1-2 リンナエウス家の人々
馬車は、花畑に囲まれた街道を進んで行く。
見渡す限りに広がる農園では、観賞用から食用まで様々な花が育てられている。中にはメディアルナたちが購入したような薬草を扱っている農家もあるのだという。
時々、花畑の奥に養蜂箱が置かれているのを見つけては、エリスは期待と興奮に胸を高鳴らせた。
やがて川に差し掛かり、そこに架けられた長い橋を超えると、土の道がレンガ畳に変わった。
その先に、色とりどりの屋根が見えてくる。
パペルニア領の中心となる街、リンナエウスである。
エリスは、馬車の窓から街を眺める。
民家の窓、商店の入り口、歩道の両脇……至る所に花が飾られており、目に映らない場所を探す方が難しかった。さすが、国内随一の花の産地である。
道行く人も、呼び込みをする商人も、皆笑顔と活気で溢れていた。
いい街だ、とエリスは直感的に感じる。
彼女が親戚宅で過ごしたタブレスの街も、かなり活気のある街ではあったが……あそことはまた違う、華やかで上品な香りのする街だった。
メイン通りを進んで行くと、徐々に馬の歩みが遅くなった。
どうやら緩やかな登り坂が続いているらしい。
「あの高台にあるのが、うちの屋敷です」
メディアルナが窓の外を指さす。
エリスがそちらに目を向けると……坂道を登った先に、高い塀に囲まれた建物が見えた。
石造りの白壁、赤いレンガの屋根。一国の城を模したような意匠の、立派な屋敷だった。
中でも一際目を引くのが、中央に聳える塔だ。
主屋の倍以上の高さを誇り、尖った屋根は天を突く槍のようである。
──あそこからなら、このリンナエウスの街も、その周りの花畑も、全て見下ろせるだろう。
そんなことを考えながら、エリスは口を開けてそれを眺めた。
そのぽかんと開いた口を、クレアは思わず微笑みながら見つめるが……
その隣で、レナードは同じく馬車の外に目を向け。
塔の頂き──"禁呪の武器"と思しき笛の音が響くというその場所を、鋭く睨みつけていた。
「あぁ、どうしよう……謝罪の言葉がまとまらない内に着いてしまった……」
馬車が屋敷の門をくぐると同時に、アルマは頭を抱えた。
しかしその横で、メディアルナがやはり呑気に笑う。
「大丈夫ですって。新人さんの前ではお父さまもさすがにお怒りにはならないはずですよ」
って、謝罪の場に連れて行かれるんかい。
と、エリスが脳内でツッこむが、新人として挨拶しないわけにもいかないのかと、小さくため息をついた。
御者が声を上げ、馬を止める。
アルマはドアを開けて、メディアルナに手を差し伸べ降りるのを手伝った。
その後に続き三人も降りると……華やかな香りが、ふわりと鼻を掠める。
見れば目の前には、美しい庭園が広がっていた。色鮮やかな花々が風に揺れ、その甘い香に誘われるように蝶が舞い踊っている。
どこかに養蜂箱は置かれていないかとエリスが花そっちのけで目を光らせていると、庭園の奥から人が現れた。
男だった。三十代半ばくらいだろうか。筋肉質の身体に、キリッとした端正な顔立ち。作業着のような服を身に纏い、黒い短髪には白いタオルを巻いている。顔は所々黒く汚れ、額から汗を流していた。
そんな男が、こちらを見るなり慌てた様子で駆け寄って来て、
「お嬢! どこへ行っていたんですか! どこにもいないから心配しましたよ!!」
と、メディアルナに詰め寄る。
彼女は「あはは」と苦笑いをし、
「心配かけてごめんなさい、ロベル。お父さまのために、お茶の葉を買いに行っていました」
「お茶……? そんなの、誰かに頼んでくださればよかったのに」
「いいえ。わたくしがどうしても自分で行きたかったのです。お父さまが苦しんでいるというのに、何もできないのは嫌で……それでアルマに無理を言って、内緒で出かけちゃいました」
「……アルマ〜」
ロベルという男にじぃっと見つめられ、ビクッと肩を震わすアルマ。
「いや、あの、その…………申し訳ありません」
「まったく。相談してくれれば俺も一緒に行ったのに。さすがに二人だけじゃ危ないだろ?」
「えぇ、実は少々乱暴な方たちに出くわしまして」
あっけらかんと言ってのけるメディアルナに、ロベルが「えっ?!」と声を上げる。
しかし、
「でも、この方々に運良く助けていただいたので大丈夫でした。本日からうちに来てくださるクレアルドさんと、レナードさんと、エリックさんです」
ロベルが言葉を発する前に、流れるように紹介をした。
三人が軽く会釈をすると、ロベルは頭に巻いたタオルを取って、
「あぁ、あんたたちが新入りさんか。俺はロベル・バラルディ。いちおう守衛を務めているが……ほとんど庭の手入れ担当だな。今日からよろしく」
そう、白い歯を光らせながら微笑んだ。
クレアもにこりと微笑み返し、
「よろしくお願いします。不慣れな内は何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、精一杯務めさせていただきます」
「なに、すぐに慣れるさ。わからないことがあればなんでも聞いてくれ、ここじゃ一番の古株なんだ。しかし……予定では二人来ると聞いていたが、三人になったんだな」
その指摘に、エリスはどきりとする。
当初、クレアとエリスの二人で向かうはずだったのが、急遽レナードがついて来たのだ。不自然に思われて当然である。
「(もう……初っ端から足引っ張ってんじゃないわよ、このツンツン男!)」
と、エリスは内心冷や汗をかきながら隣のレナードを睨みつけるが……
彼は爽やかな笑みを浮かべて、
「えぇ。元々三名分の補填をご希望されていたので、他へ向かう予定だった私が急遽こちらへ来ることとなりました。旦那さまには既にお手紙にてお知らせしているかと思いますが……」
「そうだったのか。いやぁ、急に三人も辞めちまったから困っていたんだ。来てくれて助かるよ。お嬢のピンチも救ってくれたみたいだし、さっそく大活躍だな。期待してるぜ」
「はい。頑張らせていただきます」
恐らく本当に手紙を出していたのだろう、一切の焦りを見せることなくその場を乗り切った。
エリスは、安心したような悔しいような、複雑な気持ちで奥歯を軋ませる。
そんなことにはまるで気付かず、メディアルナは「さぁ」と切り出し、
「お父さまのところへ参りましょう。みなさんの紹介をして、買ってきたお茶をお出しして、それからちょこっと謝らなくちゃ」
文字通り、お茶でお茶を濁すつもりだな……
と、エリスはシャレのようなことを思いつつ、クレアたちと共に屋敷の中へ足を踏み入れた。
──広いエントランスを抜けた先にある階段を上り、一行はアルマの案内で三階へと向かう。
こういう場所に馴染みのないエリスは、初めて見る"領主のお屋敷"の内部をキョロキョロと見回した。
白い壁、大きな窓、赤い絨毯。目にとまる調度品はどれも高級そうだが、過度な装飾のない、上品な雰囲気の内装だった。
そして、微かに漂う花の香り……これは、百合の花だろうか。
と、階段を上る途中で二階の廊下をちらりと覗くと、花瓶に白百合が飾られていた。
年季の入った建物ではあるが、花が飾られていたり、窓や階段がピカピカに磨かれていたりと、手入れが行き届いていることが伺える。
「外観も美しかったですが、中もまた素晴らしいですね。まるでおとぎ話に出てくる城のようです」
階段を上りながらクレアが言うと、メディアルナは嬉しそうに微笑んで、
「ありがとうございます。百年以上も前に建てられた古い屋敷ですが、お手伝いさんたちがいつも綺麗にしてくださっているので助かっています。ね、アルマ?」
「まぁ、主にヴァレリオさんのおかげですけどね……あの人めちゃくちゃ綺麗好きなので」
アルマがぼそぼそ答えるのと同時に、一行は三階へ到達した。
そして、廊下に差し掛かった直後、
「……あ、噂をすれば」
先頭で、アルマが足を止める。
その視線の先──長い廊下の突き当たりに、一人の男がいた。
男はこちらに気付くと、スタスタと歩み寄ってきて、
「ディアナ。どこへ行っていたんだ、心配したぞ」
と、メディアルナの両肩に優しく手を置いた。
『ハンサム』という形容がぴったりな男だった。歳は、先ほどのロベルと同じくらいか。燻んだ金髪と青い瞳が印象的な、色男である。
メディアルナを愛称で呼び捨てにしているが、その装いから彼もまた使用人であることが伺える。
メディアルナはやはり気まずそうな笑みを浮かべて、
「ごめんなさい。お父さまのために、買い物に行っていました」
「買い物? たった二人で?」
「はい」
「……アルマ〜」
「わぁあっ、すみませんすみません!!」
睨みつけられ、アルマは腰を直角に折る。
「ったく……とにかく無事でよかった。んで? 二人でこそこそと何を買ってきたんだ?」
「これです」
アルマが恐る恐る持っていた紙袋を差し出す。
男はそれを受け取ると、袋を開けて匂いを嗅ぎ……ハッとなる。
「これ……リカンデュラの葉か?」
「そうですが……何かまずかったですか?」
「いや、懐かしいなと思って。昔、旦那さまが体調を崩された時よくこれをお出ししていたから。今はもっといい薬があるし、いつからか使わなくなったけどな」
と、少し笑みを滲ませながら語る。どうやらこの男も、この屋敷に仕えて長いようだ。
そこでようやく、メディアルナの後ろに立つ三人に意識が向いたのか「この方々は?」と尋ねる。
メディアルナは振り返り、先ほどと同じように紹介する。
「新しいお手伝いさんです。クレアルドさんと、レナードさんと、エリックさん」
「あぁ、随分と早く着いたな。ヴァレリオ・ドルシだ。よろしく」
「ヴァレリオはお手伝いさんたちの総責任者でもあるんです。お仕事に慣れるまで、ぜひいろいろ教えてもらってくださいね」
メディアルナの補足を受け、クレアたちもあらためて名乗りながら挨拶をした。
ヴァレリオは、そんな三人の顔を順番に眺め、
「こりゃまた随分と見映えがいいのを集めたな。ディアナ、よかったじゃないか」
「えっ、なんでわたくし?」
「なんでって、お前さんが旦那さまに頼んでイケメンを集めているんじゃないのか?」
「ち、違いますよ! お父さまが勝手に……!!」
顔を真っ赤にして手を振るメディアルナ。ヴァレリオは「冗談だよ」と笑ってから、
「ま、イケメンだろうが何だろうが、男相手にゃ厳しくいかせてもらう。ここでの仕事をしっかり叩き込んでやるからな。にしても……」
ふと、彼はエリスの顔を覗き込むと……
徐ろに手を伸ばし、彼女の顎をくいっと持ち上げ、
「エリック、って言ったか? お前さん、可愛い顔してんな。まるで女みたいだ」
そう、まじまじと見つめられ……エリスの身体が強張る。
その隣で、クレアにも動揺が走っていた。
まずい……いきなりバレたか?
いや、それよりも今は……
……え? 何こいつ、なんでエリスに触ってんの? 誰の許可得てそんな顔近付けてるわけ? 今すぐ離れないとその腕ごと顔面削ぎ落とすが??
……というクレアの静かなる殺気を感じ、レナードもまた別の意味で動揺していた。
「こんだけ女っぽいと、厳しくしづらいなぁ……俺、女の子には優しいからさぁ」
そう、囁くように言うヴァレリオ。
いよいよ我慢ならず、クレアが間に割って入ろうとした……その時。
──ガッ。
……と、エリスが、自身の顎に添えられたヴァレリオの手を掴み、
「……奇遇ですね、僕も女の子には優しくする主義なんです。こんな風に女の子に迫る方法、これからたくさん教えてくださいね。ヴァレリオさん」
低い声で言いながら、ニヤリと笑った。
そのセリフと笑みに、ヴァレリオはパッと手を離し、
「けっ、ませたこと言いやがって。見た目は女でも中身は一丁前に男か。そんなことを覚える暇があるなら、早いとこ仕事を覚えるんだな」
吐き捨てるように、そう言った。




