8-2 怨嗟を断ち切るために
「──これでよしっ!」
長い金髪を一つに結い上げ、メディアルナは鏡の前で元気良く頷いた。
時刻は昼前。
自室にて、メディアルナはクレアたちと出かけるための準備をしていた。
いつものドレスワンピースではなく、動きやすいパンツスタイルの服装に着替え、髪も結び、気合十分だ。
また、クレアたちカップルから聞き取った話を記録するため、ペンとノートをしっかり用意した。
完璧だ。
これで、リカンデュラの代わりとなるハーブティーを買いに行ける。
そして、目的地である農園を目指しながら……彼らの話を、じっくりねっとり聞き出せる。
「クレアルドさん、『本には載っていような深い内容』も話してくださるって言ってたし……一体どんなお話が聞けるのかしら。うふふ」
……と、よだれを垂らしあんなコトやこんなコトを想像していると、
「……お嬢さま。お仕度はお済みでしょうか?」
ノックと共に、部屋の外からそんな声が聞こえてくる。
アルマだ。そろそろ出発の時間なので、様子を伺いに来たのだろう。
「あ、はい。入って大丈夫ですよ」
メディアルナは慌ててよだれを拭い、彼を招き入れる。
アルマは「失礼します」と言って、ドアを開けた。
「クレアルドさんたちが玄関でお待ちですよ。お荷物、お持ちします」
と、テーブルに置かれた彼女の鞄を手に取る。
メディアルナは「ありがとう」と礼を述べ、
「アルマにもお土産を買って来ますからね。何がいいですか?」
にこりと笑い、そう尋ねるが……
彼は、ふいっと目を逸らす。
「……別に、何もいらないです」
「そう言わずに、何かありませんか? この間のお詫びもしたいと思っているのですから」
「……この間の、お詫び?」
アルマが怪訝そうな顔で返すと、彼女は「えぇ」と頷いて、
「厨房で、その……あなたを昼食に誘って、怒らせてしまったでしょう? まだ謝れていなかったので、ずっと気になっていたのです。嫌な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい」
そう言って、頭を下げる。
それにアルマは……
奥歯を、ギリッと噛み締めて。
「…………なんで、あなたが謝るんだよ」
と。
低い声で、呟くように言う。
聞き取れなかったメディアルナは、「え?」と聞き返すが……
アルマは、やはり目を逸らし、
「……お嬢さまが謝ることではないです。だからやめてください、そういうの」
「でも……」
「…………」
「……わかりました。では、お詫びではなくただのお土産として、美味しそうなお菓子があれば買ってきます。帰って来たら、一緒にお茶しましょうね」
そう言って微笑むメディアルナの言葉に、アルマは暫し沈黙したのちに……
自嘲するような笑みを浮かべて、
「……僕なんかに、よく優しくしてくれますね」
「え?」
「いえ、お嬢さまは僕みたいな小間使いにもお優しいなぁと、つくづく思ったのです」
「だって、アルマは信頼できるお手伝いさんで、大事なお友だちだもの。優しくしたいと思うのは当然でしょう?」
なんて、自らの言葉を少しも疑っていないような声で言うメディアルナを……
アルマは、じっと見つめ返し、
「なら……僕をそんなに信頼してくださっているのなら……」
すっ……と。
彼女に、手を差し出し、
「いつも大切にしているアレ……僕に、預けてくださいよ。お出かけ先で無くしたら大変ですし……置いていった方が良いでしょう?」
そんなことを言い出すので。
メディアルナは「アレ……?」と首を傾げる。
そうして、アルマは口の端に薄い笑みを浮かべ──
彼女から、それを預かった。
* * * *
「──では、行って参ります!」
庭に用意された馬車へ、メディアルナが乗り込む。
荷物を持つアルマの横で、見送りに来たロベルは彼女の元気すぎる声に思わず笑う。
「あまりはしゃぎすぎないよう気をつけてくださいね。クレアルドたちも、頼んだぞ」
そう言われ、クレア、レナード、エリスの三人は頷く。
あくまで護衛としてついていくので、クレアとレナードはこの屋敷へ来た時と同じように軽量アーマーと剣で武装していた。
が、エリスだけは魔導士だとまだ知られるわけにはいかないので、魔法の発動に必要な指輪はポケットに潜めたままである。代わりに、護身用の短剣を腰に携えていた。
クレアたちはアルマから荷物を受け取ると、馬車に乗り込み、
「夕方には戻ります」
と、ロベルに再度伝える。
もちろん、彼らに時間が十分にあることを認識させ、行動を起こしやすくするためである。
それに、ロベルは微笑んで、
「わかった。こっちの仕事のことは気にしなくて良いから、ゆっくりして来い」
そう、いつもの明るい声で答えた。
──御者のハリィが馬に鞭を入れ、馬車はゆっくりと進み出す。
メディアルナはもう一度窓から顔を出し、アルマとロベルに手を振った。
そうして、二人の姿が見えなくなった頃……
「んふふ」と笑いながら、車内の椅子に座り直す。
彼女の隣にはレナードが、そして向かいにはクレアとエリスが座っている。
正真正銘の、美男子カップル。
世間の目から逃れるように愛を育む尊き存在と、今、この密室で同じ空気を吸っている……
その事実に、メディアルナはうっとりとした笑みを浮かべながら、
「はぁ……この世で最も幸せな空間ですね」
吐息混じりに、そう溢した。
正面に座るエリスは「大袈裟な」と苦笑いをするが、メディアルナはぎゅっと拳を握って、
「みなさんとおでかけできるなんて、本当に夢のようです。レナードさんもご協力いただきありがとうございます!」
……と、メディアルナにそういう嗜好があることを知らないレナードは、そんなに外出が楽しみだったのかと驚きながらも「いえいえ」と微笑み返す。
「予定通り私は途中で降りますので、三人でおでかけを楽しんで来てください」
「レナードさんは、どこか行かれるご予定はあるのですか?」
「リンナエウスの郊外に友人が住んでいるので、そこへ行ってまいります。最近会えていないので、久しぶりに訪ねてみようと思いまして」
「まぁ、それはいいですね」
という、レナードがでっち上げた嘘の予定話で二人が盛り上がっている中……
「……そういえば、なんでお兄ちゃんにお嬢さまのシュミを教えなかったの?」
エリスが、こそっとクレアに尋ねる。
彼も小声で、彼女に耳打ちするように答える。
「知ったら全力でBLを演じるに決まっているからです。任務のためなら、私とだって平気でキスできる人ですよ。そんなの嫌でしょう?」
「…………一生教えないでおきましょう」
と、嫌な想像をしてしまったエリスが、苦々しく呟いた。
──馬車は、順調にリンナエウスの街を進んだ。
天気が良く、風も心地良い。絶好の外出日和である。
……まぁ、残念ながら本当の"おでかけ"ではないんだけど。
などと考えながら、エリスが賑やかな商店街の風景を眺めていると……
「すみません、ここで停めてください」
レナードが御者のハリィに言って馬車を停め、街中へと降り立った。
「では、私はここで」
「あら、もう降りてしまうのですか? ご友人のお家までまだ遠いんじゃ……」
「お土産を買って行きたいので、ここで大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「そうですか……では、帰りはまたこの辺りへお迎えにあがりますね」
メディアルナの言葉にレナードは完璧な微笑を返して、馬車の扉を閉める。
そして、クレアたちにだけわかるよう目配せすると……
「……では、お気をつけて」
と言って、三人が乗る馬車を送り出した。
「……さて」
馬車が見えなくなり、レナードは顔から笑みを消す。
領主が殺されてからでは遅い。ヴァレリオたちの動向を見張るため、急いで屋敷へ戻らなくては。
そして……
クレアルドたちよりも先にあの笛に触れ、自分に呪いへの耐性があるのか確かめるのだ。
レナードは踵を返し、クレアが手配した馬に乗るべく、来た道を戻り始めた。
──一方、レナードがいなくなった馬車の中では……
「さぁ! 思う存分お二人の惚気を聞かせてください!!」
ペンとノートを構えたメディアルナが、目を爛々と輝かせて言った。
エリスは顔を引き攣らせるが、クレアはにこにこと笑って、
「こうしてあらためて場を設けられると、何を話せば良いのか悩んでしまいますね。ね、エリック?」
「僕に聞くな」
「逆にお嬢さまから、私たちに聞きたいことはありますか? それに答えるような形にしましょう」
その提案に、メディアルナは「えっ?!」と素っ頓狂な声を上げ、息を荒らげる。
「な、ななな、なんでも聞いて良いのですか?!」
「えぇ、もちろんです」
「はわわ……じゃ、じゃあ……じゃあ……」
ゴクッ、と喉を鳴らし、もじもじと少し恥ずかしそうにしながら……
メディアルナは、こう尋ねた。
「お、お二人は…………キスする時、目を瞑りますか? それとも開けたまましますか?」
「なっ?!」
初手にしては攻めすぎな質問に、エリスは思わず素の声を上げる。
しかし彼女が文句を言う前に、クレアがさらりと答える。
「エリックは瞑っていますが、私はこっそり開けていますね」
「きゃーっ♡」
「ちょ、ちょっと待てぇえ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶエリスだが、二人は止まらない。メディアルナは身を乗り出し、さらにクレアに尋ねる。
「それって……エリックさんのキス顔を、密かに眺めているってことですか?!」
「はい。ぎゅっと閉じた瞼が微かに震えているのが可愛くて、つい見てしまうんですよね。あと、少し深めに攻めた時に眉が寄るのもすごく良くて……」
「だぁああっ! ストップ! ストーップ!!」
大声でクレアのセリフを掻き消すエリスだったが、メディアルナの耳にはばっちり聞こえていたらしい。ますます興奮した様子で目を輝かせ、追撃する。
「ふ、深めに……ッ! やはり普段からクレアルドさんがぐいぐい攻めてるかんじなのですか?」
「それが最近はエリックから反撃されることもあるのですよ。誘っていたつもりが逆に誘われていた、みたいな……」
「それは、所謂『誘い受け』というやつでは……!?」
「まさにそれです。もうエリックにはときめかされてばかりですよ。時々、本当は受けと攻めが逆なのではと思うことすらあります」
「リバ有り?! 『エリクレ』……それはそれで美味しい……ふぁあ、可能性が広がりまくりですね……!!」
「ということでエリック。貴女が望むなら私は喜んで受けになりますが、いかがでしょうか?」
「『いかがでしょうか?』じゃなーい!! わけわかんないコトばっか言って! これ以上恥を晒すようなら殴るから!!」
途中から理解が追いつかなくなったが、とにかく恥ずかしい話をしていることだけはわかるので、エリスはクレアの胸ぐらをガシッと掴み、睨み付ける。
その正面で、メディアルナが頬に手を当てながら「はぅ……」とため息をついて、
「このケンカップル感も最高ですね……喧嘩ばかりしているけれど、ヤることはヤっているという……」
「お嬢さまもいい加減意味不明なこと言うのやめてもらえます?!」
「嗚呼、お二人の関係性が理想的すぎて怖い……まさか、すべてわたくしの妄想……?! そんな……あの、大丈夫ですか?! お二人ってちゃんと実在しています?!」
「確かに、そう言われると私も不安になってきました……もしかしてエリックは、私の願望が生み出した虚構なのでは……? これは今すぐ触って実体を確かめなければ……」
「これ以上話をややこしくするな! そして触るなこのヘンタイ!!」
ゴスッ!! とクレアの頬を殴るエリス。
まったく。これから大事な局面を迎えるというのに、こんなんで大丈夫なのか……?
まるで緊張感のないクレアに、それが素なのかわざとなのかわからず、エリスは深々とため息をついた。




