7-1 葬られたキヲク
──次の日。
翌日に備え、クレアたちはそれぞれの仕事の引き継ぎをおこなった。
クレアの買い出しはブランカに、エリスの厨房補佐はアルマに、レナードの清掃はロベルに頼むこととなった。
昼前に出発し、夕方には帰ってくる……ということにしてある。これだけ時間を与えれば、さすがにヴァレリオたちも動きを見せるだろう。
今のところ、容疑者二人に目立った動きはない。
いつも通りに過ごしているように見えるが、既に明日どう動くか話し合ったのだろうか?
それとも、今夜にでも相談するつもりでいるのか……
いずれにせよ、決戦は明日。
ヴァレリオたちを捕らえ、領主の命を救い、あの笛と……『琥珀の雫』を、絶対に回収しなければ。
……そう、思案するエリスの横で、
「んふふ。今日も料理長のご飯は美味しいし、明日は楽しみだし、なんだかほっぺたが緩んでしまいます」
メディアルナが、パンを食べながらうっとり頬を押さえた。
今日も厨房に来て、昼食を食べているところである。
「エリックさんはクレアルドさんのものなので!」と言い張り、今日はエリスの同席はなく一人で食べていた。
エリスは微笑んで、彼女の言葉に答える。
「そうですね、僕もとても楽しみです」
「えへへ♡ しかし、レナードさんも同行することになるとは……エリックさんたちのご関係について、レナードさんはご存知なのですか?」
料理長に聞こえないよう、エリスにこそっと尋ねるメディアルナ。
明らかにレナードが邪魔者扱いされていることを愉快に思いながら、エリスも小声で答える。
「知ってはいるけど、彼は途中ですぐに馬車を降りる予定です。僕たち三人だけの方が盛り上がるだろうって、気を遣っているみたいですよ」
「まぁ。かえって申し訳ないですね。レナードさんにもぜひお土産を買って帰りましょう」
申し訳ないと言いつつ、その表情はワクワクを隠し切れずニヤついている。
クレアとエリックのカップルと水入らずになれることが相当嬉しいらしい。
だが、レナードが途中で離脱するというのは、何もメディアルナのご機嫌を取るためのものではなかった。
レナードを含む四人で出かけるとヴァレリオたちに思い込ませ、出発してすぐにレナードだけが屋敷へ戻る。
領主殺害に向けた動きを見せないか、先にレナードが見張るのだ。
その少し後で、クレアとエリスも屋敷に戻る。混乱を避けるため、メディアルナを屋敷から遠ざけた後、レナードの後を追うのだ。
そして屋敷で合流後、ヴァレリオたちを一気に捕らえる……という作戦だ。
つまり、メディアルナがニヤニヤしながら楽しみにしているおでかけは、実現することのない幻。
それどころか、男同士のカップルであることも、使用人という身分すらも偽りで……
彼女が長年世話になってきたヴァレリオとロベルの罪を暴き、捕らえることになるのだ。
まさに、天国から地獄へ突き落とされるような気分になることだろう。
この嬉しそうな笑顔を見ていると、気の毒に思えてくるが……
これが彼女の心の傷を最小限に留める最善の方法なのだと、エリスはもう一度、自分に言い聞かせた。
メディアルナがメインディッシュを食べ終えたことを確認し、エリスは冷蔵庫を開ける。
そして、料理長が用意していた手作りプリンを取り出すと、
「いいですね、お土産。何を買って帰りましょうか?」
彼女の前にデザートを置きながら、にこりと微笑んだ。
* * * *
数時間後。
午後の買い出しを終え、クレアが屋敷へと戻って来た。
明日の"おでかけ"で通るルートを再確認し、必要な準備を済ませてきたところである。
屋敷の馬車に乗って出かける予定だが、真実を知ったメディアルナが取り乱す可能性もある。そのため、屋敷へ戻る際は別の馬を使うことにしたのだ。
あとは……明日を迎えるだけ。
"おつかい係"として購入した、食材の入った袋を抱え、クレアが屋敷の外門を潜った──その時。
「すみませーん。お届け物でーす」
そんな声が、背後から聞こえ……
クレアは足を止め、ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、荷物の配達員と思しき若い男だった。
明るい茶色の短髪に、空のように青い瞳。クレアより少し若い、幼さの残る顔立ち。
毎日このくらいの時間に届け物の受け取りをしているが……その男は、配達員としては初めて見る顔だった。
彼はクレアと目が合うなり、人懐っこい笑みを浮かべ、
「お受け取りのサイン、いただけますか?」
と、伝票とペンを差し出す。
クレアはそこにサインをし、伝票と引き換えに小包を受け取る──その、一瞬。
「──夜、レイルートの留置所で」
配達員が、囁くように言った。
クレアはそれには答えず、いつもの笑みを浮かべ、
「ご苦労さまです」
とだけ言って。
配達員に背を向け、小包を手に主屋へと向かった。
──表玄関から主屋に入り、クレアはレナードを探す。
と、一階奥の厨房からちょうどレナードが出て来るのが見えた。
クレアは「お疲れさまです」と近付いて行き……
「──"情報"が来ました。今夜、レイルートの留置所へ行きます」
そう耳打ちする。
レナードは少し驚いたように目を見開き、
「早かったな。しかし、何故留置所に?」
「わかりませんが、そこに集合せよとのことです」
「……わかった。奴らの夜の動きは俺が見ておく。行ってこい」
クレアは静かに頷き、そのままレナードとすれ違うように厨房へ足を運ぶ。
そして……先ほど配達員から受け取った本物の届け物を掲げ、
「お疲れさまです。料理長が注文していた調味料、届きましたよ」
と、爽やかに微笑んだ。
* * * *
その夜。
クレアは、使用人たちが寝静まった頃に行動を開始した。
夜回り係のユーレスが主屋を見回っていることを確認し、離れを出、屋敷を抜け出す。
目的地のレイルートは、リンナエウスの隣街だ。
この任務へ向かう道中、メディアルナたちが賊に襲われているのを助けた地である。
馬で急げば、夜明け前には何とか戻って来られる距離だろう。
そうしてクレアは、リンナエウスの街中から、明日のために手配していた馬に乗ってレイルートへと向かった。
* * * *
配達員に指定された留置所は、レイルートの街の外れにあった。
役人が捕らえた罪人を拘留する施設──古い石造りの、無機質な建物である。
クレアは馬から降り、その建物へと近付く。
門にいる守衛に事情を話すと、すぐに中へ通された。
そして、「この先でお待ちです」と裏口らしき場所へ案内される。
クレアは礼を述べ、その扉を開けた。
鉄製の扉の向こうには、薄暗い廊下が続いていた。
だが、それがどのくらい先まで続いているのかは見えない。
何故なら……
目の前に、一人の男が立っているから。
重厚な鎧を身に纏い、手には槍。先ほど案内を受けた守衛と同じ装いをしている。
その男は、入って来たクレアを見るなり槍を構え、
「貴様、誰の許可を得てここへ入って来た? 部外者は立ち入り禁止だぞ、さっさと出て行け」
そう言って、クレアの前に立ち塞がる。
しかしクレアは、じっとその人物を見つめ……
──パァンッ!!
と、目の前で強く両手を叩いた。
すると、守衛らしき男がハッとなり、
「……あぁ、クレアさん。お疲れさまっす」
厳格な態度から一変、ヘラッとした笑みを浮かべ言った。
それに、クレアは小さくため息を吐き、
「また役に入り込んでいたのですか? アルフレド」
と……
同じ特殊部隊に所属する後輩の名を呼んだ。
アルフレド・グリムブラッド。
年齢は十八歳。明るい茶髪に青い目を持つ青年だ。
クレアやレナードと同じ軍事養成施設『箱庭』で育ち、十三歳から特殊部隊に所属している。
高い戦闘力を持つ優秀な隊士だが、彼が最も評価されているのはその情報収集能力。
否、人心掌握術とでも言うべきか。
聞き込みや犯罪組織への潜入捜査において、彼は相手に警戒されることなく必要な情報を引き出す才に長けていた。
相手を観察する能力、そしてその相手に好かれる人間を演じる能力が、ずば抜けて高いのだ。
ただしその弊害として、演じるあまり自分を忘れることがある。
昼間、リンナエウスの屋敷に現れた配達員も彼が変装した姿だったわけだが……今はこの留置所の守衛に扮し、役にのめり込んでいたようだ。
こうした欠点があるため、基本的には彼一人だけで任務に赴くことはない。
だが今回は、一人でこの仕事を任されて来たらしい。
クレアの言葉に、アルフレドは後ろ頭を掻いて、
「いやぁ。守衛に化けている以上、何かあったらまじで俺がここを守らなきゃーって思っちゃって」
「それは本物の守衛さんの仕事でしょう。私が来なかったら、このままここへ就職するつもりだったのですか?」
「そこはほら、クレアさんが来るってわかっていたからのめり込めた部分もあるというか。ちゃんと俺を目覚めさせてくれるって信じていましたよ、センパイ♪」
と、顎に手を当て、媚びるように言う。
まったく、調子の良いことを……
しかしこれも、先輩に好かれる後輩を演じているだけなのだろう。
クレア呆れたように彼を見つめ返し、小さく息を吐く。
「……で。そろそろ本題に入っても?」
「あぁ、はい。このまま地下に案内しますので、向かいながら報告しますね」
地下……? こんな留置所の地下に、あの屋敷の過去に纏わるものがあるというのだろうか?
疑問に思いながらも、クレアはアルフレドの後に続いて廊下を進む。
「まず、最初に送っていただいた調査依頼について。かつてリンナエウスの屋敷で働いていた四人の女性を、同封の経歴書を元に探し出しました。結論から言えば、全員領主の妻の死についても、男ばかりを雇うようになった理由についても知りませんでした」
「やはりそうでしたか……二十年以上も前の使用人で、領主の妻が死ぬ前に退職していますからね」
「でも、全員が全員、同じことを言っていたんすよ」
「……何と?」
「領主はまじで性格悪くて最悪だったけど、奥さまは超いい人だったって」
「……随分と嫌われていますね、あの領主は」
「なんでも婿入りしてすぐに先代の領主──つまり義理の父親が死んで、以来かなり好き放題やってたみたいです。その時の気分で使用人を振り回して、理不尽に怒鳴りつけて……そのせいで何人も辞めたらしいっす」
「使用人の入れ替わりが激しい理由は、やはりそこでしたか」
「笛については、妻が時々吹いていたけど特に変わった様子はなかったそうで。ただ、聴くと気分が良くなる不思議な音色だったと言っていました」
それは……現在のメディアルナの状況と同じだ。
と、薄暗い階段を降りながら、クレアは思う。
アルフレドが続ける。
「そんな感じで特に収穫がなかったんですけど、そうなることはクレアさんもなんとなく予想しているだろうなと思ったんで、そのままリンナエウスの郵便役所に向かったんすよ。クレアさんが追加で調査依頼を出したら、すぐ受け取って動けるようにって」
「まさか……郵便役所の職員の中に紛れ込んでいたのですか?」
「はい。ちょうど変装し終えたところでクレアさんが来たので、正直焦りましたよ。少しでも遅れていたら手紙受け取れなかったし、間一髪でした」
そうか、それで……
リンナエウスから王都にある"中央"へ手紙を届けるには、速達でも半日かかる。二通目を送ってまだ二日しか経っていないというのに、随分と対応が早いと思っていたが……まさか直接受け取っていたとは。
「では……調べたのですね。十五年前、領主の妻が死んだ当時を知る女性──ユノ・ローダンセについて」
クレアの言葉に……アルフレドは頷き、
「えぇ、調べました。調べたら……ここに辿り着いたんすよ」
と、困ったような顔をしてクレアの方を振り返る。
「まさか」と目を見開くクレアに、アルフレドは笑って、
「そのまさかっすよ。ユノ・ローダンセは……罪人として、このレイルートの留置所に収容されているんです」
そう、答えた。
(アルフレドくんが(名前だけ)登場する短編『にゃん敵、あらわる』は、ページ下部のリンクから飛べます。(『まどスト』の日常〜短編集〜)
短編でアルが任務からなかなか帰ってこなかったのも、クレアが彼を出会い頭に殴ったのも、この厄介な欠点のせいだったわけですね。)