5-5 木を隠すなら森の中
鼻血を出したメディアルナに、クレアは「大丈夫ですか?」と声をかけながらハンカチを差し出す。
彼女はそれを受け取ると、申し訳なさそうに目を伏せた。
「す、すみません、興奮しすぎてしまいました……」
「こちらこそ、余計なことまでお話ししてすみません」
「いいえ余計じゃないですもっとください……こんなお話が伺えるなんて、本当に夢みたいですから」
「あはは、私も惚気ることができて嬉しいです。ここまで話しても引かれないとは……お嬢さまは、何故そこまで理解してくださるのですか? 何かきっかけがあったのでしょうか?」
そうクレアが尋ねるのは、決して興味本位からではない。
人は、潜在的に自分の話をするのが好きなものだ。
そして、自分の話に興味や理解を示す者に心を開く。
メディアルナとの距離をさらに縮めるため、クレアはあえて質問を投げかけたのである。
すると彼女は、鼻を押さえながら立ち上がり、棚から一つの本を取り出す。
「今、食事をするのに使っているお隣の広間は、昔お母さまの寝室だったんです」
「奥さまの……?」
「はい。わたくしが子どもの頃は、まだお母さまが使っていたままの状態で部屋が残されていました。そこへこっそり忍び込んで、お母さまのドレスや本を眺めるのがわたくしの日課でした。そんなある日……見つけてしまったのです。この本を」
そう言って大事そうに胸に抱えたその本を、二人は不思議そうに眺める。
「……それは、どんな本なのですか?」
というクレアの質問に。
メディアルナは、キラッキラの笑顔を浮かべて、
「──『封魔伝説』に出てくる七賢人たちの、二次創作同人誌です!!」
臆面もなく、そう言い放った。
瞬間、エリスの目が点になるが……メディアルナは構わずに続ける。
「最初は『封魔伝説』の外伝かと思って読み進めていたのですが、男性同士である賢者さまたちの関係が次第に恋愛へと発展していって……衝撃的でした。これはそういう類の二次創作で、こんな恋愛の形があるのだということを、その時初めて知りました。以来、すっかり虜になってしまったのです」
……要するに母親にもそういう趣味があって、その腐の遺産をたまたま見つけ受け継いでしまった、ということらしい。
「うちはお手伝いさんが男性ばかりだったので、こっちの世界を知ってからは彼らのやり取り全てがそういう風に見えてしまって……だから、お二人のような本物のカップルがいつ現れてもいいようにと、待ち構えていたのです」
「なるほど……よくわかりました」
いや、何が「なるほど」なのか。
神妙な面持ちで頷くクレアに、エリスは胸の内でそうツッコむが……もう一つ、より重要な疑問の方を口に出すことにする。
「そういえば、どうしてこのお屋敷の使用人は男だらけなんですか? あ、ひょっとしてお嬢さまにそういう嗜好があるから、旦那さまが気を利かせて……?」
その問いに、メディアルナはあたふたと両手を振る。
「ち、違いますよ! わたくしの趣味を誰かにお話したのはこれが初めてですし、お父さまだってご存知ないはずです!」
「じゃあ、どうして?」
「それは……わかりません。わたくしが物心ついた頃には、既に男性ばかりでした。昔ヴァレリオに尋ねた時には、女性がいると亡くなったお母さまを思い出してしまうからお父さまが避けているのでは、と言っていました」
「旦那さまは……奥さまのことを、とても愛していらしたのですね」
クレアが言うと、メディアルナは少し寂しそうに笑って、
「はい。だから、亡くなってしばらくは塞ぎ込んでいたと聞きました。わたくしはその時まだ二歳だったので、覚えていないのですが……」
「……あの……気になること、聞いてもいいですか?」
と。
エリスが、あらたまった様子で切り出す。
そして、
「奥さまは…………どうして、亡くなられたのですか?」
核心に触れるその問いを、投げかけた。
それは、クレアもまさに聞き出そうとしていたことだった。
あの笛を扱っていたというメディアルナの母親……彼女が亡くなったのと同時期に、使用人の女性も二人、亡くなっている。
その死因は何なのか。
聞き出すなら、今を置いて他にない。
エリスも、いよいよ本題へと切り込んだことに緊張の面持ちを浮かべる。
しかし……
メディアルナは、静かに俯き、
「……突然の病だったと聞いています。原因は不明で、それまで元気だったのに、本当にいきなり亡くなってしまったみたいで……お父さまも、信じられない気持ちでいっぱいだったことと思います」
「突然の、病……?」
エリスの呟きを聞きながら、クレアは考える。
本当に病で突然死した可能性もある。
だが、死んだのは母親だけではない。他に二人、同時期に死んでいるのだ。三人の死に関連性がないとは考え難い。
恐らく領主は……母親の本当の死因を、メディアルナに隠している。
メディアルナの口ぶりから、彼女は他に二人死んでいることを知らないようである。
また、当時の斡旋所のオーナーも謎の退職をしている。
領主が何かを隠蔽しようとしていることは明白だ。
今、クレアの頭に浮かんでいる可能性は二つ。
一つは、メディアルナの母親が何か事件を起こし、使用人二人を巻き込みながら命を落とした、というもの。
妻の名誉を守るため、領主がその事件を徹底的に隠蔽している……そう考えられなくもない。
この場合は、あの笛が関連している可能性が高い。"禁呪の武器"が暴走すれば、十分にあり得る話だ。
そして、二つ目は……
領主自ら妻と使用人二人を手にかけ、それを隠し続けている、というもの。
しかし、こちらは動機が不明だ。
その辺りの真実を知るためにも、やはり唯一生き残った女性使用人・ユノの情報を待つしかないか……
そこまで考え、クレアは会話に戻る。
「それは、旦那さまもたいそうお辛かったでしょうね……お嬢さまも、寂しい思いをされてきたことでしょう」
「すみません、辛い話をさせてしまって」
クレアに続けて、エリスも申し訳なさそうに言う。
それに、メディアルナは笑顔で手を振って、
「いいえ、全然大丈夫ですよ。わたくし、昔から寂しいとか悲しいって思うことがあまりなくて。たぶんお父さまや使用人のみなさんがいてくださったからなんだと思います。それに、お母さまはいつも側にいてくださるような気がするから……」
それを聞いたエリスは、思わず「あ……」と声を漏らす。
メディアルナは、あの笛に触れてから泣かなくなったと……今の明るい性格に変わったと、料理長が言っていた。
まさか本当に……あの笛に、亡き母の魂が宿っているのか?
それとも……
人の性格を変えてしまうような力が、あの笛にあるのか。
エリスが考え込んでいるのを隣で感じながら、クレアはメディアルナの話を聞く。
「最近よくロベルに言われるんです。性格も見た目も、ますますお母さまに似てきた、って。だからこそ、わたくしの元気な姿を見せることが、お父さまにとって一番なのではと思うんです。先日買ってきたリカンデュラのお茶も、お母さまとの思い出の味だと言って喜んでくれましたし……体調のことは心配だけど、ヴァレリオが新しいお医者さまを探してくれているし、きっと良くなりますよね」
と、気丈に振る舞っているというよりは本気で『どうにかなる』と思っているような様子で笑う。
その能天気さに、エリスはある種の異常さを感じるが、それを表には出さずに、
「その、リカンデュラのことなんですが……」
と、ちょうど話にあがった例のお茶の件を切り出す。
「え?」と聞き返すメディアルナに、エリスが次の言葉を探していると……クレアが代わりに口を開く。
「リカンデュラは体質によって合う・合わないの差が激しいものだと聞いたことがあります。人によっては、逆に体調を崩す場合もあるのだとか。そのため、近年ではあまり飲まれなくなったのです」
「そんな……それは本当ですか?」
「はい。旦那さまのご不調がリカンデュラのせいだとは言い切れませんが……治りが遅れている原因の一つとして、考えられなくないかもしれません」
もちろん、これは出まかせである。
だが、メディアルナは素直に信じたようで……
「……すぐに、飲むのをやめるよう伝えます。教えていただきありがとうございます」
「申し訳ありません。せっかくお嬢さまが旦那さまを思って買われたものなのに……」
「いいえ、クレアルドさんが謝ることではありません。このまま飲み続けて、お父さまの体調が悪化することの方が怖いですから。知ることができてよかったです」
微笑むメディアルナを眺め、エリスは本題が無事に片付いたと安堵する。
さて、それじゃあ真の目的である『琥珀の雫』についての交渉をするとしよう……
エリスがほくそ笑みながら口を開きかけるが、それより早くクレアが切り出す。
「リカンデュラの代わりになるかはわかりませんが、胃腸の不調を和らげるハーブティーを知っていますので、近い内に買ってきますね。街のお茶屋さんでは見かけなかったので、馬車で少し遠出する必要がありますが……」
そこまで聞くと、メディアルナはガタッと立ち上がって身を乗り出し、
「では、この三人で買いに行きませんか?! わたくしもお父さまのためになるのならぜひ買いに行きたいですし、何より一緒に遠出すれば道中お二人のお話をもっとゆっくりじっくり聞かせていただけます!!」
と、本音丸出しにそう言った。
その申し出こそ、クレアの狙ったものだった。
この屋敷からメディアルナ一人を連れ出したかったのだ。
しかし、その真意がわからないエリスは「えぇっ?」と驚いて、
「だ、大丈夫ですか? こないだもそうして賊に襲われたんじゃ……」
「でも、それを助けてくださったのはクレアルドさんたちです! お二人が一緒なら、お父さまやヴァレリオもきっと良いと言ってくれます!」
そんなに上手くいくかなぁ……
という顔をするエリスの横で、クレアはにこりと笑って、
「そうですね。では、まずヴァレリオさんに聞いてみましょう。旦那さまに言うべきか否かもご判断いただけると思うので」
「えぇ。余計な心配をかけないためにも、また内緒にしておけって言われるかもしれませんものね。うふふ、楽しみ……どんなお話を聞いちゃおうかしら」
「お嬢さまが望まれるのならなんでもお話しますよ。それこそ、本には載っていような深い内容も……」
意味深に囁くクレアに、メディアルナは頬を押さえ「きゃーっ」と興奮する。
こいつ……また惚気るつもりで言っているのか?!
と、エリスがキッと睨みつけるが……
クレアはそれを爽やかな笑顔で受け止めて、
「では、早速ヴァレリオさんに相談しましょう。お嬢さまも行かれますか?」
そう、メディアルナに尋ねる。
彼女は首を縦に振りまくって、
「はい! 行きましょう! すぐに行きましょう!!」
鼻息を荒らげながら、足早に部屋の扉を開けた。




