6-4 淀みに浮かぶうたかたは
「(え……えええええっ!?)」
咄嗟に湯船に飛び込んだエリスは、脱衣所から聞こえたアルマの声にパニックを起こす。
うそ……まさかアルマが来るなんて……
浴室の中まで入って来られたらマズイ。
こっちは全裸だし、男装用のカツラも被っていない。女だってバレる上、裸まで見られてしまう……!!
魔法の発動に必要な指輪は脱いだ服のポケットの中だ。"透明な隠れ蓑"を生み出すこともできない。
頼みの綱はクレアだけ。何とかして追い返して……!!
……と、顎まで湯に浸かり、祈りを捧げるエリス。
彼女からは見えないが、脱衣所では入ってきたアルマと、腰にタオルを巻いたクレアが対峙していた。
「すみません。てっきりもう上がられたのかと思いまして……お声かけすればよかったですね」
内心の焦りを微塵も出さず、爽やかに言うクレア。
アルマは脱衣所の扉を閉めてから、首を横に振る。
「いえ、むしろ先に入っていただいてよかったです。お待たせして申し訳ないと思っていたので」
「お仕事が長引いていたのですか? それとも体調が優れないとか……」
「体調は大丈夫です。ヴァレリオさんとちょっと、仕事の話をしていて遅くなっただけです」
ここで、毒混入の実行犯であるヴァレリオの名前が挙がり……
クレアは、少し探りを入れることにする。
「こんな時間までお話をするだなんて、大変なお仕事を抱えていらっしゃるのでしょうか? お手伝いできることならぜひ協力させてください」
「お気持ちはありがたいんですが……明後日、ディアナお嬢さまと出かけることになったんですよね? その日の仕事の分担について話していたんです」
「あぁ、なるほど。そうなんです、私が提案したせいでお買い物に出かけることになってしまって……仕事に穴を空けてしまい申し訳ないです」
「いいえ、いいんです。お嬢さまもたまには気晴らししたいでしょうし」
「そういえば、アルマさんは今回のおでかけには同行されないのですか?」
「はい。クレアルドさんたちが一緒にいてくださるなら、僕みたいな役立たずのクズは不要でしょう」
と、自嘲するような笑みを浮かべるアルマ。相変わらず重度のネガティブ思考である。
クレアは浴室内のエリスの気配に気を配りつつ、話を切り上げることにする。
「すみません、立ち話をしてしまって。今上がりますので、もう少しお待ちいただけますか?」
一度出て行ってほしい、というニュアンスを込めたつもりだった。
しかしアルマは、無表情のまま「あぁ」と言って、
「大丈夫ですよ。僕のことは空気か湯気だと思って気にせず、ゆっくりしてください。勝手に入って勝手に出ますから」
などと、気遣いとネガティブさを発揮し、荷物を置いて服を脱ぎ始めるので、
「(クレアぁあっ! 何してんのよ、ちゃんと追い出して!!)」
と、風呂に浸かるエリスが必死に念を送る。
が、動いたせいで僅かに水音が鳴ってしまい……
それに気付いたアルマが、「ん?」と動きを止める。
「……ひょっとして、他に誰か入っています?」
……まずい。バレた。
クレアはなおも微笑を崩さず、落ち着いて返答をする。
「あぁ、エリックです。レナードさんをお待たせしているので、時間を短縮するため二人で入ることにしたのです」
「そうでしたか。遅くなって本当にすみません。僕も急がなきゃですね」
そう言って、そそくさと服を脱ぐアルマ。
シャツを脱ぎ、彼の顔が隠れるその一瞬……
クレアはエリスの荷物からカツラを取り出し、ブンッ! と彼女の方へ放り投げた。
エリスはそれを見事にキャッチ。急いで頭に被る。
最悪、身体は湯に浸かっていれば隠すことができる。
しかし首から上は隠しようがないので、カツラは被っておくべきだった。
もちろん、大前提としてアルマの侵入は阻止しなければならないのだが……
「男ばっかりだと、こういう時不便ですよね。男女比が半々くらいだったら風呂も分散されるだろうに……」
シャツを脱ぎながら、アルマが面倒くさそうに言う。カツラを投げたことには気付いていないようだ。
「どうして男性ばかり集めているのですかね? 何か理由があるのでしょうか?」
クレアも何事もなかったかのように会話を続ける。
アルマは、ズボンのベルトを外しながら、
「さぁ……昔は女の人もいたみたいですよ? 厨房の補佐も、奥さまやお嬢さまのお世話係も、元は女の人だったらしいし。またそうならないですかね。お嬢さまの側近も、僕みたいな役立たずのガキより同性の方に任せた方が絶対に良いと思うので」
そう、ため息混じりに答える。
何気なく返された言葉だったが……
クレアには、少し引っかかる部分があった。
「そういう昔のお話って……ヴァレリオさんやロベルさんから教えていただくのですか?」
と、あえて二人の名前を出し、反応を確かめる。
それに、アルマが服を脱ぐ手を止め、「え?」と聞き返すので、
「いえ、旦那さまはあまりそういうお話をされるようには見えないし、昔のお話を聞けるとしたらあのお二方なのかなと。アルマさんは、ヴァレリオさんたちと仲がよろしいのですか?」
要するに、『毒殺を企むあの二人と密接な関係にあるのか』という直接的な質問である。
さぁ、これにどう答えるのか……
微笑みながら返答を待つクレアを、しかしアルマは、特に動揺するような様子もなく見つめ返し、
「……別に、あのお二人は大先輩なので、仲がいいとか悪いとかって感じじゃないですよ。それに、この話はお嬢さまから直接聞いたんです」
そう、答えた。
その言葉を……クレアは、しっかりと受け止め、
「……そうでしたか。おっしゃる通りあのお二人は重鎮という感じで、喋る時に少し緊張してしまうんですよね」
「あーわかります。ヴァレリオさんは普通に怖いし、ロベルさんもなんか妙なところで厳しかったりして、結構めんどくさいです」
言いながら、アルマは服を全て脱ぎ、クレアと同じ腰にタオルを巻いただけの姿になる。
そして、
「さて、僕もささっと入ってしまいますね。失礼します」
いよいよ、エリスのいる浴室へと向かおうとするので……
……聞きたいことは聞き出せた。もう十分だ。
あとは……排除するのみ。
と、クレアは笑みを浮かべ──
──ダンッ!!
アルマの行手を遮るように、浴室の入口に手を付く。
突然、目の前を腕で通せんぼされ、アルマはビクッとしながら足を止める。
驚く彼を……クレアは、ゆっくりと見下ろし、
「あぁ……そういえば、先ほど風呂場の石鹸が切れてしまいまして」
穏やかな笑みの奥……常人でもわかるような、鋭い殺気を放ちながら、
「ちょうど今、替えを取りに行こうとしていたのですよ。しかし、一度濡れた身体で外に出ると湯冷めしてしまうし、エリックはまだ入浴中だし……困りましたねぇ。どなたか、"湯冷めの心配がない方"が代わりに取りに行ってくださると、大変助かるのですが……」
……という、遠回しなようで直接的な言葉を、アルマに投げかけた。
その表情と声から明らかな圧力を感じ、アルマは「え゛」と声を上げ、
「そ、それって…………もしかしなくても、僕に『取りに行け』って言っています?」
「えっ。アルマさん、石鹸を取りに行ってくださるのですか?」
「いや、でも僕ももう裸だし……」
「うわぁ、それは助かりますー」
「こ、この格好で行けと……?」
「ありがとうございますー」
「嘘でしょ、僕だってこんな格好で出て行ったらさすがに寒……」
「アルマさん。あなたは……とても、親切な方だ」
にっこぉおっ。
と、すべてを無視し、笑うクレア。
その笑みに、堅気ではない雰囲気を感じ取り…………
アルマは、額に青筋を立てて、
「す、すぐに取って来ます!!!!」
腰にタオルを巻いただけの姿で、逃げるように脱衣所から飛び出して行った。
その後ろ姿を見送り、開け放たれた扉を閉め。
邪魔者の排除に無事成功したところで、クレアは息を吐く。
「ふぅ」
「『ふぅ』、じゃないわよ。このチンピラ」
と、一部始終を聞いていたエリスが、浴室からツッコむ。
「なんかもっとこう、穏やかなやり方できなかったの? 急に豹変して先輩をパシらせるなんて、絶対にヤバいヤツだと思われたじゃない」
「しかし、これが考え得る中で最も穏やかな追い出し方でしたよ? もしあれで引き下がらなかったら、浴室に入る前に殺していました」
「殺っ?!」
「それか、目玉を抉り取っていましたね」
「えぐっ?!」
「当たり前じゃないですか。エリスの裸体を他の男に見せるわけにいきませんから。今本気を出さないで、いつ出すと言うのです?」
言って、にこりと微笑むその目は……未だギラギラと殺気立っていて。
……アルマ、相当怖かっただろうな。
と、エリスは少し気の毒に思いながら、
「……まぁ、とにかく助かったわ。すぐに着替えて出ましょう」
と、湯船から上がり、元の男装に着替え……
脱衣所から、廊下へと出た。
──そうして、自室の前に辿り着き……
二人は、ほっと安堵する。
「あーヒヤヒヤした」
「申し訳ありません。貴女に夢中になっていたがために、彼の気配を察知するのが遅れました。反省しています」
「いや、今回の件は、なんというか……お互い様よ」
「なるほど。やはりエリスもムラムラしていたと……」
「ち、ちがうっ! あたしはもっとこう、純粋に……!」
「はい、そのお話は任務が終わった後にじっくり聞かせていただきますから。今日のところは解散しましょう」
反論しようとする口に人さし指を当てられ、エリスは「むぐっ」と黙る。
確かに、カツラは被っているがメイクはしていないし、胸を潰す暇もなかった。
アルマが石鹸を持って戻って来る前に、部屋の中へ退避した方が賢明だ。
「……そうね。わかった」
「アルマには適当にフォローを入れておきます。貴女はゆっくりお休みください」
「うん、ありがと」
礼を述べ、エリスは自分の部屋のドアノブに手をかける。
……それじゃあ、おやすみ。
少し名残惜しいが、そう言おうとした……その時。
──ぎゅ……っ。
クレアに、後ろから包み込むように抱き締められた。
不意打ちで与えられた温もりと匂いに、エリスの胸が高鳴る。
彼は、彼女の耳に唇を近付け、
「本当は帰したくないですが……あと二日の辛抱と思って我慢します。どうか私のことを想いながら、眠ってくださいね」
なんて、甘く囁くので……
エリスは……下唇をきゅっと噛み締めると、
「…………っ」
くるっと身体を回し。
──ぎゅうぅっ……
と、正面から、彼に抱き付いた。
抱き締め返されるとは思っておらず、クレアは驚いて彼女を見下ろす。
「え、エリス……?」
「……これは、その……アレよ」
「……『アレ』とは?」
「あんたが言ってた……"妄想の材料"ってやつ」
彼女は、恥ずかしさと憎らしさが入り混じったような表情で、クレアを見上げて、
「…………あんたも、あたしのことで頭いっぱいにして眠りなさい。……いいわね」
そう、口を尖らせながら、言った。
それからすぐに身体を離し、「おやすみっ」と言い捨てて。
エリスは、自分の部屋の中へと消えて行った。
一人、廊下に残されたクレアは……
頭を殴られ、心臓を握り潰されたような衝撃に、暫し動けなくなっていた。
……なんてことだ。
ときめかせるつもりが、逆にときめかされてしまった。
今までのように照れるだけのエリスも可愛かったが……"反撃"を覚えたエリスが強すぎて、まるで勝てる気がしない。
こうした変化を見せられる度に、惚れ直してしまう自分がいる。
まったく、どこまで夢中にさせれば気が済むのだろう?
はぁ……と、クレアは深く息を吐いて、
「……やっぱり、殴られておけばよかったな」
なんて。
しばらくおさまりそうにない胸の鼓動に手を当て、小さく呟いた。




