3-2 使用人のお仕事
一方、メディアルナと共に庭を目指すレナードも、情報収集のため動き出していた。
「──今朝の笛の音色、本当に素晴らしかったです。心が洗われました」
この好機を逃すまいと、にこやかな笑みを浮かべながらメディアルナに"笛"の話題を振る。
彼女は遠慮がちに「いえいえ」と手を振って、
「すごいのはわたくしじゃなくて"笛"ですよ。あの笛が、素晴らしい音を奏でてくれているだけなので……」
……と、意味深長なことを言うので。
レナードは一呼吸置いてから、あらためて尋ねる。
「……演奏しているのは、お嬢さまですよね?」
「うーん。そうであって、そうでないというか……こんなこと言ったらおかしいと思われるかもしれませんが、あの笛に触れると指が自然に動いて、音が勝手に出てくるのです。だから本当は、わたくし自身の演奏ではないのですよ」
「つまり……笛が勝手にお嬢さまの指を動かして、音を鳴らしている、ということですか?」
「そうそう、そんな感じです。あれは『魔法の笛』なんです」
コクコクと何度も頷くメディアルナ。
『魔法の笛』、か……
もし今の話が事実だとしたら、使用者を操る力があるということ。
やはり特殊なものであると見て間違いない。
レナードは焦らず、穏やかな雰囲気に努めながら尋ねる。
「不思議なお話ですね。その笛は、ずっと前からこのリンナエウス家にあるのですか?」
「たぶん……詳しくはわからないですが、我が家の家宝みたいなもののようです。少なくともわたくしのお母さまも吹いていたと伺っています」
「奥さまも?」
「はい。亡くなったのはわたくしが赤ん坊の時なので、実際にどうだったのかは知らないのですが……お母さまも好んであの笛を吹いていたと、お父さまから聞きました」
メディアルナの母親も、笛を吹いていた……?
つまり、『禁呪の武器』の呪いを受けなかったということか?
もちろん、まだ『禁呪の武器』と決まったわけではないが……扱える人間が他にもいたとは。
血筋が関係しているのだろうか。
同じく呪いを受けないクレアルドとの共通点は何だ?
もっと探りを入れたいところだが……故人の、それも肉親の話をしつこく聞くのは得策とは言えない。
レナードは悲しげな表情を浮かべ、話を切り上げることにする。
「申し訳ありません、辛いお話をさせてしまって」
「いいえ、全然大丈夫ですよ。わたくしにはお父さまやみなさんがいてくださいますから。寂しくはありません」
そう言って、にっこり笑うメディアルナ。
その言葉通り、領主や使用人たちに大切に育てられてきたのだろう。こうして話しているだけでも心根が素直な少女であることが窺える。
レナードも微笑み返し……優しい声音で、尋ねる。
「お嬢さまはどうして、毎朝あの笛を吹いていらっしゃるのですか?」
そもそも何故、住民たちに笛を聴かせているのか。
それは、レナードが最も気になっていることの一つだった。
メディアルナは、少し照れたように笑うと、
「やっぱり、みなさんが喜んでくれるから、ですかね。あの笛に初めて触れて、その音色を奏でた時、目の前にいたお父さまが涙を流して喜んでくれたんです。お父さまは、お母さまが亡くなったことをずっと悲しんでいらしたので……喜ぶ顔が見られて、本当に嬉しくて。この笛には魔法の力がある。その力で、街のみなさんにも喜んでもらいたい。それでお父さまにお願いして、毎朝笛を吹くことを許可していただいたのです」
そう、少し誇らしげに答えた。
今の言葉からわかったことと、さらに追求すべきことが見えてきたが……今は聞かないでおく。
代わりに、レナードは足を止め、彼女の瞳を見つめる。
「お嬢さまは……素晴らしい女性ですね」
つられるように足を止めたメディアルナが、「え?」と目を見開く。
「暑い日も、寒い日もあるでしょう。それでも毎朝あの塔に上って、笛を吹き続けるなんて……旦那さまや街の人々のことを本当に想っていなければできないことです」
「そんな……わたくしはただ、出来ることをしているだけで……」
「出来る限りのことをしようと思うそのお気持ちが素晴らしいのです。お嬢さまはお姿もお美しいですが……その御心まで、清らかで美しいのですね」
低く、優しく、囁くように。
女性なら誰もが見惚れるような微笑を浮かべて。
レナードは、メディアルナに言う。
彼女は、驚いたように立ち尽くしてから……
にこっ、と、子どものように笑って、
「ありがとうございます。領主の娘として恥ずかしくない人間でいられるよう、これからも頑張りますね!」
拳をぎゅっと握って答えると、そのまま庭へ向け再び歩き出した。
その反応に、レナードは……少し、拍子抜けした。
口説く、とまではいかないが、異性として意識させるつもりだった。
だから、十七歳の少女に敢えて『素晴らしい女性』という言葉を選んだのだが……
……まぁ、散々可愛がられて育ってきたお嬢さまだ。褒められるのには慣れているだろう。
さいわい男に対する嫌悪感はないようだから、これから徐々に距離を詰めるとしよう。
そして、クレアルドたちよりも早くあの塔に入り、笛の実態を調べなければ……
メディアルナの小さな背中を見つめ、レナードは静かに歩き出した。
表玄関から外に出ると、庭師のロベルが花に水やりをしていた。
メディアルナはスカートの裾を持ち上げながら、彼の元へ駆け寄る。
「おはようございます、ロベル」
「お嬢、おはようございます。どうしたんですか? もうすぐ朝食のお時間でしょう」
「その前にロベルにお願いしたいことがありまして。塔の扉なのですが、なんだか急に開けにくくなっちゃったんです」
「ほう。ちょっと見に行きましょうか」
「私も手伝います」
レナードが名乗りを上げると、ロベルは白い歯を見せながらニカッと笑って、
「そりゃ助かる。待っててくれ、今工具を取ってくるから」
そう言ってジョウロを地面に置き、物置小屋の方へ駆けて行った。
──ロベルの先導で、レナードはメディアルナと共に塔へ向かう。
筋肉質でガッチリとした体格のロベルだが、こうした力仕事を任されることが多いのかもしれない。工具箱を持つ姿が様になっていた。
やがて塔に辿り着くと、メディアルナが扉に近付き鍵を開けた。
そして、今朝と同じように取っ手を引こうとしてみるが……やはりギシギシという耳障りな音が鳴る。
「……こんな感じで、上手く開いてくれないんです」
「うーん、油が切れているのかな」
ロベルは扉の吊り元を眺め、首を傾げる。
その後ろから、レナードも同じように観察し……
「……そこ。上の蝶番のネジが緩んでいます」
スッと指をさし、言った。
見るからに古めかしい金属のネジが、蝶番から飛び出しているのが見て取れた。
ロベルは「おぉ」と驚いて、
「本当だ。いつの間にか緩んでいたんだな。ここを締めれば直るだろう。レナード、扉を持ち上げるのを手伝ってくれ」
「わかりました」
レナードは頷くと、少し傾いている扉を水平にするようにして持ち上げた。
ロベルが工具を取り出し、油を差しながらネジを締めていく。
その様子を……レナードは下からじっと見つめた。
ネジは、錆びて青緑に変色していた。
恐らくこの塔が出来た時からあるものなのだろう、他のネジも同じように錆び付いており……まるで蝶番と一体になっているようにすら見える。
……これほどまでに錆び付いたネジが、勝手に緩むだろうか。
今朝メディアルナがこの扉を開けた時の様子と、先ほどの口ぶりから察するに、昨日までは問題なく開いていたようである。
何度も開け閉めしているならまだしも、一日に一回だけしか出入りしないのに、急にネジが緩むというのも不自然に思える。
……いや、考えすぎか? もしかすると徐々に建て付けが悪くなっていたことにメディアルナが気付いていなかっただけかもしれない。
と、レナードはなんとなく違和感を覚えるが……当然それを口にすることはせず、
「ロベルさん、すごく手際が良いですね。こういう仕事に慣れているのですか?」
感心したような表情を浮かべ、まもなくネジを締め終えるロベルにそう話しかけた。
彼は、最後の仕上げにグッと力を入れてネジを締め上げ、
「まーな。このお屋敷は立派だが、歴史がある分こういうことが時々あるんだ。専門の職人を呼ぶ場合もあるけど、直せる所は俺が直している」
「そうしてこの美しい姿を保っているのですね。私にも是非また、修繕のお手伝いをさせてください」
「おう、頼むわ。お前さん、細っこく見えるが案外筋肉ありそうだもんな」
扉を直し終え、立ち上がったレナードの身体をロベルがまじまじと見つめる。
「んん……いい感じに引き締まっているよな。なんか鍛錬してんのか?」
「斡旋元が護衛業も請け負っているので、たまに駆り出されていたのですよ。そのために一応、身体作りはしていました」
「ほう。それでガラの悪い奴らからお嬢を護ってくれたってわけか」
嘘の設定を素直に信じ、納得するロベル。
そして、
「ちょっと腕の筋肉見せてくれよ。実戦的な身体がどんなものか興味がある」
……と、思った以上に筋肉ネタに食いついてくるが、身体を鍛えるのが趣味なのだろうか。
まぁいい。ロベルは使用人の中でも一番の古株だと言う。ここで距離を縮めておけば、後々情報を引き出しやすくなるだろう。
レナードは「いいですよ」と微笑んで、手首のボタンを外し、制服のシャツをめくって見せた。
細身ではあるが、無駄のない引き締まった筋肉にロベルは目を輝かせる。
「おぉ、いい付き方してるな! 触ってもいいか?」
「あはは。どうぞ」
許可を得てから、ロベルはレナードの腕を触り始める。
「なるほど、こんなかんじかぁ……」などとブツブツ言いながら腕を撫で回しているが……傍から見れば、異様な光景だろう。
メディアルナは一体、どんな顔でこれを見ているのだろうか……
と、扉の脇に立っている彼女の方に目を向けると。
「…………」
メディアルナは、じっとこちらを見つめていた。
……うっとりとした、恍惚の表情で。
レナードは、思わず固まり、暫し混乱する。
な……なんだその表情は。
先ほど甘い言葉を囁いた時には大した反応を見せなかったのに、今のこの表情……完全に恋する乙女のそれである。
まさか…………メディアルナも、筋肉が好きなのか……?
確かに男の筋肉に魅力を感じる女性が世の中に一定数いることは、レナードも熟知している。
なるほど……メディアルナにもその傾向があるのかもしれない。
ロベルに対してもメディアルナに対しても、距離を縮める鍵となるのは『筋肉』か。
これはまた一つ、貴重な情報が手に入った……この調子で、クレアルドよりも早く"笛"に辿り着いてやる。
半開きになった扉の奥の、暗い塔の中を見つめ、レナードが内心ほくそ笑む……と。
「…………どういう状況ですか? これは」
どこか得意げなレナードと、その腕を撫で回すロベルと、それをうっとり眺めるメディアルナ……という謎の光景を目にし。
主人を探しにやって来たアルマが、ドン引きしながらそう呟いた。