5-2 詳細は書斎の中に
──昼過ぎ。
厨房では、領主とメディアルナの昼食がまもなく完成しようとしていた。
料理長が調理する様をじぃっと眺め、エリスが皿を準備するタイミングを見計らっている……と、
「お、お疲れ様です……」
そんな遠慮がちな声と共に、アルマが入って来た。
メディアルナの昼食を受け取りに来たのだろう。
「あ、お疲れさま。たぶんもうすぐできる……と思う」
エリスが言った直後、料理長がフライパンを火から下ろした。
それを見逃さずに、エリスはささっと皿を用意する。今日の昼食は鶏肉とキノコの炒め物、小エビのサラダ、野菜スープにパンだ。
相変わらず一言も声を発さない料理長だが、どういう時に何を補佐するべきなのか、昨日今日と過ごす中でエリスは察するようになっていた。
「はい、お嬢さまの分」
お盆に載せた昼食を、エリスはアルマに渡す。
それを受け取りながら、彼はエリス越しに料理長をちらちらと見ながら、
「ありがとうございます……あの、今日はお嬢さまのところに家庭教師の先生がいらっしゃるので、お二人のおやつに、その……パンケーキをお願いしたいのですが……」
と、やはり遠慮がちな声で言う。
恐らく料理長に伝えたいのだろうが、返事がないことがわかっているため、間接的にエリスに言っているのだろう。
面倒に感じたエリスは、すぅっと息を吸うと、
「料理長! おやつにパンケーキだって!」
彼の要望を代弁するように、大きな声で料理長の背中に叫んだ。
その声にも、やはり返事はないわけだが……
「……たぶん、伝わったから」
「あ、ありがとうございます……」
申し訳なさげに何度も頭を下げながら、アルマはメディアルナの昼食を持って去って行った。
……まったく、はっきりしないヤツだ。
少々呆れながらエリスがその背中を見送ると、入れ違うようにしてヴァレリオが入って来た。こちらは領主の昼食を受け取りに来たのだろう。
「よう、エリック。出来てるか?」
「はい。ちょうど出来上がったところです」
ヴァレリオに関しては、もう料理長と意思疎通を図ることを諦めているのか、迷いなくエリスに声をかける。
エリスは領主の分の食事と、熱湯の入ったティーポット、それからメディアルナが買ってきたリカンデュラの茶葉が入った袋をお盆に載せて渡す。
「お茶も僕が淹れておきましょうか?」
エリスが気を利かせてそう尋ねるが、ヴァレリオは首を横に振り、
「いいや、旦那さまのお好みの濃さと温度があるから俺がやる。お前はお湯さえ準備してくれればそれでいい」
そう言い切って、受け取ったお盆を手にスタスタと去って行った。
……この男、やはり自分のやり方に則ってやらないと気が済まないタイプなのか。
それとも単純に、領主がお茶の濃さや温度にうるさいのか……
まぁ、どっちにしろ淹れなくていいならそれでいいけど。
エリスが一人肩を竦めると、さらに別の人物が厨房に入って来る。
「おっす。料理長もエリックもお疲れ。昼メシ、もらってもいいか?」
"気ぃ使い"な庭師・ロベルである。
料理長は言葉では返事をしないものの、賄いを作るためすぐに動き出す。
エリスもコップに水を入れ、厨房の端に座るロベルの前に差し出した。
「ありがとう。まだ二日目だが、少しは慣れたか? エリック」
白い歯を見せながら、爽やかに尋ねるロベル。
それにエリスは「おかげさまで」と、愛想良く返す。
やはり使用人たちの中でこいつが一番取っつきやすいな、と彼女はあらためて思う。
「いやぁ、料理長。お嬢は本当に立派になったよなぁ。今自分の部屋で花を育てているんだと。最近元気がないからって、俺のところへ肥料の相談に来たよ。あの小さかったお嬢が植物の世話をするとは……感慨深いよなぁ」
と、水を飲みながらしみじみ言う。
レナード曰く、ロベルはメディアルナが生まれた時からここにいるらしい。赤ん坊の頃から見守っていれば、自ずとこういう感情も生まれるだろう。
しかし……と。
エリスは、未だ料理長に話し続けるロベルに向かって、
「『元気がない』と言えば……旦那さまは大丈夫なんですか?」
そう、遮るように尋ねた。
領主が床に伏しているというのに、やはり能天気すぎる気がするのだ。
小さい頃から可愛がっているメディアルナの話をするのはいいが、鉢植えの心配をしている場合ではないだろう。
突然話を遮られたロベルが「え?」と聞き返すと、エリスは深刻そうな顔をして、
「体調が悪いというのに、お嬢さまとお食事のメニューを別にしているわけでもないし……毎回ほとんど手を付けていない状態でお皿が戻ってくるんですよ。僕、心配で……」
「まぁ……確かにな」
「お医者さまを追い出したようですが、新しく診てもらう予定はあるんですか?」
「それは……ヴァレリオが手配しているんじゃないか?」
「ヴァレリオさんからそういうお話は?」
「特に聞いていないが……旦那さまも少々気難しいところがあるから、医者の用意も難航しているのかもな」
と、小声で答えるロベル。
領主絡みのことはヴァレリオに一任されているらしい。
それでも、一番の古株はこのロベルである。付き合いの長い領主に対し、何か思うところはないのだろうか。
エリスは目を伏せ、ロベルに響くような言葉を選びながら探りを入れる。
「お嬢さまもとても心配していると思うんです。自分でお茶の葉を買いに出かけてしまうくらいですから……お嬢さまのためにも、早く元気になってくださるといいなって」
「うん……そりゃあ、お嬢も不安だろうな」
「まだここへ来たばかりですが、食事面だけでもお手伝いしたいなぁって思うんですよ。旦那さまの症状って、具体的にはどんな感じなんですか? お医者さまのお見立ては?」
「吐き気と倦怠感が強いらしい。熱も少しあるんだと。医者の見解は、ヴァレリオから又聞きしただけだが……胃腸の病気じゃないかって」
「胃腸の……なら、やはりお腹に優しい食事に変えるべきですよね」
「うーん、でもヴァレリオからは特に何の指示もないんだろ? 旦那さま自身が病人食を拒んでいるかもしれないし……なぁ、料理長」
ロベルは料理長に投げかけるが、当然無視。
エリスはさらに質問を続ける。
「旦那さまって、昔からよく体調を崩されていたんですか? もし前例があるならそれを参考にしたいのですが」
「いや、奥様を亡くされた後しばらく塞ぎ込んでいた時期があったが、それ以外では病気らしい病気はしたことがないな」
「今回のご病気も、心理的なものなんですか?」
「そうじゃないはずだが……すまん、詳しくはわからない。とりあえず俺からもヴァレリオに早く医者を見つけるよう言っておくよ。ありがとうな、心配してくれて」
そう爽やかに笑って。
ロベルは、話を切り上げた。
これ以上、話すことはない。そんな雰囲気だった。
エリスはますます違和感を覚える。メディアルナや料理長、新入りのエリスに対しても優しく思いやりを持って接するロベルなのに……
その思いやりを、何故、領主に対して発揮しないのか。
ヴァレリオが担当しているとは言え、無関心すぎるのではないか?
そんなことを考えながら彼を見つめていると、料理長がおたまで鍋を「コンコン」と叩いた。賄いが出来上がった合図だ。
エリスはハッとなって皿を用意し、料理長のところへ持って行く。
料理長の盛り付けが完了すると、それをロベルの前に「どうぞ」と提供した。
「ありがとう。うわぁ、今日も美味そうだなぁ。いただきまーす!」
そう言って嬉しそうに食事にありつく姿を眺め、エリスはやはりいい人なんだろうなぁ、と思ってしまう。
ということは。
……やっぱりあの領主、このロベルからも嫌われるくらいに性格がヤバイんじゃ……
領主がこれほどまでに嫌われるに至った経緯を探ってみようか、とも考えるが……
それが、あの笛に近付くヒントになるとは思えず。
それならばと、エリスは目的を切り替えて、
「あの、もし知っていたらなんですが……厨房以外に食材が保管されている場所って、あったりします?」
料理長に聞こえないよう、コソッとロベルに尋ねた。
すると彼も気を使って小声になり、
「基本的には全てここに運ばれて来ていると思うが……何か気になることでもあったか?」
「いえ、料理長がこんな調子で何も喋ってくれないので、他に保管場所があるなら知っておこうと思っただけです。ありがとうございます」
などと適当な嘘を並べて、エリスは礼を述べる。
ロベルも納得したのか、疑うどころか同情するような視線をエリスに向け、食事を再開した。
くそぅ。『琥珀の雫』の在り処を探れたらと思ったが……この男は何も知らないのか。
と、エリスが内心舌打ちしていると、
「失礼しまーす。買い出しから戻りましたぁー……って、ロベルさん。お疲れさまです」
そんなおっとりした声と共に、"おつかい係"のブランカが厨房に入ってきた。
その後ろには当然、クレアも控えている。
ロベルが「おう、お疲れー」と手を上げる中……エリスは今朝の一件による気恥ずかしさから、パッとクレアに背を向けた。
しかし、
「あ、エリックさん。この調味料ってどこにしまうんでしたっけ?」
と、ブランカに聞かれてしまい、「あぁ、これね!」と慌てて買ってきた食材の仕分けをする。
「(あぁ、どうしよう……クレアのシャツを枕に着せて、匂いを嗅ぎながら寝たことがバレてるのに……どんな顔して会えばいいのかわかんないよう……!)」
クレアの方をまともに見られないまま、テキパキと食材をあるべき場所にしまっていく。が……
……ふと、気がつく。
自分の背後に向けられた、纏わり付くような視線に。
こ、これはもしかして……いや、もしかしなくても……
と、恐る恐る振り返ると……
案の定、クレアが、動き回るエリスの尻を凝視していた。
「(や、やっぱりめちゃくちゃ見られてるぅう!)」
バッ! と尻を隠すようにして、クレアの方に顔を向けると……
「(男性用下着、いい感じですよ……!)」
……とでも言うように小さく親指を立て、キラキラとした笑みを浮かべるので。
「(早くどっか行け、このヘンタイ!!!!)」
という念を込め、エリスは思いっきり彼を睨み付けた。