3-1 使用人のお仕事
「まず、館内の清掃だが……」
離れから主屋へと移動し、ヴァレリオは一階の廊下にある物置き部屋を開ける。
「ここに掃除道具一式が入っている。使い方と清掃箇所はこの後伝えるが、レナードには主屋の一階と二階、そしてその間の階段を任せたい」
「かしこまりました」
レナードが頷いたちょうどその時、メディアルナが廊下の向こうから歩いてきた。
ヴァレリオは「お、ディアナ。おはよう」と軽く言うが、三人はきちんを姿勢を正して「おはようございます」と挨拶する。
彼女も足を止め、にこりと微笑み返す。
「おはようございます、みなさん。あら、ロベルは一緒ではないのですか?」
「あぁ、あいつなら今ちょうど庭に出たところじゃないかな。どうした?」
「実は、塔の扉の建て付けが悪くて……ちょっと見ていただきたいのです」
「そうか。なら、レナード」
ヴァレリオに呼ばれ、「はい」と返事をするレナード。
「ディアナと一緒に行って、ロベルを手伝ってやってくれないか? あの扉重いから、一人だとなかなか大変だと思うんだ。それが終わったら戻って来てくれ。掃除について教える」
「わかりました」
レナードは一礼すると、メディアルナと共に庭へと向かって行った。
「んじゃ、次は厨房な。エリック、ついてこい」
「はいっ!」
キランッ、と目を輝かせ、エリスが元気良く返事をする。
ヴァレリオに続き、一階の奥にある厨房へ入ると……そこには既に、人がいた。
初老の男性だった。アッシュグレーの頭髪に、キリッと吊り上がった眉。口髭をたくわえ、白い調理服を身につけている。
そんな男が、今まさに何かを調理していた。
「あそこにいるのが、料理長のモルガン・アントライユだ。この屋敷の料理は全て彼が作っている。おーい料理長、新人連れて来たぞー」
「…………」
ジュウジュウという調理音に負けないようヴァレリオが声を張るが、モルガンは無反応。口を開くどころか、こちらに目を向けようとすらしない。
ヴァレリオは苦笑いをして、
「悪いな、料理長は寡黙な職人気質なんだ。背中で語るタイプというか……正直、まともに話しているところを見たことがない」
「えっ?!」
「まぁでも、慣れれば意思疎通はできる……はずだ。頑張ってな、エリック」
軽い口調で言いながら、エリスの肩にぽん、と手を置くヴァレリオ。
そのまま彼女を残し、「さぁ、次だ次」と厨房を出て行くので……
無口な料理長と二人きりにして大丈夫だろうかと、クレアはエリスの方を振り返るが……
「初めまして。僕、エリックっていいます。昨日の夕食ありがとうございました。すっごく美味しかったです」
「…………」
「今は何を作っているんですか? めちゃくちゃ美味しそうですね!」
「…………」
「はぁ、いい匂い……これは旦那さまの朝食ですか? それとも使用人の賄い?」
「…………」
「あ、盛り付け用のお皿いります? 食器はどこにあるのかな。戸棚勝手に開けますね」
……などと、無反応なのを気にせず話しかけまくっているので。
嗚呼、さすがエリス。相手の反応など気にも留めない。
むしろ返事がないのをいいことに、無遠慮に戸棚を漁って『琥珀の雫』を探し始めている……
これは心配なさそうだ。上手いことやってくれるに違いない。
と、クレアは彼女の図太さに惚れ直しつつ、ヴァレリオに続いて厨房を後にした。
「クレアルドには外回りを頼むわけだが……既に担当している奴がいるから、そいつにいろいろ習うといい」
言いながら、ヴァレリオは上階へとクレアを誘う。
階段を上り、三階──領主のマークスや娘のメディアルナの寝室がある階へ差し掛かると、廊下に見知った人物がいた。
メディアルナの世話係の少年、アルマである。
「アルマさん。おはようございます」
クレアが挨拶をすると、アルマは昨日と変わらず気弱そうな表情でクレアを見返した。
「あ、おはようございます……ヴァレリオさんも」
「おぅ、アルマ。ディアナならロベルを探しに庭へ行ったぞ」
「庭に……? 通りでお姿が見えないはずだ。僕、ちょっと行ってきます」
どうやらメディアルナを探していたらしい。アルマはぺこっと頭を下げると、小走りに去って行った。
ちょうどそのタイミングで、領主の部屋の扉が開いた。
そして、中から一人の男が出てくる。
若い男だった。クレアと同い年くらいだろうか。ベージュ色の艶やかな髪に、スラリとした細身の身体。『爽やか』という言葉がぴったりな雰囲気の美青年だ。
男は一度礼をし扉を閉めると、廊下のクレアたちに気が付き、微笑んだ。
「おはようございます、ヴァレリオさん。それから……えぇと」
「初めまして。昨日からお世話になっているクレアルド・ラーヴァンスと申します」
「あぁ、やっぱり新人さんかぁ。初めまして。ブランカ・ウッドマンです。すみません、昨日はご挨拶できなくて」
「いえ、こちらこそ。これから宜しくお願いします」
ブランカと名乗る青年の手には、いくつかの手紙が握られていた。
となると、恐らく彼が外回り担当なのだろう。昨日も屋敷の外に出ていたため、会えなかったのかもしれない。
クレアの予想通り、ヴァレリオがあらためて彼を紹介する。
「このブランカが、手紙を出したり荷物を受け取ったり、必要なものの買い出しに行くのを担当している。言わば『おつかい係』だ」
「はは、そうですね。確かに僕は『おつかい係』です」
「元々はもう一人いたんだが、承知の通り辞めちまったから、しばらくブランカ一人だった。負担を減らすため、食材の買い出しは料理長自ら行ってもらっていたんだが……今日からはその必要もなくなるな。ブランカ、クレアルドにいろいろ教えてやってくれ」
「はい、わかりました」
ブランカが穏やかな声音で返事をすると、ヴァレリオは一つ頷き、
「じゃ、俺はこのまま旦那さまのところへ行くから。あとよろしく頼むな。あぁ、そうだ。ペンのインクを買っておいてくれ。なくなりそうなんだ」
「わかりました」
そうして、ヴァレリオは領主の部屋へと消えて行った。
それを見届けると、ブランカはクレアの方に向き直る。
「……さて、クレアルドさん。あらためて宜しくお願いします」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします」
「僕たちの仕事は、まず朝、旦那さまから手紙を受け取り、使用人のみなさんから買い足しが必要なものを聞き取ることから始まります。手紙はこの通り受け取り済みなので、みなさんのところを回りましょう」
クレアは「わかりました」と返事をし、ブランカについて行く。
そして、これからについて考える。
エリスもレナードも、ちょうど良い配置に就いたと思う。
エリスは兼ねてより目標としていた『琥珀の雫』の捜索がしやすい厨房に陣取ることができたし、レナードも館内を自由に歩き回れる清掃の役割を得た。情報収集にはもってこいだ。
そしてクレアだが……
彼は彼で、都合の良い仕事が得られたと感じていた。
買い出しのついでに住民への聞き込みもできる上、"中央"への中間報告の手紙も出しやすい。
それに……
彼が独自に進めている"ある計画"も、屋敷の外でないと動けないものだった。
その計画には、期限がある。
今日から二週間後がリミットだ。
その間に、例の笛の件を片付けなければならない。
もちろん、『琥珀の雫』のことも。
クレアは本格的な任務の始まりを感じながら、
「……ブランカさんは、こちらに勤めて長いのですか?」
と、柔和な笑みを浮かべながら、情報収集を開始した。