5-1 木を隠すなら森の中
──翌朝。
自室にて、使用人の制服に着替えるクレアの耳に、今日もメディアルナの笛の音が聞こえてくる。
この街に住まう者すべてに、等しく降り注ぐ美しい調べ。
幼少期から精神を鍛え上げてきたクレアですら、心が凪いでしまう不思議な音色。
それなのに……
この音色を聴いてもなお、領主に殺意を抱く人物が、この屋敷の中にいる。
一体どれほどの"悪意"を秘めているのだろう。
それは、領主に対する憎しみによるものなのか。
それとも……
あの笛を奪おうという、野心によるものなのか。
一刻も早く、犯人を特定しなければ。
領主が殺されてからでは遅い。
また、こちらの動きを察知し逃げられてもいけない。
ここからは、時間との戦いだ。
クレアは、テーブルの上に咲く"悪意の色"に染まったウラナイ草を眺めてから……
静かに、部屋を出た。
* * * *
クレアが廊下に出るのとほぼ同時に、エリスとレナードもそれぞれの部屋から出てきた。
三人は、随時状況の報告することを手短に確認してから、それぞれの持ち場へと向かった。
いち早く動き出したのはエリスだった。
厨房に入り、料理長に挨拶をした後、すぐに戸棚へと手を伸ばす。
そこにあるのは……リカンデュラの茶葉が入った、紙の袋だ。
昨日は機会を逃したが、朝食作りに集中している料理長の目を盗み、毒の匂いがしないか確かめるのだ。
袋の口を開け、慎重に鼻を近付ける。
そして、そっと匂いを嗅ぐ……が。
「(…………しない)」
念のため何度か嗅ぎ直してみても、茶葉からは毒の匂いは感じられなかった。
ということは、毒はリカンデュラの茶葉に混入しているのではなく、お茶として淹れるタイミングで混ぜられているのか……
となると、やはりヴァレリオが怪しい。
そう結論付けたところで、厨房にクレアが入って来た。
「おはようございます。食材の買い出しリストを受け取りに参りました」
爽やかな笑顔で言うクレアに、料理長は調理の手を止め、ポケットから取り出したメモを渡す。もうすっかり見慣れた朝の光景だ。
買い出しリストを受け取り、「ありがとうございます」と言って厨房を出ようとするクレアに、
「──茶葉にはなかった」
と、エリスが小さく耳打ちする。
クレアは返事をしない代わりに視線で「わかりました」と返し、厨房を後にした。
……さて。毒の保管場所の特定はクレアたちに任せるとして。
あとは、どのタイミングで毒が入れられているのかを確かめなきゃ。
現行犯で捕まえられれば一番早いんだけどなぁ……
と、クレアの背中を見送りながらエリスが考えていると、
「よう、エリック。昨日はいろいろとありがとうな。朝食、出来ているか?」
そんな声と共に、最も疑わしい人物が現れた。
領主の秘書にして、使用人たちの総責任者……ヴァレリオ・ドルシだ。
エリスは疑いを向けていることなどおくびにも出さずに微笑んで、
「おはようございます。もうすぐだと思うので、少し待っていてください」
そう、少年らしい声音で答えた。
ヴァレリオは「わかった」と返事をすると、ティーセットとリカンデュラの茶葉を用意し始める。
その様子を、エリスは鋭い視線で観察しながら……
「あれから、旦那さまのお加減はいかがでしたか?」
と、心配げな声を装い尋ねる。
ヴァレリオはエリスの方は見ず、沸いた鍋の湯をティーポットに注ぎながら、
「あぁ、あの後は発作もなく落ち着かれたよ。ただ、今朝もあまり良いとは言えないな。食欲がないとおっしゃっていた」
「そうですか……心配ですね」
「今日、もう一度医者に診てもらうよう説得してみる。食事はとりあえずいつも通りに準備しておいてくれ」
「わかりました」
エリスが頷くと同時に、料理長が出来上がりの合図をした。
皿を用意し、料理の盛り付けを手伝いながらも、エリスはヴァレリオの動きに注意する。
が、茶葉の袋とお湯を用意しただけで、他に何かを取り出したりする様子はなかった。
「……はい、ヴァレリオさん。お願いします」
朝食の載ったお盆を、エリスが手渡す。
ヴァレリオは「おう」と短く答えると、お盆を受け取り、厨房を去って行った。
その足音が、完全に聞こえなくなったのを確認してから、
「……あ、いっけね。スプーン添えるの忘れたかも。料理長、僕渡してきますね」
と、スプーンを一つ手に取り、廊下へと出た。
もちろん、ヴァレリオの後を尾けるための嘘である。
エリスは周囲に人がいないことを確認してから手早く指輪を嵌め、暖気と冷気それぞれの精霊を呼び出し、"透明な隠れ蓑"の魔法で姿を消す。
そして、上階へと続く階段を上り……ヴァレリオの後を追った。
足音を立てないよう、静かに尾行する。
しかし特に変わった様子がないまま、彼は三階へ辿り着いた。
そのまま真っ直ぐに領主の寝室を目指し……コンコンとドアをノックをしてから、部屋の中へと消えて行った。
毒混入の決定的瞬間を押さえられれば、と考えていたが……さすがに部屋の中へは入れない。
だが、これで飲み終えたお茶の残りから毒の香りがすれば、入れたのは間違いなくヴァレリオだということになる。
「(にしても……一体どこに毒草を保管しているのかしら?)」
エリスは姿を消したまま、ついでに三階と二階の廊下をくんくん嗅ぎ回るが……それらしき匂いはしなかった。
主屋ではなく、離れにあるのだろうか?
しかし、ヴァレリオの自室にはなかったとクレアは言っていたし……となると、やはり協力者が……?
とりあえず、これ以上は何も掴めなさそうだったので、エリスは一旦厨房に戻ることにした。
* * * *
その、数時間後。
午前の買い出しを終え、早めに屋敷へ戻って来たクレアは、離れでレナードと合流していた。
ヴァレリオに協力し毒を保管している者がいないか、疑わしい使用人の部屋を捜索するのだ。
「夜回り係のユーレスの部屋は昨夜の内に見ておいたが、それらしきものはなかったな」
と、ユーレスの部屋の扉に目を向けながら、レナードが言う。
深夜にその捜索をおこなっていたところ、クレアとエリスのいかがわしい声が聞こえてきたので止めに入ったわけだが……それについては、もう言及しないことにする。
レナードの言葉に、クレアは頷くと、
「先ほどエリスから、茶葉に毒は含まれていなかったと報告を受けました。必ずどこかに保管されてるはずです」
「そうか。では……予定通りアルマとブランカと、料理長の部屋を調べよう」
昨夜、エリスは料理長の無実を切に訴えていたが……まだ完全に白とは言い切れない。
だから、彼女には言わずに料理長の部屋も捜索することにしたのだ。
レナードは、いつも以上に真剣な表情でクレアに言う。
「俺は入口で見張っている。あまり時間はかけずに、しっかり探せ」
その言葉は矛盾しているようにも聞こえるが、最短で最大限の成果を挙げることは潜入捜査の鉄則と言える。
彼らにとっては、幼い頃から叩き込まれた"当たり前のこと"だった。
だからクレアは……
レナードと共に乗り越えた数々の任務を思い出しながら、「わかりました」と頷いた。
それが、捜索開始の合図となった。
レナードは離れの入口へ、クレアは容疑のかかった者たちの部屋へと向かう。
料理長の部屋は一階、アルマとブランカの部屋は二階にある。
最初に、クレアは料理長の部屋の鍵から開けた。いつものように、針金を使った解錠法である。
そっと開けた料理長の部屋は、飾り気のない空間だった。
棚には料理に関する本が数多く並べられているが、他に私物は少ない。
本棚やタンスの中、ベッドの下、絨毯の裏など、ものを隠せる場所を徹底的にあらためていく。
また、引き出しや壁、床裏に物をしまうための細工をしていないかも確かめる。
……が、それらをすべて確認しても、毒草らしきものはなかった。
それならば、次である。
クレアは料理長の部屋に鍵をかけ直すと、二階へ向かう。
まずは手前にあるブランカの部屋から見ることにする。
同じように鍵を開け、中に入り、物を隠せる場所を全て探していく。
しかし、ここにもなし。
購入品や荷物の受け取りに関する改ざん書類が隠されていないかも見たが、怪しいものはなかった。
残るは、その向かい──アルマの部屋である。
鍵を開けて、扉を開く……と。
その部屋の光景に、クレアは動きを止める。
何故なら……
あまりにも物が無さすぎて、そこが本当にアルマの部屋なのか、一瞬わからなくなったからである。
私物らしきものは、床に置かれたリュック一つだけ。
それ以外は、元々この部屋に置かれている家具や調度品だ。
先日、クレアが初めて自分の部屋を開けた時と変わらない光景がそこにあった。
本当に彼は、この屋敷で一年間生活していたんだよな……?
そう疑いたくなるが、場所としてはここがアルマの部屋で間違いない。
クレアは奇妙さを抱きながら、捜索を開始した。
* * * *
結果的に、アルマの部屋にも毒草らしきものはなかった。
クレアは離れの入口を見張るレナードの元へ向かい、そのことを報告する。
「見つからなかったか……」
「もう一人、部屋を探っていない人物がいますが……どうしますか?」
「……ロベル、か」
レナードの返答に、クレアは頷く。
この屋敷を訪れてから、ロベルとヴァレリオが接触している場面を見たことはなかった。
そのため、協力者の候補から外していたが……
クレアは、メディアルナの部屋で見た『妄想BLノート』の内容を思い出す。
『ロベルとヴァレリオにも、ずっとずっと仲良くいてもらいたい』
多少BL的な色眼鏡があるにしても、実際に仲が良いからこそ、そう書いたのだろう。
最も付き合いの長い二人だ、クレアたちの知らないところで接点を持っている可能性もある。
それに……
領主の妻や、二人の使用人が死亡した十五年前から勤めているのも、ロベルとヴァレリオだ。
その三人の死に、彼らが関わっていないとも言い切れない。
そう考えれば、ロベルにも十分に疑いの余地がある。
ロベルの部屋も捜索しよう。
クレアはそう言いかけるが……その前に、レナードが首を横に振る。
「気になるところではあるが、今回は一旦引き上げよう。もう時間がない」
確かに、そろそろ昼食を終えた使用人たちが再び動き出す頃だ。
昼休みがてら、自室に一度戻って来る可能性もある。
結果を急ぐあまり、部屋を物色しているところを目撃されればこちらが疑われてしまう。
クレアは頷いて、レナードと共に一旦主屋へと戻った。