8 まさかの百合フラグに戦慄します
いちおうコレ、剣と魔法のファンタジーなはずなのですが……
ここでようやく、ヒロインが魔法を使います。
やってしまった。
エリシアを護りたい一心で、半ば無意識的にあんなことを……
クレアは、頭を抱えた。
やはり、自分はどこかおかしいのかもしれない。
彼女のことになると、別の人格に身体を乗っ取られたように自制が効かなくなる。
任務において、必要があれば人を斬ることだって、殺すことだってできる。そこに迷いや後ろめたさなどは一切ない。そういう風に、育てられてきたから。
しかし。
今回は、完全に自己の感情に任せてアランを処断してしまったのだ。
やり方もやり方である。よりにもよって、何故あんな性的屈辱を与える方法を自分は選択したのか……
と、クレアが自己嫌悪に陥る一方で。
その残酷な処断方法の効果は、絶大だった。
整ったルックスと家柄の良さを振りかざし、教師たちの見えないところでいじめや恐喝等の悪業を重ねていたアランは、これを機にすっかりおとなしくなってしまったのだ。
さらに言えば。
エリシアはその後さらに三人の男子生徒から告白をされた。
周囲にまったく心を開いていない姿がかえってミステリアスに映るのか、一部の男子から人気を集めているらしい。
しかし彼女はアランの時同様、せっかくの告白を色恋ではなく"食"視点でばっさりと切り捨て、悉く振っていった。
取り付く島もないその態度に、振られた側は恋心を憎しみへと変えるが……
それらの男子生徒は"死神"と化したクレアによって、もれなく『剃毛の刑』に処されたのだった。
その結果、ひと月も経つ頃には……
『あの女には、死神がついている』
そんな噂が実しやかに囁かれ始め、エリスは告白はおろか、話しかけられることすらなくなっていった。
彼女をますます孤立させてしまったことに、クレアはさらなる罪悪感を覚えたが……実際、エリシアにとっては好都合だった。
不要な交友関係に煩わされることなく、勉学と、究極の料理店探しに専念ができたからである。
そんなエリシアにも唯一、学院内で交流を持つ相手がいた。
それは。
「──水の精霊・ヘラよ。我が命に従い、その力を示せ!」
学院敷地内の屋外演習場。
生徒たちが魔法の実践練習を行うためのスペースだ。魔法の精度を試すための的や丸太があちらこちらに設置されている。
そこで、エリシアは練習用の指輪を嵌めた手で空中に魔法陣を描く。
するとその手から、水がまるで生き物のようにうねりながら湧き出した。
ボコボコと形を変えるそれは、程なくして綺麗な球体へと変化し──
エリシアの手の上に、静かに浮かび上がった。
「うまいわ、エリス。よくコントロール出来ている」
魔法を成功させたエリシアの横で、手を叩く人物が一人。
妙齢の女性だった。
ウェーブのかかった、金色の長い髪。
エメラルドグリーンの瞳。
スタイルの良い長身をタイトなスーツに包み、その上から白衣を羽織っている。
"美人"。
彼女を見れば、誰もがそう思うだろう。
そんな女性に、エリシアも笑顔を向け、
「ありがとう、チェロ先生。なんか掴めてきた気がする!」
そう、頷いた。
彼女が『チェロ先生』と呼ぶ女性の名は──
チェルロッタ・ストゥルルソン。
アカデミーの特別栄誉教授だ。
五年制のアカデミーを一年飛び級して卒業後、精霊科大学院へ進学。
博士課程を経る三年の間に革新的な研究成果を上げ、二十一歳という若さで教授を任されるに至った。
その『革新的な研究成果』というのは……
チェロは微笑みながらエリシアに近付き、胸元から小さな瓶を取り出す。
そして、エリシアが魔法で生み出した水のかたまりに手をかざし、
「それじゃあ、これを"封印"してみるわね。魔法陣は、こないだ教えた通り。どの精霊にも共通して使えるものよ」
言いながら、流れるような動きで指先を宙に躍らせる。
描かれた魔法陣が光り輝いたかと思うと、エリシアの生み出した水のかたまりが再びぐねぐねと動き出し……
渦を巻きながら、チェロの手にある小さな瓶の中へと吸い込まれていった。
そこにチェロがコルクできゅっ、と栓をし。
最後の仕上げに、呪印を記したお札をぺたりと貼り付け。
「これで完成。その場にヘラがいない時でも、封を開ければいつでも水の魔法が使用できるわ」
そう。これが、チェロが魔法界に齎した『革新的な研究成果』。
こんな風に精霊を小さな瓶に封じ込め、持ち運びを可能にする、というものだった。
いつ・どこに・どのくらい存在しているのか、肉眼で確認することができない精霊。
それを携帯できるということは、いつでも望む魔法を発動させることができる、ということである。
エリシアは水の精霊が瓶の中で青く輝いているのを、目をキラキラさせながら見つめて、
「すごい……本当に閉じ込められてる。こんなことを発明しちゃうだなんて……チェロ先生ってすごいね!」
にぱっ、と人懐っこい笑顔を向けた。
チェロの講義を聞いて以来、エリシアは彼女の研究室に足繁く通い、時々こうして放課後に魔法の個人レッスンを受けていた。
同級生には一切興味を示さない彼女だが……チェロには、かなり心を開いているようだ。
……それを見て、「ああ、よかった」と。
演習場を囲む木の上に隠れ、様子を見守っていたクレアは、胸を撫で下ろす。
級友でなくとも、こうして笑顔で話せる相手が学院内にいるだけで、幾分か安心である。
感動を露わにするエリシアに、チェロも嬉しそうに笑みを返し、
「あなただってきっと、ゆくゆくはものすごい魔導士になるわ。飲み込みは早いし、精神が安定しているからか、精霊がとてもよく言うことを聞いている。その証拠に、瓶に封じる前、ヘラが水晶玉のようにまあるくなったでしょう。あれを一年生の、それも入学して二ヶ月足らずでやれてしまうだなんて、すごいことなのよ」
「えへへー。そうかなぁ」
エリシアは照れながら後ろ頭を掻く。
と、ちょうどそのタイミングで、アカデミーに下校を告げる鐘が響き渡った。
校舎に残っている生徒は全員、寮に戻らなければならない時間である。
「あーあ。もう時間かぁ」
「ふふ。またいらっしゃい。いつでも付き合うわよ、魔法の練習」
残念がるエリシアを、チェロが優しく諭す。
"生徒と教授"というよりは、"活発な妹と面倒見の良い姉"のような関係性であると、クレアはその会話を微笑ましく眺めた。
「あ。練習用の指輪、職員室に返しに行かなきゃ」
「いいわよ、私が預かっておく。早く行かないと、寮母さんに怒られちゃうでしょ?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう、チェロ先生。またね!」
嵌めていた指輪をチェロに手渡すと。
エリシアは手を振りながら、寮の方へと駆けて行った。
本当に、チェロと魔法の練習をしている時のエリシアは活き活きしている。
やっぱり彼女には、独りでぽつんと勉強するよりも、こうして誰かと笑っていてほしい。
小さくなっていくエリシアの背中を眺めながら、クレアがそんな風に考えていると……
にこやかに手を振り、エリシアを見送っていたチェロが。
その姿が見えなくなった途端、顔に影を浮かび上がらせ……
ニヤリと笑った。
そして、
「んふふ……エリスちゃん、まじで可愛い……早く食べちゃいたい……♡」
舌舐めずりをしながら、そんなことを呟くので。
「…………」
クレアは最初、自分の耳を疑った。
しかしそれは、どうやら聞き間違いではなかったようで……
「ああいう純真無垢な子を籠絡していく快感、たまんないのよねぇ……嗚呼、どんな顔してよがるのかしら♡ 男を知る前に、早くこちらへ引き込まないと……」
その美しい顔をほんのり上気させ。
頬に手を当てながら、そんなことを言い放つ。
……なんと。
この女、品行方正なエリート教師かと思いきや……
がっつり、エリシアを喰う気でいやがった……!!
さすがに予想外だぞ、こんな百合ルート……野郎だけではなく、まさか女からもモテるだなんて……!
なんなんだ……この曲者ばかりを惹きつけてしまうエリシアの魅了スキルは……!!
「いや、こちらから手引きをせずとも、エリスにもその気があるに決まっているわ。友だちの一人も作らないのに私にだけすり寄ってくるなんて……んもう、早く言ってくれればいいのに♡」
身体を悩ましげにくねらせながら、チェロがさらに独りごちる。
……なるほど。これはある意味、エリシアの自業自得か。
確かに百合の気がある相手にあの態度は、思わせぶりに感じられても致し方ない。
しかし。
と、クレアは考え込む。
これまでエリシアに告白をしてきたガキんちょ共と違い、チェロは大人の女性で、アカデミーの特別栄誉教授である。
エリシアに即刻危害を加えるつもりはなさそうだし……なにより、何かあっても剃毛の刑に処するわけにもいかない。
エリシアも野望に近付くために、一生懸命チェロに教えを請うている。
これは……しばらく静観するしかないのか?
「……………」
とりあえず、このチェルロッタという女について、詳しく調べるか。
もし、エリシアを本気で毒牙にかけるつもりなら……
生徒に手を出そうとしたことを学院に告発して、社会的に抹殺しよう。
……という、なんの捻りもないストレートな処断方法を思いついたところで。
「あの娘……太陽みたいに笑う癖に、一人でいる時はびっくりするくらい静かで暗い顔しているのよねぇ……そのギャップが、ほんとたまんない。私の手で、心も身体も丸裸にしてあげたいわぁ♡」
チェロは尚もそのようなことを呟きながら、校舎の方へと去って行った。
その姿を目で追いながら、クレアは。
「………………わかるぅ〜……」
……悔しいけれど、それについては全面的に同意であると。
顔を両手で覆いながら、不覚にもそう漏らしてしまうのだった。