5-6 木を隠すなら森の中
部屋を飛び出したメディアルナを追うようにして、クレアとエリスはヴァレリオを探しに向かう。
その途中、
「……ねぇ、どういうつもり?」
エリスが、こそっとクレアに尋ねる。
『リカンデュラに危険性がある』という嘘は予定通りだ。
しかし、その代わりに別のハーブティーを三人で買いに行くだなんて……クレアがどうしてそれを了承したのか、わからなかった。
訝しげな顔をするエリスに、クレアはにこりと笑うと……
口元に人さし指を当て、「あとで説明します」と、囁くように返した。
──三階から順に見て回り、最後に到達した一階奥の食堂にヴァレリオはいた。
昼食のチキンソテーをナイフとフォークで丁寧に切っている最中だったが、そこへメディアルナたちがゾロゾロとやって来たため、彼は驚いて手を止める。
「おいおい、なんだよ。大勢で集まって」
「ヴァレリオ、お食事中に申し訳ありませんがお話があります」
メディアルナは、畏まった様子で彼の前に立つ。
そして……ひと呼吸置いてから、
「リカンデュラのお茶をお父さまにお出しするの、やめていただけないでしょうか?」
そう、真っ直ぐに言った。
直後、ヴァレリオの顔が強張る。
全身を緊張させ、目を見開き、鼓動を速めている──
毒の混入がバレたのでは、と慌てているに違いない。
クレアは彼の様子を冷静に観察しながら、会話の続きを見守る。
「ど……どうしたんだよ急に。あれはディアナが旦那さまにって買ってきたものじゃないか」
落ち着いた声音を努めるように言うヴァレリオに、メディアルナは首を振って、
「リカンデュラは、人によっては体調を崩すことがあるらしいです。もしかするとお父さま、リカンデュラを飲み続けているから良くならないんじゃないか、って……だから、もう飲むのをやめてほしいんです」
そう、切実な目で訴える。
ヴァレリオは、メディアルナの後ろに立つクレアとエリスを警戒した目で一瞥してから、
「体調を崩す? そんな話、聞いたことないぞ? その二人から聞いたのか?」
「えぇ、お二人に教えていただきました。お父さまの容態が良くなる可能性があるなら、わたくしはすぐにでもやめさせたいと考えています」
「しかし、旦那さまはあのお茶をかなり気に入っているからなぁ……食欲がないし、水分だけでも摂っていただきたいから、そういう意味でもちょうどいいんだよ。昔よく飲まれていたものだし、今さら『リカンデュラのせい』なんて言っても納得しないんじゃないか?」
と、面倒くさそうに返すヴァレリオ。
その反応は、クレアの予想通りだった。毒を混入する手段を、そう簡単には手放したくないだろう。
だからこそ……それを見越した上での、『お出かけ作戦』である。
そしてそれは、メディアルナの口から発せられることでより効果を高める。
メディアルナは、ぐいっとヴァレリオに近付くと、
「水分が摂りたいなら代わりのお茶を用意します! クレアルドさんが良いハーブティーを知っているそうなので、わたくしとエリックさんと三人で買ってきます!!」
そう、興奮気味に捲し立てた。
その勢いに気圧され、ヴァレリオは座ったまま仰反る。
「さ、三人で……? なんでディアナまで行く必要があるんだよ」
「わたくしが買ってきた方がお父さまも喜んで飲んでくれるでしょう? それに、たまにはわたくしもお出かけしたいのです!」
もはやどこまでが建前でどこからが本音なのかわからないセリフを吐き、鼻息を荒らげるメディアルナ。
そこで、クレアがにこやかに笑いながら、
「護衛が心配ならば、レナードさんも同行させます。我々がいるからには、お嬢さまの身の安全は保証いたしますよ」
と、後押しするように申し出る。
クレアとエリスの三人で出かけたかったメディアルナは、逆に「えっ?!」と残念そうな顔をするが……
「……お前たち三人と、ディアナで、ね……」
クレアの狙い通り、ヴァレリオには効いたらしく、顎に手を当て考え始める。
と、そこで、
「いいじゃねぇか。ここのところお嬢はずっと屋敷にいたし、たまには羽伸ばして来いよ」
という、明るい声が背後からする。
クレアたちが振り向くと……そこにいたのは、庭師のロベルだった。
彼は笑みを浮かべながら厨房に入ると、ヴァレリオの隣にドカッと座って、
「お嬢ももう子どもじゃないんだから、自分で好きなように買い物したいだろ。それが旦那さまのためならなおさらな。クレアルドたちには一度賊から守ってもらった実績もあるし、任せていいと思うぜ」
そう言ってから、「あ、料理長、昼飯よろしくな」と賄いを頼んだ。
思わぬ助け舟を得て、メディアルナは嬉しそうに目を輝かせる。
「ほら、ロベルもこう言っていることだし! ね、ヴァレリオ。お願いです」
手を合わせ、必死に懇願する彼女に……
ヴァレリオは、観念したように「はぁ」と息を吐いて、
「……わかったよ。リカンデュラの件は俺から旦那さまに言う。だが、買い物に行くことは秘密だ。また余計なご心配をかけたくないからな」
「わぁい! ありがとうございます!」
「で、いつ出かけるんだ? 今日はもう昼過ぎちまったし、明日は家庭教師の先生がいらっしゃるはずだが」
「う……明日のお勉強を、後日に延期するのは……」
「駄目に決まってるだろ」
バッサリ切り捨てられ、メディアルナは「あう……」と肩を落とす。
そこで、すかさずクレアが、
「なら、明後日にしましょう。私としても明日一日準備期間をいただければ、ブランカさんと仕事の調整をすることができます。エリックも、その方が良いですよね?」
「う、うん。料理長とちゃんと相談したいし」
「では、決まりです。明後日のお昼前に出発しましょう」
そうして、クレアたちとのお出かけの約束が無事決まり、メディアルナは「やったー!」と両手を上げた。
その『お出かけ作戦』の目的が未だに読めないエリスは……
にこにこと微笑むクレアの横顔を、小首を傾げながら見上げた。
──時を同じくして。
廊下では、レナードが厨房での会話に聞き耳を立てていた。
細かな経緯は不明だが、クレアたちが毒の摂取を止めるための交渉中であることを察し……
彼は、離れへと足速に向かう。
チャンスだ。
既に黒であることが確定しているヴァレリオと、唯一部屋の捜索が出来ていないロベルが厨房に集まっている。
ロベルの部屋を探るなら、今しかない。
離れに辿り着き、人の気配がないことを確認してから二階へ上がる。
そして、ロベルの部屋の前に立ち……針金を使って、鍵を外から解錠する。
最後にもう一度、周囲の気配を確認してから……
そっと、部屋の扉を開けた。
侵入したその部屋には、鉢植えがいくつもあった。
出窓にも部屋の角にも、ベッドの横にも、青々と茂った観葉植物が置いてある。
庭師の彼らしい、自然に溢れた部屋である。
捜索をしようと、レナードは部屋の中を見回し……
そしてすぐに、ある一箇所に目を止めた。
それは、壁際に置かれたテーブルの上。
そこに……
正方形の小さな紙が、いくつも散らばっていた。
その内の一枚を、レナードは手に取る。
一見、ただのメモ用紙や、子どもが遊ぶための折り紙のようにも見えるが……これは、普通の紙ではない。
表面の、つるつるとした加工……
間違いない。薬包紙だ。
その名の通り、粉状にした薬を包むための紙である。
医師や薬屋ならまだしも、庭師であるロベルの部屋にこのようなものがあるのは不自然だ。
では何故、彼がこれを持っているのか……
答えは、明らかだった。
レナードは、すぐに部屋の中を捜索し始める。
きっとここに毒草がある。薬包紙を見て確信した。
ロベルが毒草を保管し、薬包紙に入れて、ヴァレリオに渡しているのだ。
知識と経験を総動員させ、レナードは考え得る隠し場所をしらみ潰しに探していく。
しかし……
毒草は、どこにも見当たらない。
レナードは考える。
何処だ。何処に隠している?
考えろ。ロベルとは頻繁に接触してきた。何かヒントがあるはずだ。
思い出せ。奴の動きに、言葉に、気になる点はなかったか?
しかし、奴は基本的に庭で作業をしていた。とりたてて怪しい点など……
……と、その時。
レナードの脳裏に、数日前に聞いたメディアルナの言葉が蘇る。
『ロベルったら、お花を自分の子どものように思っているみたいで。この間もお花を眺めて歩いていたら、「そっちは入っちゃだめ!」なんて叱られたんですよ』
「…………花……」
レナードはハッとなって部屋を出る。
鍵を閉め直し、そのまま急いで階段を駆け降りる。
そして外に出て、周囲を見回しながら庭を歩き始めた。
……盲点だった。
毒が植物由来のものであるとわかった時点で、予測すべきことだった。
そう考えながら、レナードは離れの裏──植木が生い茂る中を進んでいく。
この辺りはまだ一度も足を踏み入れたことがなかったが、きちんと植え込みの手入れがされていた。
恐らくそれは、日当たりが良く、且つ目立たない場所にあるはずだ。
ならばきっと、この近くに……
……と。
しばらく歩き回ったのち、レナードは、はたとその足を止める。
そして、足元を見つめる。
風に揺れる、紫色の花弁──
生垣に隠れるように植えられた、小さな花がそこにあった。
レナードは、特段花に詳しいわけではない。
しかし、その花のことはよく知っていた。
幼少期から……"箱庭"時代から、その特徴を教わってきたから。
彼は表情を変えないまま、拳を強く握りしめて……
「…………ベルタリス」
……と。
その毒草の名を、低く呟いた。
(レナードが思い出したお嬢さまのセリフは、第二章『5-1 詳細は書斎の中に』でご確認いただけます。)