1-4 リンナエウス家の人々
使用人たちが寝泊まりする場所は、主屋から外の廊下を抜けた先にあった。
二階建ての、主屋と同じデザインの建物である。
一階の奥にある三部屋を使うようアルマに案内され、クレアたち三人はそれぞれ割り当てられた部屋に荷物を置いた。
ベッドにクローゼット、一人用のテーブルに椅子、あとは小さな本棚があるだけの、小ざっぱりとした部屋だ。
しかし調度品はどれも上等なもので、広さも街中の宿屋に比べれば随分とゆとりがある。使用人の下宿としては、十分すぎるほどの部屋だった。
廊下に戻ると、アルマが共用部分の説明を始める。
「風呂とトイレは共同です。トイレは一階と二階に一つずつ、廊下にあります。風呂は一階の……あの奥にあります。暗黙の了解というか、昔からのルールみたいなもので、年次の高い先輩方から先に風呂に入ってもらうようになっています。つまり、ヴァレリオさんとロベルさんが一番最初で……大変申し上げ難いんですが、新人のみなさんは一番最後に入っていただきます。時間的には、夜遅くになってしまうと思います」
「大丈夫です、問題ありません」
「すみません。僕の後になるので、終わったらお声かけしますね」
その言葉に、クレアは納得する。
クレアたちが潜入するために辞めさせた使用人三名は、ここでの勤務歴が浅い者から順に選んだ。
そのため、残った使用人の中でアルマが一番の後輩になってしまったのだろう。確か彼は、ここで勤め始めて一年ちょっとであるはずだ。
そんなことを考えながら、クレアは「ありがとうございます」と微笑んだ。
そのまま外に出て、アルマは庭を案内した。
美しい花が咲き誇る庭園を進むと、先ほどの守衛兼庭師というロベルに出くわした。
彼は、アルマを見るなりニヤリと笑って尋ねる。
「お、旦那さまに怒られ済みか?」
「いえ、奇跡的に回避しました」
「おぉ、よかったな。あとで詳しく教えてくれよ」
「大した話じゃないですよ……」
アルマは相変わらず暗い表情で答え、ロベルと別れた。
庭園の奥には、馬車用の馬が休む厩舎と鶏小屋があった。
毎朝ここで産みたての卵を採り、料理に使っているらしい。それを聞いた瞬間、エリスの目が光ったのをクレアは見逃さなかった。
厩舎の中には、あの馬車を操っていた御者の男がいた。名をハリィと言い、馬や鶏の世話を務めているのだという。
「次は……こちらです」
厩舎を後にし、アルマがさらに庭の奥へと進む。
その先にあるものを見上げ……クレアは次にどこを案内されるのか理解した。
果たして、その予想は当たった。
アルマが足を止めたのは、この敷地内で最も背の高い建物──不思議な笛の音が鳴り響く、例の塔の前だった。
アルマは、塔をゆっくり見上げると、
「……この塔は、ディアナお嬢さま以外立ち入ることができません。それだけ覚えておいてください」
と、簡潔に言った。そしてまたすぐに歩き出そうとするので、レナードが探りを入れようと口を開くが、
「どうして?」
それよりも早く、エリスが尋ねた。
アルマは、少し面倒くさそうな顔をして振り返り、
「さぁ……理由はわかりませんが、旦那さまがそう定めたのです。旦那さまご自身も、この塔には近付かれません。入っていいのはお嬢さまだけです。我々もこの塔だけは清掃しませんので、くれぐれも入らないように。まぁ、鍵がかかっているので開けること自体できませんが……」
見れば確かに、扉には頑丈そうな錠がかけられていた。
そのままアルマが歩き出したため、三人はそれ以上追求しなかった。
「…………」
塔の扉を見つめながら、レナードは考える。
メディアルナしか入れないということは、鍵は彼女が持っているのか。
そもそも"例の笛"は、この塔の中に安置されているのだろうか……まずはそれを確かめる必要がある。
もし塔の中に笛が置かれているのなら、メディアルナに近付き、鍵を奪おう。
兎にも角にも、"例の笛"を直接目の当たりにし、その実態を確認しなければ始まらない。
本当に『禁呪の武器』であるならば、この手で触れ……"呪い"を受ける人間とそうでない人間の違いを明らかにしなければ。
これ以上、クレアルドばかりに『特別』の名を欲しいままにさせるわけにはいかない。
天を貫くような塔の屋根。
それよりもさらに高い場所を悠然と飛ぶ鳥を見上げ。
レナードは少しだけ、目を細めた。
──再び主屋に戻り、アルマが下階から順番に案内を始める。
一階には来客を招く際に使用する広間といくつかの客室、奥には厨房があり。
二階には書庫や会議室、領主とメディアルナだけが使用する浴室。
そして三階は、先ほど訪れた領主の寝室とメディアルナの寝室、そして二人が食事をするための部屋があった。
「僕たちの食事は、仕事の合間に交代で摂ります。特に時間は決まっていないので、仕事の切りがいい時に厨房へ声をかけてください。料理長が賄いを作ってくれます」
その言葉に、エリスの目が再び光る。
こういう職に就かなければ食べる機会のない"賄い"というものに、強く憧れていたのだ。
領主の屋敷に勤める料理人が作る、賄い。
嗚呼、どんな料理なのだろう……今からワクワクとよだれが止まらない。
もしかして、『琥珀の雫』も普通に食べられちゃうとか……?
……と、エリスがニヤニヤしていると、廊下の向こうからメディアルナが駆けて来た。
「みなさん、お待たせしました。お食事の用意ができましたので、一階までお越しください」
やった! と思わず叫びそうになる口を押さえ、エリスはクレアたちと共に階段を降りた。
──食事が用意されていたのは、一階にある広い客間だった。
長いテーブルに椅子がいくつも置かれた、会食用の部屋である。
通常、使用人は厨房にある小さなテーブルで交代しながら食事を摂るらしいが、今回は三人同時に食べるので特別にこの部屋に通されたようだ。
「うわぁ、美味しそう!」
テーブルに並べられた料理を見て、エリスが堪え切れず声を上げる。
色とりどりの葉野菜を使ったサラダ。
芋とベーコンがゴロゴロ入ったスープ。
バターの香り漂う白身魚のソテー。
そして、ふわふわに焼かれたパンケーキ。
急ごしらえで用意したにしては、十分すぎる内容だった。
食い入るように料理を見つめるエリスの横で、クレアは申し訳なさそうな顔を浮かべる。
「こんなにたくさん……すみません、わざわざご用意いただいて」
「いえいえ、助けていただいたお礼でもありますから。もう夕方になってしまいましたし、晩ご飯も兼ねてということで、大丈夫ですか?」
「えぇ、もちろんです」
「よかった。うちの料理長が作るパンケーキ、絶品なんです。バターを付けてパン代わりにしてもいいですし、こちらのハチミツをかけてデザートにしていただいても結構です」
メディアルナはそう言って、茶葉を買った農園でもらったというハチミツの瓶をテーブルに置いた。
エリスはもう居ても立ってもいられなくなり、席に着くなり手を合わせて、
「いっただっきまーす!」
遠慮なく食べ始めた。
その様を、クレアはにこやかに、レナードは呆れ顔で見つめてから、
「では、我々もいただきましょうか」
そう言って席に着き、食べ始めた。
まずはスープから。一口飲んだクレアが、思わず「美味しい」と呟くが、
「んんんっ、んまいっ!」
という、エリスの声に掻き消された。
いちおう少年っぽい声音を心がけたつもりだったが、ほとんど普段通りのリアクションである。
料理は、どれも絶品だった。
サラダにはハーブの効いたドレッシングがかかっており、爽やか且つコクのある味になっている。新鮮な葉野菜に食用花が散りばめられていて、目にも楽しい。
スープはベーコンの出汁がよく染み出しており、コショウの味付けがホクホクのじゃがいもとマッチしている。
そして、白身魚のソテー。しっとりと柔らかく、まるで臭みのない良い魚だ。味付けも抜群。バターで焼かれた焦げ目のカリッとした部分が、香ばしくて病みつきになる。
これはすごい。期待以上だ。
ということは、このパンケーキも……メディアルナの言う通り、絶品に違いない。
エリスは、ごくっと喉を鳴らしてから、メディアルナの方を窺うように見つめ、
「あの……『琥珀の雫』っていう、すごいハチミツがあると聞いたことがあるのですが、ひょっとしてコレ……」
と、ハチミツの瓶に視線を移しながら尋ねる。
それに、メディアルナはにこりと笑って、
「いえ、これは普通のハチミツですよ。『琥珀の雫』は一年に一回だけ、専門の養蜂場から届けていただくんです」
「そ、そうですか」
さすがにそんなうまい話はないか……と、エリスは大人しく引き下がる。
ここでぐいぐい聞いても怪しまれるだけだ。一年に一回献上されるというそれが一体どこに保管されているのか、慎重に探っていくことにしよう。
そう心に決め、エリスはハチミツの瓶を開け、スプーンで中身を掬いパンケーキに垂らす。
そして、ナイフで一口大に切り分け、ぱくっと頬張った。
瞬間。
「う…………!!!!」
……『まい』、が出てこなかった。
声を発するのも惜しい。それくらい美味いパンケーキだった。
表面はさっくり、中はふわふわ。絶妙な加減で空気を含んだ軽い生地だ。
程よい甘みとバターの風味が、噛めば噛む程に鼻から抜ける。
そして、このハチミツ。ほのかに花の香りが感じられ、こってりと甘い。喉に痛みすら感じるほどの甘さだ。王都で売られているそれとはモノが違う。蜜となる花の種類による差なのだろうか。
普通の農園で、お土産程度にもらったハチミツで、この威力。
これが、至高と呼ばれる『琥珀の雫』だったら……
それをこのパンケーキにかけて食べたら、一体どれだけ美味しいのだろう。
百面相をしながらパンケーキを頬張るエリスを、クレアは微笑みながら見つめる。
そしてメディアルナもまた、嬉しそうに笑いながら、
「エリックさんて、とっても美味しそうに召し上がるんですね。見ていて気持ちが良いです」
なんてことを言われ、完全に自分の世界に入っていたエリスはビクッと身体を震わせる。
「だ、だって本当に美味しいから……いくらでもいけちゃいそう、です」
「ふふ、よかった。あ、そちらのハチミツ、よろしければみなさんで今後も召し上がってください。わたくし、ハチミツは食べないので」
……という、爆弾発言に。
エリスは、
「…………へ???」
と、素っ頓狂な声を上げる。
メディアルナは申し訳なさそうに笑って、
「ごめんなさい、好き嫌いは良くないとわかっているのですが……あの甘さがどうにも苦手でして。パンケーキにはいつもチョコレートソースをかけているんです。だからそのハチミツは、どうかみなさんでお使いください」
そう言った。
その言葉を受け、エリスの頭が真っ白になる。
え……このお嬢さま、ハチミツ食べないの?
庶民は決して食べることのできない至高のハチミツ『琥珀の雫』を献上されているのに……それを、口にしないってこと? いや、意味がわからない。
なら……献上されたそれを、一体どうしているのだろう。もしかして、領主が一人で食べているとか?
まさか……捨ててしまっているなんてことは……
サァーッと一気に顔を青ざめさせるエリスを、クレアが心配そうに見つめていると、
「お、ここにいたのか」
金髪のハンサム男、ヴァレリオが部屋に入ってきた。領主・マークスとの話は終わったらしい。
クレアとレナードが食事の手を止め立ち上がろうとするが、彼は「そのままでいい」と制止する。
「アルマからいろいろ説明は受けていると思うが、今日はこのまま風呂使っていいぞ。本格的に仕事を教えるのは明日からにする。今日はちゃっちゃと風呂入ってとっとと寝な」
それだけ言うと、ヴァレリオは客間を去って行った。
これは好都合だ。と、クレアは思う。
屋敷の造りと、ここに住まう人々をあらかた見て知った今、今後の捜査方針を三人で確認したいと考えていたからだ。
食事を終えたらまずは風呂に入り、他の使用人がまだ働いている内に作戦会議をするとしよう。
エリスとレナードも同じように考えたのか、残りわずかな皿の上の料理を静かに食べ進めた。
「──ごちそうさまでした、お嬢さま。本当に美味しかったです」
食事を終え、食器を厨房に片付け。
廊下に出たクレアは、あらためてメディアルナに礼を述べた。
彼女はにこやかに微笑み、「いえいえ」と言って、
「喜んでいただけてよかったです。ちょうど料理長が買い出しに行ってしまって、ご紹介できなかったのが残念ですが……また明日にでも、直接感想を伝えてあげてくださいね」
「ぜひそうさせていただきます。明日から、どうぞよろしくお願い致します」
「こちらこそ。あ、乱暴な人たちに襲われたこと、お父さまには内緒にしておいてくださいね」
「もちろんです。また何かお困りごとがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
「ありがとうございます。では、少し早いですが、おやすみなさい」
そう言って、メディアルナは去って行った。
アルマも一度ぺこっと頭を下げてから、彼女の後に続き、廊下の向こうへ消えていった。
「……さて。この後は……わかっているな」
二人が去ったのを見届けてから、レナードが口を開く。
それにクレアは頷き、
「えぇ。風呂を済ませたら、三人で今後の方針を話し合いましょう。ということでレナードさん、お先にどうぞ」
「……言っておくが、お前たち」
レナードは、クレアとエリスをジトッと睨みつけると、
「……風呂は、別々に入れよ。もう潜入先にいるのだから、くれぐれもヘンなコトはするな」
「誰がするか! 余計な心配してないでさっさと行きなさいよ!!」
顔を真っ赤にして叫ぶエリス。
しかしレナードはそれに答えず、最後まで訝しげな目を向けながら、先に離れへと向かって行った。
そして。
完全に二人きりになった廊下で、クレアが一言。
「……え。ほんとに一緒に入らないのですか?」
「入らないよ! 当たり前でしょ?!」
「そんなぁ。いいじゃないですか、ちょっとくらい」
「だめっ!」
「えぇ〜、どうしてですか? 家で何回も一緒に入っているのに……今さら見られて恥ずかしいってことはないでしょう?」
「は、恥ずかしいよ!」
「ふむ。あんなコトやこんなコトを経験してもなお恥じらいを失くさない奥ゆかしさ……大好きです」
「うっさい! ていうか……ただ入るだけで済むとは思えないんだけど」
「と言うと?」
「……さ、触ってきたりとかするでしょ」
「そりゃあ、背中くらい流しますよ」
「…………本当に背中だけ?」
「まぁ………………他も触りますけど」
「ほらね! やっぱヘンなことする気満々じゃん! だから順番こ! あたしが入ってる間はあんたが見張る!! わかった?!!」
「…………」
「心の中で舌打ちしない!! 返事!!!」
「はぁい」
まぁいいや。エリスが洗っている間にちょっとだけ覗かせてもらおう。
……などとクレアが考えているとも知らずに、エリスは「もうっ」と足を踏み鳴らしながら、離れに向けて歩き始めた。