界"を作る」
エリスが「優しい世界……?」と聞き返すと、アルマは手を広げ、
「この世界は優しくない。あまりにも残酷で、冷たくて悲しい。それはみんなが、人の痛みを知らないからだ。だからこの笛を使って、僕の気持ちをみんなに知ってもらう。僕の痛みがわかれば、きっと……みんな優しくなるはずだ」
と、薄く笑いながら、言った。
やはりアルマは、奏者の感情を伝播するというこの笛の能力を悪用しようとしている。
既に一度笛を奏で、その能力を発揮したのだろう。だから庭にいた配達員も、レナードも影響を受けた。
クレアは、アルマを真っ直ぐに見つめ……
「……そんな身勝手な願望、見過ごすわけにはいきません」
再度、剣を構える。
その横で、エリスも魔法陣を描くために手をかざす。
「その笛を、こちらへ渡してください。我々が呪いを解きます」
一縷の望みを託し、アルマにそう願い出るが……
アルマはそれを鼻で笑い飛ばし、
「ほらね、やっぱり優しくない。僕の痛みを教えてあげるから……よーく聴いててよ」
そう言って……
笛に口を付け、奏で始めた。
高らかな笛の音が聴こえるが、それは一瞬だった。
何故なら既に、エリスが指を躍らせているから。
「ウォルフ! キューレ! 交われ!!」
暖気と冷気、それぞれの精霊を混ぜ合わせ、"空気の膜"を生み出し音を遮断する。
クレアを膜の内側に入れることはできたが、アルマの近くにいるレナードを入れることはできなかった。
「エリス、精霊の状況は?」
「暖気と冷気、焔が少し。高所なせいか精霊が少ない」
と、使用できる魔法を手短に伝えるエリス。
この屋内で焔を使うのは危険だ。なら、やはり暖気と冷気で音を防ぎながらアルマに接近するしかない。
エリスが魔法を使ったことに驚き、アルマは一度笛から口を離す。
それを認め、エリスも一旦魔法を解除する。
「……ふーん、魔法が使えるんだ。あんたたち何者?」
「軍部所属の天才魔導士と、こっちは凄腕の剣士。どうする? 降参するなら今の内だけど」
「まさか。ここまで来てそれはないよ。それにいくら軍部の人間でも……仲間のことは、簡単には殺せないでしょ?」
言って、アルマはまたすぐに笛を吹く。
魔法が間に合わず、咄嗟に耳を塞ぐエリスとクレア。
すると……
先ほどから立ち尽くしたままだったレナードが、剣を振りかざし二人に斬りかかってきた。
「ちょ……何すんのお兄ちゃん!」
身を翻しながらエリスが言うが、レナードの返事はない。ただ虚な目で、再び剣を構えようとしている。
クレアが名を呼んでも反応は無し。これは……
「恐らく、あの笛に操られているのでしょう」
「げっ、それって超やばいじゃん!」
などと言っている間に、またレナードが向かってくる。
クレアはエリスを護るように前へ出ると、レナードが振り下ろした剣を受け止めた。
ギィンッ! という、金属がぶつかる鈍い音。
重い斬撃に、クレアの手首がビリビリと痺れる。
一度後退したかと思うと、レナードは続け様に何度も剣を撃ち込んできた。
それを受け止めながら、クレアは……彼の身に起きている"異常"を認識する。
レナードがどれほど強いか、クレアはよく知っている。
『箱庭』時代も、そして同じ部隊に所属してからも、幾度となく手合わせしてきた。
最近ではわずかなスピード差でクレアが勝つことが増えていたが、実力はほぼ互角。実戦で身に付けた経験においてはレナードの方が上で、戦いの流れを予測する能力は敵わないとクレアは考えている。
彼の剣技は、とにかく洗練されている。
先を見据え、体力と筋力を悪戯に消耗しないよう制御しつつ、最大限のパフォーマンスを発揮する……一手一手に、きちんと根拠があるのだ。
それが……
今の彼は、消耗という概念を忘れたかのような身体の使い方をしている。
まさに、"狂戦士"。
これまで目にした"禁呪の武器"、『風別ツ劔』と『炎神ノ槍』は使用者自身を狂戦士化させるものだったが……
『竜殺ノ魔笛』は、音色を聴いた者を狂戦士化させるのだろうか?
いずれにせよ、敵に回したら最も厄介な相手と剣を交えることになってしまった。
制御を外したレナードの強さは計り知れない。本気で戦わなければ殺されてしまうだろう。
しかし、斬ることもできない。
これは……
「長引けば長引く程、不利を強いられますね……」
レナードの強烈な剣撃を受けながら、クレアはそう溢す。
こちらの体力が切れる前に元を断ち、洗脳を解かなければ──
──剣を交える二人を眺め、エリスも同じことを考えていた。
彼女の脳裏に浮かんだのは、『封魔伝説』の一節。
賢人の一人が吹いた美しい笛の音により、兵士たちは勇気を奮い立たせ、魔王が放った悪竜を退治した──というのが『竜殺ノ魔笛』に関する逸話なわけだが……
エリスは今、その逸話に隠された本当の意味を理解していた。
竜を倒すのに必要なのは、勇気ではない。
強大な敵に対する恐怖を……死に対する畏れを、忘れることだ。
"死"への恐怖心は、人間が持つ重要な防衛本能だ。
それをこの笛は、奏者の悪意で塗りつぶすのだろう。
だから、術にかかった者は捨て身で相手に向かい、通常の何倍もの力を発揮する。
逸話がどこまで本当なのかはわからないが、実際に兵士たちを狂戦士化し戦わせた実例があったのかもしれない。
笛の音が続く限り、狂戦士は止まらない。
このまま無理な動きを続ければ、レナード自身の身体もいつか限界を迎えるだろう。
だから、彼を止めるには、繰り手である奏者を叩く必要がある。
「ははっ、すごいや。レナードさん強―い。このまま僕のために戦って、二人を倒しちゃってよ」
などと言って楽しげに笑うアルマに向け……
エリスは素早く魔法陣を描き、それを放った。
先ほどと同じ、"空気の膜"を生み出す魔法。
その膜でアルマを覆い、閉じ込めたのだ。
突然、外部の音が遮られ、アルマは目を見開き困惑する。
何かを口走りながら、ドーム状に張られた膜の中から出ようともがくが……
「無駄よ。この場にいるありったけの精霊を使ったから、そう簡単には出られない」
というエリスの言葉通り、分厚い空気の壁に阻まれ、アルマは膜の中から出られないようだ。
何を言っているかは聞こえないが、罵声らしきものを吐きながらエリスを睨んでいる。
一先ずこれで、呪いの元は断った。
あとは、レナードをどうやって正気に戻すかだが……
……と、エリスは激しく交戦する二人を心配げに眺める。
レナードが物凄い速さで剣を繰り出し、クレアが受け止める──クレアの防戦一方かに思われたが、直後、クレアが流れを変えた。
何度も打ち込まれるレナードの剣を、クレアはテンポ良く受け流し……
レナードが大きく剣を振り上げ、重い一撃を浴びせようとしたその時、受け止める直前で避けたのだ。
力一杯剣を振り下ろしたレナードは、そのまま前方によろける。
そこへクレアが素速く背後に回り込み、剣の腹で彼の背中を殴った。
受け身を取りながら床を転がるレナード。体勢を崩したかに思われたが、すぐに起き上がり、剣を横薙ぎに一閃。クレアは咄嗟に後退し、それを避けた。
刃の部分で斬っていないとはいえ、かなり強く殴ったはずだった。
それなのに、痛みに呻くこともなく次の斬撃を繰り出す……
恐らく、痛みすら感じていないのだろう。
目の前の敵を倒すことに囚われ、己の身体が悲鳴をあげていることにも気付かない。
……これのどこが、"優しい世界"だ。
レナードを止める。
そして、正気に戻す。
クレアは剣の柄を握る手に力を込め……レナードへと駆け出した。