3-1 見えない悪意を占う
──クレアがメディアルナの部屋を出た、しばらく後。
領主の発作も落ち着き、床の掃除も終えたので、エリスとレナードは寝室を出た。
ヴァレリオとメディアルナは領主に付き添うため、まだ部屋に残っているが……
「……なかなかに、深刻だな」
寝室を振り返りながら、レナードが呟く。
領主の体調は、明らかに良くなかった。
しかしヴァレリオが「医者を呼ぼう」と説得しても、領主は「信用ならない、休めば治る」と拒絶するばかりだった。あれでは治るものも治らない。
レナードの隣で、エリスは塵取りに載せたカップのかけらに目を落とす。
そして……
「……ねぇ。あんたって、毒とかに詳しい?」
そう、尋ねた。
その質問が意味するところを察し、レナードは声を潜め聞き返す。
「病気ではなく、服毒の可能性があると言いたいのか?」
「うーん、昨日からこのリカンデュラのお茶の匂いが微妙に変わった気がするんだよね。変なものでも入れられているんじゃないかなーと思ってさ」
エリスの言葉に、レナードはカップのかけらに顔を寄せる。
『箱庭』で育ち、十歳から特殊部隊に所属していた彼には、一通りの毒の知識があった。
潜入捜査中に敵に勘付かれ、毒を盛られる可能性もある。だから、様々な毒を少しずつ摂取し、味を覚え耐性をつける訓練をしてきた。
匂いに特徴がある毒も存在する。このお茶に含まれているものがその一種であれば、匂いから毒の種類を特定できるかもしれない。
レナードは、割れたカップの底に僅かに残った液体の香りを確かめる。
しかし……
リカンデュラの苦い香りが強すぎて、毒らしき匂いを感じることはできなかった。
口に含んで玩味すれば種類が判別できるかもしれないが、それは最後の手段にすべきだ。
領主の状態から察するに致死量が含まれているとは考え難いし、毒に対する耐性もあるが……万が一あのような発作を起こせば、今後の捜査に支障を来たす。
かと言って、成分の分析を本部に回すのは時間がかかりすぎる。
さて、どうしたものか……
レナードは顔を上げ、エリスに問う。
「……本当に、妙な匂いがするんだろうな?」
「それが『妙』かわからないから聞いたんじゃない」
「毒だと思う根拠は?」
「勘よ。なんとなく悪いものな気がするの」
「話にならないな。『なんとなく』で動く程、俺は暇ではない」
「むぅ……もういい。お兄ちゃんは当てにならないから、弟分に聞いてくる」
そう言い残し、エリスは塵取りを持ったままスタスタと歩き出す。
レナードは、なんとも言えない苦々しい顔をして、
「……その呼び方やめろ」
と、後ろからエリスに言うが……
彼女は振り向かないまま、間髪入れずに「やだ」と答えた。
──そのままエリスが一階の厨房に戻ると、流しで皿洗いをしているクレアがいた。
メディアルナの部屋を出た後、エリスの代わりに料理長の手伝いをしていたのだ。
エリスが戻って来たことに気が付き、彼は振り返る。
「おかえりなさい。旦那さまのこと、お嬢さまから伺いました。お加減はいかがですか?」
「今は少し落ち着いたけど、だいぶ辛そうだった。洗い物ありがとう。料理長もすみませんでした。旦那さまの夕飯については後でヴァレリオさんが指示をくれるので、少し待っていてください」
料理長は黙って包丁を研いでいるが、ちゃんと聞いてくれているはずだと納得し、エリスは再びクレアに目を向ける。
「クレアも、午後の買い出しはまだ行かないでいいって。夕飯の食材がどうなるかわかんないし、薬とか必要になるかもしれないから」
「わかりました。私もヴァレリオさんの指示を待ちます」
「それまでの間……ちょっと片付けを手伝ってくれないかな? これ、割れちゃったんだ。処分の仕方、わかる?」
言いながら塵取りを掲げ、「アヤシイから見て!」と、視線と身振りで訴える。
クレアはそれを察し、洗い物の手を止め頷く。
「えぇ。捨てる場所を知っているので、ご案内しましょう」
「ありがとう。今後のために、僕も場所を覚えておくよ。というわけで料理長、ちょっと片付けしてきます」
当然それにも返事はないとわかっているので、エリスはクレアと共に廊下へ出た。
そこで待っていたレナードと合流し、厨房から少し離れた廊下の隅に移動する。
「……何か気になることがありましたか?」
周囲の気配に警戒しつつ、クレアが囁く。
エリスはこくんと頷いて、
「領主はこのリカンデュラを飲んでいる時に発作を起こしたみたいなんだけど……昨日から微妙に香りが変わった気がするの。もしかしたら毒とか入ってて、それで具合が悪くなったのかなって。クレア、わかる?」
『毒』という思いがけない言葉に、クレアは驚く。
クレアもまた、レナードと同様に毒に関する一通りの知識と耐性を持っている。まずは匂いを確かめてみようと、カップに残った液体を嗅いでみるが……
「……すみません、リカンデュラの香りが強すぎて、私には認識できません」
「ぬぅ、やっぱ難しいかぁ……」
「エリスが感じているのは、どういう匂いなのですか?」
「うーん、そう聞かれるとなかなか言葉では説明しづらいんだよね。似た匂いがあるかんじでもないし」
「匂いにも種類があります。酸味、苦味、辛味、甘味。清涼感があるものや、生臭いもの……どれに近いとか、少しでも例えられないでしょうか?」
「……強いて言うなら……苦くて、少し火入れをしたような匂い、かな」
「何かを炙ったような香り、ということですか?」
「そうそう。ちょっと焦げたような苦さ……みたいな。でもリカンデュラ自体が苦い匂いだから、その境目が分かりづらくて……曖昧でごめん」
「いいえ、それだけわかれば十分に毒の種類が絞り込めます。ありがとうございます」
申し訳なさそうに言うエリスに、クレアは微笑みかける。
そして、今得た情報から可能性を絞り込んでいく。
炙ったような香りがするなら、原料は液体ではないはずだ。蛇などの動物から抽出した液毒の線が消える。
次に、毒の材料としてよく用いられるのがキノコだが、これは香りに特徴があるものが多いためエリスなら気付くはず。
また、複数の毒を混ぜ作り出した人工物も同様に独特の香りがする。こちらの線もなくなる。
そうなると、残された可能性は……
「……植物由来の毒でしょう」
クレアの出した答えに、エリスが「植物?」と返す。
彼は頷いて、
「そうです。恐らく炒って乾燥させた毒草をリカンデュラの茶葉に混ぜ、一緒に淹れることで香りを誤魔化しているのです。領主の症状は、具体的にはどのようなものでしたか?」
「えぇと……一回戻したって言ってた。あたしたちが行った時には身体が痙攣してて、顔色が悪くて、汗もいっぱいかいてた」
「なるほど。なら、消化器系に作用する毒ですね。摂取量はわかりませんが、直ちに死に至るものでもない……となると、さらに限定できそうです」
「おぉっ。さすがクレア、頼りになるぅ! やっぱどこかのお兄ちゃんとは違うわね〜」
チラリとレナードの方を見て、「ふふん」と得意げな顔をするエリス。
それを、レナードは冷ややかに見つめ返し、
「お前がちゃんと匂いの説明をしていればあの場で同じ結論が出せた。自分の説明不足を棚に上げ、よくもそんな顔ができたものだな」
「クレアが聞き上手だから説明できたんですー。情報を引き出すのが仕事のクセに、よくもあたしのせいになんかできたものね」
と、いつも以上に険悪な雰囲気を醸し出す二人に、クレアは困ったように笑って、
「あの……お二人、何かあったのですか?」
そう尋ねるが……
エリスが「別にぃー?」と答えるので、レナードもそれ以上は何も言わなかった。
代わりに、一つ咳払いをして、
「毒の混入が事実なら、かなり面倒なことになる。この屋敷の中に領主を殺そうとしている人物がいるということだからな」
「我々が潜入する前から服毒が始まっていた可能性もありますね。病気に見せかけるため、こんな風に飲み物や食事に少しずつ混ぜていたのかもしれません」
「食事……それって、料理長も怪しいってこと?」
信じられないという表情を浮かべるエリスを、クレアは真っ直ぐに見つめ返す。
「料理長だけではありません。茶葉を購入したメディアルナもアルマも、食事の配膳をしているヴァレリオも、このリカンデュラに関わる者すべてが容疑者です。あるいは、全員が共謀しているという可能性もあります」
「そんな……」
俯くエリスに、レナードは淡々とした声音で言う。
「その前に、これが本当に毒なのか確かめるところからだろう。植物由来のものなら、確認する方法がある」
「はい。午後の買い出しの指示が出たら、その時に購入してきます」
「何を?」
二人のやり取りに、エリスが首を傾げる。
クレアは、人さし指を立てながら微笑み、
「ウラナイ草の花です」
そう答えた。
エリスは、聞いたことのない花の名にさらに首を傾げる。
「ウラナイソウ?」
「えぇ。白い花びらが特徴の、山林に自生する花です。ウラナイ草自体も根に毒を持っているのですが、他の植物の毒が花びらに着くと紫に変色するのです」
「へぇ、そんなのがあるんだ」
「普通の花屋には滅多に置いていませんが、幸いここは花の街。観賞用として売られているのを見かけました。購入し、このカップに残った液体をかけてみましょう」
「わかった。それじゃあ、これはあんたに預けておくね」
エリスは塵取りごと、割れたカップをクレアに手渡した。
それを見つめながら、レナードが言う。
「では、その確認はまた夜に。それまでは、少しでも怪しい動きをしている者がいないかよく観察するとしよう」
その言葉に、クレアとエリスは頷き。
三人は、それぞれの持ち場へと戻った。