5-2 木を隠すなら森の中
時間は少し遡り──
クレアが使用人たちの部屋を捜索している頃、厨房では、
「悪い、これ全部下げてくれ」
ヴァレリオが、料理が載ったままのお盆をエリスに手渡していた。
領主のために用意した朝食だ。それが、全く手付かずの状態で戻ってきたのだ。
「旦那さま、食欲ないのですか?」
「あぁ。せめてスープだけでもと勧めたんだが、相当気分が悪いらしい。水しか飲まれなかった」
言いながら、ヴァレリオが手にしたティーポットの中身を流しに捨てようとするので……
「あーっ! ポットの片付けなら僕がやりますので! そのまま置いておいてください!!」
と、エリスが慌てて止める。
ヴァレリオは少し驚くも、「そうか」と了承して、
「そういうわけだから、昼食はなしだ。夕食をどうするのかは、またあらためて指示する」
「わかりました」
エリスが頷くと、ヴァレリオはそのまま厨房を去って行った。
ほっ……と、胸を撫で下ろすエリス。
そして、流しに置かれたティーポットと対峙する。
中身は、まだ入ったままだ。
残されたこのお茶から毒の香りがしたら、ヴァレリオがそれを入れたということになる。
エリスは意を決してポットの蓋を開け……
その香りを、嗅いでみた。
すると……
「(…………やっぱり)」
結果は、黒だった。
リカンデュラとは違う苦さの香りを感じる。
厨房で保管している茶葉自体に毒は入っていなかった。
なら、この匂いの素が混入されたのは、領主の部屋に運ばれた後ということになる。
つまりは……領主が飲む直前に、ポットに毒を混ぜているのだ。
そう考えると、何とも大胆な犯行だ。
標的のすぐ側で毒を混入しているとは。
しかし確かに、誰にも見られることなく犯行に及べる。
さて、ヴァレリオが犯人であることは明らかになったが、これからどうするか。
まずは、この"毒入り茶"の供給を止めなければならない。
今回は飲まなかったから良かったものの、回復したらまた飲まされることになるだろう。愛娘が自ら買ってきたこれを、領主も飲みたがっているようだし。
「毒が入ってるから飲むな!」と馬鹿正直に言うわけにもいかない。何故なら、まだ物的証拠が見つかっていないから。
また、協力者がいる可能性もある。犯行を指摘するなら、全てが明らかになってからだろう。
領主に、リカンデュラを飲むのをやめさせる方法……
ヴァレリオにこちらの動きを悟られずに済む良い方法が、何かないものか……
と、エリスが腕を組み考え込んでいると、
「お、お疲れさまです……」
そんな声と共に、アルマが厨房へやって来た。
メディアルナの昼食を受け取りに来たようだ。
エリスは振り返り、「今できるからちょっと待ってて」と、皿を準備しながらいつものように言う。
しかしその直後……エリスの耳に、いつもとは違う声が返ってきた。
「こんにちは」
アルマとは対照的な、明るくはっきりとした声。
エリスが再度振り返ると……厨房の入口に、メディアルナが立っていた。
「あ、お嬢さま。こんにちは」
「ディアナさま……お部屋で待っていてくださいよ」
驚きながら返すエリスと、困り顔で言うアルマ。
メディアルナは二人に向かって、にこりと微笑んで、
「エリックさんのお言葉に甘えて、今日は厨房で食べさせていただこうかなぁ、なんて思っているのですが……よろしいでしょうか?」
その申し出に、エリスはパァッと顔を輝かせ、
「もちろん! 今この辺片付けるので、食べていってください」
と、いつも使用人たちが賄いを食べるのに使っているスペースを片付け始める。
昨日、領主が発作を起こすのを目の当たりにし、さすがのメディアルナも心細くなったのだろうか。
そんなことを考え、準備を進めるエリスを尻目に、アルマは息を吐く。
「……どうしてわざわざこんな狭いところで食べようとするのですか?」
「だって、あんな広い部屋で一人きりで食べたってつまらないんだもの。せっかくなら誰かと食べた方が、料理長のご飯がもっと美味しくなるかなぁって思ったんです」
メディアルナの返答に、エリスが「うんうんっ」と力強く頷く。
が、アルマはなおも訝しげな顔をして、
「はぁ……贅沢な悩みだなぁ」
……と、ため息混じりにぼそっと呟いた。
聞こえなかったのか、メディアルナはにこにこと微笑んだままだが……
しっかりと聞き取れてしまったエリスは、思わずアルマを見つめて、
「一緒に食べればいいのに」
そう、思いついたように言う。
「は?」と顔を顰めるアルマに、エリスはけろっとした顔をして、
「いつもお嬢さまのお食事を運んでいるんだし、ついでに一緒に食べちゃえばいいのに……って、思うんですけど、どうですか?」
「なっ……」
あからさまに動揺したアルマが何か言い返そうとするが、
「いいですね、それ! アルマ、これからはわたくしと一緒にご飯を食べましょうよ!!」
と、メディアルナが手を合わせながら嬉しそうに言う。
しかし……
アルマは、ぐっと言葉を詰まらせてから、
「……そんなの、無理に決まってるじゃないですか」
低い声で、呟く。
俯く彼の顔を覗き込みながら、メディアルナが「どうして?」と尋ねると、
「……リンナエウス家の御令嬢である貴女と、何の身分もないゴミみたいな僕が、同じ食卓についていいわけがないじゃないですか」
「そんなこと……わたくしはアルマのことを、友人や姉弟のように思っていますよ?」
「……友人や、姉弟?」
「そうです。だから、そんなことは気にしないで、一緒に食事を……」
「無理なものは無理です」
はっきりと言い切るアルマに、メディアルナはびくっと身体を震わせる。
そして……もう一度、まるで自らに言い聞かせるように、
「……無理なんですよ」
と。
アルマが、呟いた。
メディアルナも、思わず言葉を失い……
気まずい沈黙がしばらく続いた後、
「……すみません。やっぱり僕、ダメ人間ですね。ちょっと頭冷やしてきます」
そう言い残し、アルマは厨房を去って行った。
メディアルナが「待って!」と止めるが……戻って来る様子はなかった。
「……なんか、ごめんなさい。余計なこと言っちゃったみたいで」
申し訳なさそうに謝罪するエリスに、メディアルナは首を横に振る。
「いいえ。エリックさんのご提案、すごく嬉しかったです。たぶんわたくしがアルマをイライラさせているだけなので……エリックさんのせいではないですよ」
「あいつ、普段からあんな感じなんですか? 前から暗いやつだとは思っていたけど」
「うーん、そんなことはないんですけどね。わたくしがトロいから、アルマもストレスが溜まっているんだと思います。ついに嫌われちゃったかしら」
あはは、と明るく笑うメディアルナ。
その乾いた笑い声に、エリスはいよいよ申し訳なくなって……
「じゃあ……僕と一緒に食べますか?」
と、微笑みながら言う。
メディアルナが「え……?」と聞き返すと、エリスは悪戯っぽく笑って、
「料理長の作る賄いは文句なしに美味しいけど……お嬢さま用に作られるご飯はもっと美味しそうで、いつも羨ましかったんです。僕は誰かさんみたいに謙虚じゃないんで、身分とか気にせずお嬢さまとおかずを交換こできたらいいなぁー、なんて企んでいるのですが……そんな僕でよければ、ご一緒にいかがですか?」
そう、本音を交えながら投げかけた。
メディアルナは、「おかずの、交換こ……」と、呆けたように呟いてから……
「……はい、ぜひお願いします!」
満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに答えた。
──そうして、楽しげに会話しながら昼食を摂る二人の姿を……
厨房の外からじっと覗いているクレアがいることに。
エリスはまだ、気付いていなかった。