1-2 気がかりな香り
クレアが『フルーレ斡旋所』を訪ねている頃、リンナエウス家の屋敷では……
「──よし、こんなモンだろう」
庭園の中央、芝生が広がる場所にて。
庭師のロベルが満足げに頷き、額の汗を拭った。
その手には金槌が握られ、足元には四角い木の箱が二つ置かれている。
それを見下ろし、アルマとレナードが「おぉ」と感嘆した後、
「うわぁ、すごい! 完璧な出来栄えですね!」
メディアルナが手を叩き、嬉しそうに笑った。
彼らは今、鳥の巣箱を作っていた。
昨日のレナードの提案を受け、メディアルナがロベルとアルマに話したのだ。
レナードが木の板を切り、ロベルが釘を打ち付け、アルマが見守り……
鳥が出入りするための丸い穴が空いた、シンプルな巣箱が完成した。
メディアルナの賞賛に、ロベルは少し得意げに笑う。
「へへん、いいかんじだろ? レナードが手伝ってくれたから、予定よりも早く形になったぜ。ありがとうな」
「いえ、私が言い出したことですから。本当なら自分一人でやるべきところを、ロベルさんにほとんどやっていただいて……ありがとうございました」
「気にすんな。お嬢のためならお安いご用だ」
そう答えるロベルに、レナードは微笑み返す。
巣箱作りを提案したのも、率先して制作に関わったのも、全てはメディアルナに男らしい様を見せつけ距離を縮めるための作戦だ。
そんな胸の内は微塵も見せずに、レナードはメディアルナを優しく見つめ、
「あとはお嬢さまが色を塗れば完成ですね。今クレアルドが塗料を買いに行っているはずなので、帰って来たら続きを……あ、でも今日はこの後家庭教師の先生がお見えになるのでしたっけ?」
「えぇ、そうなんです。なので、色塗りはまた明日やりますね。今日の内にデザインを考えておきます。この子たちもちゃんと塗ってあげなくちゃ。うふふ」
と、メディアルナは手のひらに乗せたものを嬉しそうに眺める。
それは、余った木材でロベルが彫った小鳥の人形だった。番のつもりで二羽、ちゃんと羽の凹凸やくちばしまで細かに作られていた。
楽しげなメディアルナの横で、しかしアルマは浮かない顔をする。
「巣箱、庭の木に取り付けるんですよね? 勝手にそんなことして、旦那さまに怒られないかな……」
「んもう、アルマったらまたそんなこと言って。怒られるのを怖がっていたら何もできやしないわ」
「そりゃそうですけど……取り付けた後で『外せ!』って言われたらどうするんですか? せっかくの苦労が台無しですよ?」
「大丈夫よ、お父さまが気付く頃にはきっともう小鳥さんが住んでいるはずだから。お父さまだってか弱い生き物からお家を奪うような真似はしないと思うわ」
「ってことは、気付かれるまで黙っておくつもりですか?」
「うん!」
「……ほんと、無自覚にちゃっかりしていますよね」
「なにか言いました?」
「いえ何も」
メディアルナの視線から逃れるように、スッと目を逸らすアルマ。
二人のやり取りに、ロベルは「あはは」と笑って、
「ま、見つかった後のことはその時考えようぜ。せっかくここまで作ったんだ、ちゃんと色を塗って、木に取り付けよう。こんなこと……今しかできないかもしれないしな」
……というロベルのセリフに。
レナードは少しの寂しさのようなものを感じ、思わず彼を見つめる。
しかし当のメディアルナはまるで気にせず、明後日の方向に目を向けており……
そして、「あっ」と声を上げたかと思うと、
「ブランカさんだ! おーい! おかえりなさーい!」
嬉しそうに、手をぶんぶんと振り始めた。
その視線の先では、両手に荷物を抱えたブランカが門をくぐり、こちらへ向かって来ていた。午前の買い出しから戻って来たようだ。
「ただいま帰りました。巣箱作り、捗っていますか?」
「はい! あと色を塗れば完成です!」
「おぉ、すごい。もう形になっているじゃないですか。ってことは、クレアルドさんはまだ戻っていないかんじです?」
「えぇ。いろんな色の塗料をお願いしちゃったから、重たくて時間がかかっているのかもしれませんね……大丈夫かしら」
申し訳なさそうに言うメディアルナに、レナードはすかさずフォローを入れる。
「あいつなら大丈夫ですよ。ああ見えて力はありますし、平気な顔して帰ってくるはずです。最近いろんなお店の人と顔見知りになったと言っていたので、どこかで話し込んでいるだけかもしれませんよ」
「確かに、クレアルドさん人当たりがいいからどこ行ってもすぐに気に入られるんですよ。今日行ってもらっている資材屋さんもおしゃべり好きだから、捕まってるのかもしれないですね」
と、ブランカも納得したように言う。
レナードは、クレアが予定通り『フルーレ斡旋所』を訪ねていることを確信しながら頷いて、
「ブランカさん、荷物半分持ちます。厨房へ持っていけばいいんですよね?」
「あぁ、すみません。レナードさんもクレアルドさんも気が利くので助かりっぱなしです。僕も見習わないと」
「いえいえ、何をおっしゃるのですか。みなさんが良くしてくださるから、お返しをしているに過ぎません」
そう言って、レナードはブランカの手から食材の入った袋を預かる。
それから、メディアルナの方を向いて、
「では一度失礼しますね、ディアナお嬢さま。素敵な巣箱のデザイン、楽しみにしています」
にこりと笑いかけ、一礼した。
それに「あっ、はい」と答えるメディアルナの目が、ぽーっと熱っぽくなっていることに気付きながら……
レナードは内心ほくそ笑んで、ブランカと共に主屋へと向かった。
──その背中を見送り。
庭に残ったアルマは、小さくため息をつく。
「……ほんと、完璧人間ってかんじですよね。レナードさんもクレアルドさんも」
するとロベルが、ぽんっとアルマの肩を叩き、首を横に振る。
「まぁまぁ。人は人、自分は自分だ。比べるだけ無駄だぜ」
「……それ、全然フォローになってないですよ」
「いいじゃねぇか。俺は素直に嬉しいよ。あんな連中がこれからもお嬢の側にいてくれるなら……一安心だ」
その、ロベルの言葉に。
アルマは、メディアルナの方を見つめたまま……何も返さなかった。
しかしロベルも、初めから返事は期待していなかったようで、
「おーい、お嬢―。いつまでも見惚れていないで、一旦片付けますよー」
いまだレナードたちの後ろ姿を眺めたままのメディアルナに、揶揄うように言った。
彼女はビクッとしてから慌てて振り返り、
「み、見惚れてなんかいません! さ、お片付けお片付け!」
そう言って、慌ただしく動き始めた。
* * * *
その、少し後。
"おつかい"を終えたクレアが、屋敷へと帰り着いた。
オーナーの女性を脅すような形になってしまったが、『フルーレ斡旋所』での調査は無事に完了した。
さらに、彼が独自に進めるある計画の拠点にも足を運ぶことができた。
時間もほぼ予定通り、昼前に戻って来られた。不審に思われることはないだろう。
訪ねた甲斐があり、『フルーレ斡旋所』では新たな情報が手に入った。
夜になったらエリスとレナードに報告をし、今後について話し合わなければ……
そんなことを考えながら、庭を抜け、主屋へ入ろうとすると、
「おう、クレアルド」
そう背後から呼び止められ、振り返る。
気配からいることはわかっていた。ロベルだ。庭の手入れをしていたのか、花壇の間からひょっこり出てきた。
「ロベルさん。ただいま戻りました」
「おつかいご苦労さん。塗料は無事に買えたか?」
「はい。お嬢さまに言われた通り全部で五色、買って参りました」
「おぉ、お嬢も喜ぶな。このまま俺が預かるよ。明日またすぐ使えるよう、庭の物置き小屋にしまっておく」
「いえ、私が運びます。物置き小屋に置けば良いのですね?」
「いいや、いい。俺に貸せ。朝メシ、まだなんだろ? ゆっくり食べて来い。若いんだから、しっかり食べなきゃすぐ腹減っちまうぞ?」
そう言って、クレアの手から塗料の入った袋を取り上げるロベル。
クレアは、遠慮がちな笑みを浮かべて、
「それじゃあ……お言葉に甘えてもよろしいですか?」
「もちろんだ。ほら、早く行った行った」
手をシッシッと払い悪戯っぽく笑うロベルに、クレアは「ありがとうございます」と礼を述べ、主屋の中へと入った。
──表玄関から入り、クレアは一階の廊下を真っ直ぐに進む。
そして、一番奥にある厨房に入ると……
「……む」
皿洗いをしていたエリスが、彼に気付くなり睨み付けてきた。どうやら昨夜の"おばけ騒動"のことをまだ根に持っているらしい。
しかしクレアは、その視線に怯むどころかにこりと笑う。
「ただいまです」
「…………」
「遅くなってしまいましたが、朝食をお願いできますか?」
「……だってさ、料理長。よろしく」
エリスがむすっとしたまま言うと、料理長は無言で賄いを作り始めた。
明らかにツンツンした態度で皿洗いを続けるエリスに、クレアはそっと近付き、
「……まだ怒っています?」
そう耳打ちする。
彼女はキッ! と彼を見返し、「当たり前でしょ?!」と目で訴えた。
クレアは困ったように笑うと、さらに耳元で囁く。
「お詫びに"美味しいもの"を買ってきたので……ちょっと廊下に出ていただけませんか?」
美味しいもの……?
そのワードに、わかりやすく反応するエリス。
すぐに皿洗いの手を止めると、料理長が調理に集中していることを確認してから、クレアと共に廊下へ出た。
「……何よ、買ってきたものって」
周囲に誰もいないことを確認してから、エリスは尚もツンとした態度で言う。
しかし、胸の内では『美味しいもの』に対するワクワクが膨らんでいることを、クレアはその表情から感じ取っていた。
クレアは……懐から可愛らしく包装された紙袋を取り出し、彼女に差し出す。
「……なにコレ」
「リンナエウス産のハチミツを使用したキャンディと、クッキーと、マフィンの詰め合わせです」
ハチミツを使った、スイーツセット、だと……?
何それ、絶対甘いじゃん。絶対美味しいじゃん……!!
その味を想像し、エリスの喉がゴクッと鳴る。
が、首をブンブン横に振って、
「ふ……ふん。食べもので機嫌を取ろうだなんて、馬鹿にしてんの?」
「すみません、お詫びの気持ちを形にしたくて……お気に召しませんでしたか?」
「いや、お気に召さないというわけでもなくもなくもないけど……」
「もちろん、無条件で召し上がっていただいて結構です。いつもなら甘いものを食べる時はめちゃくちゃエッ……」
「わぁわぁわぁ! ばか! 言うな!!」
「……まぁ、アレなコトをしているわけですが、今回は純粋にお詫びとして受け取っていただきたいのです」
途中、ナニカを言いかけたクレアの声を掻き消し、エリスはハァハァと肩で息をする。
まったく、誰かに聞かれたらどうするつもりだ……
……と、彼をジトッと見つめたところで、
「…………ん?」
エリスは目を見開き……鼻をぴくりと動かす。
そして、クレアにぐいっと近付くと……
──くんくん、くんくん。
……と、何かを探るように、彼の匂いを嗅ぎ始めた。
「……どうかしましたか?」
クレアが首を傾げながら尋ねると。
彼女は…… 彼の目を、真っ直ぐに見つめ、
「…………あんた、どこへ行ってきたの?」
そう、聞き返した。
クレアは内心ドキッとするも、それを表には出さずに、
「おつかいで郵便役所と資材屋、それから……例の斡旋所にも行ってきましたが、何か気になる匂いでもしましたか?」
と、声をひそめて答える。
本当は、彼が進めるある計画の拠点にも足を運んだのだが……それはまだ、彼女に伝えるわけにはいかなかった。
エリスは、じー……っとクレアの顔を見つめると、
「…………ふーん。そう」
とだけ言って、彼の手からお菓子の袋を奪う。
そして、それをポケットにしまいながら、
「……ま、今回はこれでチャラにしてあげる。また街で美味しそうなもの見つけたら買って来てよね」
と、さっぱりした口調で言った。
そのまま、スタスタと厨房へと戻って行くので……
想像していたよりずっと早く許してもらえたクレアは、拍子抜けしたような気持ちでその背中を見つめる。
立ち尽くしたままの彼に、エリスはくるっと振り返り、
「なにボサッと突っ立ってんの? ご飯、食べるんでしょ? もうすぐ出来るから、早くおいで」
料理長に聞かれてもいいよう、少し低い声でぴしゃりと言って、彼のための食器を用意し始めた。
<補足>
ノクタ版を未履修の方のために言っておくと、クレアとエリスには甘いものを食べる前に必ずえっちなことをする という謎の習慣があります。そのため、クレアがあのようなことを言いかけたわけですね。
(「ノクタ版て何ぞや」という方は、第一部番外編最終話『ふたりの誓い④』のあとがきをよーく見返してみてください……!!)