3-3 見えない悪意を占う
──その夜。
いつもならレナードの部屋でおこなう会議だが、今夜はクレアの部屋にエリスとレナードが集合した。
服毒の"検証材料"を、ここに保管しているからである。
「──予定通り準備ができました。これが、ウラナイ草の花です」
と、クレアは白い花の鉢植えをテーブルに置く。
その横には、エリスから預かったリカンデュラのカップの破片があった。僅かではあるが、領主が飲みかけた液体が底の部分に残っている。
「この液体を花弁に垂らし、色が変われば、毒が含まれていることが確定します」
クレアの説明を聞き、エリスは緊張の面持ちを浮かべる。
レナードは腕を組み、落ち着いた様子で座っていた。
「では……いきます」
クレアは、カップの破片を慎重に掴むと……
そこに残された液体を、ウラナイ草の花弁に垂らした。
すると……
雪のように白い花弁が、液体がかかった箇所からじわじわと蝕まれるように紫色に変わった。
毒々しい色に染まったその花を、エリスは驚愕の表情で見つめる。
「やはり毒でしたね……エリスが匂いに気付かなければ、領主はやがて毒殺されていたかもしれません。教えていただきありがとうございます」
「しかし、笛の捜査とは別の問題が浮上するとは……面倒なことになったな」
エリスに感謝を述べるクレアをよそに、レナードが淡々と言う。
殺人未遂事件の解決など、特殊部隊の管轄ではない。
一刻も早く笛に近付きたいというのに……余計な手間が増えてしまった。
と、レナードは昼間のメディアルナとのやり取りを思い出し、奥歯を噛み締める。
が、メディアルナに拒絶された事実を知らないクレアは、その言葉に異を唱える。
「犯人は領主を亡き者にし、あの笛を奪おうと企んでいるのかもしれません。過去に使用人が死亡している件も含め、関連性を明らかにする必要があります」
「……そうだな。とにかく犯人を特定しよう。それで、何かわかったことはあるか?」
レナードに投げかけられ、クレアが静かに答える。
「毒草の入手経路と保管場所について探ってみましたが……結論から言えば、成果はなしです。この屋敷に物が入ってくるルートは、"おつかい係"による買い出しと、午後に届く荷物の受け取りが基本です。それらには全て記録をつけているので、怪しい物を購入していないか、あるいは届けられていないか、過去三ヶ月分を調べましたが、不審な記録は見当たりませんでした。ブランカが記録を改ざんしている可能性もゼロではありませんが……彼はリカンデュラと全く接点なかったので、仮に首謀者だったとしても茶葉に混入する実行犯が別にいるはずです。そこで、最も怪しいと思われるのが……」
「ヴァレリオ、か」
レナードの言葉に、頷くクレア。
「えぇ。彼は秘書として領主の配膳も担当しているので、毒を混入するタイミングはいくらでもあります。なので、毒草が保管されているのではないかとヴァレリオの部屋を捜索しましたが……それらしきものは見つけられませんでした」
「って、もうそこまで動いてんの? 行動早っ」
「ヴァレリオは倒れた領主に付きっきりでしたし、他の使用人もバタバタしていたので、捜索するにはちょうど良かったのです。何より、エリスの勘と嗅覚を信じていましたから、早めに物的証拠を押さえたくて」
そう微笑みかけられ、エリスは「う」と言葉を詰まらせる。
自分のことを迷いなく信じてくれたことに、嬉しさが込み上げてきたのだ。
しかし、その雰囲気に水を差すようにレナードが言う。
「確信が持てない内に先走った行動に出るのは危険だ。今回はたまたま『勘』とやらが当たったが、いつもそう上手くいくとは限らない。今後は気を付けることだな」
「はぁ? 『怪しい行動しているヤツがいないか観察しろ』って言ったのはあんたの方でしょ?」
「観察するのと行動を起こすのは別だ。そんなこともわからないのか、この単細胞」
「っ……ふん。そんな口を利いていいのかしら? 今日のあたしは、すんごい情報をゲットしているんだから」
得意げに胸をそらすエリスに、クレアは「おぉ」と声を漏らし、レナードは眉を顰める。
「……では、その『すんごい情報』とやらを聞かせてもらおうか」
あまり期待していない様子で促すレナード。
エリスは不敵に笑うと、自信満々に語り始めた──
* * *
「──と、いうわけなのよ」
厨房に毒草らしきものは見当たらなかったこと、そして料理長から聞いたメディアルナが笛に触れるまでの経緯を話し終え、エリスは渾身のドヤ顔を浮かべる。
クレアとレナードは、互いに顔を見合わせ……
先に、レナードが声を発する。
「あの料理長……喋るのか?」
「うん。厳密には、昨日から喋るようになった」
「何故昨日報告しなかった」
「したわよ、クレアにはね」
そっぽを向き、ツンと答えるエリス。
その態度に、レナードは眉をピクッと痙攣させて、
「……犬」
「は?」
「あちこち匂いを嗅ぎ回り、主人にだけ心を許す。そうか、お前は犬だったのか」
「あ、あたしが、犬ぅ?!」
『単細胞』に次ぐ新たな呼び名に、エリスは声を荒らげる。
しかし彼女が反論するより早く、クレアが口を開く。
「さすがにそれだけでエリスを犬認定されるのは心外ですね。エリスはご飯ができると笑顔で駆け寄って来るし、ご飯屋さんを巡るお散歩も好きだし、噛むのも噛まれるのも大好きなのですよ? そうした"犬み"を知った上で呼称してください」
「って、怒ると見せかけてなんてこと言ってんのよあんたは!!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけるエリス。
それをフォローするように、クレアは笑いながら、
「すみません、冗談です。モルガン料理長は特別なルートで採用されたのか経歴書が見当たらなかったので、勤務歴がわかったのは大きな収穫です。何より、メディアルナが笛を吹くに至った経緯をここまで詳細に知ることができるとは……それも全て、エリスの人心掌握スキルが為せる業ですね。お見事です」
「へへーん。でしょでしょ? すごいでしょ?」
「ほら、主人に褒められすぐに尻尾を振る。完全に犬だな」
「はっ! ち、違うわよもうっ!!」
レナードに指摘され、エリスは慌てて心の尻尾をしまう。
そして、仕切り直すように咳払いをして、
「とにかくっ。あたしが言いたいのは、料理長は犯人じゃないってこと。ずっと近くで見てきたし、物的証拠もないんだから」
その言葉に、クレアは頷いて、
「同時に、メディアルナの可能性も見直す必要が出てきましたね。笛の独占を目論んでいるのでは、とも考えましたが、領主自ら笛に近寄らないようにしているのであればその必要もないでしょう」
「そうなの。『領主の座を奪ってパペルニアを支配したい!』とかって野心があるようにも見えないしね。だからやっぱり、ヴァレリオが怪しいと思う」
「領主の病を治そうという意志が見られなかったのはそのためなのかも知れませんね。しかし、十五年以上働いて今さら主を暗殺しようとは……動機は何なのでしょうか」
「散々こき使われて、ついに爆発したんじゃない? あの領主、頑固でキレやすいから絶対ストレス溜まるって」
「だが、ヴァレリオの部屋に毒草はなかったのだろう?」
と、レナードが落ち着いた声で指摘する。
「常に持ち歩いているとは考え難い。協力者がいて、そいつが保管をしている可能性がある」
「じゃあ、他に怪しいのは?」
「少し考えればわかるだろう。アルマと、ブランカだ」
冷たく返され口を尖らせるエリスだが、レナードはそれを無視して続ける。
「そもそもあのリカンデュラは、アルマの発言がきっかけで買いに出かけたものだ。毒を混入させるため、わざとメディアルナに話を持ちかけたのかもしれない」
「……なるほど」
「ブランカは、先ほどクレアルドが言った通り仕入れ記録をいくらでも改ざんできる。毒草を購入し、隠し持つことも可能だろう」
「……たしかに」
「では、明日はその二名の部屋を捜索しましょう。レナードさん」
「あぁ、俺が見張り役をやる。それぞれが食事をしているタイミングがいいだろう」
方針を固める二人に、エリスも「はい」と手を挙げ、
「あたしも毒草の匂いがしないか出来る限り見て回るわ。まずはリカンデュラの茶葉に混ぜられていないか確認してみる」
「ん。頼んだぞ、犬」
「だから犬じゃないってば!!」
犬歯を剥き出しにするエリスを、クレアは微笑ましく眺めてから、
「それにしても……あの笛に対する謎は深まるばかりですね。メディアルナは初めから狂戦士化の呪いを受けていないようですし、リンナエウス家の血族でなければ触れられないというルールも不可思議です」
と、エリスの話を思い出しながら言う。
エリスは犬歯をしまい、コクコクと頷いて、
「だよね。ここの一族が特別に呪いを受けない体質なのか……でも、『取り憑かれたみたいだった』って料理長は言ってたし……呪いの種類が違う、とか?」
「あるいは、"禁呪の武器"とはそもそも異なる代物だとか」
「えぇ〜、あんな妙な力持ってるモンがいくつもあっちゃたまんないわよ……で、あんたはどう思うの?」
と、急に話を振られ、レナードは眉を顰めて聞き返す。
「何がだ」
「"禁呪の武器"の呪いについてよ。耐性を持つのは本当にクレアだけなのか調べたいって、出発前に言ってたじゃない。だからついてきたんでしょ?」
「私も気になっていました。レナードさんは、どうしてそれを知りたいと思ったのですか?」
エリスに続けて、クレアも尋ねる。
ずっと、気がかりだったのだ。
出発前の会議の折、レナードがアストライアーの隊長・ジークベルトに投げかけた言葉……
『……他の武器を既に所有している、という話はなかったでしょうか。例えば……「弓」とか』
つまりレナードは、軍の上層部が既に複数の"禁呪の武器"を保有しているのではないかと疑っているのだ。『弓』という具体例まで挙げて。
「もしかして……"禁呪の武器"の存在を、以前から知っていたのですか?」
そう尋ねてみる。と……
レナードは、何かを考えるように目を伏せて、
「……俺とお前が初めて会った日のこと、覚えているか?」
と、逆に聞き返した。
思いがけない質問に、クレアは宙を仰ぎながら、
「初めて会った日……すみません、実は子どもの頃の記憶が曖昧で、明確には覚えていないです」
「……そうか」
「一緒に仕事を始めたのは私が十歳の時ですが、レナードさんはそれよりも前……私が『箱庭』にいた時から、何度か会いに来てくれていましたよね? 同じ『箱庭』出身の先輩として、後輩たちの面倒をよく見てくださいました。それが、"禁呪の武器"と何か関係あるのでしょうか?」
本当に記憶にないクレアは、正直にそう尋ねる。
その真っ直ぐな瞳を、レナードはしばらく見つめ返し……
「……覚えていないならいい。俺の思い過ごしという可能性もある」
「何その思わせぶりなカンジ。気持ち悪いわね。いいから教えなさいよ」
「キャンキャン吠えるな、やかましい。この件にケリがついたら全て話す。それまでは、目の前の任務に集中しろ」
「だから、犬扱いするな!!」
エリスの訴えを無視し、レナードは立ち上がると、
「今日はこれで解散だ。明日中に毒草の在り処と犯人を特定する。笛の件が片付く前に領主に死なれては困るからな」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
制止も虚しく、彼はそのままクレアの部屋を出て行った。
「……もう。なんなのよあいつ」
「いずれ全て話すと言っていますし、今は深追いしないでおきましょう。味方であることは間違いないのですから」
「そうかもしれないけど……」
なーんか企んでる気がするのよね。
……という言葉は飲み込んで。
「……ま、クレアがそう言うなら、そういうことにしておくわ」
そう言って、肩をすくめた。
「じゃ、お風呂行こっか」
「はい。あ、そうだ。エリス、お風呂から上がったら、少し時間をもらえませんか?」
クレアの申し出に、エリスは首を傾げる。
彼は、悪戯っぽい笑みを浮かべると……
「このウラナイ草と一緒に、珍しいハーブティーを買ってきました。寝る前に……二人で内緒のお茶会をしませんか?」
と、どこからか取り出したティーセットを掲げながら、そんなことを言うので。
エリスは、見えない尻尾をパタパタと振り、「うんっ!」と満面の笑みで頷いた。
出発前の会議での会話は、第二部・第一章『1-3 新たなる旅立ち』で確認いただけます。よかったら読み直してみてね。