4-3 変装するなら見えないトコロまで
「だんせいよう……したぎ……?」
クレアの返答に、エリスの身体が固まる。
彼は深刻な顔をして頷き、
「今日、貴女の働く姿を見ていて気付いたのですが……屈んだりしゃがんだりした時、パンツスーツ越しにうっすらと下着のラインが浮き出ていました」
「なっ……!!」
「私としたことが、うっかりしていました……『変装するなら見えないところまで』が鉄則なのに。あれでは見る者が見れば一発でバレてしまいます」
「そうなの?! あんたがたまたまお尻ばっか見てたからじゃなくて?!」
「まぁ、それもあります」
「あるんか!!」
「男装の奥に隠されたエリスの身体のラインを想像し、楽しむ……それが今回の任務の趣向なので」
「いつの間にかよくわかんないプレイに巻き込まれてた?!」
困惑するエリスに、クレアは男性用下着をぐいっと突き出し、
「とにかく、下着は変えていただきます。それが嫌ならノーパンで」
「えぇ……つーかどっから持ってきたのよ、それ」
「今日の午後買ってきました。新品なので安心して穿いてください」
「…………」
エリスは渋々といった表情でそれを受け取る。
まぁ、見ようによってはショートパンツみたいだし……ノーパンよりはマシか。
と、仕方なくクレアの提案を飲むことにする、が。
「……ん? 待って。これはこれで穿くとして、今まで使ってたぱんつは返してよ」
その指摘に、クレアはあからさまにギクッとする。
そして、にこやかに笑って、
「今までのものは、そちらと引き換えということで」
「はぁ?! 意味わかんないんだけど!!」
「だって、もう四日もまともにイチャついていないのですよ? 一緒にお風呂に入るのは我慢しますから、せめてぱんつからエリスの温もりを感じさせてくださいよ」
「温もりとか言うな! 生々しい!!」
もう……と呆れながら、エリスは自身の荷物を漁り、
「……じゃあ、これ」
取り出したものを、クレアに差し出す。
「仕事中、胸ポケットに入れてたハンカチ。ぱんつの代わりに、これで手を打ってよ」
彼は、差し出された白い布を受け取ると……
鼻に押し付け、くんくんと匂いを嗅いでから、
「……いいでしょう。交渉成立です」
「あのさ、普通そういうの本人のいないところでやらない?」
というツッコミを受けつつ、クレアはポケットから下着を取り出し、エリスに返却する。
「(一緒に生活して感覚が鈍っていたけど、こいつやっぱ変態だな……)」
……と、下着を受け取りながら、エリスはあらためて認識し直すのであった。
しかし、そう思う一方で。
エリスは、もらったハンカチを嬉しそうに眺めるクレアの姿をじっと見つめると、
「……あたしにも、なんか寄越しなさいよ」
ぼそっと、そんなことを口にする。
クレアが「え?」と聞き返すと、彼女は「だからっ」と目を逸らし、
「……あたしにも、クレアの匂いが付いたもの……なんか貸しなさいよ」
そう、口を尖らせながら言った。
思いがけない要求に、クレアは暫し固まった後……
「…………え。ぱんつ、いります?」
「ぱんつはいらん!」
「じゃあ、何を……」
「例えば、その……今着てるシャツとか」
と、彼が身に付けている制服の白シャツを指さす。
エリスは、自分でもおかしなことを言っているとわかっていた。しかし……
ここ数日、一人で眠ることに寂しさを覚えていたのも事実なので、匂いだけでも借りられたらと、彼の変態思考に乗っかることにしたのだ。
クレアは、彼女が自分の匂いを欲しているという事実に堪らなくなり……
「……いいですよ。なら……貴女が脱がせてください」
上に羽織っているジャケットを脱ぎながら、そう言った。
エリスが「えっ」と戸惑いの声を上げるが、クレアは構わず彼女の前に立ち、
「さぁ、どうぞ」
意地悪な笑みを浮かべながら、脱がすように促す。
エリスは、少し緊張しながらも……
彼のシャツのボタンを、外し始めた。
一つ、また一つと外す度に露わになるクレアの肌。
その香りに、エリスは胸がきゅうっとなるのを感じる。
彼の言う通り、ここ数日はまともに触れ合っていない。
だからだろうか。恋人になって、一緒に暮らしてもうだいぶ経つというのに……
こんなことで、指先が震えるくらいにドキドキしてしまう。
やがて、全てのボタンを外し終えると。
エリスはシャツの前を開け、彼の身体からスルリとそれを脱がせた。
「……じゃあ、これは借りるから」
半裸になったクレアの方をまともに見られないまま、エリスはシャツを手に背を向けようとする。
しかし、その時。
彼に、肩をそっと掴まれて、
「……身体、冷たくなっているじゃないですか」
そのまま、身体を引き寄せられる。
裸にタオルを巻いただけの状態でいたのだ、風呂で温まった身体はとっくに冷えていた。
「ふ、服着ればあったまるから……」
「もう一度、湯に浸かりませんか?」
そのセリフに、エリスは思わず彼を見返す。
クレアは、熱を孕んだ瞳で彼女を見つめ、
「一緒に……温まりましょう」
低く、囁くように言った。
その声に、視線に。
エリスは、何も考えられなくなって。
ただ、胸の鼓動だけが、耳に煩く響いて。
身体に巻いたタオルを取り払おうとする彼の手を、そのまま受け入れ……
彼の前に、一糸纏わぬ姿を晒し………………
…………そうになったところで。
「時間切れだ。早く出てこい」
ノックと共に、扉の向こうからそんな声が聞こえてくる。
それは、間違いなく……レナードのものだった。
想定よりも時間がかかっているので様子を見に来たらしい。扉越しに二人の良からぬ気配を感じ取り、止めに入ったようだ。
エリスは冷や水をぶっかけられたような気分になり、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
そんな彼女に、クレアは「残念でしたね」と悪戯っぽく呟くが……
「聞こえているぞ、クレアルド」
地獄耳な先輩に廊下から言われてしまい、それ以上は何も言わないことにした。
* * * *
──レナードに水を差される形で脱衣所から撤収してきたエリスは。
「…………」
自室のベッドに正座し、クレアのシャツと向き合っていた。
勢いで借りてきてしまったが……どうすればいいんだ?
眠る時に少しでもクレアの匂いが感じられると嬉しいなぁ、程度しか思っていなかったので、これを具体的にどう使うのかまでは考えていなかったのだ。
……とりあえず、どんなもんか嗅いでみよう。
エリスはシャツを手にし、おずおずと鼻に近付け……
すん、と匂いを吸い込んでみた。
瞬間、胸がきゅんと高鳴る。
嗚呼、たまらなく安心する大好きな匂い。
どうにかこれを感じながら眠りに就きたいものだが……ただ手に持っているだけでは、寝ている内にベッドの中でくしゃくしゃになってしまうだろう。
……そうだ。自分で着てみるのはどうだろうか。
エリスは着ている寝間着を脱ぎ。
彼のシャツに袖を通し、羽織ってみた。
刹那。
「…………!!」
あ、これダメだ。
全身がクレアの匂いに包まれて、まるで抱き締められているみたいで……
彼の肌の感触や、囁き声や、アレやコレまで思い出されて……
こっ、こんなの……
ドキドキし過ぎて、眠れる気がしない……!!
バッ。
と脱ぎ去り、すぐに元の寝間着を着直す。
危なかった。なんだかヘンな気持ちになるところだった。
あらためて、シャツと向き合う。
腕を組み、しばらく考え込んだのち……
「……そうだ」
エリスはベッドの上にある枕に手を伸ばすと、縦向きにし……
それに、クレアのシャツを着せてみた。
うん、サイズ感的にはちょうど良さそうだ。
そのまま、彼のシャツを着た枕に……
ぎゅっと、抱きついてみる。
……あっ、これいい。
クレアの匂いが適度に感じられて、抱き心地も良いし、最高……
……よし、採用。
一つ頷くと、彼女は部屋の明かりを消し、枕と共にベッドへ潜り込んだ。
「……うへへ」
すごい。本当にクレアが隣にいるみたいだ。
これはよく眠れそう……
……って、冷静に考えるとなんて恥ずかしいことをしているのだろう。
これじゃあクレアのことを変態だ何だと言えないな……
まぁ、こんな使い方しているのなんて言わなきゃバレないんだし、いっか。
と、開き直って枕に額を擦り付ける。
使用人の制服は、各自が洗濯することになっている。明日、ちゃんと洗って返さなければ。
明日、か……
エリスは瞼を閉じ、今後について想いを馳せる。
かつての使用人の情報を漁るため、書斎に侵入することになったが、上手くいくだろうか。
『琥珀の雫』の入手だけでなく、エリスにはちゃんと"禁呪の武器"を解放したいという思いがあった。
だからこそ慎重に、秘密裏に調べなければならないことは理解している。
"禁呪の武器"という危険な代物の存在は、世間に広く知られるべきではないからだ。
いたずらに踏み込んで、結局"禁呪の武器"ではなかった場合の説明も面倒である。領主だけでなくこの街の人々も混乱させてしまうだろう。
そう。焦るべきではないとわかっている。
だけどやっぱり……早く帰って、クレアとゆっくりしたいなぁ、とも思ってしまう。
今の状況では、一緒に向き合ってご飯を食べることもできないから。
……いや、任務の早期解決を目指すのは悪いことではないはずだ。
あの家に早く帰るためにも、明日の捜索は成功させたい。
もちろん、『琥珀の雫』の入手だって諦めない。
全部まるっと解決して、気持ちよく帰ってやる。
そう、決意を新たにし。
大好きな匂いのする枕をぎゅっと抱きしめて。
エリスは、眠りに就いた。
* * * *
──翌朝。
メディアルナの笛の音が止むと同時に、クレアは部屋を出た。
すると、エリスも同じタイミングで廊下へ出てきて……
彼を見るなり、嬉しそうに駆け寄って来た。
「おはよう、クレア! 昨日はシャツ貸してくれてありがとう!」
やはり笛の影響を受けているのだろう、朝日よりも眩しいキラッキラな笑顔を彼に向ける。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「うんっ! クレアの匂いを感じながら眠れたから、ぐっすりだったよ!」
その発言だけで既に吐血ものだったが、クレアにはどうしても聞いておきたいことがあった。
「『匂いを感じながら』というと……どんな風にあのシャツを使ったのですか?」
それは、昨晩のエリスなら絶対に知られたくないことだった。
しかし今は、笛の音の影響でどこまでも前向き且つ素直になっているため……
彼女は、一切迷うことなく、
「枕に着せて、ぎゅってしたの。クレアに抱きついているみたいで幸せだったよ。いっぱいくんくんしちゃった♡」
そう、嬉しそうに答えた。
クレアは、もう……
身体中の血液が、ゴゴゴゴと音を立てて沸騰するような感覚に襲われ……
「……ごはぁっ!」
口から血を吹き出しながら、ドシャアッ! と倒れ込んだ。
「えっ、どうしたのクレア! 大丈夫?!」
「か、かわ……可愛ぁ……っ」
全身をビクビクと痙攣させながら、打ちのめされるクレア。
そんな彼を心配そうに見つめるエリスの背後から……
「お前たちは、毎朝ソレを続けるつもりか」
部屋から出てきたレナードが、呆れ顔で投げかけた。
しかし、まだ笛の音の影響を受けているエリスは普通に「あ、おはよう」と返す。
レナードは「ふっ」と鼻を鳴らし、彼女を見下ろすと、
「ガサツな天才魔導士様にも乙女らしい一面があるのだな。だが、そういうことはあまり人前で言わない方が賢明だぞ? 匂いフェチであることを公言しているようなものだからな」
小馬鹿にするように、そう言った。
それを聞いた瞬間、エリスはスーッと正気に戻り……
みるみる内に顔を真っ赤に染め上げて、
「あ、う、あ…………うわぁぁあああああっ!!」
叫び声を上げながら自室へ飛び込み、バタンと扉を閉めた。
レナードは、何度目かわからないため息をつく。
そして、床に転がっているクレアに目を向け、
「……いつからそんなに吐血しやすくなったんだ?」
「彼女に出会ってからですね」
「難儀なことだな」
「それよりレナードさん、今エリスのこと『乙女らしい』って言いました? ひょっとして彼女の可愛さに気付いてしまいましたか? 駄目ですよ、好きになっちゃ」
「……むしろどうやったらそんな気持ちになれるのか教えてもらいたいくらいだ」
「え、なんでですか。なんで好きにならないんですか。あんなに可愛いのに。おかしいでしょう」
「……クレアルド。それ以上喋るようなら、踏むぞ」
レナードは、随分とめんどくさい男になってしまった後輩を見下ろし。
片足を振り上げ、黙らせた。