7-2 おばけに匂いはありますか?
──その晩。
クレアとエリスはいつものようにレナードの部屋に集合し、今日のことを報告し合った。
クレアは、アストライアー宛ての手紙を無事に発送できたことと、単独で行動できる時間が増えたことを報告した。
「手紙を出し終えた後、『フルーレ斡旋所』の所在地について調べたのですが、このリンナエウスの街中にありました。少し外れた場所ではありますが、買い出しの合間に行けそうな距離です」
「そうか。なら、本部に依頼するよりクレアルドが直接出向いた方が早いな」
「はい。さっそく明日、訪ねてみます。そして、領主の妻が死亡した時期に働いていた女性が本当にいないのか、調査します」
「ん。頼んだ」
レナードは頷いてから、クレアの隣に座るエリスに目を向ける。
「何か報告は?」
「ない。強いて言えば領主の体調がだいぶ良くなったみたいで、料理のお残しが少なかった」
「ふむ、やはり回復傾向にあるのか……ならば、これからの動きに要注意だな。現段階で領主による笛への接触はないが、今後はわからない。怪しい動きがないか観察し、何かあればすぐに報告し合おう」
「わかった」
レナードの言葉に、エリスは素直に答えた。
そうして、その日の報告会議は終了した。
クレアとエリスはレナードの部屋を後にし、風呂場へと向かう。
そして廊下をだいぶ進んでから……ふと、エリスが口を開いた。
「……ねぇ」
「なんでしょう」
「お風呂上がって、周りが寝静まったらさ……ちょっと時間もらえない?」
その言葉に。
クレアは思わず足を止めて……息を吐く。
「……はぁ。昨日『キスは帰るまでしない』と決めたのに、もう我慢できなくなってしまったのですか? 仕方がないですねぇ。『ちょっと』と言わず、朝までお相手いたしましょう」
「は?! そんなんじゃないし! つーか何その顔、腹立つんだけど!! ぶん殴られたいの?!」
「やれやれ」といった表情で期待の鼻血を垂らすクレアの妄言を、全力で否定するエリス。
「そうじゃなくて……『琥珀の雫』の捜索に協力してもらいたいのよ」
「捜索、ですか?」
鼻血を引っ込めながらクレアが聞き返すと、エリスは「そう」と頷く。
「昨日、書斎に向かう途中……二階からハチミツみたいな香りが微かにしたの。実際に行って調べたかったんだけど、昼間はそんな時間が取れなくて」
そう言われ、クレアは昨日のことを思い出すが……ハチミツのような匂いがした覚えなどなかった。彼女の嗅覚だからこそ気付けたことなのだろうか。
「前に夜中の捜索はやめた方がいいってアイツに言われたけど、匂いを嗅ぎに行くだけなら問題ないかな。もちろん、魔法で姿は消して行く。どう思う?」
と、真剣な面持ちで尋ねるエリス。
それに、クレアも「うーん」と真面目に考え、
「……そうですね。私が周囲に異常がないか気を配り、貴女は匂いの出所を探るのに集中する。物を漁ったりせず、ただ行って帰ってくるだけならば……問題はないでしょう」
……それに。
ちょうど自分も、確認したいことがある。むしろ好都合と言えるか。
という言葉は口にせず、クレアは微笑んで、
「せっかくなので、二階だけでなく普段行けないような場所も探してみましょうか」
「ほんと?! いいの?!」
「えぇ、この機会に主屋を徹底的に嗅ぎ回りましょう。では、部屋に戻って数時間したら貴女の部屋を訪ねますので、鍵を開けておいてくださいね」
「うん! ありがとう!!」
満面の笑みを浮かべ、礼を述べるエリスに……
クレアは内心ほくそ笑みながら、爽やかな笑みを返した。
* * * *
──数時間後。
クレアは、静かにエリスの部屋のドアを開けた。
音が響くのでノックはしなかったが、エリスは彼の来訪にすぐに気が付いた。ベッドに腰掛け、来るのを待っていたのだ。
彼女はベッドから降りると、クレアの方に歩み寄る。
「悪いわね、付き合わせちゃって」
「いえいえ。貴女のためならお安い御用です」
「男装しないで大丈夫かな? 魔法で姿消して行くし」
「えぇ、むしろ身軽な装いの方が動きやすいでしょう」
「それもそうね。さぁっ、『琥珀の雫』の探索、気合い入れて行くわよ!」
おー! と、あくまで小声で拳を掲げるエリス。
そのやる気に満ちた姿を、クレアは微笑ましく見つめてから、
「ところで……エリスは、死霊の類を信じていたりしますか?」
と。
穏やかな声音で、そんなことを尋ねた。
いきなり振られた話題に、エリスはぱちくりとまばたきをする。
「しりょう、って……おばけとかユーレイのこと?」
「はい。エリスって、そういう実態のないものに対してどう考えているのかと思いまして」
「全然信じてない」
眉一つ動かさず、すぱっと言い切るエリス。
「だって、人は死んだらそれでおしまいだもん。他の生き物と一緒。それに、もし存在するなら匂いがするはずよ。不可視の代名詞である精霊でさえ匂いがあるんだから。あたしの鼻で認識したことがないってことは、いないってのと同義」
確かに。と、彼女の言葉にクレアは納得する。
しかし、彼はやはり微笑みながら、
「でも……死霊には匂いすらない、という可能性もありますよね?」
……なんて、意味ありげなことを言うので。
「……何が言いたいの?」
「いえ、こういう古い建物って、そういうのがよく出るイメージありませんか? 真夜中の屋敷を探索するなんて、エリスは怖くないのかなぁと」
「怖いわけないでしょ。そういうのはねぇ、信じている人間が『怖い怖い』と思っているからいるように感じるのよ。あたしは信じてないもん」
「そうですか。なら、良かったです」
「逆に、あんたは信じてるの? おばけやユーレイ」
「うーん、どうでしょう。潜入の仕事をする中で、それらしいものを目にした経験が何度かあるので、一概には存在を否定できないのですよねぇ」
「…………え?」
聞き返すエリスに、クレアは困ったように笑う。
「この屋敷、構造から見るに恐らく要塞として使われていた建物だと思うので……そういう生死に関わる場所って、結構いるみたいなんですよ。万が一遭遇しても、大声など出さぬよう気をつけましょう。まぁ、エリスは怖くないみたいなので、大丈夫かとは思いますが」
「…………」
「さぁ、行きましょうか。『琥珀の雫』を探しに」
……と、なんとも嫌なスタートの切り方をするクレアを、エリスはジトッと睨み付ける。
どういうつもりでこんな脅すようなことを言っているのか……その真意は不明だが、彼に何と言われようがエリスは死霊の類を信じる気にはなれなかった。
だから、彼女は静かに頷いて。
「うん。至高のハチミツ……絶対に見つけ出すっ」
リングを嵌めた指輪を宙に踊らせ、"透明な隠れ蓑"を生み出すべく、魔法陣を描いた。