5-3 木を隠すなら森の中
エリスとメディアルナは、狭い厨房の隅で、隣り合わせに座った。
目の前には、料理長が作った出来立ての昼食が並んでいる。
メディアルナに出されたメニューは、チキンの香草焼きに食用花を散らしたサラダ、付け合わせのパンにじゃがいものポタージュ、そしてデザートの白桃ゼリーだ。
エリスの方は賄いメニューなので、余ったチキンのバターソテーとにんじんやセロリのピクルス、ポタージュは同じだがパンは硬い安物で、デザートはついていなかった。
片や御令嬢、片や使用人。
食事のメニューに差があるのは当然だ。
しかしエリスは、それを"差"だとは思わなかった。
何故なら料理長は、例え賄いであっても手を抜かず、きちんと美味しいものを作ってくれているからだ。
ずっと隣で見ていたから、同じくらい工夫を凝らし、気持ちを込めて作っていることは知っている。
だから、エリスにとっては"差"ではなく、メニューが二つあるという"違い"でしかなかった。
そしてメディアルナもまた、それを"差"とは認識していなかった。
脂身が多いチキンソテーも、作り置きのピクルスも、硬そうなパンも、『使用人が食べる安物』とは微塵も思わず、純粋に『美味しそう』と感じていた。
『早く召し上がれ』と手招きするような湯気に誘われ、エリスはたまらず手を合わせると、
「いただきます!!」
と言って、食べ始めた。
チキンソテーを一口頬張った瞬間、「んん〜っ♡」と悶絶する。
その反応に、隣に座るメディアルナが笑う。
「本当に、エリックさんは美味しそうに召し上がりますね」
「だって美味しいから! ほら、お嬢さまも冷めない内に食べましょ!」
そう促され、メディアルナも目の前の料理を見つめてから、「いただきます」と食べ始めた。
「……うん、美味しいです。わたくし、このチキンの皮のパリッとしたところが大好きなんです」
「わかるー! 香ばしくて最高ですよね! さすが料理長、パリパリ具合もまた絶妙……見ているだけで美味しさが伝わってくる」
と、メディアルナのチキンを眺め、涎を垂らすエリス。
それに、メディアルナはくすりと笑って、
「食べてみますか?」
「えっ、いいの?!」
「はい。だって、『おかずの交換こ』、するのでしょう? 代わりにわたくしもエリックさんのソテー、いただいてよろしいでしょうか?」
「もちろん!!」
エリスはぶんぶん頷いて、自分のチキンをメディアルナに取り分けた。
そうして二人は、おかずを交換しながら昼食を楽しんだ。
和やかな、笑顔あふれるランチタイム。
メディアルナの嬉しそうな笑顔を眺め…………エリスは、内心ほくそ笑む。
くく……ここへ来てお嬢さまとお近付きになれるチャンスが巡ってくるとは。
ずっと食べたかったお嬢さま用のメニューが食べられたし、何よりこのまま仲良くなれば『琥珀の雫』を分けてもらえるかもしれない。
異性ではなく友人として……お嬢さまと対等に話せる相手になろう。
そんな腹黒い考えを笑顔の裏に隠し、エリスはソテーの最後の一口を頬張る。
「はぁー、美味しかったぁ! ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした。エリックさんも料理長も、ありがとうございました。とっても楽しかったです」
料理長は何も言わなかったが、エリスには彼の横顔が、なんとなく喜んでいるように見えた。
「僕も楽しかったです。また一緒に食べましょう」
「はい! あの……エリックさん。まだお時間いただけますか?」
遠慮がちに尋ねるメディアルナに、エリスは首を傾げる。
「え? 大丈夫ですけど……どうかしましたか?」
「いえ、もう少しお話が聞きたくて。その……クレアルドさんとのお話」
突然飛び出した恋人の名前に、エリスの心臓が跳ね上がる。
「く……クレアとの話?」
「はい。お二人の仲良しエピソードを、ぜひ聞かせてほしいのです」
「仲良しエピソード……」
何故それを聞きたいのか、意味がわからず困惑するエリスに、メディアルナはぐいっと近付き、
「いつから仲良しなのですか? 出会ったきっかけは? 普段お二人でどんなお話をされているのですか?」
目をギラギラと輝かせながら、矢継ぎ早に尋ねる。
その勢いに言い知れぬ怖さを感じ、エリスが「え、えぇと……」と口籠っていると、
「お疲れさまです」
後ろから、そんな声が聞こえる。
振り返ると、そこにいたのは……渦中の人物、クレア本人だった。
彼を見るなり、メディアルナは嬉しそうに手を合わせる。
「まぁ、クレアルドさん。こんにちは」
「こんにちは、お嬢さま。今日は厨房で昼食を?」
「はい。エリックさんが誘ってくださったので、お言葉に甘えてしまいました」
「ほう……エリックが」
クレアは、何やら含みのある声音でそう言うと……
ガシッ、とエリスの手首を掴んで、
「すみません、お嬢さま。ちょっとエリックをお借りしますね」
と、掴んだ手を引いて、エリスと共に厨房を出た。
突然廊下に連れ出されたエリスは、「ちょ、ちょ」と足をもつれさせ、
「ちょっと。何よ急に、どうしたの?」
厨房から離れた場所で足を止め、クレアに尋ねた。
彼は、エリスの手を離すと……
だんっ! と彼女の背後の壁に手をつき、顔を近付けて、
「お話があります」
「だ……だから何ってば!」
腕の中に閉じ込められたエリスは、いよいよ混乱する。
これ……ひょっとして、怒ってる?
男の子として、メディアルナと二人きりでご飯を食べたから……嫉妬しているのか?
この屋敷に来る前、『女性相手でも口説くような真似はしてほしくない』と言っていたし……何か勘違いして、ヤキモチを妬いているのかもしれない。
そう考え、エリスは誤解を解こうと口を開きかけるが……
彼女が弁明するより早く、クレアは真剣な表情で、こう尋ねた。
「エリス…………BLって、ご存知ですか?」
その質問に。
エリスは、ぱちくりと三回瞬きをして、首を傾げる。
「…………び、びーえる……??」
「はい。男性同士の恋愛を題材にした物語の俗称です」
「だんせい、どうし……?」
「そうです。結論から言うと、メディアルナはそのBLが好きで、使用人同士の恋愛を妄想しています」
「え……えぇぇ??」
数秒のやり取りにものすごい量の情報を詰め込まれ、エリスはぐるぐると目を回す。
そんな彼女の耳元で、クレアはこそっと囁く。
「その証拠に……ほら、今も見られています」
「……?」
チラ……っと、エリスが厨房の方に目を向けると……
メディアルナが顔を半分だけ出して、こちらをジッと見つめていた。
その目は、ギンギンに血走っている。
思わず「ひっ」と声を上げるエリスに、クレアは更に続ける。
「彼女は、私とエリックが男同士で付き合っていると思い込んでいます」
「なっ……」
「私との関係について執拗に聞かれたでしょう? 彼女はああして、妄想のネタを収集しているのです」
「だ、だったらなおさら、本当の恋人だってバレるようなことしない方がいいんじゃ……」
「いいえ、むしろ逆ですよ」
訝しげな顔をするエリスの目を、クレアは真っ直ぐに見つめ、
「"私たちの交際を知るのはお嬢さまだけ"。そういう間柄になれば、彼女との距離を一気に縮めることができます」
「……!!」
「もちろん"男同士として"です。世間の目を逃れ、密かに愛を育む男と男……その唯一の理解者というポジションを、彼女に与えるのです」
「な、なるほど……」
「それによって得られるメリットは三つ。一つ目は、あの笛に近付く機会を得やすくなること。二つ目は、領主の毒の摂取を止められること。『リカンデュラには危険な副作用がある』などと吹き込めば、彼女が領主を止めてくれるでしょう。そして、三つ目は……」
「『琥珀の雫』、ね」
全てを察したエリスが、笑みを浮かべながら言葉を継ぐ。
クレアは小さく頷いて、
「そうです。我々が『濃厚なハチミツプレイがしたい』と言えば、すぐにでも差し出してくるはずです」
「うんうんっ! …………ん?! ハチミツプレイって何?!」
「とにかく。このまま恋人らしいところを見せつけて、わざとバラしましょう。ということで……」
くいっ。
……と、クレアはエリスの顎を持ち上げ、
「お嬢さまと随分楽しそうにお食事されていましたが…………まさか、異性として口説こうとしていたのですか?」
顔に影を落とし、低い声音でそう尋ねるので。
……いや、いきなり演技か本気かわからないセリフやめろ!!
と、エリスは内心ツッコみつつ、少年らしい声色を繕う。
「そ、そんなわけないだろ……一人で食べるのが寂しいって言うから、たまたま一緒に食べただけだよ」
「本当に? 私に飽きて、女性に鞍替えしようとしているのではないですか?」
「まさか。違うよ、飽きてなんかいない」
「でも嬉しそうにご飯はんぶんこしていたじゃないですか。私とも最近していないのに」
「ちょっと待って、あんた半分以上本気で言ってるでしょっ!?」
拗ねたように口を尖らせるクレアに、エリスは思わず小声で言ってから、
「ご、ごめん……でも決して口説いていたわけじゃ……」
「なら、言ってくださいよ」
クレアは、覗き見しているメディアルナにも聞こえるよう、わざと声を張って、
「ちゃんと『好き』って……私の目を見て、言ってくださいよ」
そう、要求した。
エリスは顔を赤らめ、あからさまに狼狽える。
「は……はぁ?! そんなの、この場で言えるわけ……!!」
「言えないのですね……私のこと、もう好きじゃないから」
「そうじゃなくて! そういうのは、その……演技では言いたくないというか……」
ごにょごにょと尻すぼみで言うエリスの言葉に、クレアは思わずグッときてしまい、
「演技じゃなくていいですよ」
「え……?」
「今だけ本気で……気持ちを込めて、言ってください」
そう、囁くように言う。
そっ……それはもう単純に言わせたいだけじゃん!!
だけど、お嬢さまに恋人らしいところを見せつけなきゃならないし……
…………言わなきゃ、いけないのか……?
エリスはしばらく目を泳がせてから……
観念したように俯いて。
「……く、クレアのこと…………好き、だよ」
「ちゃんと、目を見てください」
「っ……クレア…………好き……」
「もっと」
「…………好き」
「大好き?」
「………………大好き」
「大大大好き?」
「あぁもうっ、大大大大大好きだからっ。これくらいでもう許し、て……」
……そこまで言って。
エリスはすぐ隣から「ハァハァ」という息遣いを感じ……バッ! とそちらを見る。
すると……
「……あっ。すみません、わたくしのことは壁だと思って、どうかお気になさらず……」
……なんて、いつの間にか距離を詰めていたメディアルナが……
涎を啜りながら、そう言った。