4-2 変装するなら見えないトコロまで
レナードの部屋を出て、一旦自室で準備を整えてから。
クレアとエリスは、使用人用の風呂へと向かう。
「いよいよ"潜入捜査"って感じになってきたわね」
先ほどの話し合いを思い出しながら、エリスがこそっと言う。
しかしその声音は、緊張していると言うよりむしろ楽しんでいるように感じられた。
クレアも同じく声を潜めながら、それに答える。
「えぇ。まさか貴女がチェロさんから"姿を消す魔法"を教わっていたとは。これは嬉しい誤算です」
「ふふーん。でしょでしょ? 便利だなって思って、イリオンでの一件の後に教えてもらったの」
「使用人たちの特徴を捉える洞察力もさすがでした。あれにはレナードさんも驚いていましたよ」
「まぁねまぁねー♪」
「ですが、何よりもすごいと思ったのは……使用人の名前を、ちゃんと覚えていたことです。興味のないことには決して脳領域を割かないエリスが、五人もの人間の顔と名前を一致させるだなんて……すごいです。よく頑張りましたね」
「そうなの! 一番頑張ったのはそこなの!! 褒めて! もっと褒めて!!」
……と、エリスならではの頑張りポイントに、クレアだからこそ気付いて褒める。
これをレナードが聞いていたら、「何を当たり前のことを」と間違いなく顔を顰めていただろう。
さらなる『褒め』を要求する彼女の頭を、クレアは優しく撫でて、
「よしよし。よく頑張りましたね」
「う、なんか子ども扱いしてない?」
「そんなことはないですよ。いいこですねーえらいえらい」
「って、やっぱしてるでしょ!」
頬を膨らませる彼女に、クレアは微笑む。
そして、
「……エリスも、『褒められたい』と思うことがあるのですね」
髪を撫でながら、そう言った。
意外だったのだ。
彼女は、他人からの評価ではなく"自分がどうしたいか"を基準に生きているから。
誰かに褒められることには価値を置いていないと思っていた。
その言葉に、エリスはほんのり頬を染めて、
「……別に、他の誰かに褒められたいとは思わないけど…………クレアには、褒めてもらいたい」
照れ臭そうに、そう返した。
クレアは、その照れ顔をじーっと見つめ……
「……やっぱり、レナードさんに先に入ってもらいましょうか」
「なんでよ」
「ちょっと長湯になりそうなので」
「ならないよ! ていうか一緒に入んないからね?! 今日も見張っててもらうから!!」
「えぇーなんでですか」
「長湯になりそうなことをしようとするからだよ!! バレたらどうすんの?!」
「しかしエリス、考えてもみてくださいよ」
クレアは足を止め、彼女の手を引いて。
そのまま、廊下の壁に追いやりながら、
「王都を出てから、全然触れ合っていないじゃないですか。二人きりになれる貴重な時間なのですよ?」
「……ぅ……」
「……ねぇ」
目を泳がせる彼女の顔を、ぐっと覗き込み、
「……一緒にお風呂に入ったら、エリスのいろんなトコロ……もっといっぱい、褒めてあげますよ……?」
誘うように、そう囁いた。
エリスは、全身をみるみる内に真っ赤にさせて、
「だ……だめだってば!」
「本当に駄目?」
「……うぅ……」
「……駄目?」
「…………………だめ」
「……わかりました。その代わり、任務が終わったら嫌というほど褒めしだいてさしあげますから。覚悟していてくださいね」
「『褒めしだく』って何?! なんか怖いんだけど!!」
自分の身を守るように身体を抱くエリスに、クレアは不敵な笑みを返して、再び廊下を歩き出した。
「……そ、そんなことよりさぁ。『琥珀の雫』に関する情報、何か手に入った?」
彼の横をついて行きながら、エリスが尋ねる。
話題を切り替える意図もあったのだろうが、恐らく本当に聞きたいと思っていたのだろう。その瞳は、心なしか期待に輝いて見えた。
……やっぱり、エリスはエリスだなぁ。
と、クレアは少し笑いながら、
「えぇ。『琥珀の雫』が納められた時期について、ブランカさんに聞くことができました」
「おぉっ。そんでそんで? いつごろ届いたって?」
「先月だそうです。大きな瓶で五つも届いたらしいので、さすがにまだ残っていると思われます。捨てた様子もないとおっしゃっていました」
「五つも! でもやっぱり厨房にはなかったのよね……どこに保管されているのかなぁ。ブランカは届いたそれを誰に渡したとか、言ってた?」
「アルマさんに渡したらしいです」
「え、なんで?」
「さぁ。ブランカさんも、届いたらアルマさんに渡すようにとヴァレリオさんから言われただけのようです」
「むぅ……妙だわ。だってお嬢さまはハチミツを食べないのよ? それなのにお付きのアルマが受け取るだなんて……一体どういうこと?」
「お嬢さまのお世話とは別に、アルマさんが保管と管理を任されている……とかでしょうか。とにかく明日からアルマさんの近辺も調査してみます。またわかったことがあればご報告しますね」
「うん、ありがと。あたしもいろいろと探ってみる」
と、エリスが真剣な表情で頷いたタイミングで、ちょうど風呂場に着いた。
「……じゃ、あたし先に入ってくるから。見張り、よろしく」
「わかりました」
クレアは素直に頷き、脱衣所へ向かうエリスを見送った。
……さすがに諦めたのかな。
まったく、男の格好をしていようが御構い無しに迫ってくるんだから……
そう思いながら、エリスは服を脱ぎ始める。
男装にもだいぶ慣れてきたが、いかんせん窮屈だった。
かっちりとした使用人の制服のせいもあるが、それ以上に変装による締め付けがキツい。
一日中被っていたカツラを脱ぐと、清涼感が一気に押し寄せてきた。嗚呼、額が涼しい。
それから、何と言っても胸を潰すために巻いている布。これを取り払った時の解放感たるや……思わず深呼吸をしてしまう。
身も心も軽くなるのを感じながら、エリスは風呂場へ足を踏み入れる。
洗い場で丁寧に身体を洗った後、大きな湯船に顎まで浸かった。
はぁぁ、と至福のため息が漏れる。
使用人用といえど、十分すぎるくらいの広さだ。足を伸ばしてもまだまだゆとりがある。
家の風呂とは大違い……と、エリスは王都にある自宅を思い出す。
クレアと暮らし始めて、もうすぐ三ヶ月が経とうとしていた。
広いとは言えないが、日当たりが良くて、近くに美味しい食べ物屋さんがたくさんあって。
二人で住むには、ちょうどいい『家』だ。
……と、思い出したら、なんだか途端に帰りたくなってきた。
その感情に、彼女は自分自身で驚く。
『家』というものに対し、そんな風に思ったことがなかったからだ。
母と二人で暮らしていた時、エリスにとって『家』は、夜まで仕事で帰らない母を待つ寂しい場所だった。
八百屋を営む親戚の『家』は、あくまで居候先であり、心から安らげる場所ではなかった。
魔法学院の女子寮は、『家』というより寝泊まりするための施設だった。
それが、クレアと二人で暮らすあの『家』は、今や"一番安心できる場所"になっていて。
彼との日々が、エリスに初めて『家』の心地良さを感じさせてくれていたことに、あらためて気付いた。
確かに、この屋敷ほど風呂も部屋もベッドも広くはないけれど。
それでも……あの家がいい。
クレアと二人で、美味しいご飯を作ったり、他愛もない話で笑いあえる、あの家が。
エリスは顔を上げ、彼がいる方向に目を向ける。
……クレアにとっても、あの家が、そういう場所になっているといいなぁと。
髪を撫でる手の温もりを思い出しながら、そんなことを考えた。
──そして。
「ふぅーさっぱりしたぁーっ♡」
エリスはご機嫌で風呂場から脱衣所へと上がった。
よく温まった身体から、ほかほかと湯気が上がっている。疲労が全て吹き飛んだ気分だ。
ここからまた男装するのは億劫だが……部屋に戻るまでの我慢だ。
彼女は自身の荷物を漁り、服を着るべく下着を探す…………が。
「……あれ?」
覗き込んでも、ひっくり返しても、下着が見つからない。
これは……もしかしなくても…………
「……クレア」
身体にタオルを巻き付けながら、廊下にいるはずの彼を低く呼ぶ。
すると、まるで呼ばれることがわかっていたかのようにクレアがすぐに入って来て、微笑む。
「お呼びでしょうか」
「ぱんつ、ないんだけど」
「えぇ、回収しました。あの下着は危険と判断しましたので」
「危険なのは平然と下着泥棒をやってのけるあんたの思考回路なんだけど。え、なんなの?早く返してくんない?」
「だめです。返しません」
「……あたしにノーパンで過ごせって言うの?」
「あぁ、それもアリですね」
「ナシだよ! いいから返して! 風邪ひいたらどうすんのよ!!」
広げた手のひらを突き出し、語気を強めて言うが、クレアは尚も首を横に振る。
「残念ながら、あの下着を履かせるわけにはいきません。代わりに……」
──ぴらっ。
と、彼女の目の前で何かを広げ、
「今日からこちらをお召しになってください」
そう、言った。
エリスは、眼前に掲げられたその物体を見つめる。
それは、見覚えのある形状をした布だった。
正確には、衣類。
だからこそ、彼女はますます顔をしかめ……
「……いちおう聞くけど。コレ、なに」
尋ねる。
クレアは、爽やかに微笑むと、
「男性用の下着です」
平然と、そう答えた。