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2-2 崩れ始めた虚構




 ♢ ♢ ♢ ♢




 ──数時間前。




「しゃ……しゃ………………しゃべったあぁぁああ!!!!」



 突然言葉を発した料理長に、エリスは絶叫した。

 ずっと疑問に思っていたパンケーキの調理法について教えてもらえたというのに、『喋った』という事実に驚いてしまい、内容が全く頭に入ってこなかった。



「え……な、なんで? なんで急に……え??」



 動揺のあまり、素の口調で混乱するエリス。

 すると、料理長は……



 ──ガシャーンッ!



 ……と、手にしていたフライ返しを床に落とした。


 しまった。あたしが叫んだから、逆に驚かせてしまったかな?


 エリスは慌てて料理長に謝罪する。



「す、すみません。ずっと口きいてもらえなかったから、びっくりしちゃって……でも、どうして急に話しかけてくれたんですか?」



 言いながら、料理長が床からフライ返しを拾うのを眺め、返事を待つ。


 しかし……

 数分経っても、料理長が再び口を開く様子はなく。

 そのまま、調理器具の手入れをし始めてしまった。



「…………あの……料理長……?」



 痺れを切らしたエリスがもう一度尋ねるが……直後。



 ──カランカラン……!



 ……と、料理長が今度はのし棒を床に落とした。

 そして、それをまた無言で拾う。



 ……これは……

 暗に、『これ以上話すことはない』と言われているのか……?



 エリスはさすがに気まずくなって、それ以上声をかけるのをやめた。







 ──その、二時間後。

 夕食の仕込みが終わり、一段落ついた時。




「──お前の、食事に対する想いに感心したからだ」




 そんな渋い声が聞こえ、エリスは料理長の方を振り返る。


 もしかして、また喋った……?!


 彼女が見つめる中、料理長は流しで手を洗いながら、髭に覆われた口を開く。



「……どんなに手の込んだ料理を作っても、味というのは口にする者の気持ち次第で変わってしまう。私はお嬢さんに、一番美味しいと思える状況で食事を召し上がっていただきたい。厨房(ここ)で食べることでそれが叶うなら、これ以上嬉しいことはない。だから、お前の意見に同意であることを伝えようと思った」



 ……と、随分な長ゼリフを言ってのけた。

 また何の前触れもなく喋り始めたことに驚きつつ、エリスは落ち着いてその言葉の意味を考える。



 今のは……さっき尋ねた、『なんで急に喋り出したのか』という質問に対する答え……?

 つまり料理長は、ちゃんと会話をしようとしてくれている……?



「……よかったです。僕も、お嬢さまが美味しく食べられるならそれが一番だと……」



 と、エリスが言葉を返そうとした……その時。

 料理長の手から、つるんっ! と石鹸が飛び出した。


 床に落ちたそれは、そのままエリスの足元まで滑って来る。

 さっきからよく物を落とすな……と思いながら、彼女は石鹸を拾い、料理長に手渡そうとするが……


 彼は、ギギギ……とぎこちない動作で手と足を同時に出し、それを受け取った。


 ……まさか。

 と、エリスは再び手を洗い始めた料理長を見つめる。



「(もしかして、料理長…………喋ると、動作がポンコツになるのか……?!)」




 そう。喋り出してからの料理長の様子は、明らかにおかしかった。

 エリスは、彼の手際の良さを知っている。

 食材の旨みを引き出す完璧な下処理や、最短で最高の味を出すために計算し尽くされた調理行程。さらに、調理器具の手入れや掃除をこまめに行なう様子からも、その器用さと丁寧さを目の当たりにしていた。


 なのに。

 喋り始めた途端、物は落とすわ動きはガチガチになるわ……


 明らかに緊張している。

 ただでさえ険しい顔が、今はさらに強張って見える。


 これは、極度の人見知りで会話が苦手なのか……二つのことを同時に出来ない"条件付き不器用"なのか……あるいは、その両方か。



 いや、きっとそうだ。

 彼の返事は、必ず調理が一段落したタイミングで返ってきた。

 人との会話が苦手な上、会話に意識を向けると手元が疎かになるから、調理中は絶対に喋らなかったのだ。

 そうか、だから……今まで誰とも話してこなかったのか。



 しかし彼は、心を開いてくれた。

 メディアルナとの会話がたまたま彼の心に響いたらしく、人見知りと不器用を乗り越え、わざわざ話しかけてくれた。


 せっかくだから、いろいろ聞きたい。

 が、数時間に一回のタイミングでしか返事がないし、いつまた心を閉ざされるかわからない。


 これは……次に投げかける言葉をよく考えなければ。



 どうしよう。何を話す?


『パンケーキを美味しく作るコツ、他にもある?』

『一番の得意料理は?』

『どうして料理人になったの?』


 彼に聞きたいことは、たくさんあった。

 だけど、今一番知りたいのは……




「……『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』」



 彼なら、知っているはずだ。

 限られた名家にのみ献上される究極のハチミツ。

 そんな極上の食材の保管場所を、この屋敷の食事を全て任された彼が知らないはずがない。



「料理長……僕、いつか自分の店を出すのが夢なんです。そのために、珍しい食材に触れてみたくて……」

「…………」

「このお屋敷には、『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』という最高級のハチミツが納められていると聞きました。一度でいい。せめてその香りだけでも体験できたらって思っているのですが……厨房にはないですよね。一体どこに保管されているのですか?」



 エリスは、慎重に言葉を選びながら投げかける。

 彼は、一度ピタリと動きを止め……


 しかしそれには答えないまま、夕飯の準備を再開した。






 そのまま時は流れ──

 領主とメディアルナ、そして使用人たちの夕食の提供を終え、まもなく終業という時間になってしまった。


 このまま返事は無しかな……

 さすがに聞き方が強引過ぎただろうか。


 と、エリスが後悔しながら食器を片付けていると、




「──確かに、『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』は厨房(ここ)にはない」




 明日の朝食の仕込みを終えた料理長が、口を開いた。

 エリスは心臓をドキッと跳ね上がらせて、彼の方を振り返る。


 きた。返事だ。

 ついに『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』の所在が明らかになる……!!


 ごくっ。と、喉を鳴らし……

 エリスは、続く言葉を待つ。


 そして。




「『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』は…………お嬢さんの風呂に入れている」




 ……そう言われ。

 エリスは……まばたきもせずに固まる。



「…………え。あの、どういうイミですか? お風呂で食べているってこと?」



 なんとか声を振り絞り、聞き返す彼女。

 料理長は、仕込みに使った小麦粉の袋を強く握り過ぎ、ばふっ! と噴き出した粉で顔中真っ白にしながら、



「……お嬢さんはハチミツが苦手だ。しかし、民が懸命に作った『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』を無駄にはしたくないと、食べる以外の活用方法を考え……風呂の湯に溶かすことを思い付いた」

「なっ……?!」

「ハチミツには保湿効果があり、風呂に入れることで美肌が期待できる。この街に古くから伝わる美容方法の一つだ」



 そ、そんな……

 まさか、『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』が……

 美肌のための入浴剤にされていただなんて……!!



 ふら……っと、エリスはショックのあまり眩暈を覚える。


 そうか……だから主屋の二階で微かに匂いがしたのか。

 二階には、メディアルナが使う浴場があるから……



 その後も、料理長が何やら話し続けてくれたが……

 エリスの耳にはもう、何一つとして入ってこなかった。




 ♢ ♢ ♢ ♢




 ……という、料理長とのやり取りを。

 エリスは、涙ながらにクレアに語った。


 それを聞き終えた彼は……同情の念を禁じ得なかった。

 あんなに憧れていた幻のハチミツが、よもや食以外の使われ方をしていたとは……さぞかしショックだったろう。


 エリスは、悔し涙をぽろぽろと流しながら言う。



「やっぱりお嬢さまと仲良くなって……一緒にお風呂に入るような仲になるしかないのかな……」

「……エリス、残念ながら貴女は今、男の子としてここにいるのですよ?」

「そうだった! くっ、女同士なら問題ないのに……ッ!!」



 ここへきて男装していることが(あだ)となり、エリスは奥歯を噛み締める。


 何か方法は……『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』を口にするための策はないかと、クレアも思考を巡らせるが、



「うーん……ここはやはり、お嬢さまに恩を売りつけてお礼として要求する、とかでしょうか」

「だよね、あたしも同じこと考えた……あとは弱みを握って脅すとか」

「えぇ。しかし、高級ハチミツと引き換えるに値するような恩や弱みを得るのはなかなかに難しそうですね」

「まぁ最終的にあの笛が"禁呪の武器"なら、それと一緒に『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』もテキトーな理由つけて押収すればいっか」

「そうですね。使える権力はすべて使っていきましょう」



 ……と、会話が完全に犯罪者のそれであるが、ツッコむ人間は誰もいなかった。

 エリスは深呼吸するように息を吐いて、クレアを見上げる。



「……ありがと。あんたに話したら少し落ち着いた。お風呂入ってくる」

「はい、ゆっくり温まってきてください。『琥珀の雫(アンブル・ラムル)』のことは、明日じっくり考えましょう」



 笑顔を取り戻し、頷くエリス。

 クレアはその笑顔を見届けると、見張りのために脱衣所から廊下へと出た。


 そして……泣きながら懸命に話すエリスを思い出し、思わず笑みを浮かべる。



 レナードの前では涼しい顔をしていたのに、二人きりになった途端に泣き出すなんて。よっぽど我慢していたのだろう。

 自分にだけ弱い部分を見せてくれるエリス……嗚呼、堪らなく可愛い。昨日のおばけを怖がる姿も最高だった。もっともっと、特別な表情を見たくなってしまう。


 にしても……結局、香水の匂いについては触れられなかったな。

 それだけ自分を信頼してくれているということだろうか?

 関心を持たれていない……とは思いたくない。いや、それはないはずだ。エリスの愛情は、ちゃんと感じ取っている。


 だからこそ。

 

 だからこそ……今、秘密裏に"アレ"の準備をしているのだ。

 今日、斡旋所の後に計画の地を視察してきたが、経過は順調だった。



 きっと彼女は、この大掛かりな愛情表現を受け止めてくれるはず。

 驚いて、呆れたように笑って、そして喜んでくれるはずだ。


 その顔が見たいから……

 この計画は、失敗させるわけにはいかない。



 残された時間は、あと一週間。

 この屋敷の過去に関する情報も、集まりつつある。

 なんとしてでも()()()までに笛の秘密を暴き、任務を完了させなくては……




 クレアは、決意を新たに一人頷くと……


 エリスが風呂に入ったことを気配で確認してから、例の如く覗き見するため、そうっと脱衣所の扉を開けた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] いやオチィぃ!!!いや面白いけど!落とすところまで落とすなぁ……w 思ったより目標が純情だった!?いやそう見せ掛けてるのか……?てっきり変態的なことだと思ったらエリスに対するサプライズだっ…
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