2-3 崩れ始めた虚構
翌日。
午前の清掃を終えたレナードは、メディアルナと共に小鳥の巣箱作りの続きをすべく、庭に出ていた。
ロベルの助けも借りながら、メディアルナが巣箱に塗料を塗っていく。
デザインをしっかりと考えてきていたようで、その刷毛捌きに迷いはなかった。
そうして──
「──できました!」
メディアルナが、元気よく完成を告げた。
昨日までは木の板そのままだった二つの巣箱が、一つは七色の虹柄、そしてもう一つは鮮やかな花柄にそれぞれ塗られていた。
その出来栄えに、ロベルは思わず手を叩く。
「すごいじゃないですか、お嬢! とても綺麗に塗れていますよ!」
「えへへー。初めてにしては上出来でしょうか?」
「上出来なんてもんじゃない、大傑作ですよ。この鮮やかな色遣い、大胆かつ繊細な塗り方……芸術の才能があるんじゃないですか?」
「もーロベルったら褒めすぎですよー」
ベタ褒めするロベルに、謙遜しつつも満更でもない様子のメディアルナ。
その横で、レナードも感心したように頷き、
「本当に素晴らしいです。可愛い巣箱が完成して良かったですね、ディアナさま」
そう、優しく微笑みかけた。
メディアルナは少し頬を染め、照れたように笑う。
「ありがとうございます。こんな風に一から何かを作るのは初めてでしたが、とっても楽しかったです。それも全て、レナードさんが巣箱作りを提案してくれたからです。ありがとうございます」
「そんな、もったいないお言葉です。私の単なる思い付きをこんな素晴らしい形にしていただいて……お礼を述べるのは私の方です。ロベルさんも、お忙しい中ご協力いただきありがとうございました」
と、レナードは真摯な態度で深々と頭を下げる。
ロベルは「いいっていいって」と手を振り、
「言ったろ? お嬢が喜ぶならこんなの朝飯前さ。それに、まだ終わりじゃない。これを木に取り付けて、鳥がちゃんと住んでくれたら、本当の意味での完成だ」
「確かにそうですね……小鳥さんたち、住んでくれるでしょうか」
空を飛ぶ鳥たちを見上げ、メディアルナがワクワクした表情で呟く。
それを一緒に見上げながら、レナードが何か言葉を返そうとした……その時。
「あぁ、いたいた……お嬢さまー、もうとっくにお昼ご飯の時間ですが、召し上がらないのですかー?」
そんな声と共に、彼女の世話係のアルマがこちらへ向かって来た。
メディアルナはハッとなってお腹を押さえる。
「もうそんな時間? 通りでお腹が空いたと思いました!」
「まったく……何かに夢中になるとすぐお食事のことを忘れるんですから。料理長に盛り付け頼んで来ますので、早く来てくださいね」
そう呆れたように言って、アルマは再び主屋へと戻って行った。
メディアルナは後ろ頭を掻きながら、困ったように笑う。
「あちゃー。またアルマに怒られちゃいました」
「はっはっは! まぁ気にしないで、早いとこ食べてきてください。レナードももう戻っていいぞ。片付けはやっておくから」
と、ロベルが塗料の入ったバケツを持ち上げながら言うので……
メディアルナとレナードは一度顔を見合わせてから微笑み、その言葉に甘えることにした。
* * * *
ちょうどその頃。
エリスは、"透明な隠れ蓑"の魔法を使って主屋の二階へと足を踏み入れていた。
昨日、料理長から聞かされた衝撃の真実……
『琥珀の雫』がメディアルナの入浴剤として使われていることを確かめるべく、昼食の準備が終わったタイミングで厨房を抜け出して来たのだ。
廊下に誰もいないことを確認し、足音を立てぬよう慎重に進む。
そして……
二階の突き当たりにある、浴場の入り口に辿り着いた。
あらためて、くんくんと鼻を鳴らし確認してみると……
匂う。この扉の向こうから、確かにハチミツの香りがする。
エリスはドキドキと鼓動を昂らせながら、浴場のドアノブにそっと手をかける。
そして、開けようとそれを捻る……が。
鍵がかかっているのか、動いてはくれなかった。
「(チッ。書庫や書斎は開けっ放しなのに、なんでここだけしっかり鍵かけているのよ)」
もちろん盗み食いなど不本意だ。食べるならちゃんと、腰を据えて食べたい。
だが、『琥珀の雫』がここにあると知ってしまった以上、ちょびっとでも味見できたらなー……という気持ちを抑えることができず、来てしまったというわけだ。
残念だけど、開かないなら仕方ない。
諦めて厨房へ戻ろう。
と、彼女が来た道を振り返ると……
廊下の向こう……階段を並んで上っていくレナードとメディアルナの姿が見えた。
「(……そう言えばあのツンツン男、お嬢さまを口説き落とすつもりでいたみたいだけど、うまくいっているのかしら?)」
もしうまくいっているなら、『琥珀の雫』を分けてくれってお願いしてくれないかな……
などという、都合の良い願望を胸に。
エリスは姿を消したまま、二人の後をついていくことにした。
* * * *
レナードとメディアルナは、共に三階へと向かっていた。
レナードが、彼女を食事用の部屋まで送って行くと申し出たのだ。
巣箱を無事に塗り上げ、満足そうなメディアルナの隣を歩きながら……レナードは内心、不敵な笑みを浮かべる。
昨夜の会議では、「派手な動きは慎め」とクレアたちに釘を刺したが……
その一方で、レナードは誰よりも早く例の笛に近付き、触れたいと考えていた。
この任務に同行した、真の目的……
それは、クレアから"禁呪の武器"の解放という特別な仕事を奪うこと。
領主の妻に加え、使用人が二人も死んでいることが明らかになった今、あの笛が"禁呪の武器"である可能性はいよいよ高まってきた。
笛を扱う当人であるメディアルナを監視すること、そして自ら笛に触れることで、狂戦士化の呪いを跳ね除ける条件がどのようなものなのか検証したい。
もし、自分に呪いへの耐性があれば……
この"禁呪の武器"捜索の任は、クレアだけに任せる特別な仕事ではなくなる。
だからこそメディアルナに近付き、接触の機会を得ようと画策しているのだ。
メディアルナとの距離は、確実に縮まりつつある。
時々見惚れるような視線を向けられていることも、レナードは敏感に察知していた。
『恋は盲目』と言うが、本当にその通りだと彼は思う。
何故なら彼が今まで魅了してきた女性たちも、彼に恋をしてしまったばかりに判断力を失い、大切な情報を明け渡してきたからだ。
今回の標的は、まだ恋すら知らない十七歳の娘。
あらゆる女性を相手してきたレナードが、落とせないはずがなかった。
このまま特別な関係になれば……あの塔へ入ることも許されるだろう。
「──お昼を食べたら、次はこの子たちを塗ってあげるんです。可愛くできるといいなぁ」
階段を上りながら、メディアルナが言う。
その手には、ロベルが余った木材で彫った小鳥の人形が乗っていた。
それに、レナードはにこりと微笑んで、
「そちらもどんな風に塗るのか、既に考えてあるのですか?」
「まだなんとなく、です。今クレアルドさんに鳥の図鑑を買ってきていただいているので、それを参考にしようと思っています」
「そうでしたか。良い資料が載っているといいですね」
「はい。お買い物に協力してくださったクレアルドさんにもお礼を言わなきゃですね。あとで受け取る時にでも……」
……と、そこまで言いかけたところで。
レナードは……メディアルナの手を引き、少し強引に階段の壁へと彼女を追いやった。
「れ……レナード、さん……?」
突然のことに目を見開くメディアルナ。
彼はその、明け方の空のように澄んだ色の瞳を、じっと見つめて……
「私と二人でいる時は……他の男の名を、口にしてほしくありません」
と。
夜空を溶かしたような濃紺の瞳で、射抜くように言う。
そのまま壁に手をつき、彼女を腕の中に閉じ込めるようにして、
「……すみません。無垢で純粋な貴女には、私の醜い嫉妬心など理解し得ないでしょうね」
「し、嫉妬……?」
「そうです。どうにも私は独占欲が強くていけない。貴女の笑顔を独り占めしたいと……そんなことばかり考えている」
そして。
メディアルナの頬に、そっと触れて。
「……私は、貴女に夢中なのですよ、ディアナお嬢さま。初めてお会いした時から、ずっと……」
「レナードさん……」
「貴女の奏でる笛の音を聴く度に、貴女の笑顔を思い浮かべていました。もっと貴女を知りたい。貴女に近付きたい。その想いが、どんどん強くなっている……」
その言葉に。
メディアルナは……ふわりと微笑み、
「……わたくしも、レナードさんともっと仲良くなりたいです。巣箱だけじゃなくて、他にもいろんなものを一緒に作りたいなぁって……そう思っています」
……と、はにかみながら言うので。
レナードは攻略目前であることを確信し、さらに畳み掛ける。
「そんな嬉しいことを言われては……もう、抑えが利かなくなってしまいます」
メディアルナの目を見つめながら、ゆっくりと顔を近付け……
「ディアナさまが、どの使用人にもお優しいのは知っています。ですが……」
彼女の耳に、唇が触れてしまいそうな距離で。
囁く。
「私は、貴女の中の『特別』になりたい。貴女が奏でる美しい笛の音を、すぐ傍で聴かせていただけるような、そんな存在になりたい。それが私の、密かな願いなのです。ディアナさま……あの塔で、二人きりでお会いすることは叶いませんか……?」
まるで本当に恋焦がれているかのような、低く切ない声。
容姿の美しさに加え、レナードはこの色気ある声で、これまで数々の女性を魅了してきた。
この年頃の娘なら、こんな風に囁かれてときめかないはずがない。
彼はメディアルナの目を見つめ、返答を待つ。
すると彼女は……
……この場の雰囲気に不釣り合いな程の、満面の笑みを浮かべて。
「ダメです。それはできません」
……そう、気持ち良いくらいにきっぱりと、言い切った。
思いがけない返答に、レナードは一瞬言葉を詰まらせる。
「……な、何故ですか?」
「あの塔へはわたくし以外立ち入ってはいけないと、お父さまに言われているからです」
……なるほど。父親の言い付けを守らねばと考えているのか。
だが、決まり事を破る背徳感も時にスパイスになるということを、レナードは知っている。
「ディアナさまはもう、子どもではないのですから……少しくらい旦那さまには言えない秘密を作っても、良いと思いますよ?」
その甘い囁きに、しかしメディアルナは首を横に振って、
「というか、問題はそこではないんですよ。ダメじゃないですか、"傍観者"であるわたくしなんかにこんなことを言っちゃ。理から外れています。あなたにはあなたの、貫くべき想いがあるはず。それをちゃんと思い出してください」
……という、完全に意味不明なセリフを吐く。
そしてレナードの腕からするりと抜け出すと、
「では、わたくしはこれで。送っていただきありがとうございました」
ぺこっと礼をし、三階の食事部屋へと去って行った。
一人残されたレナードは……その後ろ姿を見つめ、立ち尽くす。
今のは……どういう意味だ?
傍観者? 理?
一体、何の話だ……?
いや、それよりも今は……
「……そこにいるんだろう? 出てきたらどうだ?」
……と。
レナードは、階段の下に目を向けて言う。
すると、踊り場の空間がぐにゃりと歪み……
エリックに扮したエリスが、魔法を解いて姿を現した。
「ありゃりゃ、バレちゃった」
「……嫌な魔法だな。姿を消してコソコソと覗き見か?」
メディアルナとのやり取りの一部始終を見ていたエリスは、先ほどまでの甘い口調とはまるで違うその態度に苦笑する。
「そうね。見られたくないところを見られたら、そりゃ『覗き見された』って思うでしょうね。悪いことしたわ、振られる現場を目撃しちゃって」
「食い物のことで頭がいっぱいなどこかの単細胞と違って、俺は任務のためにすべきことをしているだけだ。そんな挑発には乗らない」
「あたしだっていい加減もう乗らないわよ! 単細胞じゃないし!!」
と、ほとんど挑発に乗っているような口調で言い返すエリス。
そして、仕切り直すように「んんっ」と咳払いをすると、
「……あんま口出しすべきじゃないかもしれないけどさぁ、あのお嬢さまにはもっとストレートに言わなきゃ伝わらないんじゃないの? 見るからに鈍そうじゃん」
そう、忠告のつもりで言った。
しかしレナードは、その言葉を鼻で笑い飛ばし、
「さすが、クレアルドにまんまと絆された経験者は言うことが違うな」
「なっ……どういう意味よ!?」
「"色気より食い気"な鈍感女でもストレートに口説かれれば騙されるのだという良い例が目の前にいたな、という意味だ。大変参考になった。ご忠告感謝する」
「はぁ? あんた、あたしがクレアに騙されてるって言いたいの? そりゃあ最初はあんな変態だとは思わなかったし、そういう意味では騙されたと……」
「本当は気付いているのだろう? お前も」
エリスの言葉を遮って。
レナードは、憐れむような目で彼女を見下ろすと……
「精霊をも認識するその優秀な鼻が、嗅ぎ分けられないはずがあるまい。昨日、クレアルドからしたあの匂い……あいつは、俺がしているのと同じことができる男だ。今も昔も、な」
そう、笑みを浮かべながら言った。
レナードがあえてこの話を持ち出したのは、なにも感情的になったからではない。
"禁呪の武器"の解放には、エリスの『精霊に干渉する力』が必要になる。
レナードに呪いの耐性があったとしても、エリスがパートナーにクレアを指名し続ければ、彼からこの仕事を奪うことはできない。
ここいらで、仲違いの種を蒔いておいてやろう……
不敵に笑うレナードのセリフに、しかしエリスは、
「……あんた、何か勘違いをしているみたいだから教えといてあげるけど」
落ち着いた声音で、淡々と返し、
「あいつはね…………あたしのことが、大好きなのよ」
……と。
極真剣な表情で、言った。
思わず言葉を失うレナードに、エリスは続ける。
「昨日の匂いには気付いているわ。でも、おっしゃる通りあたしは鼻がいいから、あんたじゃ気付けない"深い部分"まで知ることができる。あいつはね、引くほど本気であたしのことが好きなのよ。それに、前に言っていたから。もう他の女の子とは関わり持たないって。だから、あんたが考えているようなことはしていないはずよ」
「……そんな言葉を、馬鹿正直に信じているのか?」
「そうだけど?」
「……あいつの過去を知らないからそんなことが言えるのだ。あいつは、誰よりも冷徹で……任務のためなら何でもできる人間だ」
そう。
あいつは、女を利用しようが、目の前で仲間が拷問を受けようが何とも思わない、空っぽな人間なのだ。
そんな人間が……本当の愛情など、抱けるはずがない。
「少し見ない間に随分と変わったと思ったが、それもお前を騙すための演技なのだろう。人は、そう簡単には変われない。あいつの中には元から愛情などないのだからな」
さぁ、不安に支配されろ。
クレアルドを疑い、絶望しろ。
そして、公私共にパートナーを解消するのだ。
そんな呪いのような気持ちを込めて言うが……
エリスは、なおも真っ直ぐにレナードを見つめ返す。
「クレアが昔どんなことをしていたのかは知らないけど、変えられない過去のことでぐちゃぐちゃ悩むつもりもないし、知ったところで気持ちが変わることもない。だって、あいつもあたしも現在を生きているんだもん。現在のクレアのことは、あたしが一番知っている。だから、あいつがどれだけあたしを想ってくれているのかも、ちゃんと理解している」
「……ふん。あいつの恋人ごっこを健気に信じているというわけか。哀れなやつだ」
勝ち誇ったように言うレナードの言葉に……
エリスは、ニヤリと笑って、
「あんた、今のクレアがよっぽど信じられないみたいね。クレアが変わった理由、あたしはもうわかっているわよ。ていうか、あんたもその一端を担っていると思うんだけど」
「……何をわけのわからないことを……」
顔を顰めるレナードに……
エリスは階段を一段ずつ上がり、ゆっくりと近付く。
「人は、誰かに大切にされた分だけ他の誰かを大切にできる。誰かに愛された分だけ、誰かに愛情を抱ける。そういう風にできてんの。この意味、わかる?」
そして、レナードと同じ高さに立ち、
「あたしが知っているクレアは、優しくて、思いやりがあって、すごく愛情深い人間よ。それはきっと、あいつの周りに優しい人がたくさんいたから」
一度、静かに目を閉じると……
クレアが、レナードのことを『兄のような存在だ』と語ったことを思い出す。
「クレアのこと、随分と気にかけて見てきたのね。昔からそうやって世話を焼いていたんでしょ? その思いやりが、今のクレアの愛情になっているのよ。だから、あんたには感謝してる。ありがとね、レナードお兄ちゃん」
彼の目を見つめ、揶揄うように言った。
それに……
「俺が……あいつを、思いやっている、だと?」
レナードの顔が、ピクピクと引き攣る。
そして、
「貴様……わかった風な口を……!」
と、エリスの肩を掴みかけた……その時。
──ガシャーンッ!!
という、何かが割れるような、けたたましい音が三階から聞こえ……
二人は一度顔を見合わせてから、音のした方へと駆け出した。
クレアが「もう他の女性とは関わらない」と話したエピソードは、『「まどスト」の日常〜短編集〜』の「3.浮気の線引き」でお読みいただけます。
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