2-1 崩れ始めた虚構
エリスの絶叫から数時間後──
それぞれの業務を終えたクレアとエリスは、いつものようにレナードの部屋を訪れた。
そして二人が椅子に座るのを待って……レナードが切り出す。
「──では、報告を聞くとしよう」
それに「はい」と答えてから……
クレアは、隣に座るエリスを横目でチラリと見る。
自分から女物の香水の匂いを感じたはずの彼女は、一体どんな様子なのか……気になって見てみたが、その表情は落ち着いているようだった。
クレアは少し安心して、再びレナードに視線を戻し報告を始める。
「予定通り、かつてこの屋敷に女性の使用人を派遣していた『フルーレ斡旋所』を訪ねました。結論から言えば……十五年前、領主の妻が亡くなり、使用人が男性だけに変わった時期、三人の女性が働いていたことがわかりました」
その言葉に、レナードは僅かに目を見開く。
クレアが続ける。
「ユノ・ローダンセ。プリムラ・ノースポール。ルミア・アリッサム。それが、当時働いていた女性たちの名前です。書斎にあった経歴書の中に、この三人の名前はありませんでした。やはり意図的に抜き取られていたようです」
「なら、その三人が何か事情を知っていると見て間違いないな。十五年前、領主にとって隠蔽したい何かが起き、その口封じに解雇された……大方そんなところだろう」
「それが……ただの解雇なら、まだよかったのですが……」
「どういうことだ?」
クレアは……少し、間を置いてから、
「実は、三人の内二人……プリムラとルミアは、既にこの世にいません。退職理由の欄に、『死亡』と書かれていました」
「……なんだと?」
思いがけない言葉に、レナードだけでなくエリスも驚愕の表情を浮かべる。
「死亡理由までは載っていなかったので不明ですが……同じ時期に同じ場所で働いていた二人が死亡しているのですから、この屋敷で何かがあったと考えるのが自然でしょう」
「つまり……お嬢さまの母親も含めて、この家で三人も死んでるってこと?」
苦笑いをするエリスに、クレアは静かに頷く。
するとレナードが、少し身を乗り出して、
「経営者は問い詰めたのか? 斡旋先で死亡者が出ているんだ、何があったのか当然把握しているだろう」
「それが……現オーナーに変わったのもちょうど十五年前らしく、何も知らない様子でした。周辺で複数箇所に聞き込みをおこなったので、オーナーが変わったことは間違いありません」
そして……
クレアは、エリスへのフォローも兼ね、こう付け足す。
「最初、現オーナーが情報の開示に難色を示したので怪しいと思ったのですが、権力で脅したらすんなり応じました。単純に調査への協力が面倒なだけだったようです」
「当時のオーナーも口封じで辞めさせられたか……あるいは金を積まれて高飛びしたか。それで、三人の内の残る一人……ユノという女は生きているのか?」
「わかりません。が、少なくとも退職理由には『一身上の都合』と書かれていました。当時の状況を知っているのは、このユノという女性しかいないでしょう。早速明日、追加でアストライアーに調査依頼の手紙を送ります。ユノ・ローダンセの所在を探り、十五年前この屋敷で何が起こったのか、そこにあの笛は関わっているのかを聞き取れるようにします」
「わかった。頼んだぞ」
レナードが頷いた後、エリスが「うーん」と唸りながら腕を組む。
「十五年前、笛を吹いてたっていうお嬢さまの母親と、使用人二人が死んでいて……その直後から使用人は男だけになって……今はお嬢さまが笛を吹いているけど、他には誰も触っちゃいけなくて…………って、謎多すぎじゃない? ていうか庭師のロベルと秘書のヴァレリオは十五年前からこの屋敷にいたのよね? あの二人なら全部の事情を知っているんじゃないの?」
「だからこそ、今後はより一層注意が必要だ。あの二人と領主が共謀して何かを隠蔽しているという可能性もあるからな」
「ああんもう、このお屋敷真っ黒じゃない。一体何があったのよ十五年前に!」
レナードの言葉に、頭を掻きむしるエリス。
それを宥めるように、クレアが穏やかな声音で言う。
「ひとつ考えられるのは……領主の妻が演奏していた笛が暴走し、使用人二人を巻き込み命を奪った、というケースです。今は平和な音色を奏でていますが、あれが"禁呪の武器"であれば凶悪な力を秘めているはず。三人もの命を奪ったにも関わらず、あの笛を手放したくないからと領主が事件を隠蔽している……そうは考えられないでしょうか?」
「……それと、使用人を男だけにしたっていうことに、どんな関係があるの?」
「それは……わかりません。ですが、少なくとも娘のメディアルナのためだという噂は間違いでしょう」
「どうして?」
首を傾げるエリスの目を、クレアは真っ直ぐに見つめ返し、
「考えてみたのです。私とエリスの間に娘が生まれたとして、男だらけの環境にあえて住まわせたりするかな、と」
「ぶふっ」
「無理ですね……私とエリスの愛の結晶をそんな狼の群れの中に放り込むような真似、絶対にできません。むしろ男との接触を極力避けて育てます」
「な、なにをどこまで想像してんのよあんたは……ていうかそれは過保護すぎると思うけど……」
「いいえ、娘ちゃんはずっとパパとだけ仲良しでいればいいのです。彼氏なんて認めません。絶対に絶対に、断固として認めません」
「怖いよ! 父親の気持ちになりすぎだよ! 年頃になった娘から『キモっ』って言われるあんたが想像できるわ!」
「え……何故ですか? 小さい頃は『パパとけっこんする♡』って言ってたのに……あの言葉は嘘だったのですか?」
「嘘も何も、最初から最後まで全部あんたの妄想だよ!!」
顔を真っ赤にし、ゼェハァと肩で息をするエリス。
そのやり取りを眺め……レナードはため息をつく。
「とにかく……三人が死んだ経緯も、使用人が男だけになった理由も、恐らくユノという人物が知っている。本部の仲間からの情報を待ちながら、引き続き屋敷内の動向を見守るとしよう。あれが"禁呪の武器"であるという確証が持てるまでは、下手に動かない方がいい」
冷静な言葉をかけられ、二人は「はい」と大人しく返事をする。
「他に気になる点や新しい情報はないか?」
「ありません」
「ないわ」
「そうか。では、今日はこれで解散だ。本部からの情報が入るまでは派手な動きはしないようにしよう。特にお前、過去に死人が出ているからといって、動揺しておかしな行動をするなよ」
レナードがエリスを見ながら言うので、彼女は「大丈夫よ」と肩をすくめて答えた。
情報共有を終え、クレアとエリスは静かに部屋を出て、風呂へと向かう。
思いの外、落ち着いているな……
……と、クレアは隣を歩くエリスを横目で眺める。
先ほどレナードが釘を刺していたが、この屋敷で三人も死者がいたことを知っても、さして動揺している様子はない。
そして……
クレアから香水の匂いを感じたことについても、特段気にしている素振りはなかった。
報告の中でさりげなく権力で脅したことをアピールしたのが功を奏したのか。
それとも、これくらいのことではいちいちヤキモチを妬いたりしないということか……
とにかく、彼女が落ち着いているのであれば自分も普段通りに接するとしよう。
これ以上、余計な言い訳をする必要もないだろう。
クレアがいつもの笑みを浮かべ、エリスに話しかけようとした……その時。
──ガシッ!!
と、突然エリスに胸ぐらを掴まれ……
そのまま、ぐいぐいと引っ張るように風呂場の方へと連れて行かれる。
「えっ……エリス?」
クレアが戸惑いの声を上げるも、彼女は無視。
振り返ることもせず、ただひたすらに前進していく。
まずい……やっぱり怒っているんだ。
ちゃんと説明しなくちゃ。エリスを裏切るようなことは何もしていないって。
もう、過去の自分とは違うんだって……わかってもらえるまで、誠心誠意伝えなくちゃ。
怖さにも似た緊張を抱きながら、クレアはエリスに引きずられるようにして風呂場へと入る。
そして脱衣所の扉を閉め……密室に、二人きりになった。
「……エリス、どうしたのですか?」
早く釈明をしたい気持ちを抑え、クレアはまず彼女の考えを聞くことにする。
胸ぐらから手を離したエリスは、静かに彼に向き合うと……
──ぶわっ。
と、滝のような涙を流し始めた。
クレアの心臓が、ドキリと跳ね上がる。
「エリス?! ちょ……え?!」
まさかいきなり泣き出すとは思わず、クレアは大いに狼狽える。
あぁ、どうしよう。
こんなにも彼女を悩ませていたとは……
違うんだ。
あの匂いは決して、女性とそういうことをして付いたわけではないんだ。
そう伝えようと、クレアが口を開きかける……が。
「……お風呂だって」
先に、エリスが震える声で呟く。
クレアは、真っ白になった頭で懸命に考えるが…………その言葉の意味がわからず、
「…………えと、何がです?」
聞き返す。すると……
エリスは、ガッ! と彼に縋り付いて、
「……『琥珀の雫』っ…………お嬢さまのお風呂に入れる入浴剤にされてるんだって……っ! あたしもう……もう、辛くて……っ!!」
……そんなことを、涙声で言うので。
クレアは……やはり理解が追いつかず。
「………………はい??」
と、聞き返した。
未だはらはらと涙を流しながら、エリスは彼を見上げ、
「だからっ、『琥珀の雫』が入浴剤にされてるの! お嬢さまがハチミツ嫌いだからって、食べもしないで美肌ケアに使ってるんだって!! ありえなくない?! そんな使い方するなら代わりに食べるから、あたしに全部ちょうだいよぉおっ!!」
うわーん!! とクレアに抱きつき、大泣きするエリス。
てっきり香水の匂いに悩んでいるのだと思い込んでいたクレアは、シャツの胸元が涙で濡れるのを感じなが……
…… 嗚呼、そういえば少し前にも似たようなことがあったな。
彼女の頭の中はいつだって食べ物のことでいっぱいなのだと、あの時痛感したはずなのに……
また自意識過剰な早合点をしてしまった。
はぁ……と、小さくため息をついてから。
宥めるように、エリスの背中をさする。
「落ち着いてください、エリス。誰かから伝え聞いたような口ぶりですが、一体誰がそれを教えてくれたのですか?」
ひくひくとしゃくり上げながら、エリスは少し呼吸を整えて答える。
「……料理長」
「…………え?」
「……料理長が、教えてくれた」
「………あの、無口な料理長が、ですか?」
「そう。今日突然、しゃべったの」
信じられない気持ちでエリスを見つめ返すクレアに……
彼女は、料理長との会話を思い出し、少しずつ語り始めた。