6-1 淀みに浮かぶうたかたは
その夜。
「──で。お嬢さまとのお出かけの件、ちゃんと説明してもらえる?」
レナードの部屋に集合するなり、エリスは待ちきれない様子でクレアに尋ねた。
「何の話だ」
クレアが答える前に、詳しい経緯を知らないレナードが口を挟む。
彼女は困ったように肩をすくめて、
「リカンデュラには危険性があるってお嬢さまに嘘を吹き込んで、領主に飲ませるのをやめさせたの。そこまではよかったんだけど……クレアが『代わりのハーブティーを遠出して買ってくる』なんて言うから、お嬢さまが『一緒に行く!』って言い出しちゃってさぁ。明後日行くことになったのよ。まったく、どういうつもりなの?」
レナードに説明をしてから、再度クレアに問いかける。
すると、クレアはにこりと微笑んで、
「ヴァレリオに、チャンスを与えるためです」
……と、言葉足らずな答えを返すので、エリスはますます眉を顰める。
しかし、それだけでレナードは理解したようで、
「……なるほど。邪魔者がいない状況を作り出し、具体的な動きを起こさせる狙いか」
「はい。メディアルナを試す意味もありましたが……やはり彼女は白の可能性が高いですね」
「待って、全然わかんないんだけど……どういうこと?」
エリスが首を傾げるので、クレアはあらためて詳しい説明を始める。
「メディアルナが犯人ではないという明確な裏付けはまだありませんでした。なので、『リカンデュラを飲まない方がいい』と話した時、さらに我々が不在となる機会を与えた時、どう反応するのか試したのです。もし領主を殺そうと考えているなら、リカンデュラを飲ませ続けるために反発するでしょうし、我々が不在になればその時間を有効活用しようとするはずです」
「そっか……でもお嬢さまは、素直にリカンデュラの危険性を信じたし、あたしたちに同行することを望んだ」
「そうです。だから、彼女がヴァレリオの共犯者である可能性は限りなく低くなりました」
もっとも、彼女の部屋であの『妄想BLノート』を見つけた時点でほとんど容疑者からは外れていたわけだが……
と、BL作戦に想像以上に食いついたメディアルナを思い出しながら、クレアは胸の内で付け加えて。
「そしてそのまま、彼女が『同行する』と言ったのを利用し、ヴァレリオを刺激したのです。我々とメディアルナが出かける状況は、願ってもいないチャンスなはず。領主殺害に向け、具体的な行動を起こすことが予想されます」
「確かに、この屋敷からあたしたち三人とお嬢さまがいなくなれば、人目も減ってかなり動きやすくなるもんね」
「そう。つまりは、"殺すのにうってつけの環境"をあえて整えるのです。そうすれば自ずと共犯者も動きを見せるはず。もちろん本当に殺されては困りますので、出かけるフリをして動向を見張り、犯行現場を押さえることが目的です」
ようやくクレアの意図が理解でき、納得したように頷くエリス。
しかし……
そこで、二人のやり取りを静観していたレナードが口を開く。
「共犯者なら、もう判ったぞ」
その言葉に、エリスとクレアは目を見開く。
「それほんと?!」
「毒草が見つかったのですか?」
詰め寄る二人を、レナードは落ち着いた表情で見つめ返し……
一呼吸置いて、答える。
「ヴァレリオに協力していたのは……庭師のロベルだ」
「え……あの気ぃ遣いのお人好しが?」
「そうだ。お前たちが厨房で話し込んでいる隙に、ロベルの部屋を捜索した。そこで、毒を包むのに使われているであろう薬包紙を見つけた。しかし……毒草そのものは、部屋にはなかった」
「え? それじゃあ、その紙だけで共犯者認定したってこと?」
「最後まで聞け、犬女。毒草があったのは、庭だ。この離れの裏に……ベルタリスの花が植えられていた」
「べるたりす?」
頭に疑問符を浮かべるエリスに、クレアが解説を入れる。
「毒草の一種です。葉からエキスを抽出したり、乾燥させ湯で煮出すなどして毒薬を生成することができます」
「それじゃあ……どっかから仕入れていたんじゃなくて、自分たちで毒を育てていたってこと?!」
レナードは静かに頷き、続きを語る。
「庭の物置き小屋に、乾燥させたベルタリスの葉と、すり潰すための道具を見つけた。ロベルが毒薬を作り、ヴァレリオに渡していたのだろう。まったく、一体どこで種を入手したのか……」
「なるほど、それで……」
と、クレアは買ってきた塗料を庭の物置き小屋にしまおうとして、ロベルに止められたことを思い出す。
『このまま俺が預かるよ』と言ったのは、親切ではなく毒草を隠すためだったようだ。
「そのベルタリスって……結構やばいブツなの?」
恐る恐る尋ねるエリスに、レナードは淡々とした口調で答える。
「わずか十グラムの摂取で死に至る。しかも、一度摂取した毒は代謝されることなく体内に蓄積され続ける。かなり厄介な代物だ」
「ひ……それじゃあ、領主はもうすぐ……」
「あぁ。いつから飲まされていたかは知らないが、あれだけ体調に表れているのなら相当摂取が進んでいたはずだ」
今日の内に飲ませるのを止められて本当によかった……
と、エリスは心底安堵する。
それから、「うーん」と腕を組んで、
「にしても……この屋敷で一番長く働いている二人が領主殺害を目論んでいるなんて、ますます動機が気になるわ。やっぱ領主の癇癪持ちにほとほと嫌気が差したのかしら? それとも、『殺したい!』って思うような特別な出来事があったのか……」
という疑問を、しかしレナードは即座に否定する。
「それよりも、今は笛を回収する段取りを考えるべきだ。二人を捕まえた時点で、俺たちは身分を明かすことになる。事件の参考にと理由をつけて塔の鍵を預かり、笛を押収しよう」
「えぇー。あの二人の動機について、あんた気にならないの?」
「そんなものは捕まえてから吐かせればわかることだ。ついでに十五年前に三人死んでいる件についても聞き出そう。あの二人なら当時を知っているであろうから、一石二鳥だ」
「一石二鳥って……あんたどこまで冷徹なのよ」
「お前こそ、どこまで感情を優先させれば気が済むんだ? 忘れるな。俺たちの目的は、あの笛が"禁呪の武器"か否か確かめ、周囲に危険が及ぶ前に無力化することだ。そのためにここへ来たのだろう」
「そうだけど、でも……でも」
エリスは……
膝に乗せた拳を、ぎゅっと握りしめると、
「小さい頃からずっと面倒見てくれた人たちが、自分の父親を殺そうとしているって知ったら……お嬢さま、絶対にショックだよね?」
と。
珍しく声を震わせて言う。
「……お嬢さま、言ってた。母親はいないけど、使用人のみんながいたから寂しくなかったって。きっと、ヴァレリオやロベルにすごく大切にされてきたんだと思う」
エリスは思い出す。
『うちのお嬢さまにだけは手を出すな』と叱ってきたヴァレリオ。
厨房に来る度に『お嬢は立派になった』と嬉しそうに語っていたロベル。
メディアルナに対するあの二人の言動は……とてもじゃないが、演技には見えなかった。
「ヴァレリオもロベルも、お嬢さまのことを本気で大事に思っていたはずだよ。なのにどうして、彼女の父親を殺そうとしているのか……よっぽどの事情があるに違いない。お嬢さまのためにも、それをちゃんと明らかにしたいと思うの。それって、そんなに無駄なことかな……?」
そう切実に訴えるエリスに、クレアは思わず側に寄り、その背中にそっと手を当てる。
「エリスは……『こういう事情があったから仕方がなかったんだよ』と、メディアルナに言ってあげられる理由を探したいのですよね」
「まぁ、あのお嬢さま、悪い子じゃないし……こんなことを知ったら傷付くだろうなって。あたしたちのせいで日常が壊れてしまうのが、なんだか申し訳なく思えて……」
と、メディアルナと共に過ごした楽しい昼食の時間を思い出しながら、エリスが言う。
俯く彼女を見て、レナードは……
……はぁ、とため息をついて。
「俺は、動機について追求しないとは言っていない。あの笛に関連している可能性がある以上、聞かないわけにはいかないからな。そうではなく、あれこれ推測を立てるより捕まえて吐かせた方が早い段階にあると言っているんだ。それに……」
そこで一度言葉を止め、エリスを真っ直ぐに見つめ返すと、
「……揺るぎない事実があったとして、それに対しどう思うのかは、当人次第だ。お前が心配することではないし、心配してどうにかなるものでもない。俺たちが今すべきなのは、領主を死なせないこと、そして"禁呪の武器"を無力化すること。それ以外の問題は、当人たちに解決してもらうより他ない」
そう、落ち着いた声音で言った。
それは、いつもの冷たく突き放すような声とは違い、どこか言い聞かせるもののように聞こえた。
そして、彼女の背中に手を当てるクレアも、隣で優しく語りかける。
「ヴァレリオたちが犯罪に手を染めたのは残念なことですが、メディアルナが一番傷付くであろう父親の死を未然に防ぐことができました。それは……エリス、貴女が毒に気付いてくれたからですよ」
「クレア……」
「それだけではありません。ヴァレリオたちの目的があの笛の力を悪用することなのであれば、領主だけでなくメディアルナも……いえ、このリンナエウスの民すべてが危険に晒されていたでしょう。貴女の気付きが、彼女の心の傷を最小限に留めることに繋がったのです。だから……どうか、傷付けることを恐れないでください」
言葉は違うが、レナードもクレアも同じことを言っているのだと、エリスは理解する。
理由はどうあれ、ヴァレリオたちが領主を殺そうとした事実に変わりはない。
彼らの動機が同情に値するものであっても、悪意に満ちたものであっても、それをどう思うかは当事者であるメディアルナ次第だ。
とにかく今は、最悪の事態を招く前に二人を止めることだけを考えなければならない。
それが……メディアルナを救うことに繋がるから。
エリスは、一度頷いてから顔を上げ、
「……わかった。大丈夫。もう、大切なことを見失ったりしない」
と、クレアとレナードを交互に見つめ、答えた。
そして、考える。
きっとクレアとレナードは、何度もこうした局面に立たされてきたのだろう。
誰かを裁けば、別の誰かが傷付く。
一方を救えば、もう一方は助からない。
そんな状況に陥る度に、真にすべきことは何かと自らに問い質し、任務を遂行してきたのだ。
だから……大義を見失わないために、感情を殺すよう育てられてきた。
そのことを身をもって理解し……エリスは少しの切なさを抱きながら、二人を見つめた。
「直に本部へ依頼していた十五年前に関する調査結果が来るはずです。そこからも、ヴァレリオたちについて何かわかるかもしれません。情報を待ちましょう」
クレアの言葉に、レナードも頷いて、
「そうだな。明日は、当日に向けた屋敷の仕事の整理と、ヴァレリオたちの監視に注力しよう。その上で、当日の詳しい行動計画を夜に詰める。では、本日は以上だ。二日後に備え、ゆっくり休め」
……と、淡々とした口調で言うが。
気を遣って早めに切り上げてくれたのだろうかと、エリスは微笑んで、
「……ありがとう、お兄ちゃん」
素直に、礼を述べる。
しかしレナードは、やはり嫌そうな顔をして、
「頭を冷やして明日出直してこい、という意味だ。早く風呂へ行って冷水でも被ってくるんだな」
ツンと言いながら、目を逸らした。
* * * *
「──すみません。エリスに辛い思いをさせることになってしまって……」
レナードの部屋を出てすぐ、風呂場に向かいながら、クレアがそう謝罪した。
それに、隣を歩くエリスは困ったように笑って、
「何言ってんの。あんたが謝ることじゃないでしょ?」
「しかし、こんなまわりくどいやり方をするくらいなら、初めから強制捜査に踏み切るのも手でした。そうすれば笛も押収できますし、毒草を見つけることもできていたでしょう。貴女が屋敷の人間に情を抱く前に、事を解決できたかもしれません。私がもっと早くにその考えに至っていれば……」
などと申し訳なさそうに言うので。
エリスは立ち止まり、クレアの目の前に立つと……
彼の左右のほっぺたを、ムニッとつまむ。
「あんた、神さまにでもなるつもり? こんなことになるだなんて、誰だって予想できないわよ。それに、あの笛が『竜殺ノ魔笛』かわからない以上は派手に動くべきじゃないって話だったでしょ? "禁呪の武器"の存在が一般人に知れ渡ったら厄介なんだから」
「ですが……貴女が辛い思いをすることの方が、私にとっては大問題なのです。捜査をするにも時間をかけすぎました。せめて貴女が、メディアルナと親密になる前に事態を収束できていたら……」
「あぁもう、ごちゃごちゃうるさいわね。あたしならもう大丈夫。さっきクレアたちに言われて目が覚めたから」
そう言って、笑顔を浮かべるが……
それでも、クレアは心配そうな顔をして、
「……辛ければ、私とレナードさんだけでヴァレリオたちを捕まえます。『本当は私とレナードさんが付き合っている』という設定に変えて、カップルを装い出かけるフリをすればいいのですから……」
「それはなんか想像するだけでいろいろ辛いからやめて」
つまんだほっぺたをぎゅーっと引っ張り、エリスが真顔で言う。
そして、その手をぱっと離してから再び歩き出し、
「本当にもう大丈夫だから。それよりも、あたしが心配しているのは『琥珀の雫』のことよ。ヴァレリオたち捕まえた後に『ハチミツちょーだい♡』なんて言いづらいでしょ? あーあ。今日の内にお嬢さまにお願いしておけばよかったわ」
と、腕を伸ばしながら言うので……
クレアは、彼女の後ろをついて行きながら、小さく微笑む。
「まだ間に合いますよ。明日、『ハチミツプレイがしたいからよこせ』と打診してみましょう」
「だから、その『ハチミツプレイ』って何なのよ」
「決まっているじゃないですが。互いの身体にハチミツを塗りたくって、舐め合いながらとろとろぬるぬる気持ち良く……」
「わーっ! いい、最後まで言うな!! ていうかそんな恥ずかしいこと言えるか!!」
エリスが顔を赤らめ叫んだのと同時に、二人は風呂場へと辿り着いた。
そして、脱衣所のドアを開けようとしたところで、
「まったくもう……って、あれ? そういえば今日、アルマに『お風呂どうぞ』って言われたっけ?」
そう言って、クレアの方を振り返るエリス。
その問いかけに、彼も顎に手を当て、
「確かに、いつもなら声をかけに来る時間なのに、今日は来ませんでしたね」
「あ、もしかして……お嬢さまとちょっと喧嘩みたいになっちゃったから、落ち込んで部屋に閉じこもっているのかしら」
と、エリスは厨房でのやり取りを思い出す。
『一緒に食事をすればいいのに』と提案したら、『無理だ』と言って出て行ってしまったのだった。
あれから姿を見かけていないが……
「……まぁ、さすがにこの時間だし、何も言わずにお風呂を済ませたのかもね」
「そうですね。もし来ても私が見張っていますから、大丈夫ですよ」
「ありがと」と答え、エリスは脱衣所に入る。
そしてカツラを取り、服を脱ごうとして……
「……って、見張ってるんじゃなかったの?!」
……と。
隣で彼女の着替えをガン見しているクレアにツッコむ。
しかしクレアは涼しい顔をして、
「何を言っているのですか。ちゃんと見張っているじゃないですか、貴女のことを」
「なんであたしを見張ってんのよ! 誰も来ないよう廊下で見てるって意味じゃないの?!」
「だって……心配なのですよ。一人になった瞬間、貴女が任務の辛さに涙するのではないかと……」
そう言って、また心配そうな目を向けるクレア。
これは……どうやら本気で心配されているらしい。
エリスは観念したように息を吐くと、「わかったわよ」と言って、
「じゃあ……あたしがお湯に浸かっている間、ここにいて話し相手になってよ。それならあたしと外、両方見張れるでしょ?」
「それはつまり、堂々と入浴シーンを覗いても良いという……」
「違うっ! 声だけで会話するのっ! 脱衣所から一歩でも動いたら燃やすからね?!」
と、精一杯譲歩した折衷案を提示した。
ちなみに……
ベルタリスという毒は、『「まどスト」の日常〜短編集〜』の「5.死神伝説、再び」にて(話だけ)登場しています。
↓のリンクから飛べますので、ぜひお読みください。